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  • 2020年HP&NOTE総括
    2020年の大晦日を迎えました。今年は新型コロナウイルス感染症に翻弄された1年になりました。戦争のない平和な国・時代に育った私には初めての経験で、日々感染者が増えて命が脅かされる事態に不安を覚えたこともありました。東京オリンピック・パラリンピックが延期され、職場が2ヶ月間休業になりました。管理職として休業中の職員のモチベーションを心配しましたが、仕事が回り始めた時は安堵しました。休業中に私でも何か出来ることがあったのではないかと自問自答する時もありました。横浜市からの情報が不足したり、連絡系統が分断される怖さを知りました。そんな私も来年の3月末で退職し、12年間続いた管理職にピリオドを打ちます。残り3ヶ月は職場が万全に運営されるように頑張っていこうと思います。二足の草鞋生活は40年近くにも及びましたが、いよいよ創作活動一本になります。創作活動に明け暮れるのは滞欧生活以来のことです。コロナ渦がなければ、再びヨーロッパに渡り、そこから再出発することも考えていましたが、それは儚い夢となってしまいました。昔と違うのは毎年個展が開催できていることと、創作活動の本拠地である工房があるところです。さて、来年7月に発表を予定している創作活動は、現在陶彫部品が16点完成、8点の乾燥待ち、土台は20点中6点が準備できていて、全体の3分の1程度が終わっています。まずは例年通りの進行状況かなぁと思っています。今年の鑑賞はコロナ渦の中で美術館や映画館に行くことがままならず、外部からの刺激を取り入れることが少なかったと振り返っています。一日1点制作のRECORDは何とか追いついていて、このまま頑張っていきたいと思います。私事になりますが、4月に母を亡くし、現在は遺産相続の手続きが続いております。同時に築30年になる自宅の内装リフォームが完成し、自宅の使い勝手が良くなりました。何しろこんなコロナ渦の中で、今年も病気も事故もなく創作活動に邁進出来たことが何よりも幸運だったと思っています。最後にホームページについて触れておきます。このホームページは私の創作活動の面から情報発信をしているもので、画像は陶彫作品とRECORD作品に限られています。カメラマンと相談しながら画像の構成をしていますが、今後はさらに充実させたいと考えています。NOTE(ブログ)は日々の記録ですが、日記というより展覧会や書籍等から得た知識、作品の進行具合など思いつくまま書いています。拙い文章を読んでくださっている方々に感謝申し上げます。来年もよろしくお願いいたします。皆さまにとって来年が良い年でありますようにお祈りしています。
    建築家等からの意見・感想②
    「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の第2部には、著者藤森照信氏の著作や建築を巡って、他の建築家や歴史工学家による意見や感想が掲載されていました。今回も前回同様に5氏を取り上げます。まず「保存しますか、建て直しますか」という隈研吾氏の問いかけに対し、「私は長く、建築史家として保存側でやってきた。今後もやっていくつもりだが、たとえば《歌舞伎座》(1924、改修1950)を建て替えたいが設計をお願いしますと言われたら、私の中の建築家は迷うだろう。迷うが、やはり、時間的蓄積は優良株みたいなもんで日がたてばたつほど価値は増すので手放さない方がいい、と依頼をことわるだろう。」次に重村力氏の発問です。「歴史学が一般に建築のもっともよい肥やしとなることは分かるけれど、それを超える創作の麹室のようなもの、それは非常に微妙で会得しがたいものだと思うのだけど、一体何があなたの『師のアトリエ』だったのでしょう?」これに対して著者は、「(建築は)目玉の土俵勝負である。建築が勝つか、建築探偵の目が勝つか。」と述べた後「自慢になるが、これまで私はそういう目玉の勝負を、古今東西の名作愚作に胸を借りるぶつかり稽古を何千番か繰り返してきた。訪れて、見て、聞いて、読んで、考えて、書いて、のサイクルを何千回も繰り返せば、誰だって何とかなるようになる。」3人目は内藤廣氏で、建築という言葉とアーキテクチュアという言葉は同義かどうかを尋ねていました。