Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 故・日和崎尊夫さんの思い出
    「柄澤齊展」で購入した図録に日和崎さんのことが書かれていました。柄澤さんは日和崎さんの個展を見て、それがきっかけで木口木版を始めたことを知りました。30年も前の自分の大学時代に、学内の版画展に日和崎さんがひょっこり現れて、自分の彫った大きな木版画に意見やら感想をいただきました。それから日和崎さんとの交流が始まりました。素晴らしい師匠に出会ったにも関わらず自分はとうとう木口木版はやりませんでしたが、国分寺にあった自宅兼アトリエに泊まらせていただいたことがありました。日和崎さんの仲間と一緒に山登りに出かけて、山の帰りがけに突然絵本作家の田島征三さんの家に立ち寄って夕飯をご馳走になったこともありました。日和崎さんは酒が大好きで般若心経を読んで命拾いした話などをしてくれました。今でも思い出が鮮やかに残っています。ひょんなことから日和崎さんの名前を見つけ、懐かしい気持ちになりました。
    柄澤齊展
    鎌倉にある県立近代美術館で「柄澤齊展」を開催しています。木口木版の緻密な表現で知られる作家ですが、初めてまとまった作品を見ることができました。あくまで木口木版が軸になって、モノタイプやコラージュに展開していく作風と理解しました。ただ、どれをとっても緻密さと深みを失うことがなく時間を忘れて見入ってしまうほどでした。木口木版は画面が小さく、ビュランで細い線を丹念に刻み込んでいくので、その小宇宙には神秘的な雰囲気が宿ります。とくに名のある人のポートレイトはその人となりを伝える表現が加わり、大変面白い世界を作っていました。挿絵も多く出品されていましたが、ひとつひとつが独立した作品と呼べる表現力があって凄みさえ感じさせる回顧展でした。
    プロレタリア・アート
    1980年代にウィーンに住んでいたので、まだソビエト連邦を中心とする共産圏が隣国にありました。ハンガリーや旧チェコスロバキアに出かけていくと、広場にはよく労働者や兵士を賛美する具象彫刻のモニュメントが置かれていました。腕を高々と掲げて胸をはる像ばかりで、あまり美術的には気持ちのよいものではありませんでした。学生時代に具象彫刻や版画をやっていくうち、そうしたプロレタリア・アートに間違えられたことがありました。大げさで劇画的なポーズが原因だったのだろうと思います。時代が民衆に戦争を鼓舞したり、共産主義的な思想を植えつける上で、最もわかりやすく視覚に訴えるものがプロレタリア・アートであったのなら、自分の学生時代の作品はそんな思想もなく、一体なんであったのか今でも戸惑います。内面に向かわなければいけないところを、外見の処理ばかりが気になっていた若さの露見だったのかとも思います。
    アールデコ様式
    自分の作品が具象傾向から抽象化していく過程で、歯車という具体的なイメージを使ったのは、あるいは本当の意味で抽象化と呼べるかどうかわかりません。ウィーンではアールヌーボーやアールデコ様式がよく目につきました。歯車はアールデコ様式を象徴するカタチのひとつであるとも言えます。アールデコは20世紀初頭にあって、工業化が進んだことで製品の量産が可能になり、それにより庶民生活が豊かになっていく時代に生まれた様式で、直線や円形を多用しているところに特徴があります。そうした時代のものをウィーンでは日常の中に発見できました。初期のものはウィーン工芸美術館に展示してありました。アールデコはモダニズムの旗頭となっていましたが、冷たい造形でもあり、長く人々に愛されるものではなかったように思います。世界が大きな戦争に向かう前の、ほんの一瞬訪れた洒落たモダンな時代とともにアールデコは滅んでいったのかもしれません。
    歯車の構成
    凹凸のついた歯車をよく自分のモチーフに使います。螺旋や渦巻きと違い、若い頃から自分の作品に繰り返し出てくる要素です。具象の作品から出発して、人体を離れる契機になったのが歯車の使用でした。歯車は具象としても扱えるし、都市的な構成要素もあります。ウィーン美術アカデミーでレリーフを作る時に歯車の構成を使い始め、都市的な景観をイメージしました。ウィーンの街にはアールデコ時代の建物が多く残っていて、また橋や街灯にも前時代的な美しさをもった構築物が多かったのも、歯車を使い始めた原因かもしれません。赤錆の歯車に支えられた工場とレトロなモダニズムが今の作品を生んだとも言えます。