2020.12.12 Saturday
先日、友人のパティシエが営む菓子店から大量のシュトレンをいただいてきました。西欧に滞在経験のある人なら、味が懐かしいと思うシュトレンですが、最近は日本のベーカリーでもシュトレンを売り出しています。私が滞欧していた当時に、彼の地に関わりのあった先輩諸氏や親戚に、今日はシュトレンを送ることにしました。まずは長野県に居を構える師匠池田宗弘先生。池田先生は私がウィーンにいた頃にはスペインに滞在されていました。次に山形県にいられる画家サイトユフジさん。サイトさんは私と同じウィーンに住んでいて、ウィーン幻想絵画から想を発した細密画を描かれている先輩です。親戚では声楽家の叔父もウィーン滞在経験があるため、シュトレンを送らせていただきました。考古学者の叔父は中国史が専門ですが、海外留学を応援してくれた人なので、この人にも毎年シュトレンを送っているのです。今日は午前中に家内と郵便局に行って用事を済ませてきました。午後は工房に行きました。土曜日の定番は、陶土を掌で叩いて座布団大のタタラを数枚用意することで、明日の陶彫成形に備えるのです。毎回同じスケジュールで作業をしていますが、陶彫制作をしていると気持ちが落ち着きます。創作活動に対する意欲も精神安定剤になっていると思っていますが、陶土に触れていると何か良い物質が土から出ていて、私に快いものを齎せているように感じます。幼児に粘土を渡すと夢中になって造形してしまう感覚と同じではないかと思っているのですが、これにはどんな心理効果があるのでしょうか。次に乾燥した陶彫部品2点にヤスリをかけ、さらに化粧掛けを施して窯に入れました。窯のスイッチを入れるのは明日の夕方ですが、先週これをやれなかったために、今日まで持ち越しになったのです。これによって制作工程を大きく外れることはないのですが、週末によっては疲労があって、制作ノルマ通りに進まないこともあります。加齢とは思いたくないのですが、一昔前のような無理がきかなくなっていることは確かです。気力はあるのですが、身体が動かなくなるのです。明日は陶彫成形と土台を考えてみるつもりです。
2020.12.11 Friday
読書が好きな私が初めて手に負えない難解な書籍と出会ったのは、中学生の頃に読んだカフカの「変身」でした。それまで創元推理文庫やハヤカワ・ミステリーを読み漁っていた自分は、カフカの不思議な世界観に居心地の悪さを感じながら、意味を読み解こうと夢中で読んでいたのでした。推理小説やミステリーとは異なる世界観になかなか慣れることができず、途中で放棄したくなったこともありました。その頃、宿題になっていた読書感想文に「変身」を題材にした自分では大変な労作を仕上げたのですが、教師には私自身による感想とは信じてもらえず、悔しい思いをしました。教師曰く、これは親の力?いやいや造園業を営んでいた実家に、まともな書籍などありませんでした。私が書店に立ち寄った際に、タイトルに惹かれて「変身」を購入したのでした。その時から難解と思われる書籍を度々手にするようになりました。中学生の私が、日本文学で愛読していたのは宮沢賢治で、宮沢文学も背景には宗教性のあるやや難解な部分が含まれていることを後になって知りました。哲学書を読み始めたのは大学生の頃でしたが、恥ずかしながら途中で放棄したものが多く、今も自宅の書棚に何冊か残っています。因みに亡き叔父がカント哲学者でしたが、カントには未だに手が出せません。社会人になった今も全部が咀嚼が出来ないけれど、ちょっと私が面白そうだと感じている哲学者はニーチェとショーペンハウアーで、論考の一部が今も頭に残っています。ショーペンハウアーの厭世観的思想による死生観は、私の感性に触れました。そこで父や母が亡くなった時はその死生観を思い出しながら両親を見送ったことが思い出されます。彫刻を作り続ける私にとって存在の創造物である彫刻においては、存在そのものの意味を知る必要性を感じ、ハイデガーの「存在と時間」を読みました。またハイデガーの存在論の源となるフッサールの現象学にも触れることになりました。現在、苦読しているフッサールの「形式論理学と超越論的論理学」はこんな流れで読んでいるのです。私自身、もっと難解な書籍を読み取る力をつけたいと望んでいて、それは自我に対する挑戦に他ならないと思っています。美術や建築に関する書籍は、私の思考を羽ばたかせてくれます。哲学や現象学は、私の思考を深く掘り下げ、私の心の底に知識の溜まり場とも言うべき貯蔵庫を与えてくれます。そうした教養の風景を散策している自分は、浮世から離れてしまうことを承知の上で、楽しく遊んでいる錯覚にも陥るのです。
2020.12.10 Thursday
