2018.03.22 Thursday
今朝、職場に届いていた朝日新聞の小欄が目に留まりました。生物学者の福岡伸一氏の寄稿によるもので、確か以前にも福岡氏の文章をNOTE(ブログ)に取り上げた記憶があります。内容は思春期の子どもたちのことについて書かれたものでした。文中から引用いたします。「大人はたいへんだ。生計を立て、パートナーを探し、敵を警戒し、縄張りを守らねばならない。対して子どもにだけ許されていることは?遊びである。闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、現実より空想。それが子どもの特権である。」人間は成熟期が他の生物よりも長いのは、遊びにより脳を鍛え、知恵をつけるためというのが福岡氏の仮説です。これは私も同感です。子どもから大人へ変わっていく過程には、個人差があって、なかなか現実を捉えられない子が、夢のような将来を描いている場合があります。アニメーターになりたい、声優になりたい、それはそれで結構なことですが、厳しい現実に到底立ち向かえそうにない彼らを見ていると、芸術を追いかけてきた私ですら心配になります。また、家庭環境によって満足に子ども時代を送れなかった子どももいます。彼らを見ていると、さらに心配の種が尽きません。年齢とともにきちんと大人になっていく子どもは幸福です。多少歪んでいても、子どもらしい時代を過ごしていれば、思春期に軌道修正できると思うのです。児童文学者石井桃子のこんなコトバで小欄が締めくくられていました。「子どもたちよ 子ども時代をしっかりと たのしんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の『あなた』です」
2018.03.21 Wednesday
ウィークディの真ん中に休日があるのは、創作活動をする上で大変助かります。とりわけ陶彫は乾燥具合を見て作業を進めていくので、水曜日はタイミングとしては最高です。今日は朝から雪が降っていました。春分の日なのに積もっていく雪を見ながら、寒の戻りとも言うべき極寒の中で、朝7時から工房に篭りました。作業中、何度もストーブの許へ寄り、悴む手を暖めました。昼までに窯入れが出来るように仕上げや化粧掛けを行いました。先日、成形した陶彫部品に彫り込み加飾も施しました。予定した通り、昼に窯入れを行い、焼成を始めることが出来てホッとしました。午後は、工房に出入りしている若いスタッフのグループ展が今日オープンするので見に行きました。東京下北沢の小さなスペースを借りて、美大ビジュアルデザイン科1年生4人による平面作品の展示でした。今風のアニメキャラ的なものばかりが並び、彼女たちにとってみれば初めての展覧会で、何となく学園祭の延長のような印象を受けました。今後どんな展開があるのか分からないほど若く幼いグループ展だなぁと思いました。私にもそんな経験があって当時を思い出しました。私は小奇麗なイラストではなく、牛を彫った下手な木版画を出して悦に入っていたら、池田宗弘先生からガツンと言われて凹んでしまったことを覚えています。今日はせっかく下北沢まで出てきたので、渋谷まで足を伸ばしました。タワーレコード店に行って、「小室等アルバム」を手に入れようとしましたが、最近発売になった「プロテストソング2」はありませんでした。昨今は便利なネットで注文すればいいことですが、私は店頭に並んでいる商品を手に取って購入したいと考えているのです。とりわけ書籍とCDはアナログな購入方法に拘っています。毎晩RECORDと称する小さな平面作品を作っていますが、その制作中に聴く音楽には、創作活動を始めた20代の頃の自分の原点を取り戻すために、当時の和製フォークソングを繰り返しデッキでかけています。よくもまぁ、飽きもせずと思われがちですが、さすがにカセットテープになったモノを40年も聴いていると、相当痛んでしまっているのです。そこでCDに買い換えていく計画があるのですが、製造を止めてしまったモノがあって、マニアックなものはなかなか見つからないのです。今日はさまざまなバリエーションの「小室等アルバム」を4枚購入してきました。これで暫くはRECORD制作に弾みがつきそうです。午後の散策は雪が霙に変わっていましたが、心は満足をしていました。
2018.03.20 Tuesday