「建築とアーキテクチャーがちがうか同じかについて考えたことはありませんが、いづれにせよ、元をたどると発生源は同じはずです。私の今の関心は、領分や国や文化によってちがってしまったさまざまがまだ分化する以前までたどりつきたい、そこまで遡ってから作ってみたい。」4人目は歴史工学家中谷礼仁氏の発問で、著者が有する肩書きと宇宙遺産に関することです。「建築史家が一番気に入っているが、建築家的仕事や建築探偵的フィールドまで含めて新語をと言われても、急には思いつかないが、仮に”目力士”という仕事があったらやってみたい。”手力士”もいい。」宇宙遺産では「私が作るサンプルはすでにきめてある。土をただ積み上げただけの『土塔』です。表面には草を生やします。」という回答が返ってきていました。面白いなぁ。最後にサステイナブル・デザインを含めた質問を難波和彦氏がしていました。因みにサステイナブル・デザイン(Design for Sustainability)とは何か。それは未来の世代の暮らしについて考え、人類や地球環境が持つ能力を維持し、向上させることを言います。その基準問題以上に著者が考えているのは、そもそも建築家とは何をする人かという基本的なことでした。「私は、建築家の最後の生命線は表現にあると考えている。別の言い方をすれば、建築家は表現しか能がない。政治、経済、社会、技術、思想、世相、流行、などなどの諸条件、諸領域の中から建築は生まれてくるわけだが、そうした諸条件、諸領域のどれにも建築家は専門的ではない。他の助けを借りなければ何も実現しない。なのに、なぜ建築家が存在するかと言うと、それらをまとめて一つの形を与える人だからだ。形を与えるのが、建築家のただ一つの能なのである。」
    20’~21’休庁期間について
    2020年12月29日から2021年1月3日までの6日間は休庁期間になっています。私の職種はこの期間はきっちり休むことが出来て、コロナ渦の中でそれだけでも幸福と言えます。同じ公務員でも市や区の福祉健康センターや医療関係は新型コロナウイルス感染症対策のため、勤務を余儀なくされる現状です。年末年始の人出を控えるニュースが連日流れていて、私たちが住む神奈川県も感染者は高止まりをしています。今年の年末年始は例年と異なり、浮かれた気分にはなれません。それでも近隣のスーパーマーケットはかなりの密状態になっているので、日常生活に心配事が尽きず、いつクラスターは発生してもおかしくないと思っています。私は自宅から1分程度で行ける工房を行き来しているだけなので、買い物さえ気をつければ感染が避けられるかなぁと思っていますが、どうでしょうか。さて、休庁期間は創作活動にとっては有効な時間です。亡母のことで喪に服しているので、元旦は初詣にも行かないため、私は人混みに出ることもなく、創作活動に邁進できるだろうと思っています。この長い休暇中に制作すべきことは新作の土台です。厚板材を鋭角な二等辺三角形に切断し、それを20点配置して円形に構成するのですが、その1点1点に箱型にした厚みを作り、しかも表面に複数個の穴があいていて、そこから陶彫部品が顔を出すように作ろうとしています。ひとつの二等辺三角形から大小2個か3個の陶彫部品が顔を出します。四角い構築物がニョキニョキ生えている状態を作るのです。今日3点の土台の切断と接着を終えました。残り17点。しかも全部に砂マチエールを施し、油絵の具を滲み込ませなければ土台の完成にはならないので、これからどのくらい時間がかかるのか、制作工程を考えるだけで頭を抱えてしまいます。ということで今回の休庁期間は土台の制作に本腰を入れます。もちろん陶彫制作もやっていきますが、土台がある程度進んだところで、陶彫制作に戻ります。とりあえず土台の箱型を10点作ることを、休庁期間の制作目標に掲げていきたいと思います。このところ毎日美大受験生が工房に来ています。冬休みになってもコロナ渦でどこへも出かけられない彼女は、デッサンに精を出しているのです。
    「意味論としての命題論と真理の論理学」第53節~第54節について
