Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 繰り返し作業の蓄積
    新作「構築〜起源〜」は、116本の杉材の柱や9畳大の土台を使い、パターンを少しずつ変化させて、その繰り返しによる集合体で構成する彫刻です。坦々と繰り返す作業は、自分の得意とするところで、いわば労働の蓄積です。先日のブログにも、延々と続く終わりのない作業を一部分切り取って展覧会で発表することができないものかと書きました。RECORDがまさにそのひとつで、現在進行中の作品を一定期間をひとまとめにして発表したことがあります。「構築〜起源〜」は完成というゴールは見えていますが、延々と繰り返した作業の蓄積が、この作品の表現として大きな意味を持っています。今自分の中にある完成のイメージはいくらでも描き直すことができて、さらに増大する作品になっても構わないと思っています。ただし、今回は116本の柱と9畳の土台で作品を完成させると決めているので、ここで一応区切りとしますが、今後再び手を入れることもありうると思います。繰り返し作業の蓄積により作品を制作するのは自分に合っているように感じています。                              Yutaka Aihara.com
    格子の美しさ
    現在「構築〜起源〜」の土台を制作中です。土台は厚板に格子状になった矩形をたくさん刳り貫く作業をしています。そこに杉の柱を立てて立体造形にする計画です。この格子をとても美しく感じています。柱を立てなくても十分に面白いと思います。同じサイズの正方形の穴が並んでいるだけで魅力的に感じるのは私だけでしょうか。リピテーションの美しさ。しかもところどころ穴を開けていないところがあって、そこがアクセントになっています。これについては自画自賛ですが、一般的に格子の美しさは疑う余地はありません。格子は日本の造形にも昔から取り入れられてきました。障子や衝立の格子。囲碁も格子です。こんな文様の美しさをもっと取り入れて、現代に甦る造形としてやってみたいと思います。                Yutaka Aihara.com
    Stollenの出回る季節
    毎年この時季のブログにStollenについて書いています。Stollenはドイツ語です。シュトレンと発音します。クリスマスの時季にベーカリーで売り出されるドライフルーツの入ったパンです。自分がヨーロッパから帰国した20年前には日本で見られることはほとんどありませんでした。横浜の都築区にある在日ドイツ人学校(ドイツ学園)のパーテイーに呼ばれた時に久しぶりに食べた記憶があります。最近はあちらこちらのベーカリーで売っていて、食べ比べができるのが嬉しい限りです。自宅の近隣のスーパーマーケットにも置いてあって、やや無骨な味わいですが、これがヨーロッパで食べたシュトレンに似て、とても美味しいと感じます。都心の高級ベーカリーのシュトレンは日本人趣向の肌理の細かい洗練された味がして、それはそれで最高に美味しいのですが、ヨーロッパ特有の田舎臭さがなくて、むしろ近隣の店で扱っている安価なシュトレンがいいと思っています。シュトレンが楽しめる季節になって、慌しい仕事の合間にホッと一息入れるのにちょうどいいと思っています。                     Yutaka Aihara.com
    現代美術が影響を及ぼす教育
    知り合いの小学校教員が図画工作の公開授業をするというので、職場にお願いして見に行かせてもらいました。授業内容は「枝と布のハーモニー」と題して、近隣の公園で集めてきた木の枝や古布を使って、6年生が立体造形を楽しむというものでした。彫刻家ナッシュの作品を彷彿とさせる取り組みで、教育の世界にも現代美術が入り込んでいるなと思いました。知り合いの教員はそうした現代美術に精通しているわけではなく、小学校特有の「造形あそび」から発展した内容をやっていたわけですが、小学生がお互いの作品を見合うだけではなく、教員がそうした海外の造形作家の作品を紹介しながら、児童の反応を見たり、鑑賞させてみるのもいいかなと思いました。現代美術が広く浸透し、一般に受け入れられるように環境を整えるのは、学校教育の役割が大きいのではないかと感じました。 Yutaka Aihara.com
    夜の制作で思うこと
    仕事を終えて自宅に帰ってから、アトリエに籠もって制作をしていると、いろいろなことを思います。仕事でやらなければならない課題があって、締め切りに追われているか、または招待状や年賀状の準備など何かあれば気持ちが動いて、何とか自宅で作業をしているのですが、日々の習慣として制作となるとなかなか定着しないのです。まず、自宅は心身を休めるところだと脳が認識していて、仕事モードにならないことが原因です。夕食を済ませて風呂に入ると、もうぼんやりと過ごしてしまって、アトリエに行こうとは思わなくなります。制作は時に苦悩することがあるので、これは昼間の公務とは違った意味で大いなる仕事です。一日の終わりの憩いの時間帯に苦悩を伴う作業はしたくないと感じるのも確かです。でも、二束の草鞋を履いている自分はここが気持ちの分かれ目で、気持ちをコントロールをしなければ創作活動は進みません。毎晩わずかの時間でも素面で陶土に向えるようにしたいと願っています。                           Yutaka Aihara.com