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  • 「人と出会ってしまうから…」作品雑感
    先日、見に行った平塚市美術館で開催中の「神山明・濱田樹里展」で、注目した作品を取り上げて感想を述べたいと思います。「人と出会ってしまうから 街へ行ってはいけない 約束を忘れてしまうから 夢を見てはいけない」という長い題名がついた神山明の木材による彫刻作品が、会場入口近くに設置されていました。これは文学性や抒情性に富む遮断された世界なのか、人類の記憶とも言える壮大な世界なのか、そのどちらとも取れる要素があって私はその内省的な世界観に忽ち魅了されました。素材はオイルステインを滲み込ませた杉材で、その茶褐色の肌合いは懐かしさを感じさせるものです。全体としては無機質で抽象的な風景を作っていますが、決して硬質な印象ではなく古木を精密加工したような雰囲気を持っています。それを伝える図録の文章があります。「『宇宙基地』という明るい未来のイメージとも相反して、ある意味シニカルで心理的な『大人』のドールハウスのようである。その陰は、レンブラントやフェルメールの描くそれのようでもあり、どこか違うウエットな、日本的な陰のようである。~略~大小の台が自らの棲み処と人の集う街が象徴され、危うい橋でつながれている。」(勝山滋著)つまりこれは架空都市をイメージしたテーブル彫刻なのです。謎めいた題名は何を意味しているのか、作者の個人的な思いから紡ぎ出されたコトバなのか、定かではありません。もうひとつ、神山作品の出発がデザイン(図学)にあったことが、自分の作品との比較で判ったような気がしています。それはエスキース段階での設計が可能かどうかによるものかなぁと思っていますが、断言はできません。神山作品を見て、自分のことをあれこれ考え、様々な思いが頭を過ったことだけは確かです。
    平塚の「片岡球子 面構展」
    日本画家片岡球子は豪快な作風で知られた巨匠です。享年103歳の大往生を羨ましく思っています。自分もその年齢まで創作活動が出来たらいいなぁと思います。先日出かけた平塚市美術館で「片岡球子 面構展」を開催していたので見てきました。自分にはどれも見慣れた作品でしたが、1961年作「幻想」を見て、改めて絢爛たる迫力を感じました。図録には「画面右の人物は、端麗な容姿を隠し、獰猛な面を付けて戦に臨んだという『蘭陵王』をあらわすもので、龍の面と勇壮な装束で描かれている。左は舞曲『環城楽』の舞人であり、奇怪な面を付け、右手にバチを握っている。『環城楽』は『見蛇楽』から転じたものといい、一説によると、蛇を好んで食べる西域の人が、蛇を見つけ喜ぶさまをあらわしている。」とありました。宮内庁楽部に通ってスケッチをした作家の思いが伝わる秀作だろうと思います。「面構シリーズ」は歴史上の人物の相貌の面白さもさることながら、服装の文様が美しいと私は思っていて、画面に引き込まれる要素になっています。型に嵌らないのが片岡球子流ですが、創作でクヨクヨ悩んだ時に見ると、ハッとする潔さを持っているため、自分には有効な刺激剤になるのです。片岡球子は教職との二足の草鞋生活を送ったことも知られています。「面構シリーズ」が始まったのが61歳、まさに現在の私の年齢です。ここから始まった代表作のシリーズとなれば、私にだって今後の展開があってもいいはずです。「片岡球子 面構展」は元気がもらえた展覧会でした。
    平塚の「神山明・濱田樹里展」
    先日、平塚市美術館で開催している「神山明・濱田樹里展」を見てきました。前のNOTE(ブログ)に書きましたが、既に逝去された彫刻家神山明の杉材を使った作品に、私は言いしれぬ思い入れを抱いています。木材が時代を経て古くなっていくことに私たちは懐かしさを感じます。架空都市のような舞台装置のような造形が、あたかも古代遺跡のように存在している彫刻群に囲まれていると、木材による不思議な温もりを感じずにはいられません。図録にこんな一文がありました。「神山芸術は、当初作品に自分自身や個々の人間を込め、後年は究極的に人と人の関係性や記憶を想起させるものへと昇華していったといえるであろう。こうして神山は、自らの作品が西洋的な彫刻の視点でみられることを是としながらも、その向こうにある、関係した記憶や人によって異なる物語ーそこへいくための装置なのだと結論付けるにいたる。」