2021.05.04 Tuesday
「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来、菩薩、明王をヒエラルキーに従ってNOTE(ブログ)にまとめてきました。4番目に登場するのが天です。「『天』は、サンスクリット語で神を意味するデーヴァの訳語。この言葉は、天上界という宇宙を意味するとともに、天の住人すなわち神をもあらわす。天部の仏たちは、仏菩薩と人間の中間地点に住まっている。もと異教の神々に課せられた役割は、仏教そのものを守護すること。~略~かつてはヒンドゥー教の最高位だった神がいるかと思えば、悪神や悪鬼の類も、仏教に教化されたという物語が加えられて、同じ天部の所属になっている。世が世であれば決して席を同じにできない尊格が混在しているため、天部のなかにも上下関係がある。~略~天部諸尊はしばしば、集団となって活動する。四天王、十二神将や二十八部衆などは、ひとつの目的のために終結した、いわば”チーム眷属”。」代表的な天は16もありますが、ひとつずつ紹介していきます。まず梵天。「古代インドのバラモン教で、宇宙の創造神として君臨したブラフマー神が、梵天の前身である。仏教に迎えられてからも、天部諸尊の最高位を占める別格の存在だ。」次は帝釈天。「インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』には、雷神として登場。神々の王として阿修羅と戦い勝利した話など、勇ましい逸話の多い最強神インドラが、帝釈天のもとの名前だ。」次は金剛力士(仁王)。「寺門の両側に立って、参詣者を最初に迎えるのが金剛力士像。~略~口を開ける阿形と、閉じる吽形で一対。」次は四天王。「四天王は、どんな仏菩薩にも仕えてその四方を護る、いわばオールマイティーの天部チームである。東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方には多聞天。」次は毘沙門天。「毘沙門天は、多聞天がもっていた北方守護の役目をさらに強力化した存在となり、武神として篤い信仰を集めた。」次は十二神将。「薬師如来につき従う十二神将は、薬師専属のガードマン・チームである。~略~宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・頞儞羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅の表記が一般的である。」次は吉祥天。「ヒンドゥー教では、美と繁栄の女神。」次は弁才天。「古代インドに流れていたという聖なる河、サラスヴァティーを神格化した女神が、弁才天である。」次は訶梨帝母。「鬼子母神とよばれる女性の仏で、その前身は、人間の子どもをさらって食らう古代インドの悪女神ハーリーティー。」次は十二天。「天部に属するあまたの尊格のなかから、重要な十二尊を一組としたもので、密教では方位を護る天部として大切にされている。」次は八部衆。「かつては異教の神だったものが仏に帰依し、仏法を守護するようになったのが天部の仏であるが、そのなかでとくに釈迦に忠誠を誓った八種の神を、八部衆という。」次は二十八部衆。「千手観音の眷属として主人を仏敵から守護し、千手観音を信仰する人々をも護るのが彼らの使命だ。」次は大黒天。「財宝は詰まった大きな袋を担いで米俵の上に立つ、円満な表情を浮かべた小太りな姿。これが、広く知られている大黒天の姿である。」次は韋駄天。「仏舎利を盗んだ鬼神を追いかけて、見事に取り戻したという伝説の持ち主。俊足を意味する韋駄天という言葉は、このエピソードがもとになっている。」次は歓喜天。「サンスクリット名が、”歓喜の自在者”という意味をもつことから歓喜自在天、大聖歓喜天ともいう。」次は八大童子。「不動明王に付き従う眷属という役割を与えられた、八人の少年グループである。」以上が代表的な天です。
2021.05.03 Monday
「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来や菩薩に次いで登場するのが明王です。「如来は真理そのもの、菩薩とはその真理を衆生に説いて救済する仏。そして明王とは、菩薩でさえ真理を導くことができなかった者を教化する存在であると、密教では説く。~略~明王に課せられた役割は、如来と菩薩の救いの手から漏れた煩悩や魔障の一切を調伏すること。~略~如来の命を全うするためには、強制的にでも従わせなくてはならない。そのため忿怒相という怒りの形相をとるのが最大の特徴である。」代表的な明王(群)は5つあり、ひとつずつ取り上げていきます。まず不動明王。「『動かざる者』という名をもつ不動明王は、密教の教主である大日如来が、衆生教化のために変身した最高位の明王である。」次に五大明王。