Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 川越散策の一日
    今日は職場で年休をいただきました。創作活動も休みました。関東各地から桜満開の便りが届いていることがあって、家内と久しぶりにドライブに出かけました。ウィークディは公務員管理職の仕事があり、とりわけ最近は人事に振り回されていました。週末は陶彫制作に明け暮れていて、創作活動が佳境を迎えています。暇が出来れば、美術館や映画館に通い、鑑賞を決めこんでいました。それらも実益と趣味が一致するものとして充分楽しいと感じていましたが、全てから解放されて自由に過ごすことはありませんでした。今日は身も心も完全にオフにして散策を楽しみました。行った先は埼玉県川越。以前に家内が友人たちと出かけて楽しかったと言っていたのを思い出し、日帰りドライブとしてちょうどいい距離なので、横浜から第三京浜に乗り、東京の環状八号線を経て関越道に入りました。横浜から2時間程度で川越に到着しました。川越も川岸の桜が満開で実に見事でした。蔵造りの町並みや菓子屋横丁をブラブラと歩き、店を覗いたり冷かしたりしました。その中で山崎美術館や旧山崎家別邸が印象に残りました。画家橋本雅邦の後ろ盾としての財閥が残したものは貴重な資料になっていると思いました。川越まつり会館では、川越氷川祭の巨大な山車を見ることが出来ました。山車は精巧に作られていて、一番上にはさまざまな衣裳を身につけた人形がいました。山車を引くのは素人ではなく、とび職人だとも聞きました。ユネスコ無形文化遺産という看板があって、それを継承していくパワーを感じることが出来ました。最近ではどこでも外国人観光客が大勢いて、川越では芋菓子を食べ歩いている姿をよく見かけました。中近東の民族衣装を着たグループは、どこの国から来た人たちなのでしょう。彼らが菓子屋横丁の煎餅屋に入っていたのは不思議な光景でした。川越は江戸時代以来の町並みの保存と観光化に着手し、ウィークディの今日も多くの人が訪れていました。〇〇らしさを謳っていくのはとても良いと思っています。今日は観光に徹した楽しい時間を過ごたつもりでしたが、つい美術館やら文化会館に入ってしまうのは、私の癖なのかもしれません。
    映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」雑感
    画家ピカソやモディリアーニはアフリカ彫刻を見て、その始原的な美に感動し、それが契機になって現代美術の扉を開けました。ゴーギャンも生命力溢れる美を探求するため、タヒチに出かけました。タヒチでの生活はどうだったのか、ゴーギャン自ら綴った「ノア・ノア」という書籍があって、本作はその著書をベースに映画化されたようです。「ノア・ノア」は私も読みました。事実の記録というより、作者の幻想的な思いが入っていて、それはそれで面白い内容でしたが、映画はさらにフィクションを加えていました。美しい少女妻テフラを娶ったゴーギャンは、妻を若者に寝取られる妄想に駆られるシーンがあり、実際にも夫婦生活における西欧とのモラルの違いが描かれていましたが、「ノア・ノア」にそんな嫉妬の描写はなかったように思います。映画の中で私が刺激を受けたのは、ゴーギャンの素朴なアトリエと、テフラを熱心に油絵で描いている画家の姿でした。主役のV・カッセルがゴーギャンに似ていたこと、これは演技でも言えることですが、ゴーギャンを理解し、彼と一体化を図ることで、俳優が孤高で独特な芸術家に成りきれたのではないかと思いました。褐色の肌をした美しい妻テフラは、風貌に光が射して瑞々しく輝くシーンが何度もありました。テフラを演じた女優の訥々とした仕草にも惹かれました。当時タヒチはフランスの植民地で、西欧の宗教や文明が入ることで、独自の文化が失われてしまう危うさも描かれていました。ゴーギャンの自己中心的な生きざまは、美術史に名を刻んだ芸術家という痕跡を残したからこそ、多くの人が認めることになりましたが、そうでなかったらと想定すると、私個人としては複雑な思いに駆られます。最近の偉人を扱った映画は、単なる英雄伝に終わらない要素があって、何か言い尽くせないものを自分に投げかけてくるように感じます。芸術家の迷惑千万な生き方は、時の流れに迎合しないばかりか、関係者を不幸に陥れる結果になるからです。
    週末 春爛漫な工房より