(勝山滋著)神山ワールドについては、後日もう一度取り上げたいと思っています。もうひとりの芸術家濱田樹里は、内省的な神山明とは正反対の表現を携えた画家なのではないかと思いました。壁を覆う巨大な横長の画面に、縦横に色彩が放出され、その爆発的なパワーはどこからくるのだろうと思わせる表現で、観る人を圧倒する力を秘めていました。インドネシア生まれの経歴を持つことがこの作家の方向性を決めていると、彼女の経歴を見て思いました。図録に平塚美術館の館長との対談が掲載されていて、本人の言葉がそれを物語っていました。「私の場合、東南アジアで生まれ育ち、ふたつの国を行き来した時期がありました。その事が自分のルーツを考えるきっかけになったのだと思います。美術の道に進んだ時に、日本の風土のなかで生まれた絵画的な技術とアジアの中の日本的な感性を持った自分のルーツが重なり合うことで将来のテーマになる予感がしました。」(濱田樹里の言葉)2人の造形作家の表現の相違と、それによる化学反応がお互いの存在感を高めていると感じ、この企画は刺激的で面白いなぁと思いました。
    16’RECORD10月・11月・12月分アップ
    今月の3日(金)にカメラマン2人が工房に来て、RECORD1年間分の撮影をしていきました。一日1点ずつ制作をしているRECORDはポストカード大の平面作品で、日々の蓄積をひとつの表現としているところがあります。作品にRECORD(記録)という総称をつけているのもそのためです。日記のように小さな作品を毎晩作り続けること、習慣としてやっていく行為、自己イメージの拡大を図る挑戦、病に倒れている時も旅行に出ている時も日々制作を行うノルマを自分に課すこと、これがRECORDの本領です。もう10年もそうして継続していますが、ゴールは敢えて作りません。今のところRECORDの発表はホームページに限られていて、オリジナル作品の展示は考えていません。しかしながらこの10年分の展示が出来たら、どんな感じになるのだろうと思いを巡らせています。今回ホームページのRECORDのページに2016年の10月から12月までの3か月分をアップいたしました。2016年はひらがな4文字を使ったテーマでやっていました。それぞれ月毎の作品の最後にコトバをつけています。コトバは解説ではありません。私としては詩のようなコトバを搾り出しているのですが、どうでしょうか。RECORDのページを見るには左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉が表示されますので、RECORDをクリックしていただければ、そのページに入れます。ご高覧いただければ幸いです。
    11月RECORDは「ひねる」
    今年はひらがな3文字を月々のテーマにしています。テーマの考案が難しいなぁと思っていましたが、今年も残すところ2か月になりました。RECORDは一日1点ずつ制作していく小さな平面作品です。文字通り作品は、その日のRECORD(記録)というわけです。週末は陶彫制作に明け暮れ、また展覧会に頻繁に通っているので、その思いだけで胸一杯になり、ウィークディの夜のRECORD制作が気分的に厳しい状態です。下書きだけは睡魔と闘いながら必死でやっていますが、その下書きさえ何を描こうとしたのか判明しない日もあります。展覧会で見た作品に刺激を受けて、こんなものをRECORDで試してみようと思っても、なかなか実験が出来ず、定番なスケッチになってしまうこともあります。今月のテーマとした「ひねる」は、過去のRECORDで度々登場するテーマで、新鮮味に欠けるかなぁと思っているところです。それでも捻った状況の対象や非対象を表現したいと考えていて、イメージを巡らせています。10年もRECORDをやっていて、イメージの枯渇を常に怖れていますが、時折定番の絵柄や全体的に緩慢になることがあっても、忘れた頃にふと良いものが出来て満足してしまうことがあります。それはどういう瞬間なのか、自分でも解明できません。創作は力んでも慣れでやってもうまくいかず、作るというより何かが生まれてくる感覚です。その日の体調もあるのかもしれません。しかしながら体調不良と自分で感じていても、絵筆を握ると不思議とうまくいくことがあります。創作を制御できないのが本音です。そんな気難しくて面白いものが他にあるでしょうか。今月も何かを探りながら頑張っていきたいと思います。