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  • 辻晋堂の彫刻
    八木一夫のオブジェ焼に関する書物を読むと、そこにちょいちょい辻晋堂という名が出てきます。彫刻家辻晋堂は亡くなられて随分経ちますが、ギャラリーせいほうで個展をやっていた作家でした。自分は学生時代に個展にお邪魔して数々の作品を見ていましたが、ご本人にお会いできる機会はありませんでした。写真でしか見たことのない若かりし頃の木彫によるきりっとした具象作品。研ぎ澄まされた緊張感が漂うのを写真でも感じることができます。自分が目にした辻晋堂の作品は平面性が表に出た陶彫です。それは岩のような壁に穴のあいた扁平なフォルムで「拾得」とか「寒山」というタイトルがついたものでした。ギャラリーせいほうでの晩年の個展に出品されていたのは、ご本人曰く「粘土細工」と称していたもので、かつての木彫の頃の具象とは違う趣の作品でした。「彫刻を捨てた」無心の造形と見るべきか、でも気品を失わない造形が当時の自分にはとても印象的でした。
    オブジェの定義
    先日読み終えた美学出版「終わりきれない近代」の中でオブジェについて触れた文章があります。「オブジェというフランス語は、英語のオブジェクトに相当します。自分から見て前方に投げ出されたものというのが語源。だから、対象、客観、目的、目的語、そして物体という非常に重要な概念が、みんなこの一語で代表されます。〜略〜ところが、オブジェというごく普通のフランス語は、二十世紀の前半に特殊な造形手法を指す言葉としてフランスの美術界で用いられて以来、もともとのオブジェの語義とは少しずれたところで、翻訳不可能な概念を見につけてしまったのです。」(著・峯村敏明)自分も普段何となく使っているオブジェという言葉を思い返してみて、なるほど自分もそんな概念でオブジェを捉えていたのかなと感じました。でも、オブジェという現代美術界にしか通用しない言葉を、自分はあまり好みません。何でもオブジェで通用するというのが自分にはしっくりこないのです。やはり自分は「陶彫」という自分にとってわかりやすい言葉を使っていきたいと思います。
    終わりきれない「近代」
    表題は樋田豊郎・稲賀繁美編集による故陶芸家八木一夫に関する本です。八木一夫が中心になって活動した「走泥社」や当時オブジェ焼と呼ばれた機能を持たない陶磁器の作品を自分なりに理解してみようと思って、京都に行った際、この本を購入しました。工芸品として扱われていた陶磁器に、立体造形としての意識変革を加えた八木一夫の功績は、自分が大学で彫刻を始めた頃知りました。記念碑的な作品「ザムザ氏の散歩」は革新的な意味合いをもっていることを承知の上で、その愛らしさや軽妙なフォルムに目が奪われます。その他八木一夫の作品にはミロのような絵付けの壺があったり、イサムノグチのような造形があったりして、いずれも洒落た味付けがされていて、前衛という大げさなものを感じさせない、それでも前衛であるのには変わりない雰囲気をもっていると思います。この本を読み終えて、しばらくは自分の世界と照らして、本に書かれたことをヒントにして陶彫のことを考えてみたいと思っています。
    今週末が終わり…
    週末が来るたび作業に追われる生活が繰り返されています。心の充実は計り知れないものがありますが、身体の疲労が徐々にたまってきました。昨日今日と杉材を8本彫り、陶土をたたらにして成形し、RECORDも仕上げました。成形した陶土はそのまま家に持ち帰り、明日から夜の時間帯に加飾して仕上げます。明日から金曜までは公務があって、また週末に木彫、陶彫、RECORDの三つ巴の作業が待っています。例年この時期は制作が佳境に入るので、週末の時間は瞬く間に過ぎてしまいます。いつかは余裕ができると信じて10数年こうしてやってきました。暇な時間は一向にやってきませんが、昔に比べると失敗して後戻りすることは少なくなりました。こうしていた方が自分は頑張れるのだろうと思います。また来週末に仕事は持越しです。
    尾形光琳の仕事
    東京国立博物館で開催されている「大琳派展」は、自分にさまざまな課題を投げかけてきました。琳派は尾形光琳の「琳」の字をとっているので尾形光琳を中心とする流派であることがわかります。「琳派」は、その絢爛たる装飾性と意匠の面白さが自分にとっては印象的です。と言うか、ちょうど自分が現在やっている創作過程の心情に琳派が入り込んできたといったところでしょうか。尾形光琳の仕事で注目したのは「紅白梅図」や「燕子花図」のような評価が決まっているものではなく小袖等の光琳の意匠、または光琳風を模した図柄の多様性です。今でいうブランドもののように、光琳デザインの金字塔をうちたてた図柄だったようです。今でも雛形本を見ると当時流行の最先端のデザインがよくわかります。現在でも構図が新鮮に感じられ、自分の作品に空間や間の取り方等を取り入れられないか考えているところです。