2020.12.07 Monday
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「イサム・ノグチは何をしようとしたのか」と「イサム・ノグチと丹下健三」についてのまとめを行います。イサム・ノグチについてはこのところ関連書籍を読み漁っていたので、私には既知のことばかりでした。著者は建築家なので発想に建築的な視点があり、そこが面白いと感じました。「ノグチは、彫刻的才能を、物体から物体の下の大地へと広げはじめるが、しかし実現はむづかしい。物と大地では大きさもちがえば社会的影響もちがう。建築を作るのと町を作るくらいちがう。~略~(ノグチは)自分の還るべき大地を生み出したかったのだ。日米のあいだに祖国をあらかじめ喪失して生れ、父性の欠落の中で育ったノグチの還るべき大地。」をノグチは生涯を賭けて求めていたことになります。ノグチが建築家丹下健三とのコラボレーションとして考案した「広島の原爆慰霊碑案」は実現はしませんでした。「アメリカ人の作品では死者の霊は浮かばれないという根本的反対が起こり、ノグチの精魂が注がれた傑作は実現にいたらなかった。おそらくもし実現していたら、20世紀彫刻の名作の一つとなったことは疑いないが、しかし、原爆ドームを隠して自作を前面に立てるノグチの案はやはり実現しなくてよかった、と私は考えている。」今までノグチ側の伝記を読んでいた私は、日本が名作を選択しなかったことの残念ばかりを考えていましたが、日本側の意見としての原爆慰霊碑案も考えるに至り、彫刻的名作を残すより、これで良かったのではないかと思うようになりました。これは芸術的崇高さは社会的状況を超えていくと信じていた私に迷いが生じた瞬間でもありました。章の最後に2人の古墳時代の影響について書かれた箇所を引用いたします。「丹下は、古墳時代の造形を埴輪や銅鐸の段階でとどめ、建築デザインに即して言うなら古墳時代の造形の生命を打ち放しコンクリートに注ぐところまでにとどめ、以後はしだいに金属とガラスと石によるツルツルピカピカの箱形の建築へ向った。一方、ノグチは、未来型の社会を目ざして舵を切る丹下を尻目に、古墳時代の造形を埴輪や銅鐸といった器物の段階にとどまらず、器物を納める古墳の墳丘まで掘り下げ、大地の造形へと深化していく。」
2020.12.06 Sunday
職場のある地域と、私の職場は密接な関係にあり、昨年まではあらゆる地域行事に私は職場を代表して参加しておりました。今年はコロナ渦の影響で地域行事がなくなっていましたが、小学校のグランドを借りて行なうスポーツ大会を開催する運びになり、副管理職とともに私も軽スポーツに参加してきました。午前中の大会でしたが、久しぶりに地域の方々と触れ合えたことが良かったと思いました。言うなれば休日出勤でしたが、主要な公務ではなくレクレーションとして楽しむことが出来ました。午後は工房に行って昨日の引き続きの作業をやっていました。彫り込み加飾をやった後、窯入れの準備として、乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施す予定でいましたが、どうやら疲労が蓄積しているようで、これは自宅で少し休んだ方がいいかなぁと判断して、早めに工房を引き上げました。自宅に帰るとソファに横になり、暫し寝てしまいました。昨日は寒く、今日は暖かくなったことで気候の変動も体調不良に影響しているのかもしれず、暫く体力の回復を待つことにしました。そんな中でも脳内では新作のイメージが目まぐるしく動いていて、身体を横たえても気持ちがぜんぜん休めていないのに気づきました。私の何がそんなに創作に駆り立てるのか、自分でもよく分かりません。私の生きる実感が創作活動にあるのは明白ですが、頭の中で新作の土台をどうするのか、木材をどう切断するのか、寝ても醒めてもその考えから解放されず、来週末にはとりあえず土台の制作に着手しようと思いました。創作活動は、創作の泉が滾々とわき出しているうちは、心が落ち着くことはありません。次から次へとイメージが更新されてしまうのです。ピカソが完成を待たずに次作に取りかかったのは、こんな理由なのかもしれないなぁと思いましたが、私は生真面目で律儀な上、ピカソほどの才能を持ち合わせていないために、現行作品と次作との間に大きな破壊と創造を繰り返してはいないと実感しています。それでもピカソほどのスケールはないにしても、私にもそうした機会が訪れることを自覚して、ちょっと嬉しくなりました。また来週末に頑張ろうと思います。
2020.12.05 Saturday
12月に入って最初の週末です。朝から工房に篭って陶彫制作三昧でした。小さな陶彫成形をひとつ作り、その他の時間は彫り込み加飾をやっていました。窯から2点の陶彫部品を出しました。あれこれやっているうちに時間があっという間に過ぎていきました。今日は美大受験生が来ていました。明日の午前中は私が休日出勤をして、職場のある地域の集まりに出なければならず、一日美大受験生の面倒を見られないこともあって、今日彼女を呼んだのでした。彼女は以前から取り組んでいる平面構成と英単語の暗記をやっていました。受験勉強に夢中で取り組んでいる子を見ていると、私も背中を押されて陶彫制作に没頭しました。心理学でいう社会的促進というもので、誰かがいてくれる方が作業が進む心理を利用して、自分を頑張らせる仕組みを作っているのです。今日は寒い一日で手が悴みました。少し作業をしてはストーブの傍で手を温めました。何とか今日のノルマを達成し、夕方になって彼女を家の近くまで車で送りました。その後、家内と川崎市にある洋菓子店に友人に会いに出かけました。その友人は私と30年以上も付き合いのある人で、20代の頃、滞欧中にウィーンで知り合いました。