    「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、その第5章「意味論としての命題論と真理の論理学」の中の第53節から第54節までのまとめを行います。この第54節で第一篇が終わります。今年の末までに第一篇を終わらせたいと私は思っていたので、何とか今日読み切ることが出来てちょっと満足しています。今回は最初に「ユークリッド多様体」のことが出てきます。「すなわち《ユークリッド多様体》が意味していたのは、~略~何よりもまず真の諸命題の可能な諸体系としての可能な演繹的諸学のための一形式であった、ユークリッドの空間幾何学によって例示すれば、今度はこの同じ範疇的形式の他の可能な演繹的諸学の開かれた無限性と並ぶ一つの可能性としての、可能な諸真理の前提への関係をすべて切り離す還元は、その形式を(依然として《ユークリッド多様体》の形式を)、純粋に諸意味としての可能な諸命題(諸判断)の体系の形式として提出しており、しかも一つの判明性の明証の中で、ただたんに個別ではなく体系全体として判明に遂行されるー純粋に判断としてのー諸命題の体系の形式として、簡単に言えば、純粋な整合性(《無矛盾性》)のそれ自身で完結した一つの体系を形成する諸命題である。」長い文章で、私自身これが何を主訴しているのか、途中から分からなくなりました。次に形式論理学と形式的存在論の相関関係に問題提起がなされています。「無矛盾性の分析論もやはり判断一般と、それゆえさらに或るもの一般とも関係しているので、それゆえ形式論理学は形式的存在論と見なされうるのか、という疑問と、そしてなぜこのことが、いずれにせよ単なる無矛盾性の分析論だとされないのか、という疑問である。」これに対して次節ではこんなことが述べられていました。「学問論としての使命に敵う、形式的分析論の深い意味は、基体となる各対象性がその中で真実存在しうるはずの可能な範疇的諸形式についての学問だ、ということである。範疇的に形成された対象性とは命題論の概念ではなく、存在論の概念である。」さらに第54節の中でこんな一文もありました。「さらに付記したいのは、〈形式的存在論も、学問論の理念から出発せずに最初から直接、課題として提起されうる〉ということである。」論考を読んで、私はその都度ラインを引いていますが、私の浅はかな理解で的外れな部分も少なからずあろうと思います。論理が分かり難い箇所も多々あり、フッサールが短期間に本論を書き上げたことも、こうした難解極まりない論理に影響があるのではないかと疑ってしまいます。自分の薄学を棚に上げて失礼なことを申しました。
    週末 土練り&土台の穴あけ
    今週末は休庁期間に続いていくため、制作目標を立てて計画的に作業を進めていく必要性を感じますが、今週末までは週末毎にやっている流れに従って作業を進めてしまいました。まだ先行きの見通しをもたずに今まで通りのサイクルで作業をしたのです。ただし、本来なら土曜日に土練りをしてタタラを準備するところを、日曜日である今日その仕事をやったのは、私は年休を取って明日を休みにしているからです。明日は陶彫成形を行なう予定です。陶土を使う作業は午前中にして、午後からは土台の制作に取り組みました。今日は土台の穴あけを行いました。穴あけには電動工具を使います。土台は鋭利な角をもつ二等辺三角形に厚板材を切断して使っていますが、その一つひとつに下駄を履かせたような高さを作ります。穴の空いた箇所から陶彫部品がニョキっと顔を出すような効果を狙います。以前NOTE(ブログ)に書きましたが、「構築~起源~」で表現した方法です。加工した土台には全てに砂マチエールを施して、最終的には油絵の具を沁み込ませていきます。これは私の得意とする表現方法で、陶彫部品との融合を目指しているのです。鋭利な角をもつ二等辺三角形がいくつあれば円形に構成できるのか、既に計算済みですが、問題は来年5月までに間に合うかどうかです。それを考えると、休庁期間に出来るだけ土台を作っておいた方が良さそうな気がしています。今日ひとつ作ってみて、かなり時間がかかることが判明しました。休庁期間の制作目標に反映したいと思います。今日は美大受験生が来ていました。彼女は平面構成が得意なことが分かり、次回からはデッサンを中心にやっていくつもりです。私も高校時代は美大の工業デザイン科に入りたくて平面構成をやっていましたが、平面構成は苦手でした。その分デッサンを頑張っていたので、彼女とは真逆な資質を持っていたのでした。私はデザイン科を諦めて彫刻科に進みましたが、今となってはそれで良かったと思っています。夕方、受験生を車で自宅近くまで送りました。