私は30歳で地方公務員になってから30年以上が過ぎ、毎日職場に通う生活を送っています。それまで海外で自由に生きてきた自分には、当初窮屈な生活に辟易していましたが、その規則性に徐々に慣れてきて、社会人として真っ当な生き方をしている自分に満足もしています。12年前に管理職になり、組織運営をやっている自分が時折信じられなくなる時もあります。自分にそんな資質があったとは思いもよらず、組織に頼られている自分は本当の姿だろうかと疑うこともあります。職場では日々いろいろなことが起こり、それに対応している自分がいるのも確かで、当然のことながら自分のことより職場を第一に考えて、私は仕事をしています。それが週末にやっている創作活動と大きく異なるところです。二足の草鞋生活と私は称しているのは、公務員としての仕事と彫刻家としての仕事の両立を図る上で、便宜上使用している名称ですが、これも来年3月末で終わりになります。いよいよ日常生活が変わる時がやってきますが、今のところ実感はまるでありません。近隣に住む人生の先輩に65歳から75歳までの10年間は、やりたいことが人を憚らず思い切りやれて素晴らしい10年間だよと言われたことがありました。本当にそんな10年間が過ごせるのだろうか、私は二足の草鞋生活が変わることに不安を覚えることも多々あるので、近い将来に大きな夢を描くことが出来ません。若い頃は待ち遠しかった定年退職。退職すれば好きな彫刻にずっと関わっていられると思っていたことが、いざ数ヵ月後に退職となれば、二足の草鞋生活を基盤にしてスケジュールを組み、その上で創作活動を行い、東京銀座で個展まで企画していただいている現状を変えていかざるを得ないことに、何とも複雑な心境になるのです。ウィークディの昼間に創作活動をやっているのは、今までは年末年始の休庁期間か、夏のお盆の時期しかありません。それがずっと創作活動が出来る時間が続くことに躊躇もあります。発想の転換は創作活動だけでなく、自分の人生そのものにも必要だと思うことにしました。素晴らしい日常生活が送れるように考えていこうと思います。
2020.12.09 Wednesday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があって、今回から第4章として「諸対象についての見方と諸判断についての見方」が始まり、今日はその第37節から第40節までのまとめを行います。ここでは形式的命題論と形式的存在論の相関関係についての考察が述べられていました。気を留めた箇所を引用いたします。「諸命題自身の中に伏在する各種の対象性への意味関係によって、同時に普遍的な形式的存在論になり、そしてこの存在論が最高段階では多様体論という名称を規定するのである。」次に統語法的な形成物としての論考に移ります。「形式的存在論の分野は対象一般の《形式的領域》でなければならない。それゆえ形式的存在論は諸対象を必当然的な諸真理において、まさにこの形式的な一般性で規定しなければならない。~略~〔命題を〕形成する判断の統語法は、可能な真理の諸条件を示す諸法則にアプリオリに従っている。判断においてなされる形成、そしてその形成から、集合、基数、級数、量、多様体のような、かなり狭い意味と最も狭い意味の数学的諸概念も生じる形成、さらに最高段階の判断の形成物さえも含めて、これらの形成はもちろん《超越的》な諸対象についてではなく、判断自身の中で表象される諸対象について行われるのである。~略~この考察では集める、数える、順序づける、組み合わせるなどの諸作用はどれも判断の諸作用だとされ、そしてこれらの相関者は判断の形成物と見なされてきた。しかしこれらの作用は実はさまざまな諸段階で形式を作る諸作用で、そしてこれら諸作用の相関者は通常〈述定的〉と言われる諸判断自身の中では、判断の形式論が見落としてはならない諸形式によって、代表されているのではなかろうか?」最後に形式数学の論理学的意味について触れた箇所を引用いたします。「ただたんに計算にためにだけ作られた数学の場合のように、たんに計算上の慣習によってのみ意味をもつようなシンボルの遊戯になるようなものは認められない。論理学者としての彼は、形式数学がもともと論理学的分析論であること、それゆえ形式数学固有の論理学的な意味には、認識の志向によって基礎づけられた認識機能の範囲が、すなわち可能な各種応用の範囲が属していることを観取せざるをえない。」文中にあった彼というのは著者のことで、論理学者としての立場を第三者的に捉えていることになります。
2020.12.08 Tuesday
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っていくRECORDは、文字通りのRECORD(記録)です。過去のRECORDを見ていくと、制作時の気持ちを思い出し、その時どんな思いで日々を過ごしていたのか、記憶が甦ります。今年は10月中旬にRECORD1年間分の撮影を行いましたが、それまでは下書きばかりが先行して、その下書きされたRECORDが食卓に山積みされていました。それを撮影までに下書きを全て解消し、現在は何とか日々の流れにRECORDが追いついている状態です。毎晩就寝前に食卓でRECORD制作をやっていると、習慣化しているにも関わらず、なかなか厳しい思いにさせられています。それは毎晩新作を作り上げているので、小さな画面ながら緊張感をもってやっているせいではないかと思っているのです。その積み重ねは我ながらイケていると思っていて、つい自画自賛してしまいます。その日のRECORDが出来上がって、ホッと胸を撫でおろし、眠りにつく時の気分は最高です。逆に上手くいかない時はなかなか眠れません。さて、前置きが長くなりましたが、今月のRECORDのテーマを「錆」にしています。錆色は私の大好きな色彩のひとつで、陶彫制作でも完成作品を錆色にするために陶土を複数混ぜ合わせ、焼成後に鉄が錆びた状態が想起できるような効果を狙っています。錆色とは「暗い灰みの黄赤」というJIS色彩規格があり、鉄錆のような赤茶色のことを言うのです。今月は色彩シリーズ最後の1ヵ月になり、自分の好きな色彩を楽しみつつ、RECORDを作っていこうと思います。