私は国立美術アカデミーで彫刻を専攻していましたが、彼は大きな洋菓子店に雇われていて、パティシエとしての修業を積んでいました。その彼が地元の川崎市に帰ってきて、そこで洋菓子店をオープンし、ヨーロッパ仕込みのパンや菓子を作って売り出しました。毎年この時期になるとドレスデン発祥の菓子パンであるシュトレンを、彼はドイツの製法に則って作っています。私はシュトレンを大量に注文し、彼の店「マリアツェル」に受け取りに行くのです。その習慣は何年も続いていて、この時期の定番になっています。シュトレンは師匠や友人宅に郵送します。西欧滞在経験のある人なら懐かしい思いに駆られると思っています。最近は日本でもシュトレンの知名度が上がり、多くの洋菓子店やベーカリーで売られていますが、私がウィーンから帰国した頃は、シュトレンは一部の店舗でしか売られていませんでした。シュトレンを食べるとクリスマスが近づいてきた実感があります。
2020.12.04 Friday
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「二つの未完の教会に隠されたガウディのメッセージ」と「フンデルトワッサーの人を引きつける力」のまとめを行います。著者によるガウディとフンデルトワッサーの並列が私には新鮮でした。ガウディは正真正銘の建築家、フンデルトワッサーは絵画を発展させた形で建築を行った人で、建築に関してはほとんど素人と私は理解しています。まず、ガウディの「サグラダ・ファミリア」と「コロニア・グエル教会」について。著者はガウディ建築の印象を次のように述べています。「敏感な人ならおびえる。大きく括れば胎内感覚と言えるが、普通の胎内感覚とは強さがちがって、野獣の胎内というか、胎内の底からふつふつ生命力が湧いてくるような感覚なのである。」次にフンデルトワッサーとの比較について。「ガウディとフンデルトワッサーの差について考えてみよう。ともにグニャグニャ不安定形で、彫塑的造型なのだが、ガウディにはフンデルトワッサーにない秩序が感じられる。相当グニャグニャな《コロニア・グエル教会》にもリンとした全体支配力が働いている。骨格意識といえばいいか、部分と全体の関係がしっかりしているといえばいいのか、そうした見えざる秩序感を生んでいるのは平面計画と構造計画がちゃんと存在するからにちがいない。ところがフンデルトワッサーは、無限自己増殖というかアメーバというか、部分と全体の区別もなければ、骨格意識もない。平面と構造が、正確にはその意識が、欠けている。作りかけで止めた彫刻と言えばいいのか。建築と彫刻を分けているのは、平面と構造の意識なのである。~略~フンデルトワッサー的部分の正体とはなんなんだろう。論証ぬきで結論だけ言ってしまうが、幼児性ではないかと、にらんでいる。誰でもかつて子供の頃、今はもう忘れてしまったが、フンデルトワッサーみたいな粘土細工やお絵かきをやっていた。」と著者はフンデルトワッサーに対して感覚的な捉えをしています。私は20代の頃、ウィーンに住んでフンデルトワッサーが教室を持っていた国立美術アカデミーに在籍していました。その時に一度だけフンデルトワッサーに会っています。彼の発した言葉は外国人に理解しやすいドイツ語で、フンデルトワッサーの芸術に対する考えを伝えてくれました。彼は色彩の重要性を説いていましたが、自己の感性に正直に生きている人なんだなぁと、私はその時思いました。著者のいう幼児性というのも頷けます。フンデルトワッサーは、独創的な色感と自由奔放な色面構成で国際的に認められた芸術家ではないかと私も思っています。
2020.12.03 Thursday
先月、京都に出張で出かけた折り、宇治にある平等院鳳凰堂を訪ねました。コロナ渦の影響で観光客は少なくて、仏像鑑賞には最適でした。私が本尊の阿弥陀如来坐像の周囲の壁に配置された「雲中供養菩薩像」を見たのは随分昔のことになりますが、その演出に興味津々となり、それ以来「雲中供養菩薩像」の虜になりました。像は全部で50体以上(展示されている像は26体)にもなり、雲の上で楽器を演奏したり、立って舞っている様子は、私のそれまで持っていた仏像の概念を吹き飛ばしました。平等院に暫く来ないうちにモダンなミュージアム鳳翔館が出来上がり、「雲中供養菩薩像」はそちらに展示されていました。以前、東京の博物館で見た「雲中供養菩薩像」も照明を当てられて、鑑賞するのに最適な配慮がなされていましたが、今回もじっくり鑑賞できました。「雲中供養菩薩像」は1053年(天喜元年)本尊の阿弥陀如来像とともに仏師定朝とその一門によって作られたとされています。その技法を図録から拾います。「寄木造の技法とほぼ平行して完成された木彫技法が割矧造である。これは頭体の幹部を一木で造り、適当な位置で木目に沿って割り、内部を刳ってから再び合わせるもので、寄木造と同様に割首も行われる。~略~この技法の完成した姿が、まさに雲中供養菩薩像に見られるのである。」また図録には仏師たちの様子も書かれていました。「雲中供養菩薩像が建立された頃には、その(仏師の)組織化がさらに発展していたと想像されるが、これらの像に見る作風や技法の多様さを考慮すると、必ずしも定朝の権威によって縛られることなく、各仏師の個性を重んじる形で造仏が行われていたように思われる。」また当時の時代背景も描かれていました。「雲中供養菩薩像の構想の背景に奈良時代の作例との関係が想起されるが、菩薩が雲に乗る形式や霊芝雲をまとめた雲の形など正倉院に伝わる麻布菩薩と一脈通じることも興味深い。」(全て岩佐光晴著)今見ても新鮮な「雲中供養菩薩像」。雲の形やたなびく布は現代のアニメーションにも利用されているのではないかと私は思いました。もちろん私のRECORDにも使わせていただいています。