2017.11.02 Thursday
明日から三連休になりますが、陶彫部品の仕上げと窯入れが制作のメインになると思っています。カメラマンが来てRECORDの1年間分の撮影も予定されています。美術館にも行きたいと思っていて、結構欲張りな三連休になります。美術館巡りは計画をしている今が一番楽しい時で、始まってみるとなかなか骨が折れる日になるかもしれません。今回は美術館へは自分一人で行くことになりそうで、家内やスタッフがいないと私は糸が切れた凧みたいになって常軌を逸することになるからです。次から次へ美術館を渡り歩くうちに、自分は別の世界に入ってしまい、疲れ知らずの人になります。全身が眼になって貪るように作品を鑑賞し、浮世離れした仮想世界に遊んでしまうのです。自宅に帰りつく頃には疲労で倒れそうになり、充満した感覚や思索の吐き出し口を探します。つまり、NOTE(ブログ)に展覧会の感想を毎回丹念にまとめているのは、自分の吐き出し口なのです。私なりの美術鑑賞は、まず美術館入口で冷静になるところから始まります。見たい展覧会は自分の中に知識を溜め込んでいる場合が多く、完全にフラットにはなれませんが、それでも先入観を持たないように努めます。音声ガイドは借りません。時に歴史的な背景などを語ってくれる利点はありますが、同時通訳はフラットな鑑賞の妨げになると信じているからです。作品は大きな構成だろうと構図だろうと、また微妙な細部だろうと気になるところしか見ていません。題名すら確認しないこともあります。コトバにするのは後追いになるので、誰かと一緒でもほとんど会話はしません。展覧会を見終わった後になって思索に耽ります。その参考にするのが図録です。学生時代は金銭がなかったので、図録を立ち読みして自分の雑記帳にメモしていました。今は図録が買えるし、NOTE(ブログ)があるので雑記帳は持たなくなりました。図録の文章はほとんど読みますが、主たる論旨を差し置いて、自分が気に留めた箇所に下線をつけます。それが枝葉であっても自分の創作活動との関係性で読んでいるため、自分の視点で捉えれば重要度が違うのです。NOTE(ブログ)にアップするのはそうした文章です。論評の筆者からすればズレた箇所であろうと思いますが、鑑賞にも論評の解釈にもルールはないので、私なりに図録を利用して勝手な持論を展開しているのです。
2017.11.01 Wednesday
11月になりました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、11月から陶彫制作で焼成に入っていくことが少なからずあります。そろそろ窯入れの季節かなぁと思っていますが、今年は土錬機の不具合で陶土の混合が出来ず、それによって成形や彫り込み加飾が滞ってしまっています。そんな現状を考えると、乾燥が進んだ作品を今月から順次窯に入れていくのがいいと考えています。それには焼成前に陶土にヤスリをかけて指の痕跡を消すことと、鉄赤の化粧掛けを施す作業があります。陶彫制作では焼成は最後の制作工程になります。私は器を作っているわけではないので、焼成されたものを使い勝手を考えて陶の表面を滑らかにする作業はありません。焼成は3日間ほど窯の中に作品を入れておかなければならず、週末に窯入れをすると電気の関係でウィークディの夜は制作が出来ません。今月はそんなことがあるので、山積みされたRECORDの解消に務められるのではないかと思っています。鑑賞は先月同様に充実させていきたいと思っています。秋は見たい展覧会が目白押しです。映画鑑賞もやっていきたいと思っています。今月は声楽家の叔父のリサイタルがあります。久しぶりに音楽に接することになりそうです。読書は故赤瀬川原平著による初期芸術論に引き続き親しみます。今月も頑張っていこうと思っています。
2017.10.31 Tuesday
10月最後の日になり、今月の制作状況や鑑賞のことなどを振り返ってみたいと思います。陶彫制作は、成形や彫り込み加飾が完成し乾燥を待っている作品が、今月は5個出来ました。当初は制作目標として8個の完成を目指していましたが、土錬機の不具合によって途中から陶土の混合が出来なくなり、それまで用意していた陶土を使って5個だけ作ったのでした。来月、新しい土錬機が信楽から搬送されてくるので、陶彫成形の続きはまたそこから始めようと思っています。鑑賞は充実していたと思っています。美術館開催の展覧会では「レオナルド・ダヴィンチ展」(そごう美術館)、「運慶展」(東京国立博物館)、「安藤忠雄展」(国立新美術館)、「戸谷成雄展」(武蔵野美術大学美術館)へ行ってきました。その他スタッフが出品していた「ポガティブ展」(多摩美術大学)や池田宗弘先生が出品していた「自由美術展」(国立新美術館)、女子美術大学や武蔵野美術大学の芸祭にも出かけました。映画では「セザンヌと過ごした時間」(シネマジャック&ベティ)を観てきました。職場では1年1回の職員旅行があって、週末が全て使えなかったことを考えると、この制作と鑑賞は頑張っていたと言ってもかまわないのではないかと思っています。その分、RECORDが厳しい状況です。下書きだけを日々作っていて、仕上げをしていない作品が食卓に積まれるようになってしまいました。前にも同じことがあって、やっと解消したにも関わらず、過去の反省が生かせない自分が情けないと思っています。読書も停滞しています。来月はRECORDと読書を何とかしたいと思います。
