2017.11.12 Sunday
今日のタイトルに「土錬機の試運転」と書きましたが、実際に試運転をしたのは1時間半程度で、今日の作業のほとんどは陶彫部品の仕上げと化粧掛けに費やしました。土錬機のモーターに不具合が出て、新しい土錬機を注文したのが先月でした。滋賀県の信楽町から届くのは、もう少し先のことだと思っていましたが、昨日工房に搬送されてきました。今月は既に予定を変更して、乾燥した陶彫部品の仕上げと化粧掛け、そして窯入れを計画しているのです。今日も予定した通りの作業を進めていました。新しい土錬機が届いたので、どうしても試運転がしたくなり、急遽土練りをしてみました。20数年前に購入した古い土錬機と同じ品番の土錬機でしたが、家電と同じく使い易さを追求している会社の姿勢があるらしく、新しい土錬機は使い勝手の良いものになっていました。土錬機の上面の陶土を入れる口が広くなっていて、大き目の塊を放り込むことが可能でした。筒内で回転するプロペラも良好で、完全に混ざり合った状態の陶土が出てくるので、複種の陶土を割合を決めて混ぜていた自分にとって、気を使わず速やかに混合土が出来て楽しくなりました。午後の時間を充てていた自分は拍子抜けをするほど作業が早く終わりました。今日は朝から陶彫部品の仕上げと化粧掛けに時間をかけていて、夕方にそれを窯に入れる準備をしていました。昼に近くのスポーツ施設に行って水中歩行を1時間程度やってきました。先週から再開したプールですが、今日はビート版を使ったキックを取り入れました。まだ泳げるところまではいきませんが、少しずつ水泳の感覚を取り戻そうと思っています。午後の土錬機の試運転は思った以上にうまくいったので、今日は早めに自宅に帰ってきました。今後の制作目標をどうしようか、土錬機がきたので成形をやっていこうか考えました。次は陶土が足りなくなっていることが分かり、栃木県の益子町に注文しなければならないなぁと思いました。
2017.11.11 Saturday
週末になりました。今月に入って週末ごとに展覧会に足を運んでいます。今日は特別な思い入れがあって、家内を連れて平塚市美術館に行ってきました。朝9時に自宅を出て、車で東名高速と圏央道を通って1時間弱で平塚市美術館に到着しました。思い入れと言うのは「神山明・濱田樹里展」に出品されていた神山ワールドに接するためで、私は過去2回ほど神山明氏の木による彫刻を見ています。船の甲板のような台座に都市を模した装置が広がる世界は、忽ち私を虜にしたのでした。失礼ながら私は神山氏を年下と思い込んでいて、もし作家本人と会える機会があれば話がしたいなぁと思っていました。自分は陶彫によって架空都市を作っているので、身勝手ながら神山氏を意識していたのでした。大きな企画展に招待されている神山氏を羨ましいとさえ思っていました。展覧会を見て、彼は私より3歳年上で、しかも5年前に逝去されていることを知って、声が出ないほど衝撃を受けました。享年59歳は彫刻家としては若すぎます。今後の展開に期待していたのに残念でなりません。そんな複雑な思いが交差する中で「神山明・濱田樹里展」をじっくり見てきました。隣の部屋では「片岡球子 面構展」を開催していたので、併せてこれも見てきました。展覧会の詳しい感想は後日改めます。午後、工房に帰ってくると、業者が新しい土錬機を携えてやってきました。土錬機は重量があるので、数人がかりで工房に運び込んできました。ついでに古い土錬機を引き取ってもらいました。土錬機が早めに工房に来たおかげで、また陶彫成形が始められそうです。明日は乾燥した部品の仕上げと化粧掛けをした後で、土錬機の試運転をしようと思っています。
2017.11.10 Friday
先日、渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで「オットー・ネーベル展」を見てきました。ネーベルは私には馴染みがない画家でしたが、彼が生きた時代や国を考えると、私自身が今まで興味関心をもって調べてきたことと合致する背景があったので、どうしても展覧会を見てみたかったのでした。期待は裏切られず、ネーベルを含む多くの作品や資料によって、20世紀初頭のドイツに興った現代美術の潮流を肌で感じることが出来ました。画家であり文筆家であり、また俳優でもあったオットー・ネーベルは1892年にベルリンで生まれています。最初は建築技師としての教育を受け、続いて演劇学校で俳優としての養成を受けていました。第一次世界大戦で従軍したネーベルは収容所で芸術活動を活発化させていきます。図録にネーベルの言葉が掲載されていました。「そうだ、私は迷うことなく、そして新たな強制的状況による様々な障壁にもかかわらず、外面的には収容所の規則によって拘束された形で、厳格に意味を追求する創造的な生を送り始めた。静かな夜に熟睡した後に、私は素描し、文を書き、色彩画を描いた。」(S・ビフィガー著)そんなことが契機になってネーベルは、作品世界を広げていきます。時代背景としてネーベルが5歳の時に、クリムトがウィーン分離派を設立し、27歳の時にバウハウスが設立されています。この時代は、画家として先輩だったカンディンスキーやクレーが活躍し、非対象絵画が産声を上げた時期だったのです。41歳の時にヒトラーが政権掌握し、第二次世界大戦が勃発して、ネーベルは亡命を余儀なくされ、スイスに逃げていくことになります。ネーベルは終戦後も生き続け、81歳でその生涯を閉じました。ネーベルが残した資料に「カラーアトラス」と称する色彩地図帳があります。私はこれに注目しました。「カラーアトラス」に関しては、後日改めて書こうと思っています。
