2011.03.04 Friday
3月になって、月初めの目標を書くところを、ずっと「シュルレアリスム展」の話題ばかりを取り上げてしまいました。春はまだ浅いと感じさせる肌寒い日が続いていますが、梅が咲いているのを見ると、確実に季節が移り変わっていくのを実感します。今月は「構築~楼閣~」の柱の仕上げをやる予定です。先月出来なかった分を今月に延ばしたのです。もっと暖かくなって工房での作業が捗れば、「構築~楼閣~」全体の完成も近づいてくるのですが、それはまだ期待できません。少なくても現在出来上がっている陶彫部品で全体の雰囲気を捉えて、不足な部品を確認することぐらいは出来ると思います。職場ではいよいよ年度末となり、職員の出会いと別れがあります。私も例外ではありません。転勤がどうなるのか見当がつきません。例年、制作が佳境に入る時に、職場は年度末と年度当初を迎えて慌しく過ごすことになります。今月も身体を気遣いながら、集中するべき時は集中して頑張っていきたいと思います。
2011.03.03 Thursday
シュルレアリスムの画家マックス・エルンストは大好きな芸術家の一人です。いつもマチエールの巧みさと面白さに魅了されます。フロッタージュ(擦りだし)とグラッタージュ(削り)によって、画面が地質的であったり、また植物的であったりするエルンストの世界に思わず引き込まれてしまいます。国立新美術館で開催中の「シュルレアリスム展」には、いくつかのエルンストの絵画が展示されていました。その中の「三本の糸杉」は、画面構成が面白くて、つい立ち止まってしまいました。解説によると、エルンストは都会から米アリゾナ州のセドナに移り住んで、そこにある乾燥した地域に聳えたつ真っ赤な一枚岩の山々に創造力が刺激されたのだそうです。幾何学的に3分割された構図に、赤・黄・緑の細長い物体が描かれていて、どうやらそれが糸杉らしいのですが、むしろモニュメンタルな造形物とでも言った方が相応しいような雰囲気を持っています。描く行為を極力控え、偶発的な効果のもとで世界を作り上げていったエルンスト。その創造力に自分も活力をもらっています。
2011.03.02 Wednesday
国立新美術館で開催中の「シュルレアリスム展」で、1920年から30年にかけて作られた無声映画を上映していました。瀧口修造全集(みすず書房)にも登場するシュルレアリスムの映画を一度は見てみたいと思っていたのです。こんな場所で見られるとは思ってもみませんでした。ルネ・クレールによる「踊るパリ」、マン・レイによる「ヒトデ」、ルイス・ブニュエルによる「黄金時代」と「アンダルシアの犬」。その中でもブニュエルとダリが共作した「アンダルシアの犬」に注目しました。手のひらを蟻がたくさん這っていくシーンは、まさにダリの絵画そのものでした。妄想が妄想を喚起させる展開。傍若無人な男と奇妙な女が繰り広げる室内劇。ストーリーよりもイメージの連鎖が生み出す世界。それは他の作品全てに言えることで、映画全編に流れる特撮による工夫が、現代のコンピュータを駆使した映像に慣らされた眼には、とりわけ新鮮に見えました。こうした実験を繰り返して、現在まで続く映画ならではの面白さが創造できたと考えます。シュルレアリスムには映像表現がよく合っているとさえ思えました。
2011.03.01 Tuesday
国立新美術館で開催中の「シュルレアリスム展」に出品されているアルベルト・ジャコメッテイの彫刻は、ある意味で自分の眼には新鮮に映りました。ある意味で、と言うのはジャコメッテイと言えば、全てを削ぎ落として細くなった人体塑造で知られる彫刻家だからです。固定観念があったせいか展覧会場でシュルレアリスム的な形態をもつジャコメッテイの彫刻を見た時は、まったく別人ではないかと思ったほどです。確かに図版などでジャコメッテイのシュルレアリスム時代の作品を知っていましたが、実物を見るのが初めてだったので驚いてしまいました。ブロンズに金色の錆付けを施した作品には、異様なエロティズムと原初的な雰囲気が漂っていました。「喉を切られた女」と題する床に這ったようなオブジェは、カマキリをモティーフにした何とも不思議な作品です。ジャコメッテイが塑造による独自な世界に入る前の世界観が垣間見えて、シュルレアリスム的オブジェとして、その頃にもう頂点を迎えていたのではないかと思えました。それは作為に満ちた造形で、鑑賞者に見せるために作り上げられた世界がありました。そこから脱して現実を追求する姿勢が現れて、見せる造形から思索する造形、つまりあの細くなった人体塑造に変貌したように思えます。求道者として、いつ終わるともわからない造形の継続。それが現在見られるジャコメッテイの作品なのだと思いました。
2011.02.28 Monday
先日出かけた国立新美術館の「シュルレアリスム展」。開館の10時には多くの若者がいて驚きましたが、五美術大学卒業制作展を別の会場でやっていたので、この混雑が納得できました。それでも「シュルレアリスム展」にも大勢の人が見に来ていて、美的価値観の発展変遷を示すこうした展覧会が人々に受け入れられていることを嬉しく思いました。でもシュルレアリスムをA・ブルトンが提唱したのが1920年代。もう一世紀も経とうという現在では、シュルレアリスムは古典の部類に入るのかもしれません。現代ではコンピュータによるデジタル画像が氾濫し、シュルレアリスム的世界は日常の中に入り込んでいると言っても差し支えありません。この広範囲で長年続いたシュルレアリスムという活動は、その影響力を見ても計り知れないものを感じます。展示会場に並んでいる絵画やオブジェは、もう新しい価値を認知されているものばかりで、今となっては斬新さはありませんが、それでも名作は名作なりの説得力と表現力をもっていると感じました。注目した何点かの絵画やオブジェや映像がありました。それはまた機会を改めます。