Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 10月になりました。
    10月になりました。今月の制作目標は後日書くとして、今日は新作の陶彫部品が次の段階に進みました。新作では大きなテーブル彫刻を作ります。テーブルの下に陶彫部品が吊り下がりますが、それは既に出来上がっています。テーブルから吊り下がる陶彫部品と床から立ち上がる陶彫部品があって、そこをどう繋いでいくかがこの作品のポイントになります。床から立ち上がる陶彫部品の一番下に設置する6個の部品は、成形と彫り込み加飾が終わっていて乾燥を待っている状態です。6個の部品から4本の陶彫の根を床に這わせようと思っていて、次の段階というのはその根の部分を作ることです。昨日まで作っていた6個の部品に比べれば、やや小さな部品になりますが、成形にかかる難易度や手間はなかなかのもので、今日は早朝から取り組んで、午後2時になって漸く1個目の成形が終わりました。彫り込み加飾はまたウィークディの夜になりそうです。根は一本につき4個の陶彫部品を連結する予定なので、4本の根を作るのには16個の部品が必要になってきます。今月はそれをどこまで作るのか、目標を立てる際に考えていきたいと思います。今日の午後は、工房に出入りしているスタッフの一人が多摩美術大学アートテーク・ギャラリーで開催している「ポガティブ」展に出品しているので、もう一人のスタッフを連れて見てきました。工房から車で1時間10分で、同大八王子キャンパスに到着、最近出来上がったばかりの新校舎の1階にあるギャラリーに向かいました。ギャラリーは広々とした美しい空間で、それぞれの作品が映えていました。彼女の作品は音響を視覚化した微細な空間を獲得していて、今までの染めの作品の発展形とも言える新作でした。まだまだ伸びしろがある若いアーティストをこれからも応援していきたいと思っています。日曜日でほとんどの校舎は閉まっていましたが、彫刻棟のあたりを散策しました。石材や木材が積んである工房を見て回ると、自分は意欲が湧いてくるのです。いい刺激をもらえた一日でした。
    週末 9月を振り返って…
    週末になり、朝から工房に篭りました。9月の制作目標であった大きな陶彫部品は、6個とも成形や彫り込み加飾まで到達しました。陶彫は窯に入れて焼成してみないと完成とは言えないのですが、何はさておき制作目標が達成したことを喜びたいと思います。次はその大きな陶彫部品に接続する一回り小さな陶彫部品を作らなければならず、来月の制作目標にしていこうと思っています。今日の工房での作業は、6個目の陶彫部品の彫り込み加飾の仕上げと、次の陶彫制作に備えての土練りやタタラ作りを行いました。秋になり工房の窓から涼しい風が入ってきて、心地よい中で作業をしていました。今月は週末だけではなくウィークディの夜にも頻繁に工房に出かけ、彫り込み加飾をやりました。週末は職員の結婚式に呼ばれて福島県に出かけたり、地域行事があったりして、全てを制作に充てられたわけではありませんが、それでも時間を有効に使って目標とするところまで辿り着けたのではないかと思っています。RECORDは再び厳しい状況になりました。一日1点のノルマはやはり大変で、今も下書きだけが日々終わっていて、少しずつ制作途中の作品が山積みされています。来月は早いうちにこれを解消していきたいと思います。ウィークディに工房に行ってしまうと、自宅に帰った途端に睡魔に襲われて、RECORD制作に支障が出てしまうのです。どうもひと昔前の自分と今の自分は疲労度が違っているように思えます。鑑賞は充実した1ヶ月だったように思っています。美術館は「アルチンボルド展」(国立西洋美術館)、「ベルギー奇想の系譜」展(Bunkamuraザ・ミュージアム)その他に「二科展」(国立新美術館)や知人・友人が出品していた個展やグループ展にも足を運びました。映画は「少女ファニーと運命の旅」「ウィッチ」「パリオペラ座 夢を継ぐ者たち」(全てシネマジャック&ベティ)の3本を観てきました。読書は故赤瀬川原平の初期の頃の著作集を楽しく読んでいるところですが、青年時代の原平氏は少々理屈っぽい人だったのかもしれません。こうして書いていくと今月は結構頑張っていたなぁと思います。秋が深まる来月は制作や鑑賞にさらに精を出そうと思っています。
    映画「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」雑感
