2007.06.08 Friday
表題の作品は、ケーテ・コルビッツの木版画です。20歳代の頃、ドイツ表現主義に魅かれたのはケーテ・コルビッツの版画や彫刻がきっかけになっています。戦争で息子を失った母が描く世界に強烈なアピールがあって、自分はたちまち表現の激しさに打たれてしまったのでした。なかでも「カール・リープクネヒト追悼」はその構図といい、表現といい、自分には忘れられない作品になってしまいました。死者に置かれた手。そのごつごつした重い手の表現を同じ木版画で真似てみたりしました。板目の木版画は平面的表現しか出来ないと思っていたところに、ざっくりした立体表現の、しかもいいようのない暗く過激なテーマをもったこの作品が現れ、さらに彫刻的な量感をもっていることもあって、当時の自分を揺さぶるには充分な要素がありました。彫刻はE・バルラッハと似ていますが、コルビッツの方が私的な動機で作られたような気がします。母子像が多いためなのかもしれません。
2007.06.07 Thursday
ドイツの第二次大戦の話ばかりブログで書いていますが、表題の本「舞台・ベルリン〜あるドイツ日記1945/48〜」は、1985年自分がウィーン生活を切り上げて帰国した頃に読んだものです。ウィーン生活がまだ生々しい時に、この本を読んだので建物の作りや部屋の様子がよく伝わり、臨場感は凄いものがありました。日記は戦争終結当時のナチスに翻弄される一般の人々を描いたもので、ゲシュタポに監視され、街が崩壊していく様子に、今まさに自分がそこに居合わせているような錯覚がおこるほどでした。平和な時代に生まれている自分が海外で暮らしたことで、そこで知り合った人々、たとえば住宅の管理人をしていたおじさんは片目がなくて、それはヒットラーのせいだと恨みを言っていたのを思い出したり、隣町のブタペストにはまだ壁に砲弾の跡が残っていたりして、今だ戦後が消えていない現状を見たからに他なりません。もう身近に戦争を語る人がいなくなっています。未来永劫自分を含めて人々が生命を脅かされることがないように祈るばかりです。
2007.06.06 Wednesday
表題の映画のDVDを借りてきました。原作の「白バラは散らず」は30年も前に読んでいて、原作を傍らに置きながらDVDを見ました。ショル兄弟がミュンヘンの大学で「白バラ通信」を撒いて、ゲシュタポに逮捕されるところから始まり、尋問、裁判、処刑にいたるまでの過程を坦々と描いています。いわば密室で繰り広げられる心理劇です。ゾフィー・ショルを演じた女優が秀逸で、思わず引き込まれてしまいました。崩れそうな気持ちを精一杯張りつめて冷静に対処するゾフィー。強く自由を望む信念。相対する裁判官の方が空回りの一人芝居になってしまう滑稽さ。言わんとすることをわかりやすく畳みかける映像はなかなか見事でした。渋い色調の中で、ゾフィーの赤いセーターが印象的で、信念を曲げないゾフィーの胸中を表しているようでした。
2007.06.05 Tuesday
少し前の新聞で最近のドイツ映画を取り上げ、ナチズムに対する実像を映像によって捉えるクオリテイの高い表現が出てきたと伝えていました。そこに「白バラの祈り」という新作映画の解説が載り、まてよ、これはひょっとして、と本棚に目をやり、30年前に読んだ「白バラは散らず」という小さい本を再び取り出しました。この本をどうして知ったかといえば、当時デザイン科の先生がドイツにあるウルム造形大学の話をしていて、この海外の大学の関係者が「白バラ」に関わっていたと何気なく言った一言でした。本を読んで知ったことは「白バラは散らず」の著者がウルム造形大学教授の奥さんで、その人の兄弟がナチズムに異を唱えて処刑されたショル兄弟だったのです。物語はウルム造形大学とは直接関わりがないにしろ、この戦争中の事実を20歳になったばかりの自分が読んで、かなり衝撃を受けたことを思い出しました。日本にもドイツと同じ過ちを犯した過去があります。日本の映画も日本軍の侵略を事実に基づいて描くことが今後できるのでしょうか。そんな問いかけをしてみたくなるノンフィクション・ストーリーです。
2007.06.04 Monday
自分が美術を専攻した学生時代から、自分の中に去来した芸術家はいずれも北方ヨーロッパであるのに気づき、自分の趣向が北方に向けられていることを改めて認識しました。A・デューラーの細密な版画、R・クラナッハの硬質な油彩、ファン・エイクの荘厳な宗教画、それと対照的なH・ボスの常軌を逸した幻想世界、その弟子にあたるP・ブリューゲルの人間社会を描いた連作、その他レンブランドやフェルメール等中世から近代にいたるまで列挙すると切りがありません。19世紀から20世紀初頭にかけても印象派よりドイツ表現主義やバウハウスに興味が移り、自分が留学するならフランスよりドイツ・オーストリアに決めていた所以があります。学生時代の一時はドイツ表現派に傾倒し模倣をしていました。彫刻科に籍があったので、ミケランジェロやロダン、ブールデル、マイヨールの圧倒的な表現力を充分承知の上で、それでもなお北方ヨーロッパの風土に魅かれていました。