これは明王の群像で、私は京都の東寺で幾度か見ています。「不動は大日、降三世は阿閦、軍荼利は宝生、大威徳は阿弥陀、金剛夜叉は不空成就の五智如来の化身。この強力な集団は鎮護国家などの公的な修法の本尊となっていたが、やがて調伏や怨霊退散から安産まで、幅広い願いが託されるようになった。」次は孔雀明王。「明王のなかでただひとり、忿怒の形相ではなく、菩薩の慈悲相をみせるのが孔雀明王である。~略~毒蛇を食べる孔雀を神格化したとされ、その成立は明王のなかでもっとも古い。」次に愛染明王。「煩悩のなかでも断ち切るのが難しい愛欲ですら、浄化できるということを教える仏が、愛染明王である。~略~真っ赤な体躯と忿怒の形相、逆立つ髪に獅子頭をつけた冠をのせるのが特徴。」最後は太元帥明王。「林に住み、子供を食い殺すインドの悪鬼が、仏教の強化によって夜叉となり、明王にまで格上げされた尊格。~略~荒々しい出目をもつ明王だが、怨敵を調伏し国を護る本尊として、日本では九世紀から尊ばれていた。」以上が代表的な明王ですが、群像が登場したことから仏の安置形式にも触れておきたいと思います。「仏像は、単独で安置される独尊を基本とするが、実際には複数で祀られることのほうが多い。~略~寺院でみられるもっとも多い安置形式は、三尊像である。釈迦・阿弥陀・薬師の三如来が同格で並ぶものもあるがこちらも作例は少なく、ほとんどは中尊の両脇に格下の二尊が侍る形式となっている。」仏像はもちろん祈りの対象で、寺院によっては曼荼羅図を意図して複数の仏像を配置していますが、私は宗教より美術作品として仏像を鑑賞する傾向があって、仏像が乱立する空間は、まさに場の彫刻というべきか、それぞれの造形が空間の中で響きあって緊張関係を作り出すところに魅力を感じてしまいます。私は手を合わせることはなく、眼と肌感覚で造形間の張り詰めた空気を味わっているのです。そうした鑑賞方法もあると私は自己満足していて、それを満たすために寺院に足を運んでいると言っても過言ではありません。第四章は天です。
2021.05.02 Sunday
「仏像図解新書」(石井亜矢子著 小学館新書)の中で如来の次に登場するのは菩薩です。「優しい表情を浮かべ、人々を苦しみから救いながら、如来となるための修業に励んでいるのが、菩薩という尊格である。~略~はじめ菩薩は、悟りを開く前の釈迦、ゴータマ・シッダールタを意味するものだった。それが、大乗仏教という新しい仏教の興隆によって、その性格に変化が生じる。大乗仏教の基本的な考え方は、自分の悟りを求めるためだけに修業するのではなく、広く他者をも救おうということ。それが菩薩の性格にも反映され、菩薩は”衆生を救済しながら悟りを求める修行者”という、如来に次ぐ仏となった。~略~菩薩を本尊としている寺院はかなりの数にのぼり、おそらく如来の数を超えている。最高位の存在である如来よりも敷居が低かったこともあるだろうが、誰をも等しく救ってくれるという慈悲の心をあらわす、女性的な姿の美しさや優しい表情などが、人々に親しまれた証なのだろう。」代表的な菩薩は14もあり、どれも有名なものばかりなので紹介していきます。まず弥勒菩薩。「菩薩時代から、如来となることが釈迦によって約束されていたため、如来と菩薩の両方が存在する。」次に聖観音。「観音という尊格は、紀元1世紀ころにインドで誕生した。その正統的な姿を伝えているのが、聖観音であるとされる。」次に十一面観音。「あらゆる方向を向き、衆生のどんな苦難も見逃さない。名前のとおり十一の顔をもつ観音は、現世利益をストレートに示して、貴賎を問わず多くの人々の心をとらえた。」次に千手観音。「すべての人々を救うという観音の慈悲を、目に見えるかたちではっきり示しているのが、千の手をもつ千手観音である。」次に不空羂索観音。「手に羂索を持ち、額には第三の目、肩には条帛の代わりに鹿皮をまとうのが不空羂索観音の特徴。」次に如意輪観音。「人々に金銀財宝を与え、それを得たのちの精神の幸福をももたらすと約束し、篤い信仰を集めた観音である。」次に准胝観音。「仏を生む大地母神的な性格が注目され、子授けや安産が願われるようになった。」次に馬頭観音。「平安時代に六観音信仰が盛んになると、馬頭観音は畜生道を守護する仏とされた。」次に文殊菩薩。「諸仏の智慧を象徴し、智慧の力で人々を悟りへと導く菩薩である。」次に普賢菩薩。「六牙の白象に乗ってあらゆる所にあらわれ、衆生を救う。」次に地蔵菩薩。「悟りを求める心は大地のように堅固で、人々に代わってどんな苦悩を受けても揺らぐことはないという、頼りがいのある菩薩である。」次に日光菩薩・月光菩薩。「どちらも単独で信仰されることはなく、かならずペアで薬師如来を護る。」次に虚空蔵菩薩。「大きな福徳を授けてくれる菩薩としても信仰を集めることになり、その信仰は奈良時代まで遡る。」最後に勢至菩薩。「智慧の力で人々を迷いから救う菩薩である。」以上ですが、菩薩の人気が窺える章でした。第三章は明王です。