2017.10.30 Monday
昨日、武蔵野美術大学美術館で開催している「戸谷成雄 現れる彫刻」展を見てきました。彫刻家戸谷成雄氏は同大の教壇に立っておられます。チェンソーで丸太に多角的に無数の切り込みを入れ、それを林立させた「森」シリーズを見て、私は廃墟の街のような雰囲気を感じました。そのまとまった作品群を見たのは2011年に静岡県にあるヴァンジ彫刻庭園美術館での個展でした。「洞窟の記憶」と題された作品を見て、虚の空間の衝撃が私を襲ったのでした。あれから数年が経ち、また戸谷ワールドに触れる機会がやってきました。同大美術館で私が注目した作品は「《境界から》Ⅴ」でした。壁の内外に設置された巨大な実と虚の関係、圧倒的な量塊の前で私自身は戸惑いを隠せませんでした。「《境界から》Ⅴ」は、そこに物質が存在する意味を自分なりに見つめなおした作品でした。図録によると「確かに『ある』と分かっているにもかかわらず見ることはできない何か、はっきりとした形は有していないけれども『ある』ことは確かなもの、そういうものの存在を、その『現れ』のただなかに捉えているのが戸谷の彫刻である、と考えてみたい。~略~ひとつは、実と虚の関係は、いつでもひっくり返りうる可能性をはらんでおり、人間の存在とは、そのふたつのせめぎ合いのうちにあるということである。そしてもうひとつは、実と虚とのあいだの境界にある『表面』の問題の重要性である。~略~彫刻を、内部構造から作られるのではなく、外部の表面から生まれると捉えるようになったとき、求心的な内部構造に代わって現れたのは、多中心的な表面であった。」(田中正之著)というもので、戸谷ワールドの理解をサポートしてくれる文章と思いました。実と虚の関係は、私も大変興味ある空間解釈で、戸谷ワールドの簡潔でストレートな力強さが私を戸惑わせた要因かなぁと思った次第です。
2017.10.29 Sunday
昨日に続き、相原工房のスタッフ仲間に加わった美大1年生の誘いで、今日も美大の芸祭にお邪魔しました。今日は東京の小平市にある武蔵野美術大学に行きました。私の他に多摩美術大学の助手2人と職場の人を連れて出かけました。武蔵野美術大学は私の母校で、ここも昨日同様久しぶりに美大に訪れたため、感慨一入になりました。40年前、ここで私は師匠の池田宗弘先生と出会い、共通彫塑にいらした保田春彦先生や若林奮先生の仕事を垣間見ながら、それまでは考えも及ばなかった遥かなる自分の人生の指針を思い浮かべていたと言っても過言ではありません。私はすっかり彫刻の魔物に憑かれてしまったわけで、当時の自分が悩み苦しんだ場所が今も残っているのです。それを再確認するために久しぶりに母校の芸祭にやってきたのでした。台風が近づいていたため今日は生憎の雨になりましたが、4人で相原工房から武蔵野美大へ向けて9時半ごろに出発しました。車で同大到着まで2時間はかかりました。現在、武蔵野美大美術館では「戸谷成雄 現れる彫刻」展を開催していて、木材をチェンソーで刻みつけた「森」シリーズの彫刻家によるスケールの大きい作品に圧倒されました。実材がそこに存在する意味を問う根源的な世界観に触れました。詳しい感想は後日改めたいと思います。訪ねたスタッフは芸祭の役員をやっていて、全て案内してもらうまではいきませんでしたが、専攻ごとの展示作品や小さな販売品はかなり充実していて楽しめました。彫刻棟の大きな作業場をじっくり見て、ここで彫刻を学んだ学生たちの卒業後を思わないではいられませんでした。いったいどのくらいの学生が彫刻を続けていかれるのでしょうか。整った設備、自由になる時間、凌ぎを削る仲間たち、理想的な創作環境のもとで4年間を過ごし、そのまま彫刻をきっぱり諦めることが出来るのでしょうか。私は創作に夢中になればなるほど精神状態が尋常でなくなり、そこから抜けられなくなったのでした。あれから40年が経ち、今も私は彫刻棟の片隅の出発点から少しばかり歩いたところにいるのです。40年もの間、私は何をしてきたのでしょうか。目の前にいる学生たちと、私はどのくらい距離があるのでしょうか。私なりに進化したところはどこにあるのでしょうか。それを感じるために今日はここにやってきたのです。もう一度私自身を捉え直し、明日からの再出発にしたいと考えました。