2026.07.24 Friday
「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「パリ1938-1939」について、気に留まった箇所を取り上げます。「1938年にパリに到着すると、ベルメールはシュルレアリストたちに暖かく迎えいれられた。以前からの友人であるポール・エリュアール、ロベール・ヴァランセ、アンリ・パリゾはついに自分らと合流できたことに歓喜し、アンドレ・ブルトンは1934年にウルスラを通じてはじまった交流を再開できると喜んだ。~略~『枝状に刻み込まれた流し目』での創作で、ベルメールは以後の生涯でずっと適用することとなるある方法を考えだした。与えられた文意をただたどるだけの作品を提示するかわりに、すでに自らの芸術の展開の一部となっている諸観念を再利用し、あるいは再生させたのである。にもかかわらずその成果は、あべこべに文章の方がイメージを入念に再現したかのような、文章とイメージとの顕著な同質性をもたらした。~略~1938年と1939年に描かれた作品は、身体と、とりわけその頭部が様々な身体パーツと様々な他の身体との混淆で構成される女性像である。これには参照すべき前例があった。フランス革命の時代にこの種の絵画が貴族や教会の人間を風刺するために描かれ、さらにその着想源となったのはダリの称賛した16世紀イタリアの画家ジョゼッペ・アルチンボルドであった。~略~混成イメージというのは、当時、シュルレアリスムに特徴的な表現であったが、ベルメールの場合、独自の仕方でそれを採用していた。ダリの混成人物像は幻覚の世界を呼び覚まし、一方、マックス・エルンストのそれは来たるべき恐怖を具現しているように思われる。しかしながら、ベルメールが関心を向けるのはハイブリッドの本質をあらわにすることであり、もつれ合った身体と脚の塊を通して欲望の真の解剖学を明らかにすることであった。」今回はここまでにします。
2026.07.23 Thursday
「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「人形の遊び」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ベルメールは自分の芸術が理解され、擁護されているとわかって満足感に浸り、勇気づけられた。その後、もう三年ほどベルリンに留まることになるが、シュルレアリスム運動への参加はすでに彼の生活の一部と化していた。~略~シュルレアリストたちと接触して、ベルメールは『人形』から開始した作品制作を継続すべきであるとの確信を得た。~略~最初の人形制作と同様に今度もまたカメラが果たした役割は決定的であった。だが一方で、大きく異なる点もあった。以前は30枚程度であったのが今度は100枚を超える撮影が繰り返され、またかつては様々な段階で記録された人形の制作過程の物語はさらに洗練されて、倒錯的な性戯の演じられる凝った舞台装置が整えられた。~略~様々に展開される第二の人形表現は、明らかに『痙攣する美』と『過剰の礼賛』というシュルレアリスムの観念を要約していた。新たな写真の見本はパリに送られて、ブルトンがそのあまりの『倒錯性』ゆえに保留にしたものの、ヴァランセ、パリゾ、そしてとりわけエリュアールに暖かく受け入れられた。~略~『人形の遊び』という表題は意味深い。人形はベルメールの少年時代の遊戯との連結装置であり、また大人の遊びにふける際の要ともなる。『彼女らの誘惑はあらかじめ欺瞞を許している。それはうぬぼれであり、無用なものの美しくもあやしげな香りを宿している』。~略~様々な姿態の人形が、その派生的構築物とともに、1930年代を通じてベルメールの主な関心事であったが、もともとグラフィックデザイナーであった彼が絵画をやめるわけはなかった。彼は人形の限界を意識してことあるごとにそれを表明してきたし、同時期のドローイングを見れば、人形という基本的な着想をもっと融通のきく、開かれた可能性のものにする方法を模索し続けていたことがわかるであろう。~略~1937年にマルガレーテは結核で深刻な症状に陥ってしまう。彼女の生涯の最後の数カ月、すなわち1938年の1月と2月にベルメールは妻を慰めようと思い、小さなコラージュ作品を制作した。」今回はここまでにします。
2026.07.22 Wednesday
「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「ベルメールとシュルレアリスム」について、気に留まった箇所を取り上げます。「1934年のベルメールはヒトラーの支配下に入って間もない暗澹たるドイツで孤立し、いまだ芸術家としては無名で、非難の的になりやすい状況であった。」そこにフランスで興ったシュルレアリスムとの接触がありました。「『現実と想像、動くものと動かないもの、自然と人工の結合を実現すること。それが、シュルレアリスムが掲げた、総体的で刺激的な力を伴う最初の、そして唯一の目的である』。欲望と反逆はシュルレアリスムの本質的な原動力であり、ベルメールの人形はシュルレアリスムの理想的なオブジェであった。~略~ブルトンによる1924年の『シュルレアリスム宣言』以来、シュルレアリストたちは幼年時代の想像力がいまだ『未開の状態』であった特権的な時期と見なしてきた。『未開の状態』とは、教育が組織的に『矯正』しようとするあらゆる種類の印象と連想に敏感に反応する状態である。