2021.02.23 Tuesday
今日は第126代天皇徳仁の誕生日です。現在即位されている天皇は61歳になります。私のほうが少々年上ですが、世代としては自分と同じと思っていて、天皇のお人柄に親近感を覚えます。2月に勤務を要しない日が増えたことは、今月が激務になることを考えれば歓迎ですが、3月末をもって私は現職から解放されるため、関係はなくなります。それでも今はまだ現職でいるので、今日はホッとして休日を過ごしました。今日は天気の良い一日で、気温も創作活動にはちょうど良く、陶彫制作一辺倒で過ごしました。先週末に陶土を掌で叩いて、大きめなタタラを数枚用意していました。ビニールで包んで乾燥を防いでいましたが、硬さはちょうどいい状態になっていて、成形がやり易くなりました。タタラは2日間くらい置くのがいいのかと思いました。公務員との二足の草鞋生活をやっている間は、その時間差を作るのが難しいのですが、4月以降はいい状態で成形が出来るだろうと期待しています。成形は陶土を立体にしていくので一番彫刻的な作業です。楽しくてあっという間に数時間が過ぎていきました。今日やっかいだったのは私の花粉症が始まったことでした。朝起きるとくしゃみの連続で、工房に行ってもくしゃみが止まりませんでした。コロナ渦の影響で工房の窓を開け放しておくと、花粉が入ってきて眼や鼻を襲います。コロナ渦か花粉症か、究極の選択に一時は作業どころではなくなっていました。気温上昇と乾燥で喉も渇きました。真冬とは違う状況に身体が追いつかず、彫り込み加飾をもう少しやりたいところで、花粉症に耐え切れず工房を後にしました。工房は亡父が残した植木畑の真ん中にあるため、花粉がキツイのかもしれません。また次の週末で頑張りたいと思います。
2021.02.22 Monday
2019年に制作した最後のRECORD3ヶ月分をホームページにアップしました。2019年は「~の風景」というタイトルでRECORDを制作していました。10月は「分離の風景」、11月は「拡散の風景」、12月は「円環の風景」でした。陶彫部品を集合させて表現している私の彫刻にも通じるタイトルで、彫刻でも私は「~の風景」の如く心象の風景を作ろうとしています。風景の創造は私の世界観全般に言えるテーマで、彫刻で作っている架空都市も、嘗て見た遺跡から多くのイメージをいただいているのです。RECORDはもっと気軽に作れる媒体なので、イメージの多様化をいろいろ試していて、バリエーションも数多くあります。それに添えるコトバは視覚表現よりも世界が狭くなってしまうのが私の特徴かもしれませんが、コトバはいつになっても慣れません。普段からコトバのトレーニングをしていないために、必要に迫られて急遽作った感じが否めないなぁと思っています。私の場合はイメージは画像として現れてきて、コトバは後追いになってしまうのです。これは10代後半から本格的に美術の専門の道を歩み始めたことで、美術に関してはトレーニングを頻繁に繰り返してきました。つまり造形とコトバとの間には経験の差があって、コトバに困難を感じてしまうのは、こんなところにあるのだろうと思っています。今回アップしたRECORD3ヶ月分を見ていただけるのなら、左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が出てきますので、その中のRECORDをクリックしていただけるとRECORD3ヶ月分に辿りつけるかと思います。ご高覧いただけると幸いです。
2021.02.21 Sunday
今日は朝から工房に篭って陶彫成形を行いました。大きなタタラを立ち上げ、紐状にした陶土で補強しながら立体にしていきます。今年の新作は陶彫部品それぞれを直方体にしていくのが基本形態です。重さで歪まないように木片のブロックで抑えながら裏側を紐状の陶土で補っていきます。今日は立体を作っている実感がありました。彫刻家としての満足感がありましたが、陶彫は通常の塑造と異なり、裏側を空洞にするため、常に陶土の厚みを気にしています。焼成で割れないようにするための造作ですが、それでも罅割れが生じることもあります。陶芸のように轆轤を使えば皹割れを少なくすることもできるのでしょうが、陶彫で矩形を作る場合は基本としてタタラを用います。嘗て人体塑造を作っていた時は、土の厚みなど気にすることはありませんでした。陶彫独特の造形方法があることを知り、それ以来厚みに拘り続けているのです。陶彫制作を始めた頃は陶土を薄い板にしていましたが、彫り込み加飾が楽しくなってから陶土は厚めに設定しています。彫り込む部分を計算に入れているのです。今日は陶彫成形を1点作り上げ、途中まで彫り込み加飾を施していました。夕方になって大きなタタラを数枚用意しました。明後日が天皇誕生日で勤務を要しない日なので、ここでまた陶彫成形が出来ると思いました。明後日、さらに陶彫成形を1点加えます。彫り込み加飾はその時まとめて行おうと決めました。今日は気温が上昇し、上着を脱ぎたくなるような陽気になりました。いつものように美大受験生が鉛筆デッサンをやりにきていました。デッサンが上達し、描くことが楽しくなってきたようで、彼女は溌溂と作業をしていました。夕方、車で彼女を送ってから帰宅しました。明後日、また頑張ります。