2017.11.09 Thursday
東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展で、私は2人の巨匠のうちそれぞれ1点ずつの作品を選んで感想を述べたいと思います。まず八木一夫は「歩行」です。バランスが悪くて立たないのか、作品は壁に沿って置いてありました。「歩行」はいくつかのカタチを組み合わせたレリーフという按配です。自分が作り続けている「発掘シリーズ」に近い作風があって、とても親近感を持ちました。ただし、同作品は人体を抽象化するまでデフォルメしていて、有機的な彫り込みや突起物があって、ユーモラスな感じです。八木一夫の代表作「ザムザ氏の散歩」にも見られる傾向ですが、表情を持った陶彫が歩き出しそうな仕草をしています。あたかも幼児が立ち上がってヨチヨチ歩きをしたような印象です。抽象形態なのに、何かホッとするような温かさを感じるのは、陶芸という手作業から作り出されたものだからでしょうか。八木一夫の作品にはスペインの画家ミロのような奔放な線描が施してあるものがあって、心が解放される楽しさが漲っています。幾何抽象に近づいていても決して冷たくならない要素があるのです。清水九兵衛は対照的な作家です。私は最初に見たのがステンレスの彫刻だったためか、設計された造形という要素が強く、鋭利な抽象形態を頭に思い浮かべます。美術館に並べられた作品では「ユニット・オブジェ」に注目しました。八木一夫と同じ陶芸なのに、手作業を突き放していてシャープに土を扱おうとしています。「ユニット・オブジェ」には一輪挿という別のタイトルがつけられていて、それがなければ用途には気がつかない造形です。16個の展開があって、縦横に並べられていると、自分の集合彫刻と同じ雰囲気を醸し出していると思いました。同じ形態が少しずつカタチを変えているのを見るのは、私は感覚的に大好きで、時間を忘れて作品の前に佇んでしまいます。清水九兵衛は7代目六兵衛として陶芸界でも活躍されたようですが、私にはどうしても簡素で力強いステンレスを扱う彫刻家の方がしっくりするのです。最初の図版での出会いが衝撃的だったせいかもしれません。野外で空を映し出し、光に反射するシンプルな現代彫刻、私は10代でそれを見て、都市の中に置かれる彫刻の可能性を感じたのでした。当時はまさか自分が陶彫をやるとは思いもせずに、清水九兵衛の野外彫刻を眺めていました。
2017.11.08 Wednesday
先日、東京虎ノ門にある菊池寛実 智美術館で開催している「八木一夫と清水九兵衛 陶芸と彫刻のあいだで」展に行ってきました。菊池寛実 智美術館は陶芸を専門にしているにも関わらず、私には馴染みのある美術館ではありませんでした。過去に1回くらいしか訪れたことがなく、昔の記憶を頼りに出かけてきました。大変贅沢な空間を持つ美術館という印象がありましたが、陶の世界では革新的とも言える巨匠2人の作品が点在する空間は、私自身が癒されるほど贅沢な空間と時間がありました。陶芸は生活上の用途があるため雑貨として発展してきましたが、縄文土器や桃山時代の茶器などを見ると、日本人は遊び心に溢れた造形物を作っていて、陶彫が登場する土壌は十分にあったと考えられます。そうした陶芸と彫刻とのあいだを行き来し、前衛の感覚を持ち込んだ2人の作家は、私には稀有な存在と映ります。図録にも気になる箇所がありました。「八木のオブジェ焼きは、器物からの展開であり、その基本な発想は、轆轤で成形して内側の空洞を作り上げながら形づくることである。八木自身、『新しいものと古典との結婚、これが私のねらいです、ピカソやクレーなどの近代絵画としぶい日本のロクロの味を作品の上で、どう調和させるかが私の仕事』と走泥社の結成からまもない頃に語っている。~略~一方、清水のデザイン的な思考は、戦前の10代の頃に学んだ建築やその後の鋳金で培われたものであり、それは設計図や原型を経て、計画したフォルムを実現させる行程をたどる。~略~次第に土を扱いづらいと感じるようになり、若い頃からの彫刻への思いも断ち難く、期待の陶芸家として活躍を続ける傍ら、彫刻への道を歩みだしてゆくのである。」(花里麻理著)もう40年以上も前に大学受験を控えた私が美術雑誌で見たのは、巨大なステンレスの翼が芝生の坂に置かれ、その爽やかな空間に快さを感じた清水九兵衛の彫刻でした。