職場で読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、著者がフランスの現象学者であることで、本書も専門の立場に依拠して述べられています。現象学に興味がある自分は、著者がカンディンスキーの提唱する理論をどう捉えているのか、そこを読み解こうとしています。ざっくり言えば、写実も含めて全ての絵画は抽象絵画に包摂されると、著者は主張しているようです。単元ごとに分類されて、そのつど抽象の概念を提示して考察を加えています。今回は「純粋な絵画フォルム」についての考察がありました。内容を追って文章を取り上げていくと「あらゆる知覚は原則的にみて実践的ー実用的である。」とありました。日常私たちが目にする色彩やフォルムは、何らかの用途があって、とりわけ色彩やフォルムだけを意識することがないという意味です。「絵画とは反ー知覚である。」色彩だけが、またフォルムだけが用途から離れて純粋に意義を持つ、これが抽象絵画であると著者は述べています。ここで従来の写実絵画との色彩における関係性を取り上げています。「色は熱狂的な肉体性の中で輝き、限りない潜在能力にあふれているように見えるのに、どうしてなじみのない写実性に従属し、功利的な知覚の平凡な世界を相変わらず表わすことに甘んじているのだろうか。」またフォルムに関してはこんな一文もあります。「通常の知覚の対象となるフォルムだけが写実主義絵画の中で地位を得ている。ありとあらゆる無数のフォルム、精神が思いのまま想像し得るかぎりのフォルムは、あの潜在する無数のものを徐々に見つけて行くことだけしか念頭にないので、写実主義絵画から排除されている。まさしくあの無数のものを抽象絵画は呼び起こして解き放ち、そのようにしてわれわれの世界から離れ、まったく新しいフォルムの世界を開拓し、形象表現的な構成の方法を増やして行くのである。」
2018.03.19 Monday
今晩9時にNHK BSプレミアムで「よみがえる!太陽の塔」をやっていました。2時間に及ぶTV番組でしたが、あっと言う間に見終わった感じがしました。大阪万国博覧会は、自分が中学生の時に開催され、家族で数回にわたって出かけました。こうした国際規模の博覧会は今でこそ珍しくなくなりましたが、当時は眼を見張るほど素晴らしい印象がありました。ただ人混みに圧倒されて、中学生の体力を持っていても疲労困憊した思い出があります。「人類の進歩と調和」というテーマでしたが、近未来都市は疲れるんだと思っていました。会場中心のテーマ館にあったモダンな屋根を貫く太陽の塔。芸術家岡本太郎の作品でしたが、内心あまり好きなデザインではないなぁと思いつつ、内部に入ると「生命の樹」に吊るされた、太古の生物を模した造形が強烈な印象を残しました。50年近く前になるのに、おどろおどろしい雰囲気は今も脳裏に焼きついています。一昨年に大阪府で、その再生計画が持ち上がり、太陽の塔の耐震改修工事とともに、若い造形作家や職人によって内部を修復、または新たに作り直すことにしたようです。番組はその制作過程を追っていて、私は興味津々でした。番組の中で紹介された岡本太郎の縄文土器に対する美術的な視点や、日本人の美意識のルーツを探す旅は大変面白いもので、岡本太郎が縄文土器の美を発見しなければ、私の発掘シリーズもどうなっていたのか分かりません。私も岡本太郎の著した縄文土器論を愛読した一人なのです。番組の後半で取上げられていた「地底の太陽」の半立体化した作品は美しいと感じました。現代はそこにプロジェクション・マッピングをやっているのを番組で知って私も見に行きたくなりました。調べてみると予約でいっぱいだそうですが、10代の私が圧倒された展示空間にもう一度立ちたいものです。
2018.03.18 Sunday
今日はずっと工房に篭って制作三昧というわけにはいかず、墓参りやら休日出勤もありました。それでも今日の制作ノルマを終わらせるために早朝7時に工房に出かけました。昨日作っておいた大きなタタラの乾燥具合を確かめながら、立体に立ち上げました。どんな用事があっても今日のうちに陶彫成形をやらねばならず、若いスタッフが来る前に、ほぼ成形を終わらせていました。昨日も蓄積された疲労に打ち克って制作を進めていました。今日も同じでした。職場での人事のことと、工房での制作のことしか頭にない自分は、夜になって家内と一緒にテレビを見たり、お茶を飲むこともせず、何か自分の殻に閉じ篭っているような気分です。一日1点ずつ制作を課しているRECORDは、こんな時ほどきちんとやっていて、きっと創作の霊に憑かれたのではないかと感じている昨今です。人間らしい感情のムラも行動のムダもないのは、自分が理想とする好ましい姿のはずですが、ゼンマイをきっちり巻いた精神状態になっていて、そのうち弾けて一気に元通りになるのではないかと想像しています。元々自分は怠け者のはずが、休みたくない気分に支配されているのが怪しいなぁと思っています。近所の菩提寺に行って、先祖の墓でも掃除してくれば、多少のんびりできるかなぁと思っていたのでしたが、そうはならず、そのまま職場に出かけました。職場で用事を済ませて工房に戻りました。水曜日が休日なので、今日やり残した制作は水曜日に回すことにしました。それがあったため今日は早めに工房を後にしました。