2021.01.30 Saturday
やっと週末になりました。明日が1月最後の日になるため、週末としてはこれが最後の週末です。新作の制作状況としては、今月は厚板材を電動ノコギリやジグゾーを駆使して切断し、箱状に加工する作業に追われ、ほとんどの週末は木材加工に費やしました。新作の土台を作るのが次のステップに繋がると見通して、これをやっていました。その分、陶彫制作が滞ってしまったため、今は焦りを感じています。そこで今日は畳大のタタラを数枚準備して、明日の陶彫成形に繋げていくことにしました。併せて木材加工もやりました。ほとんど私の作品は陶彫による集合彫刻ですが、木材も用いる場合があります。今回作っている大きめな新作は木彫を行うことがなく、厚板を切断するだけの作業ですが、これから作るであろう作品は木彫を施す予定です。この木彫作品は現在やっている新作の完成の目途が立ってから作り始めようと思っています。私は厚板を加工するだけより、木彫や陶彫をやっている方が楽しくて好きなのですが、集合彫刻の場合は辛抱しなければならない作業が必ずあります。全体を通して楽しい作業と楽しくない作業が半々くらいかなぁと思っています。たとえ楽しくなくても完成すると効果抜群で、その退屈な蓄積が表現の説得力を生んでいる場合もあります。私は作業がどうであれコツコツ取り組む性格なので、一気呵成に作れない集合彫刻に向いていると自覚しています。明日は久しぶりに陶彫成形に取り組みます。陶彫成形は既に出来上がっている土台を見ながら進めます。土台には穴が刳り貫いてあって、そこに収まるサイズで作らなければならないからです。明日からの陶彫成形は全体を見ながらサイズを決めていく必要があります。明日も頑張ります。
2021.01.29 Friday
「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」これは現在読んでいる「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の中に収められていた一文で、画家ゴーギャンが表現の多様性を求め、陶で彫刻を作り始める契機となったことが書かれています。ゴーギャンは「陶製彫刻」と呼んでいたようですが、日本でも京都に拠点があった走泥社で陶芸家の前衛表現として「オブジェ焼き」と命名された作品が生み出されていたことを資料を通じて知りました。私は塑造による人体彫刻を学生時代に習作しており、その後自らの表現をどう獲得するかを悩んでいた時期がありました。欧州ウィーンの美術学校に籍を置いていたにも関わらず、そこでの空気に馴染めず、散策をしていた街角で日本の陶磁器を見て、私はハッとしたことを思い出しました。日本の炻器の簡潔な美が、それまで西洋の装飾性に辟易していた自分の目を覚まさせたのかもしれません。懐かしく新鮮な思いは、私に美術学校での制作を抽象に向かわせました。当時は陶を扱うことが出来なかったので、石膏で自らの思いを吐露しました。海外生活を引き上げる際に2か月間、西洋文化発祥の地に行ってみたくてギリシャ、トルコにむけて旅をしました。外人労働者が帰省する安価なバスに乗って、エーゲ海沿岸の遺跡を見て周るうちに、陶による集合彫刻として都市景観を造ってみたい衝動に駆られました。トルコ内地のカッパドキア奇岩群も印象に残りました。それらを陶で表すにはどうしたらよいのか、横浜の自宅から近い陶芸の里は栃木県益子と茨木県笠間であることを知り、折しも友人が笠間に移住して陶芸を始めたことを契機に、一気に陶彫への道が開かれました。それでも陶の技法習得はなかなか困難で、私は彫刻のイメージを頭に秘めたまま10年も技法習得に努めてしまいました。当然焦りはありました。私が求めた混合陶土では立体として高さを保つことが当初は難しかったので、レリーフに近いものを壁に貼り付け、屏風仕立ての「発掘~鳥瞰~」が完成しました。これが私の陶彫の出発点ですが、ゴーギャンの彫刻の刷新を知るにつけ、当時は前衛だったために、こうした表現も否定もされたであろうことが分かります。書籍を読んで、私なりに思うところがあって、こんなNOTE(ブログ)を書かせていただきました。
2021.01.28 Thursday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「2彫刻と陶磁器」のまとめを行います。この章では彫刻家による陶磁器装飾への協力について述べられていて、主な作家としてカリエ=ベルーズ、ダルー、オーベの3人が取り上げられていました。「第二帝政下において、シャンゼリゼ通りにあるパイヴァの館などパリ市内の有数の私邸からオペラ座内部まで、さまざまな室内装飾を手がけて名声を得たカリエ=ベルーズは、壺や燭台、置き時計などの『実用品における美』にも意識的に取り組んでいた彫刻家であった。~略~この彫刻家はまたロダンの師としても歴史に名を留めている。」次にオーベについて「彼こそ、ゴーギャンが作陶を始めるにあたり、陶器装飾について直接に多大な影響を与えた彫刻家であった。」と書かれていました。逆に陶工から芸術家に接近した陶芸家エルネスト・シャプレがいて、炻器に目を向けたことが記されていました。「シャプレは1878年の万国博覧会で日本の炻器に目覚めたあと、西洋の古炻器に目を向けた。