Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 書類整理と塗装作業
    年度が今週で終わるため、昼間の仕事では書類整理に追われていました。私は書類の分類は嫌いな方ではありませんが、分類困難な書類が多く、ファイルの綴じ込みを抜本的にやり直さなければならないかなぁと思っています。こういう仕事は長くやっていると嫌気がさすため、午前中だけに限って書類整理をやりました。人事資料の種類が多く、どう分類していくのかは自分のセンスが問われそうで、管理職を次の人に明け渡すときに恥ずかしい思いをしないようにしたいと思います。書類整理は明日も明後日も続きそうです。既に提出した書類に不備があり、本部である事務所から連絡がありました。再度作りなおして提出しました。来年度人事で、あと一人だけ臨時任用の職員が足りず、本部からの連絡を待っていましたが、今日のところは紹介がありませんでした。来週から始まる来年度体制がきちんと全員揃ってスタートできるのか不安を抱えています。こればかりは自分ではどうすることも出来ません。今日は残業せずに帰宅しました。夜は工房に出かけました。午前中は雨が降って寒々した一日でしたが、夕方は晴れて暖かくなりました。春は三寒四温で身体が調整できずにシンドい思いをしますが、工房に来ると身体中に気合が満ちて、気候の変化は気にならなくなります。今晩の作業は「発掘~座景~」の台座裏の塗装でした。先日まで木工パテで修整をしていた箇所が漸く固まってきたので、防黴効果を狙って油性塗料を施したのでした。今晩一晩置けば塗料が乾くはずです。今日は昼に夜に作業一辺倒の一日でした。
    今月最後の週末に…
    3月もあと僅かとなりました。今日は最後の週末で、新作の制作に精を出しましたが、制作工程はなかなか苦しいものがあります。朝から工房に篭って作業をやっていましたが、今日は雨模様で冬が再来したような寒さがあって、さすがに気が滅入りました。夕方4時に寒くて仕方がなく作業を切り上げました。真冬とは違い、寒さも和らいでいるのに、今日は辛いものがありました。このところウィークディは来年度人事のことがあって、職員との面接やら年度末の片付け等で気持ちが優れず、夜の工房通いが出来ませんでした。RECORDも覚束ない状況で、ついに二速の草鞋生活も窮まった感があります。毎年こんな状態を何とか打破してきているので、取り立てて不安はありませんが、目の下に隈が出来ていると家内に指摘されました。気持ちが張り詰めているせいか疲労は感じません。先週になって来年度人事が見えてきて、漸く夜はしっかり眠れるようになりました。新作も見えてきているのですが、時間が足りないと焦るばかりです。人事のことはひとまず置いておいて、今月末は制作に頑張ろうと思っています。来週はウィークディの夜に工房に通います。そうしないと完成が間に合わなくなることが予想されるからです。この2週間ほど朝4時くらいに眼が覚めて、職場の人事のことばかり考えていましたが、昨晩は「発掘~宙景~」のことが気になり始めたようで、テーブルの高さをどうするのか、当初のイメージと修正されたイメージが交互に夢に出てきました。今は職場でも工房でも自分に休息を与えてくれません。それはこちらが望むところで、面と向かって闘いを挑もうとしています。今月終わりまで二束の草鞋生活を思い切り堪能しようと思います。
    週末 陶土の再生
