2021.01.05 Tuesday
「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の第2部では、藤森照信氏の著作や建築を巡って、著者が他の建築家からの質問に答える形式を取っています。今回は3人の建築家が登場します。まず西沢立衛氏の「インターナショナル・スタイルでいうと、どの地域、どの文化であっても成り立つある普遍的なスタイルの確立という方向性を感じますが、その場合、敷地条件のちがいや建物毎のプログラムのちがい、もしくは気候風土・文化のちがいなど、そういったプロジェクトごとのさまざまな個性差というものはどのように考慮され、建築に統合されていくのでしょうか。」という質問です。それに対して「原理的に差はないのに、現実の建物の姿形が変ってくるのはなぜだろう。おそらく、普遍的なスタイルという数式に代入する数値の差にちがいない。建物という数式の各項はあまりに多く、数も大小さまざまだから、統合されて出された答は多様に見えるが、少し距離を置いて眺め、統合を支配している数式に着目すれば、同じ式であることが透けて見えてくる。」という著者からの回答・解釈がありました。次に林昌二氏。「建築の歴史について、それは人類の歴史と同じく、始点の原始時代と終点の現代には多様性がなく地上のどこも同じ単純さ単調さを見せ、中間(だけ)が多様に膨らんでいる、それは紙に包んで捻ったアメ玉みたいだ、と卓見を述べられ、これをしゃぶらずに死ぬのは惜しい、とされました。」との感想にも「これから後にアメ玉をしゃぶる人に残されているのは何だろう。まず第一は勇気をふるって漸近線に投ずることだ。21世紀はまだ何十年も残されているから、原点0に一致しなくとも、間近にまざまざと見ることはできるかもしれない。」と著者はユーモアをもって、しかも真摯に返されていました。最後に原広司氏。「単純に言えば、建築的な意味において、現代をどのような課題を担う時代であると考えるか、がその質問の要旨です。」それに対して「現代は、建築的な意味において、時代的課題を喪った時代だと思う。20世紀建築の原点0を求める道は、21世紀にも進むだろうが、時代を引っ張り、いやおうなしに他を巻きこむような強制力はもはやない。」と著者は言い切っており、また「人類の長い長い建築の歴史は20世紀で完結したかもしれない、という疑いを『人類と建築の歴史』を書いた時に否定できなかった。先に述べた原点0を求める漸近線状態に入っているのかもしれない。未来が漸近線的完成過程とするなら、その状態に身をまかすのも一つだと思う。」と意見を述べています。今回はここまでにします。
2021.01.04 Monday
昨日の朝日新聞にあった「折々のことば」(鷲田清一著)に興味関心のある記事が掲載されていました。全文書き出します。「百パーセントのアルコールがないように、百パーセントの真理というものはありませんね。ジークムント・フロイト」という言葉に対し、「オーストリアの作家、ツヴァイクは、友人でもある精神分析家がふと口にしたこの言葉が忘れられない。《無意識》という暗部にメスを入れたフロイトにとって、不快だ、危険だという理由でそれに蓋をすることはありえなかった。人は認知も制御もしえないものを内蔵するからこそ、つねに覚醒を心がけねばならないのか。作家の回想録『昨日の世界 Ⅱ』(原田義人訳)から。」ジークムント・フロイトはユダヤ系オーストリア人で、19世紀から20世紀にかけて生き、精神医療の世界で偉業を成し遂げた人として記録されています。ウィーンでヒステリー治療を行なった開業医であり、その治療法は精神分析と名づけられました。精神分析は無意識に関する科学とされ、私も著書「夢判断」を読みました。そうした動きはシュルレアリスム運動の理論的基礎とも位置づけられて、私も彼の理論を齧ってみたくなったのでした。因みに私の興味は彼の「宗教論」に注がれました。この書籍の面白さは、それが真実かどうかはともかく印象には残りました。彼にとって真理とは常に覚醒を伴って更新されるものだったと私は理解しています。フロイトの言葉を記憶したシュテファン・ツヴァイクもフロイトと同時代に生きた作家でした。私は20代でウィーンに滞在するまでツヴァイクの名を知らず、ウィーンで彼の業績を知ったのでした。原語で読めるほどドイツ語の知識がなかった私は、日本から「マリー・アントワネット」(上下巻)と「ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像」の和訳版を送ってもらい、夢中で読んだ記憶があります。2冊ともウィーンで読む伝記は、格別な趣向を伴い、時代錯誤に陥りそうな街角を、私は何度も彷徨い歩きました。ウィーンの旧市街に見られる路地が入り組んだ街角は、精神分析という学問を生んだ風土が良く分かるなぁと思いました。それは理屈ではなく、何となく立ち込める空気感のようなものでした。新聞掲載のフロイトの言葉によって私には個人的にさまざまな記憶が甦ってきましたが、実はこのコロナ渦の不安定な時代に一石を投じた記事だったのかも知れず、私の深読みが記事とは異なる方向にいってしまったように感じました。失礼をいたしました。
2021.01.03 Sunday
