Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 新聞に掲載された益子・笠間
    来月のゴールデンウィークに栃木県益子や茨城県笠間に出かける予定です。毎年楽しみにしている陶器市があるためです。もうかれこれ20年近く通っているのでしょうか。陶芸家の友人たちとの交流もあって、充実した時間を過ごすことが出来ます。新聞に震災で陶器が大量に割れた写真が掲載されていました。窯も損壊していて痛ましい現状を伝えています。開催が危ぶまれた陶器市・陶炎祭ですが、皆が目標を失わないために開催を決めたようです。それならば、今年の益子・笠間行きは復興応援ツアーとして必ず行こうと思っています。彼の地の友人からメールが届き、悲惨な状況を知らせてきました。今年は物資を携えて、友人たちの無事を確認しながら益子と笠間を回ろうと思います。「甦れ、陶芸の里」を合言葉に出かけます。
    「創作」という魔力
    衣食住という人にとって必要なモノは、日々の生活の中では、あたりまえのように獲得していくモノなので、魔術的な魅力を感じにくいと思っています。震災があって、衣食住が確保できない状態では、その必要不可欠性がクローズアップされました。そのために多くの人が援助をしていくスタンスを表しています。衣食住以外のモノでは、たとえば学問や宗教、芸術という文化を形成するモノは、衣食住があった上で必要とされるモノです。そこには精神世界の中で生命を謳歌する喜びがあります。「創作」には魔力があると信じています。時々会う美大生が、創作の楽しさや苦しさを知ってしまうと、友達とどこかに出かけても、自分の表現力を高める要素がなければ無味乾燥だと言っていました。遊びのための遊びが出来なくなって、たとえ遊びであっても自分の内面を通過して自己表現として発露したいと考えてしまうと言うのです。創作とはいったい何でしょう。ある人にとっては意味を成さないモノでも、ある人にとっては生きる意味を見出すモノが創作とすれば、創作活動を感受できる人は、もう逃れられない魔力に憑かれているのかもしれません。
    イメージする力
    公務の場合でも、この課題をこんなふうに解決しようと思い描くことが度々あります。危機管理の場合は、大きな問題を小さく解決できないものかと思案する時があります。もちろん初期対応が決め手になりますが、解決までのイメージが描けるかどうかは重要なことと認識しています。どんなことでもイメージする力は必要ではないかと思っています。スポーツでも演奏でもイメージ(音楽の場合は楽想)が存在します。造形美術はなおさらで、初めにイメージありきと考えます。もちろん課題解決のイメージ(道筋)とも楽想とも異なりますが、ある世界を思い描いて具現化していくことが即ち作品制作の工程です。自分のイメージを、どう伝達し理解を得るか。技法や技巧は伝達の手段として、時間を費やし労力を惜しまず研鑽を重ねていくものと思います。イメージが貧困になり技巧ばかりが目立ってくると、作品の精神性は失われ鑑賞に耐えられなくなります。初めにイメージありき、イメージする力はどこからやってくるのでしょうか。
    週末 色彩への憧れ
    今日は朝から夕方まで工房で制作三昧でした。昨日、「構築~楼閣~」全体の骨子ができたところで、少し時間をおいて眺めることにしました。これから窯入れする陶彫部品の数々を念頭に入れながら、完成に向けてじっくり見ていきたいと思います。これから先の補充する陶彫部品には神経を使います。そこで今日は陶彫のことはさておいて、RECORDで取り組んでいる色彩について考えてみます。画家は色彩のもつ発色について独自な研究や試みを行い、画面上の色彩の取り合わせを見極めることによって、ゆたかな世界を創出させています。あえて純色を羅列する場合であっても、また色味を抑えた低い明度で統一された画面であっても、色彩がそのイメージを雄弁に語り、鑑賞者の印象に強く訴えてきます。形態と色彩は近代絵画以降、分離した関係が認められつつ主従関係ではなく、そのどちらであっても表現が成り立つものと考えます。自分を振り返ると、色彩に対する怖れは学生時代に遡りますが、といって形態でも突出した個性があったわけではありません。ただ、とりわけ色彩の配色に独自性をもつことにずっと憧れ続けてきました。今日も工房で陶彫制作を休んで、RECORDの彩色をあれこれやって、色彩が放つ魔力をコントロールしたいと願っていました。
    週末 「楼閣」土台組み立て
    今日は午前中に休日出勤がありましたが、午後から工房に出かけ、新作「構築~楼閣~」の陶彫土台8個に木彫の柱8本をボルトナットで取り付けました。これで全体構成が掴めます。まだ骨子しか出来上がっていませんが、今の段階で焼成が終わっている陶彫部品を置いて、全体の雰囲気を確かめました。作品の核になる部分は出来たという感触を持ちました。昨年発表した「構築~瓦礫~」より直線的な作品になっていること、「楼閣」と題した理由にもなっている個々の作品の高さがあること、部品は昨年より少ないのにそれでも表現の意図が伝わるように思えたこと等が今回の感想ですが、乾燥待ちの部品が数点、仕上げをしなければならない部品が数点、まだ床に置いてあって、これらをすべて窯に入れてみないとわからないというのが正直なところです。80パーセント程度の完成と思ってもいいかなと思いました。