子供の想像力は、未開人、あるいは分裂病者や霊媒者のそれのように人間の失われた能力の一つであり、シュルレアリストは成人を改造する計画においてそれを回復しようしたのであった。ベルメールの人形は、このような側面から考えても理想的なシュルレアリスムのオブジェであった。すなわち、子供の遊びは実際に回復されていたが、地下領域の驚異と不道徳な力を含みもつ幼少時の世界は欲望と反逆という完全に成熟した形に関連づけられるのである。~略~ベルメールの人形が統括する神話の領域は、無論、エロスの領域である。『シュルレアリスム芸術の発生と展開』(1941年)でベルメールの芸術に言及して、ブルトンは次のように書いた。『そしてまた、永遠に女性的なるもの、つまり眩暈の核心であるが、この場合思春期の少女こそが、人形と分かち合った創造の苦闘とゴーレムの不確実な生へベルメールを投じたのであった』。~略~ハンス・ベルメールがドイツ人であるという事実は、パリを拠点に活動するグループにとってまったく障害とならなかった。むしろ、敗戦国ドイツから賠償金を搾取するフランスの政策とドイツのみに戦争責任を押しつける偽善を告発し続ける、国際的な精神をもったシュルレアリストたちによって、ベルメールは歓迎された。」今回はここまでにします。
2026.07.21 Tuesday
昨日の朝日新聞「天声人語」の内容が気に留まったので引用いたします。「修理する仏像の中を開けてみたら、源平合戦の頃の文書がぎっしりと納められていたー。800年以上前のものだ。この文書が、神奈川県立金沢文庫で20日まで公開されていると聞き訪ねた。高さ約1㍍の阿弥陀如来立像の中にあったのは全部で81通。8割が平安末期の貴族、藤原実清の書状だ。筆で書かれた字に重なるように、仏のかたちのはんこがびっしり押されている。当時は亡くなった人を供養するために、その人ゆかりの文書にこうした印仏をして仏像に納めることがあったそうだ。『紙が大変貴重な時代で、残っている文書は少ない。希少な1次史料です』と学芸員。文書のなかには、鳥羽天皇の皇女八条院に仕える実清が、自らの官職とひきかえに子息の昇進を乞うものもあった。これが没後800年以上未来の人に再読されるとは、想像もしなかっただろう。改めて記憶媒体としての和紙の優秀さに驚く。湿気と火、虫には弱いが、保管状態が良ければ1千年以上劣化しない。対する洋紙のうち、19~20世紀に大量生産された酸性紙は100年ほどでぼろぼろになる。デジタルの記憶媒体の多くは、寿命がさらに短い。大量のデータを保存しても800年後にどれだけ再生が可能だろう。私たちの多くが、小中学校で書写を習う。考えてみれば、字の練習にとどまらず、和紙に墨でことばを残してきたこの国の歩みを体験できる機会でもあったか。時には大人も、書を手に取るようなゆとりが持てたらいいのだけれど。」私は情報をキャッチできず金沢文庫の展覧会には行けませんでしたが、記憶媒体としての和紙の優秀さや和紙の手触りを含む魅力はよく分かっています。私は学生の頃からさまざまな和紙を集め、そこに版画を試したりしてきました。失われた私の作品は多いけれど、和紙が劣化したものではなく、作品が気に入らなくて処分している結果です。現在でも自ら印を彫って和紙に押し、それを陶彫作品に貼っています。嘗て紙漉きの体験もしましたが、表面が単一ではなく人の温かみを感じることが出来る和紙を今後も大切にしたいと思っています。
2026.07.20 Monday
昨年までお世話になっていたギャラリーせいほうから、今年はうしお画廊に変わって、私の個展の作品点数や作品の内容にも変化が生じています。今年は大き目の陶彫による集合作品は1点のみ、小品は4点、さらに壁に掛ける平面性の強い作品を4点出品する予定です。作品の表現方法が変わっていく中で、昨年まで作成していた図録も変えることにしました。作品点数が少なくなったのが一番大きな理由ですが、作品が減ったとしてもインパクトを与えたいと私は考えていて、そのために大き目の三つ折りのパンフレットを導入することにしました。作品をより目立たせることを主眼において、存在感のある簡潔なものにしていこうと思ったのがパンフレットにした目的です。私の作品は陶彫部品を幾つか組み合わせて、ひとつのスペースを占有する作品なので、図録なりパンフレットを作ることは作品を紹介する上で必須です。しかも懇意にしているカメラマンにお願いしてデジタル作品としても鑑賞に値するものを作ることにしているのです。私はアナログな世界に生きる彫刻家を名乗っていて、画像化した自分の作品を見ると不思議な感覚に囚われてしまいます。現代はデジタル優勢の時代なので、こうした表現に私の興味が注がれるのです。今晩は撮影をしたカメラマン2人が私の自宅に来て、パンフレット500部を届けてくれました。厚紙に印刷したために三つ折りは私が手作業でやることなりましたが、これも作品と思えば、頑張るしかありません。打ち合わせを横で聞いていた家内が、私の作品に関するインスタグラムを立ち上げようと目論んでいます。インスタグラムに私自身は出ませんが、作品の制作工程なら自分で撮影しても良いかなぁと思うようになりました。どのくらい陶彫に興味を持たれている方がいるか分かりませんが、家内のセンスに頼ってみようかなと思っています。パンフレットは搬入までに準備して、個展に来られた方々に無料配布しようと考えています。