2021.02.20 Saturday
やっと週末になりました。今週はウィークディの仕事の休憩時間を使って、論理学の書籍を読み続け、NOTE(ブログ)に読んだ箇所の引用文章を毎晩掲載していました。よく読み込むと難解と思われるところも意外に内容を把握できるかなぁと思いましたが、ドイツ語翻訳独特な言い回しや使われている語彙が難解で、かなり辟易していました。つまり論理学とはこういうものだということを様々な角度から論じているので、場合によっては短絡的であったり、誤解が生じる場面を細かく指摘してあって、それをひとつずつ注意を払って論じていることが分かりました。ともかくこの書籍は私が現職でいるうちに、職場にある私の部屋の閉ざされた空間で、気合を入れて読み込んでいかないと途中放棄もありうると思っています。来月末までに何とか読破したいと願っています。今日は朝から工房に篭って制作三昧を決めました。土曜日はウィークディの仕事疲れがあって、身体が緩慢になり、陶土に触れていてもちょくちょく休息を取ります。こういう日は単純な力仕事がいいのではないかと思っていて、土曜日は土練りやタタラの準備、午後は陶彫成形が出来上がっている作品に彫り込み加飾を施していました。陶彫制作で創作的傾向が強いのは成形です。それは日曜日に行うのが定番になっていて、今日はその準備を行っているのです。明日になれば、もう少し身体が動くようになるので、カタチを作り出す成形は明日が相応しいと決めています。彫り込み加飾は身体の負担はそれほどでもないのですが、工芸的な作業なので粘り強く取り組まなければならず、疲労を感じている身体には少々つらい作業でもあります。それでも立体を考えるものではないし、近視眼的な捉えが出来れば何とかなるので、今日は半日かけて彫り込み加飾をやりました。今日は暖かい一日で、午後からストーブを消しました。工房の窓から見える梅が満開を迎えています。梅の花は長く保っているので、嬉しさを感じます。春が確実にやってきていると実感しています。明日も頑張ります。
2021.02.19 Friday
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」は題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第75節から第77節までを読み解いていこうと思います。第75節に登場するのは分析的な矛盾律です。「純粋に客観的にみれば、単純な分析的矛盾律はイデア的な数学的《実在》と共実在についての、したがって複数の判断の判明な同時的可能性についての定理である。しかし主観的な側面には、明証性のアプリオリな構造と、その構造にさらに付随する主観的な諸能作のアプリオリな構造とがあり、そしてその構造が開明されることによって、それら能作の客観的な意味に対応する主観の側の本質的な実状が開明されるのである。」第76節に登場するのが真理論理学に関する考察です。冒頭に「われわれがこれまでに論述したのは《単純な》普遍学という、かなり狭義の分析論についてであったが、この分析論は、われわれがすでに知っているように、新しい諸教科を増やすのではなく、特殊な論理学的機能を獲得するだけであるが、しかしやがて真理の諸概念をテーマにして、それらの概念に関する諸定理を拡充すれば、無限に稔り豊かな学問である。」という一文がありました。「論理的な諸教科が、形式の本質的な諸概念を各範例からの本質一般化によって創るのと同じように、形式的真理論も真の存在と述定の真理の諸範例から創るのである。」さらに「われわれの研究が適切な出発点にしているのは真理の概念と、この概念を公理論的に解明する《論理学の諸原理》とである。われわれがここで想起するのは、〔判断される事象の〕真の存在と判断の正当性としての真理のこの両概念であり、しかも双方をさらに自己能与(すなわち広狭両義の経験)と合致とに遡って関係づける、これら両概念の起源についての分析である。」第77節では矛盾律と排中律が登場します。「矛盾律と排中律のこの二重の原理が端的に述べているのは〈どの判断も真か偽のどちらか一方だ〉ということである。真と偽が根源的にその意味と正当性を汲み取るのは明証性からではあるが、しかしどの判断も明証性というような主観的な語を含んでいない。同一の判断が時に応じて真であったり偽であったりすることもなく、その判断はいつも確実に真もしくは偽である。」今回はここまでにします。