Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 12月最初の週末
    今月は陶彫成形を軌道に乗せるために奮闘努力する目標を掲げています。最初の週末である今日は朝から夕方までタタラ作りや陶彫成形に明け暮れました。前日に大きなタタラを数枚用意しておくのが通常の制作工程ですが、今日はタタラを用意した後、日を置かず今日のうちに成形を始めました。タタラがまだ柔らかくて立ち上げることが出来ない状況もありましたが、木片で陶土を支えながら何とか成形を行いました。明日はさらにもうひとつ成形を行う予定なので、明日のタタラは今日のうちに用意しておきました。補強用の紐作りの陶土も用意しました。新作では床を這う根を陶彫で作っています。ひとつの根は4個の陶彫部品によって連結されていきます。根は4本あるので全部で16個の陶彫部品が必要になりますが、現在出来ているのは6個だけで、今日7個目の成形が終わりました。あと9個を今月中に何とかしようと思っているのです。窯入れをしなければウィークディの夜に工房に通うことが出来ます。今日の作業でタタラを一日置かずとも、工夫すれば成形が可能なことが分かったので、先が見えてきました。制作サイクルを早めに動かして、床を這う根の陶彫部品16個の完成を目指して頑張りたいと思います。冬になると陶土を扱っているせいで、掌の脂分がなくなりガサガサになります。そろそろ今日あたりからハンドクリームが必要かなぁと思いました。私はウィークディの昼間は公務員をやっているので、常に陶土に触れているわけではありません。掌の脂分は家業にしている陶芸家ほど心配していませんが、週2回だけでも手の罅割れが気になるので、日々陶芸をやっている人たちは手を酷使しているに違いないと思いました。夕方、疲れが出て意欲が衰えてきたところで工房を出ました。明日も頑張ろうと思います。
    17’の12月を迎えて
    2017年もあと1ヵ月となりました。私にとって1年間の区切りは年が改まるこの時ではなく、職場では3月末の年度が改まる時であり、彫刻家としては個展が開催される7月に気持ちを入れ替えていきます。12月は職場の管理職としては来年度のヴィビョンに絡む人事評価を考えていく1ヵ月で、彫刻家としては制作が佳境に入る1ヵ月でもあり、二足の草鞋生活の双方とも途中経過を見据えながら充実して過ごす1ヶ月と言えます。とりわけ制作工程では、土錬機を買い替えたことがあって、陶彫成形が遅れ気味です。これを取り戻すために寅さんの台詞にあるように奮闘努力するのが今月に課したノルマで、多少無理がかかる制作目標を掲げざるを得ません。今月は窯入れよりも陶彫成形や彫り込み加飾をやっていこうと思っています。年末年始の休庁期間は、まとまった休みが取れるので貴重な1週間になります。昨年は9日間連続で制作に没頭しました。今年は暦の関係でそこまで休みが取れないにしても、身体を張って陶彫に付き合っていきたいと思っています。展覧会や映画等の鑑賞も積極的にやっていきます。RECORDは今までの山積みされた下書きを何とかしたいと思っています。読書は通勤時間と職場の休憩時間で2冊の本に関わっています。両方とも今月中に読み終わるでしょうか。ともかく今年の師走を充実した1ヵ月にしようと思います。
    11月は鑑賞が充実
    11月の最後の日になり、1ヵ月を振り返ってみたいと思います。今月から窯入れが始まり、ウィークディの夜の時間帯は焼成時間と重なっていたため、窯以外の電気が使えず、夜の工房に出かけることはありませんでした。11日に早くも新しい土錬機が滋賀県の信楽町から届き、試運転を経て、再び陶彫成形を始めました。当初の制作目標が大きく変わりましたが、こればかりは仕方がないと思っています。23日には窯のメンテナンスを行い、25日には栃木県の益子町から陶土が送られてきました。今月は陶彫制作の上での一区切りがあったと振り返っています。今月充実していたのは鑑賞でした。まず、美術では「麻田浩展」(練馬区美術館)、「八木一夫・清水九兵衛展」(菊池寛実 智美術館)、「狩野元信展」(サントリー美術館)、「オットー・ネーベル展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)、「神山明・濱田樹里展」(平塚市美術館)の5つの展覧会に行きました。音楽では「福成紀美子&下野昇ジョイフルコンサート」(和光大学ポプリホール鶴川)に行きました。音楽の鑑賞は最近では珍しいと思いました。