2021.05.01 Saturday
5月になりました。ゴールデンウィークの最中で、今日から5連休になります。まず今月の制作目標ですが、7月個展に出品する新作全てを今月末に完成しなければなりません。5月30日(日)が新しい図録用の撮影日になっているからです。その日から逆算して制作工程を組んでみましたが、毎日制作に励んでいても余裕がないことが判明しました。ただし、時間の融通が利くので何とかなるだろうと思っていますが、作品は何があるのか完成するまで分からないので、不安がないと言えば嘘になります。今月は制作に集中する1ヶ月になりそうです。新作の題名も考えなければならない時期にきています。現在作っている円形を土台にした陶彫による集合彫刻は「発掘シリーズ」として題名をつけていきますが、新たに作る木彫による中規模の作品は「構築シリーズ」にする予定です。その作品に陶彫部品の接合はありません。小品も作らねばならず、昨年度までは週末だけの制作だったのが信じられないくらいです。連休と言えども、私の意識の中には連休という特別な感覚が失われつつあります。それでも美大受験生が毎日工房に来ているので、連休で高校や予備校が休みなんだなぁと思っています。新型コロナウイルス感染症が増え続けていて、隣接する東京都が緊急事態宣言を出し、その波がいつ神奈川県に来るのか見当もつかず、連休中に人で混むところには出かけられません。私には創作活動があるため、連休で外出する楽しみはないのですが、多くの人にとっては相当なストレスになるのではないかと察しています。昨年度も同じような状況にいたことを思い出しています。昨年は校長職にあったので、今年とは違った意味で精神的に負担を抱えていたのは確かです。今年は蚊帳の外になりましたが、学校教育のことは折に触れて心配はしています。私の自論では教育は基本的に対面で行うべきと思っているからです。美術科は授業において個人制作を主体としていますが、課題のことを生徒同士が話し合ったり、お互い見合って意見交換したりするのが学びの向上に繋がると思っています。工房にやってくる美大受験生も同じです。今月に入って初日である今日は取り留めのないことをNOTE(ブログ)に書いてしまいました。まとまりのない文章をお詫びいたします。今月も頑張っていきたいと思います。
2021.04.30 Friday
今日は4月の最終日なので、今月の制作を振り返ってみたいと思います。今月の大きな出来事は、長年続いた教職公務員との二足の草鞋生活にピリオドを打って、創作活動一本になったことです。これは自分の生涯の転機ともなることで、今月をどのように過ごしたのか、その中で何を考えたのかが、今後の私の人生の指針になるだろうと思っています。4月は30日間ありましたが、工房に行かなかったのは2日だけで、残り28日は工房で作業をしていました。2日間とは、東京の美術館や博物館に展覧会を観に出かけた日で、工房では窯入れをしていました。今日も陶彫部品を窯に入れて焼成中でしたが、照明をつけずにタタラを数枚作っていました。今月はそこまで制作に熱中し、只管邁進していたのですが、制作工程は思うように進まず、多少の焦りがあります。体力がなくなっているのに気づき、今月から体調維持のために近隣のスポーツ施設に水泳に通い始めました。校長職にいた時と明らかに違っていたのは神経の使い方で、両肩から重責が落ちて随分楽になりました。しかしながら身体の疲労は蓄積していて、朝起床する時は筋肉痛に見舞われています。朝9時には工房に出かけ、夕方3時くらいまでは作業をしていましたが、昼ごろに水泳に出かけた後の作業は辛いものがありました。新作の陶彫部品はまだ足りず、来月も木彫と併行して陶彫もやっていく所存です。展覧会の鑑賞は「古代エジプト展」(江戸東京博物館)、「ライゾマティクス_マルティプレックス」展、「マーク・マンダースの不在」展(両方とも東京都現代美術館)、「あやしい絵展」(東京国立近代美術館)、「灯りの魔法」展(横浜人形の家)、その他に先輩画家による個展にも足を運びました。映画では「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(TOHOシネマ鴨居)、「JUNK HEAD」(シネマジャック&ベティ)を見てきました。1ヶ月の鑑賞としては、かなり充実していたように思います。コロナ渦の中で現在休館をしている美術館等もあって、自分はそのちょっと前に滑り込んだ展覧会だったため、思い立ったら即座に行くのが良いのではないかと思っています。RECORDは遅れ気味で、何とか挽回していきます。読書はゴーギャンの彫刻に関する書籍と仏像の解説書を読んでいて、どちらも楽しいものばかりです。来月も頑張ろうと思います。