    常連になっている横浜のミニシアターには遅い時間帯に上映するレイトショーがあって、私は仕事から帰った後でミニシアターに行くことがあります。自宅から車で出直し、ミニシアター近くの駐車場に車を入れて、チケットを購入した後、レストランで夕食を取るのが習慣となっています。家内と一緒の時もあれば、一人の時もあります。「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」は家内と一緒に観に行きました。バレエに従事するダンサーやコーチ、振付家や芸術監督がそれぞれの立場で真摯に取り組み、映画全般を通してドキュメンタリーならではの鬼気迫る雰囲気がありました。エトワールとして選抜された上に立ち、それでも理想に近づけない葛藤があり、日々自己を追い込んでいくダンサーの姿勢は素晴らしいと感じました。稽古場に張り詰めた空気感は、彫刻制作にも通じるものがあり、精神的な意味で勉強になりました。パリ・オペラ座バレエ団は1661年のルイ14世の勅命によって創立され、ロシアから亡命した伝説のダンサーR・ルドルフが芸術監督を務めた時代がありました。この時に難解な技術と心理的解釈が取り入れられ、現在も踊り継がれているようです。現代的な音響や動きも取り入れられて、今やバレエはコンテンポラリーアートになっていると思いました。嘗て私がウィーンに住んでいた頃に国立歌劇場で初めてバレエを観て感激したことを思い出しました。その時はロシア・バレエ団が客演をしていましたが、身体が宙を舞う超絶技巧に時間が経つのを忘れました。映画「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」もあっという間に上映が終わった感じがしました。躍動する身体をずっと注視することにより、身体言語と言うべきか、私たち鑑賞者はダンサーの腕の角度や手の先のちょっとした動作に、訴えたい主張や表現を感じるようになります。滑らかに移動する身体は瞬時に変化し、ドラマ性をもつようになるのです。この映画でひとつ気になったことは、ダンサー各人がトゥシューズを自分で管理していたシーンでした。足首や足がバレエには重要な要素です。夢を継ぐために妙に現実的な仕草が印象的でした。
    「オブジェを持った無産者」を読み始める
    本書「オブジェを持った無産者」(赤瀬川原平著 河出書房新社)は、1970年に現代思潮社より刊行された書籍で、2015年になって河出書房新社から再刊されたものです。私は今年の6月に出張で京都に行った折に、立ち寄った書店で見つけ、装丁が気に入って購入しました。故赤瀬川原平の造形から文書に至る多くの作品は、私に刺激を与え続けてきましたが、本書の中心的な話題は1966年にあった「千円札裁判」で、当時小学生だった私は、この前衛芸術が法的な裁きを受ける現場にも立ち会っていなかったし、事件すら知らなかったのでした。ずっと後になって美術家の道を志した私は、大学の先輩にこんな人がいて、初期の頃に芸術作品をもって検察に立ち向かった前衛作家の果敢な行為を知り、その作品を理解すればするほど魅力に抗えないようになりました。確か千葉で開催された回顧展の最中にご本人が逝去されたのではないかと記憶しています。赤瀬川原平の著作は自宅の書棚に数冊ありますが、「オブジェを持った無産者」は著述家赤瀬川原平としての出発点だったようです。日本に反芸術運動が起こって社会問題になった時代は、乗り遅れた世代の私には少々羨ましい時代でもありました。破壊と創造が解り易いカタチで眼前に広がる光景を見てみたかったなぁと今でも思っています。本書を読んで、少しでもその時代の空気に触れられたら幸いと思っています。本書を数頁捲ってみると、結構難解な箇所が目につきます。著述家赤瀬川原平の先鋭的な思想が表れた瑞々しいものではないかと想像するところですが、通勤の友にしていこうと思います。
    「スーラとシェレ」読後感
    8月はまったく読書をしなかったため、今日取り上げる「スーラとシェレ」(セゴレーヌ・ルメン著 吉田紀子訳 三元社)は7月25日から読み始めて、9月も終わりに近づく今になって漸く読み終わった次第です。遅読甚だしき言い訳として、「奇想の系譜」と「マルセル・デュシャン全著作」も同時に読んでいて、三つ巴の乱読があったためですが、この若い頃から続く私の癖はそろそろ止めようと思っているところです。「スーラとシェレ」は19世紀から20世紀に至る美術史の動向の中で、従来の絵画とポスターに代表される大衆美術との関わりを論考したもので、面白く読ませていただきました。著者ルメンに関して訳者が寄せている文章を引用すると「ルメンの研究に通底する手法を一言で述べるならば、未公開の資料として、これまで検証対象として扱われることの少なかった十九世紀フランスのポピュラー・イメージを貪欲に掘り起こして調査し、そうした実証的な手続きによる事実解明を、最新の文化研究の理論と対峙させるというものである。~略~モダニズムが等閑に付してきた、十九世紀の”純粋芸術”と”大衆芸術”との間で交わされたダイナミックなイメージの乗り入れを解き明かす作業が、この時期、美術史の新たな課題として浮上したのである。」とありました。ジョルジュ・スーラは新印象派の画家で、点描を考案したことはあまりにも有名です。ジュール・シェレはサーカスのポスターを数多く手がけたイラストレーターで、作品が大衆に迎合した媒体であったため忘却の一途を辿りましたが、シェレの視覚表現に斬新さを感じ、その要素をスーラが絵画に取り入れていたことは、私も知りませんでした。パフォーマンスの代表でもあったサーカスを通じて、2人の芸術家が結びついていた事実に、絵画表現を革新する動きは、思わぬところから始まっていくことを知った著作でした。