映画では「猫が教えてくれたこと」(シネマ ジャック&ベティ)に行きました。家内は旧市街を猫が闊歩する映像が気に入り、私は舞台になったイスタンブールを思い出した映画でした。これは先月に続き、今月も鑑賞が充実していたのではないかと自負しています。秋は見たい展覧会や音楽や映画が目白押しで、芸術的刺激を充分感受したように思います。充実していた陶彫制作や鑑賞に比べ、厳しい状況なのはRECORDで、以前のように下書きばかりが山積みされてきています。今月の下書き解消はありませんでした。何とかしなければと思いつつ、毎晩睡魔に勝てない自分がいます。読書は通勤時間帯では相変わらず故赤瀬川原平の初期の著作を読んでいます。職場にはカンディンスキーに関する論文を持ち込みました。来月こそ読書を充実させていきたいと思っています。
    「見えないものを見る」読み始める
    「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)を読み始めました。画家カンディンスキーに関しては「芸術における精神的なもの」や「点・線・面」など数々の翻訳本を読んできましたが、新たな出版物が見つかると、つい購入してしまう癖が私にはあります。もうここまでくると自分はカンディンスキー教の信者かもしれないと思うほどです。私の眼鏡拭きもカンディンスキーの「30」というモノクロの抽象作品をデザインされたものを使っていて、眼鏡をケースから取り出す度に、カンディンスキーを身近に感じています。本書は現象学者として著名なフランス人ミシェル・アンリによる抽象絵画の考察で、カンディンスキーが提唱した理論をベースに、すべての絵画は抽象絵画に包摂されると説くものです。まず最初の章で外部と内部という二つの現象的特質が述べられていました。「絵画の内容、すなわち絵画によって最終的に『表されている』、というよりも表現されているものは、この世界の一要素ないしは一部分ー自然現象ないしは人間にかかわる出来事ーとしてもはやこの世界に帰属していないだけでなく、諸方法が芸術の新しい主題を構成する目に見えない内容の表現を可能にしているのだから、今やそれらの方法自体が、意味的には『内部の』ものとして理解されなければならないし、結局は方法の真の実存在においてー『目に見えない』ものとしてー理解されなければならない。」これをカンディンスキーによって成し遂げられた驚くべき革命と本書では主張しています。読書するこちら側も本書で使われている語彙を丁寧に考えながら進めていきたいと思っています。
    映画「猫が教えてくれたこと」雑感
    先日、家内と横浜のミニシアターにトルコ映画「猫が教えてくれたこと」を観に行ってきました。舞台となったイスタンブールは、海岸に面した東西交易が織りなす情緒豊かな都会です。私は20代の頃に滞欧生活を引き揚げてくる際、イスタンブールに立ち寄りました。ウィーンから外人労働者が利用する帰省バスに乗り、イスタンブールに向かいました。当時は東欧圏にあった旧ユーゴスラビアやブルガリアでは通行ビザが必要で、ウィーンで各国大使館に手続きに行った覚えがあります。イスタンブールにはどのくらい滞在していたのか今では記憶にありませんが、少なくても1週間はいたのではないかと思っています。「猫が教えてくれたこと」はイスタンブールに棲む猫たちの生態を通じて、人と動物との関わりや庶民生活の有様を描いていました。猫目線で捉えた映像は、ガイドブックにはない新鮮な視点で、カメラは路上を這い回るように動き、エキゾチックな街を浮き彫りにしていました。精神的に追い詰められた人たちが、傍らで擦寄ってくる猫たちによって救われたエピソードを映像に収め、また7匹の猫の個性が際立つ仕草も面白可笑しく描かれていました。ジェイダ・トルン監督を初めとするスタッフたちの執拗なリサーチで、この楽しいカットが生まれたのがよく伝わりました。映画のパンフレッドに「究極の目的は、選び出したひと握りの猫のストーリーを通して、愛と喪失、孤独、そして帰属というテーマについて、思いを巡らせることができるような作品を創ることだった。」とありました。古代エジプトから船に乗って渡ってきた猫族は、この地域から欧州全土に広がっていったようです。東京のような近代化が進む都会では、猫はどう見ても棲み難いように思われます。逆にイスタンブールの旧態依然とした複雑な街並みであれば、きっと猫が徘徊する余地があるのかもしれません。今はイスタンブールも近代化に晒されていますが、人間臭さの残る街だからこそ猫が多く棲みつき、また闊歩できる空間があるのだろうと思います。