Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 交通混乱の中での出勤
    JR線等公共交通の運休、計画停電の情報が、昨晩遅い時間帯でテレビやインターネットに流れました。家内がチェックしてくれたおかげで、今朝は通常通りの通勤になりました。それでも私鉄の運行時間が変わり、混雑は免れませんでした。職員の中にも交通機関の混雑で出勤が遅れた者もいました。計画停電は覚悟していたのですが、結局は回避されて、現状では停電はありません。大震災の影響はあちらこちらに見られます。自分は自動車通勤ではないので、ガソリンのことはあまり気にかけていませんでしたが、職員の中には給油を気にかける者もいました。都市機能が麻痺することは、こういうことかと改めて思いました。帰宅してみると、家内がスーパーマーケットに品物がなくなっていたと言っていました。昨日も少なくなっていたと思いましたが、生活必需品の購入に拍車がかかっていたようです。自分は明日も平常どおりの出勤です。
    週末 小さな四角錘の仕上げ
    昨日に引き続き工房で制作です。ラジオのスイッチを入れ、「FMヨコハマ」から流れる震災情報を聴きつつ、陶彫部品の仕上げを行いました。今日は比較的小さな四角錘5点の仕上げと化粧掛けを行いました。何日か前から悩んでいる花粉症対策として薬を飲むことにしました。震災の実体が明らかになるほど、その悲惨さが伝わりました。こちらは何かが出来る術もなく、ただ情報を聴いて、出来ることなら何かで協力をしたいと思うばかりです。スーパーマーケットには水やパン等の食料品がなくなっていました。初めてのことばかりです。昨日ガソリンスタンドに長蛇の列を作っていた車がありましたが、今日はスタンドの店員が出て給油が出来ないことを伝えていました。震災の影響はいろいろなところに現れています。多少の不自由さを我慢していくことが協力することかなと思いつつ、今日一日を工房で過ごしていました。
    週末 震災情報を聴きながら…
    週末は朝から工房で制作をしています。いつもと違うのは、昨日発生した東日本方面の大震災に関する情報をラジオで聴きながら制作をしていたことです。横浜は直接的な被災は僅かでした。でも昨日職場で経験した揺れの大きさは、今までなかったほどの規模で、家族の安否を気遣いながら帰宅しました。突然風景が変わってしまう恐ろしさを改めて実感しました。幸い自宅周辺はいつもと変わらぬ風景があって、内心胸を撫で下ろしたものの、被災に会われた方々のことを思うと、何か自分に出来ることはないか考えてしまいます。今は電力や水で無駄を出さないように努めるしか思い浮かびませんが、自分でも助けられることがあれば協力したいと思います。話は変わって、工房内は今日も花粉が飛び交い、マスクをしていても儘ならず作業に影響しました。木彫した柱と陶彫土台の接合のためドリルで穴あけを行いましたが、手許に気持ちを何とか集中させて行いました。明日も花粉症と闘いながら作業続行です。
    地震がありました。
    ついにきたかと瞬時に思いました。職場で書類を作っていたのが午後3時近くでした。微妙な揺れがあったかと思ったら、大きく揺れだし、しばらく揺れが止まりませんでした。緊急放送のあと一時避難したら、また揺れがきました。揺れが落ち着いてから施設を点検し、5時過ぎに職場を出ました。電車が止まっているので歩いて自宅まで行こうとしたところに、職員の一人が家の近くまで車で送りましょうと声をかけてくれました。国道は歩いて帰宅する人であふれていました。災害は突如やってくるもので、そんなイメージは出来ていました。職場での対応は想定内でした。家族の安否をメールで確認して帰宅、すぐ工房にも出かけました。棚に並んだ数多くの「球体都市」がどうなっているのか心配でした。ところが工房は何の変化もなく、ホッと胸を撫で下ろしました。テレビやネットの情報では日本各地で被害が出ているようです。次第に明らかになっていくこともあるでしょうが、地震が過ぎ去った後、職場でも身の回りでも安全確保のために検証すべきことはあるだろうと思います。
    「右手と頭脳」の読後感
    ドイツ表現主義の代表格とされる画家エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー。数少ないドイツ表現主義関連の翻訳本の中で、この「右手と頭脳」(ペーター・シュプリンガー著 前川久美子訳 三元社)にめぐり合えたのは幸いでした。かつてのブログに書いたように、キルヒナーに関する書籍は滞欧時代に購入しているものの、ドイツ語を読み解く気にならず、表現主義の時代を想像するに留まっていましたが、キルヒナーの代表作「兵士としての自画像」を中心にした論評を読んで、キルヒナーの人生や彼が生きた時代背景がよくわかりました。「兵士としての自画像」には画家としての致命傷とも言うべき右手を失った自画像が描かれています。背後に裸婦の絵があって、そのイメージの謎解きに引き込まれました。実際にキルヒナーは右手を失ったわけではなく、画家としての生命を絶たれた暗喩として描いています。では背後の裸婦像は何か。志願兵として軍服を着たものの兵役に合わなかったキルヒナーが、そこから逃れるために敢えて自分を衰弱させ、軍医に掛け合って休暇をもらったりしていたことがあり、「キルヒナーは、自分がもっとも劣った兵士よりも軍隊の役に立たず、部外者であるという屈辱的体験を、社会が娼婦に向けた軽蔑と同一視している。~略~」という一文が示す通り、裸婦(娼婦)という考えが、この「兵士としての自画像」の構成要素にあるのではないかと本書では推論しています。また機会を改めます。