    今日は職場に用事があって、ちょっと顔を出さなければならず、工房に一日中篭ることが出来ませんでした。限りある時間でやった作業は土練りでした。前に作っていた陶彫部品で、成形や彫り込み加飾が終わり、乾燥を待っていた作品が、乾燥が進む度に罅割れてきて補修が不可能になりました。焼成前だったので、これを砕いて細かくし、幾度となく水を打ちました。砕いた陶土を3つに分けてビニールで包んでいたところ、ちょうどよい柔らかさになったので、新しい陶土と一緒に土錬機に入れました。私の使う陶土は単身ではありません。分量を決めて種類の異なる陶土を混ぜ合わせます。そこに再生をした陶土も混ぜ合わせたのでした。土錬機では3回繰り返して全体の練り具合を調整します。最後は手で粗練りから菊練りまでやることを一つの工程として行います。手で陶土の具合を確かめるのは、私の習慣になっていて、陶土の中の空気を抜く役割もあります。陶土の再生は手間がかかる作業です。これは創作行為ではありませんが、陶彫で作品を作る以上は避けて通れない重要な作業なのです。陶彫は陶芸とは違い、無理なカタチを作るため、乾燥や焼成の収縮時に皹が入ることがよくあります。僅かな皹は焼成が終わった後、修整剤をつかって補強していましたが、最近では珍しいほどの酷い罅割れだったので、久しぶりに陶土の再生を試みたのでした。2度目に成形と彫り込み加飾をした作品は、今のところ皹はなく順調に乾燥が進んでいるようです。やり直しは最小限に止めたいものです。時間的な制約があって苦しい状況になるからです。明日は新たな陶彫部品の成形をやりたいと思っています。
    彫刻が占める空間
    ひとつの彫刻は周囲の空間をどのくらい変えられるのか、そこに彫刻が置かれるだけで空間が変容することがあるのか、こうした自問自答を常に携えて私は制作をしています。それは彫刻に限らず、茶室に飾られた一輪の花にも、日本古来の床の間にも通じていて、日常の中の非日常の在り方を考えるものです。非日常の空間は、あちらこちらに存在しています。生活に直接関係ないそうした空間に、私たちは時に癒され、また刺激を受けることがあります。彫刻の役割は人々の心をキャッチする非日常空間の創出にあると私は考えています。彫刻には作品によって占める空間のスケールが異なっていると思っています。それは彫刻のサイズの大小ではなく、彫刻が纏う空気感のようなものです。その作品をどういう場所で展示をするのが相応しいのか、作品がどんな意図で作られたモノなのかで、空間の在り様が変わってきます。また個体なのか、複数で見せるものなのか、単素材か、別の素材同士をコラボレーションしたものか、空間の印象は条件によっても変わってきます。私の理想とする彫刻は、最小の物質で最大の空間を獲得できるというもので、ポツンと置かれた彫刻によって広い空間が変容するなら、自分が意図したことが達成できると信じています。そうした試みに向かう創作途上に現行の作品があると言っても差し支えありません。理想の空間獲得に向かう作品は、単純にサイズを小さくすればよいというものではなく、あらゆる可能性を試行錯誤することによって成しえるものではないかと思うところです。
    個を点在させる空間
    「イサムノグチ庭園美術館」の野外工房とも言うべき「石壁サークル」は、開放的で豊かな空間が広がっています。個々の作品を作るために設置した石材が、ひとつずつ異なる主張をしているにも関わらず、個体同士が響きあい、見えない緊張の糸が張り巡らされている印象を受けるのです。その効果はイサムノグチが意図したものかどうかわかりません。ただ石材が雑然と置かれているわけではなく、個体同士がお互いを邪魔することなく、一定の距離を保って意図的に置かれているのではないかと推察できるところです。お互いが響きあうのは、こうした空間の取り方にあるのかもしれません。現代音楽家であった故武満徹が、音と音の間にある沈黙を作曲の表現に取り入れていましたが、こうした手法とどこか似ていると私は感じていて、「石壁サークル」に点在する石の作品は、作品と作品の間にある空気を感じるのがいいのではないかと勝手に解釈しています。彫刻は作品の周囲に広がる空気を作るものだという自論が私にはあります。それならば幾つかの個を点在させる空間が、究極の彫刻なのではないかと私は考えているのです。庭園や舞台や都市計画に至るまで、極論すれば全て彫刻だと思っています。「イサムノグチ庭園美術館」で気づいた究極の彫刻を、私も極めていきたいと思っています。