週末ですが、職場では今日まで休庁期間になっています。私は明日と明後日を年休にしているため、私の仕事始めは6日からになります。明後日までは引き続き工房に通い、創作活動に邁進するつもりです。昨年の母の死去、さらに新型コロナウイルス感染症の影響もあって、今年は正月気分はなく元旦から少しずつ創作活動を行なっていました。今日から本格的になり、昨年暮れにやっていた新作の土台作りを再開しました。厚板材を鋭角な二等辺三角形に切断する作業は、今日一日がかりで行いました。この二等辺三角形を円状に並べて、そこに陶彫部品を配置する予定であり、今日は20点全ての二等辺三角形の切断を終わらせました。朝から夕方まで電動ノコギリを使った作業を行ったせいで、おが屑や埃が工房内に舞い上がり、私の作業台の周囲は煙っていました。今日からいつもの美大受験生がデッサンをやりに工房にきていました。彼女の場所と私の作業台はかなり離れていましたが、それでも多少の影響があったようで、昼ごろから窓を全開にして埃の対応をしていました。幸い今日は暖かい一日だったので助かりました。それにしても6時間近く継続して電動工具を使い続けたことで、私は些か疲れました。制作工程上どこかでこの作業をしなければならず、いつ行うのか自分なりに思案していました。今日は朝から切断作業を行うと自分に言い聞かせて、受験生にも了解をもらっていました。夕方、受験生を送って自宅に帰りつくと、家内が私の様子を見て「疲れが顔に出ている」と言っていました。コロナ渦防御のマスクが今日は防塵にも役立っていました。明日は今日ほどの作業はありませんが、それでもひとつひとつの二等辺三角形に穴を刳り貫いたり、箱型の厚みを作る作業が待っています。彫刻制作に身体を酷使するのは昔からのことで慣れていますが、年齢とともに無理が利かなくなっていることも認めざるを得ません。おまけに私の場合は、木材と陶土の双方を使い分けるために身体への負担は増します。明日、明後日も頑張ろうと思います。
2021.01.02 Saturday
2021年になって最初の週末がやってきました。職場は昨年29日から休庁期間に入っているので、今日が週末の感じはありませんが、長年の習慣で週末になると創作活動が待っていると思ってしまうのです。今日はまだ正月気分が抜けない1月2日です。それでも朝から工房に行きました。今日は昨日に続いて陶彫制作を行ないました。昨年から続けてきた土台作りのための厚板切断は、明日からやっていこうと思っていて、1年の計は元旦にありという諺があるならば、やはり私の勝負どころは陶彫制作にあると言うべきです。今日は小さめの陶彫成形を行ないました。今まで大きめな陶彫部品を作ってきましたが、土台の穴に合わせた陶彫部品のさまざまなサイズも必要になるので、今後は小さめの陶彫部品だったり、変形された陶彫部品も作っていこうと思います。現在の陶土は「発掘シリーズ」が始まった20年位前から使っていますが、土そのものは10代後半から塑造をするために慣れ親しんできた素材です。私は具象表現から抽象表現に彫刻が変わっても素材を変えるつもりはありません。私は錆鉄の質感が好きですが、実際に鉄を錆させるよりも陶土によって錆鉄の質感を手に入れることに頭を使ってきました。鉄は錆びて無くなっていくものですが、陶彫は古代の出土品を見ても分かる通り、風雨に晒されても未来に素材を繋げていけるものです。土は鉄より強度は落ちますが、保存はそのままの状態で長く保てます。そんな自分なりの陶土を、土と土の割合を決めて混合して作り出しました。まだこの陶土を使って創り出したい世界がいっぱいあります。そうしたイメージが溢れ出てくる以上、自分はただ只管作っていくだけです。今年も創作に対する決意表明をしますが、自分にとってそれは大袈裟なものではなく、日常的に焦らず休まずやってきた行為です。4月から時間が出来るので、あれこれ思索しながら、さらにじっくり腰を落ち着けてやっていきたいと思います。
2021.01.01 Friday
2021年になりました。今年もよろしくお願いいたします。昨年母が亡くなり、喪に服していることと、世界的に流行している新型コロナウイルス感染症の影響で、今年は正月を迎えた気分がしません。初詣には行かなくても、今朝になって我が家で昔からやってきた氏神への奉納を行うことにしました。母が住んでいた実家の裏山に小さな稲荷の祠があって、小さく刻んだ餅と油揚げを供物として毎年捧げているのです。祠は自宅と実家の間にある雑木林の中に鎮座しています。何代か前の私の先祖が、廃棄してあった稲荷を拾ってきて祠を作ったことで相原の家は栄えたのだと、亡き祖母が言っていました。当時、我が家は半農半商だったようで、商いとして祖父は大工の棟梁をやっていました。父は造園業に転じ、羽振りがよい時期もありました。私は公務員になりましたが、二足の草鞋生活として彫刻家の道を歩み始めました。作品の売れない彫刻家として稲荷の効能はさっぱりありませんが、私は現在もなお健康で、心身ともに負担を強いる創作活動が続けられるのが、ひょっとしたら氏神の効能なのかもしれません。初詣の代わりに祖父母や両親が眠る墓参りに、家内と出かけました。近隣にある菩提寺には何人かの縁者が訪れていました。お盆の時期にしか墓を訪れない私は、これから元旦に墓を訪れてもいいのではないかと思いました。今日は自宅でゆっくり過ごしていましたが、午後3時ごろになると工房に行ってみようと思い立ち、結局今日も工房で陶土に触れてしまいました。明日は陶彫成形をやろうと決めました。明後日からは新作の土台作りに励みます。今年の3月末で私は公務員管理職を退職し、毎日工房に出かけていく日々が続くだろうと思っています。私にとって今年は大きく生活が変わる年でもあります。時間が自由になると創作活動はどうなっていくのか、今まで40年近くも時間が制限されている中で創作活動をやっていました。陶彫制作もRECORD制作も読書も今までは時間を区切って夢中でやってきました。そこからいきなり解放されるのは、創作的な内容に多少なりとも影響があると私は見ています。この生活が始まる前、私はヨーロッパにいて自分なりの表現を探していました。異文化の渦中にあり、しかも国立美術アカデミーの学生という身分で、私には若い仲間たちが周囲にいたものの、孤独の中でかなり足掻いていたのでした。そんなことが再びやってくるとは思えないのですが、自分が進めてきた造形理論をもう一度見直す良い機会かもしれません。4月からの新生活を前向きに捉えていきたいと考えることにしました。