    いよいよ本格的な春が到来し、好天に恵まれた今日は花見に出かける人が多かったのではないかと思います。工房はストーブが要らなくなりました。久しぶりに窓を開けて外の空気を入れました。私は花粉症ですが、投薬をしているため症状は抑えられています。今日は朝から工房に出かけ、制作三昧な一日を過ごしました。陶彫成形は、大きなテーブル彫刻の床置きになる部品を作っていて、2段目の最後の作品が漸く出来ました。彫り込み加飾はまだこれからですが、午前中はがむしゃらに作っていました。昼ごろに近隣のスポーツ施設に出かけ、水中歩行と水泳をやってきました。だいぶ身体が楽に動くようになって、水中にいることが楽しくなってきました。午後は工房に戻って土練りをやりました。毎回40キロの陶土を土錬機で混ぜ合わせ、菊練りをして保管します。私は制作サイクルと名付けていますが、陶彫の制作工程がスムーズにいくように順番を決めているのです。まるでウィークディの勤務のように習慣として制作を進めていくことを私は好みます。職人的な仕事があった方が、精神的に落ち着くのです。全体の構成を確かめる時は、気分的に骨が折れます。そこが芸術家の由縁たるところなのです。ともあれ工房内の温度が上がって、身体が動き易くなったのは幸いです。工房は植木畑にあるので、窓から見える木々が春を謳歌している様がよく見えています。花々が咲き乱れているのを見ると、私はモチベーションが上がります。私のヴァイオリズムは春から上昇するのではないかと思うところです。職場は来月から新体制となり、多忙を極めます。せめて今月の最終週くらいは、勤務を減らして工房に通いたいと思っています。せっかく春爛漫な畑の中に建つ工房にいるのですから、周囲を楽しみながら制作を進めていきたいと思っています。
    週末 またしても土曜名画座へ
    週末になりました。朝から工房で制作をしていました。今月初めに立てた制作目標がなかなか厳しくて、ともかくひたすら作り続けなければならない状況に自分を追い込んでしまっています。大きめのタタラを6枚作り、明日の陶彫成形に備えました。次に乾燥が進んだ大きな陶彫部品にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。焼成のために窯詰めを行いましたが、今日化粧を掛けた陶彫部品にかなり重量があるため、窯に入れるときに難儀しました。今日はスタッフが来ていないので、全て一人で行いました。真夏なら汗が滴っていたでしょう。窯入れだけで疲れてしまいました。ウィークディの疲労も多少残っていたので、今日はこのくらいにして工房を後にしました。夕方になって家内が演奏から帰ってきたので、横浜の中心部にある常連のミニシアターに、家内と映画を観に出かけました。またしても土曜名画座です。上映されていたのは「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」でした。最近、画家や彫刻家を扱った映画が多いと感じます。確かに美術史に名を刻んだ芸術家たちは、エピソードが多く過激な生涯を送っている人も少なくありません。共通しているのは、己の意志を強引に通したため、周囲の善意ある人々に相当な迷惑をかけていることです。社会人として、こうした行為はどうなんだろうと思いつつ、そうしなければ達成できなかった個人目標があったのは事実です。畢竟するに生きている間は苦悩や苦労が耐えなくて、亡くなってから認められるケースになり、家内に言わせれば、割の合わない人生だということになるのです。ゴーギャンも現在の評価を知ることなく世を去っています。映画では19世紀のパリに失望し、南国タヒチに楽園を求めて旅立ったゴーギャンでしたが、モチーフは得られたものの、そこでの生活は素朴さゆえに芸術家を満足させる高尚なものはなく、やがて貧困に喘いでしまう内容になっていました。楽園は現実の中ではどこにもないと、私も思うところですが、ゴーギャンが13歳の美しい少女を娶ってからは、楽園は彼女の中に存在するのではないかと思い始め、次々と生涯の代表作となる絵画が生まれていったことが印象的でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。
    麻婆豆腐丼&中華スープ
    私はこの職場に赴任して以来、大鍋コミュニケーションをやってきました。全職員で食事を共にすることで円滑なコミュニケーションが図れると判断して、メニューと材料は私が受け持ってきました。食事は全職員の口に入るものなので、生ものは扱わないというのが私の方針です。職場では全職員が一堂に会する機会は何回かあります。通常はデリバリーで弁当を注文していて、私が汁物を添えるだけにしていましたが、今回は全て私が調理することにしました。今まで豚汁、ケンチン汁、ほうとう、汁粉、ビーフシチュー、カレー等を作ってきましたが、今日は麻婆豆腐丼&中華スープを作りました。麻婆豆腐と炊飯とスープ、このメニューを通常の勤務をしながら自分一人で作るには無理があるので、職員何人かに声掛けをして手伝ってもらいました。麻婆豆腐のレシピは職員の一人から教えてもらいました。昨晩は買い出しに出かけ、今日は朝から数人の職員と調理をしていました。災害時の炊き出しのような塩梅で、ガッツリ取り組みました。我ながら美味しい麻婆豆腐が出来たのではないかと思いました。平成29年度も残すところあと1週間になりました。