装飾概念が日本的であるとすれば、水差やジョッキ型の器は西洋的である。」最後にゴーギャンです。「知的な手による生命の表現によって、まさしく陶芸を彫刻の高みに引き上げることができると同時に、陶芸の素材によって彫刻を刷新することができるというのがゴーギャンの主張であった。」この一文には私も思うところがあって、別稿を起こそうかと思っています。まさに私の陶彫の出発点がここにあって、日本の走泥社の主張したオブジェ焼きとともに、ゴーギャンが自ら創案した「陶製彫刻」または「彫刻するための陶器」に起源を発するものであることを改めて認識しました。ゴーギャンが日本の炻器の影響を受けていたことを物語る一文もありました。「彼は『たとえいびつではあっても幾何学の法則に従う』と言い、炻器は固有の『幾何学』にしたがうべきであることを説くのである。ここには、これを古来尊んできた日本の美学の影響があったであろう。」
2021.01.27 Wednesday
例年この時期は疲労を感じることが多いのですが、このところちょっと辛いなぁと思っています。私が疲労を感じる時は、上顎の奥歯のあたりの神経にぼんやりした痛みがあります。歯科医院に行って診てもらっても、奥歯は治療済みでとくに問題はないと言われたので、どうも歯ではなさそうです。暫くすると痛みは消えているので、気にならないと言えば気にならないのです。朝晩の冷え込みと職場では神経を使う事案が多いので、ひょっとして外的なものと内的なもの両方で疲労が蓄積しているのかもしれません。今までは管理職という立場で次年度も仕事を継続してきました。私なりに気持ちの張りがあったと自覚していますが、今はそうではありません。あと2か月少々で仕事が終わると思うと、心のどこかに隙が出来て、それがシンドさを生んでいるのかもしれません。どうであっても最後まで仕事を全うする意思はありますが、息切れしているのも確かです。週末の創作活動は疲労を感じることがなく、制作に邁進しているので、この疲労は精神的なものであることは疑う余地はありません。私は30歳で公務員になるまで長く自由気儘な生活を送っていました。そこから35年間、公務員として創作活動との二足の草鞋生活を続けてきました。私にとっては結構大きい35年間だったのではないかと思っています。それは生活を営む経済ばかりではなく、生活のリズムもそこで培われてきました。二足の草鞋生活も疲労を伴うものでしたが、今感じている疲労とはやや違っていて、辛いと思うことはなかったように思います。今年度はコロナ渦の影響で想定外のことが多く、個々の管理職が判断する場面も多々あったと思っています。そうした通常の職場運営とは異なる判断にも疲労を感じているのかもしれません。私の職場は有能なスタッフが揃っているので、彼らにもかなり助けられてきました。それでも困難な状況が緩和しているわけではありません。今は創作活動が心の支えです。支えられるものがあるだけで私は救われているのかもしれませんが、やはり疲労を感じているのは何なのでしょうか。
2021.01.26 Tuesday
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第2章「芸術家と職人」について「1背景」のまとめを行います。副題に「装飾芸術の復興」とあり、19世紀の特徴として、工芸と呼ばれる装飾芸術の地位向上がありました。「1890年代のアール・ヌーヴォーへと続くこうした動きの中で、『職人』ではなく、産業化以前のように『芸術家=職人』による製品が目指され、それは小芸術と呼ばれた装飾芸術の価値を向上させるとともに、絵画、彫刻という大芸術と小芸術の間に確固として存在したヒエラルキーの揺らぎへと導いていったのである。」ゴーギャンもこうした時代背景の中で活動した芸術家であったので、装飾的彫刻である壺を制作しています。本書は『芸術家=職人』の誕生に貢献した人物としてフェリックス・ブラックモンを取り上げています。ブラックモンは版画家でありながら陶磁器の装飾を手がけた人でした。「アール・ヌーヴォーを支配していた『素材の論理』と『装飾(オルヌマン)の論理』の二重の論理の出発点にブラックモンは位置していたのである。そしてまさしく素材と装飾の原理はゴーギャンにも継承されていくのである。」アール・ヌーヴォーは私の大好きな芸術様式で、その優美な装飾が絵画や彫刻に応用され、19世紀後半を彩るものになったと理解しています。本書は次に装飾芸術の美術館開設への動きが書かれていました。「イギリスの美術館は、産業化に伴う芸術的質の低下の改善のために職人たちを教化することを旨としていた。セーヴルの陶磁器美術館は、これとは対照的に、設立の契機こそ産業化の波とは無関係であったが、19世紀の産業化社会の進展の中で高まりを見せていた民衆と生活と結びついた歴史的陶器への関心を反映して、高貴なものから民衆的なものまで、そして世界各国のあらゆるカテゴリーの遺品が集められ、19世紀中に世界有数の陶磁器コレクションが形成されたのである。」現在はさらに工芸と絵画や彫刻のボーダーがなくなっており、アートの中にはどちらとも言えない作品が数多く存在しています。私の陶彫作品も彫刻的な思考ではあるけれど、陶を素材とするもので、工芸的な技法で作られています。そうした現代に繋がる要素が培われた出発点がここにあったと思われます。