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  • 「イサムノグチ庭園美術館」再訪
    「イサムノグチ庭園美術館」は、私にとって彫刻が置かれている空間の刺戟や、造形の素晴らしさを与えてくれるスピリットに富んだ美術館なのです。イサムノグチは彫刻だけではなく、さまざまな分野に創作活動を展開し、縦横断的な現代美術の礎を作った開拓者でした。私がそこで再認識したのは、やはり石彫が点在する張り詰めた空間です。完成や未完成も含めて点在する野外展示場は、生前イサムノグチがその場を巡りながら作品を彫っていたと言われています。命果てるまで続けられた制作は、自分にとって理想であり、緩やかな形状を描くその場所は「石壁サークル」と名づけられていて、生い茂る樹と土壁の蔵が絶妙な空間を形作っています。蔵は完成された作品が置かれた屋内展示場になっています。有名な「エナジー・ヴォイド」もここにありました。イサムノグチが生活していた「イサム家」にはテーブル彫刻が2点置かれていて、全体を俯瞰できる平面性の強いテーブル彫刻に、前回訪問した際に自分は魅了されてしまい、その影響から逃れられなくなりました。テーブル彫刻を自分も作るようになった要因がここにあるのです。「イサム家」の裏庭には竹林があって、そこにも石彫が2点置かれていました。家内はその空間が気に入ったらしく長い間見つめていました。美術館内の小高い山に登ると海が見えます。この風景をきっとイサムノグチも楽しんでいたはずだと思っています。「イサムノグチ庭園美術館」に、また来られてよかったと熟々思いました。
    高松の「ジョージナカシマ記念館」
    先日、香川県高松に行った折に米国籍の日系二世であるジョージナカシマの記念館に足を運びました。木工家具作家であるジョージナカシマの作品は、私が最近知ったもので、その独特で自然のフォルムを最大限に生かした家具に忽ち魅了されてしまいました。デザイン性は日本人離れしていますが、自然の形状を受け入れて木材の美しさを引き出す手法は、ジョージナカシマが日本人の気質を併せ持っていると思えてなりません。それは彫刻家イサムノグチにも通じる美意識で、生粋の日本人である自分は、日本の内なる簡素で静謐な美に気づかされてしまう結果になりました。ジョージナカシマは1905年にワシントンに生まれています。同地の大学を卒業し、建築学士の称号を受けた後、フランスやイギリスに留学し、前半生は建築家として、後半生は木工家具作家として活躍していました。日本には度々訪れていますが、高松には1964年に彫刻家流政之氏の薦めでやって来て、地元職人たちの「讃岐民具連」と交流したことにより、日本での本格的な制作が始まったようです。1990年に他界した後も米国ニューホープと高松の桜製作所で、ナカシマデザインの家具が作り続けられているのです。そんなジョージナカシマの記念館が「イサムノグチ庭園美術館」の近くにあると知って、早速訪れたのでした。展示されている家具はどれも彫刻的でシャープな切れを持っていました。喫茶コーナーにあるナカシマデザインの椅子に実際に腰掛けてみましたが、そこで20分のビデオを見ていても座り心地が大変良く、普段使いの日用性もある優れた家具であることがわかりました。英語版の厚い写真集が欲しくなり、その場で購入しました。そこには娘さんであるミラナカシマ氏のサインがありました。
    三連休 最終日は制作三昧
    三連休の最終日になりました。邦楽器の演奏がある家内を車で公会堂まで送った後、飼い猫のトラ吉を行きつけの動物病院内ペットホテルへ迎えに行きました。私たちは香川県高松に旅行していたのでトラ吉をペットホテルに預けたのでした。そんな用事を済ませてから工房に行きました。昨晩、タタラを用意していたので、今日は陶彫の成形作業をやりました。今日は暖かい日で、工房の開け放した窓から微かな風が入ってきました。気持ちの良い一日でしたが、旅行の疲れが抜けず、休憩をとりながら作業を続けました。前に皹の入った陶彫部品を壊し、ビニールに包んで水を打って放置していたのを、今日は小分けにして再度水を打ちました。元通りの陶土になるのはまだ時間がかかりそうです。化粧掛けや焼成前であれば陶彫部品は砕いて元の陶土に戻すことが可能です。水を度々打って柔らかくした後、粗練りや菊練りをして再生します。砕いた陶土を何回かビニールから取り出して粘りを確かめながら、軟度がちょうどいい状態になれば、新しい陶土と一緒に土錬機に入れます。手で練る前に機械で練っていくのです。私は素材を無駄にしないように再生に手間をかけます。役に立たないモノを作っている者のせめてもの配慮です。土は自然からの恵みにより授けられたモノで、それを炎に潜らせると石化し、日用品としての用途を持ちます。これは文明の曙期に人類が発明した画期的な方法で、生活を豊かにするアイテムだったのです。私の陶彫は、文化としての豊かさに貢献しているのではないかと勝手に思っています。制作方法は太古の昔から変わっていません。タタラや紐作りは縄文時代から存在しています。陶土に触れると活気が出てくるのは人類全体の遺伝子によるものかもしれないと、大袈裟なことも考えてしまいます。ウィークディは再び夜の工房に通う予定です。
    三連休 高松市街の散策
    昨日から香川県高松に来ています。泊まったビジネスホテルは街の中心である兵庫町にありました。今日は市街を徒歩で周ることにしました。アーケードのある商店街を散歩して、朝9時半に高松市美術館に着きました。エントランスに巨大な石彫「ナガレバチ」がありました。彫刻家流政之氏の代表作です。企画展は「北原千鹿展」をやっていました。北原千鹿は大正時代から昭和にかけて活躍した金工家で、動物や植物などを象徴化した緻密な彫金で知られています。常設会場では日本伝統漆芸展をやっていて、工芸ずくめの2つの展覧会で、作家の磨き抜かれた技を堪能しました。高松市美術館を出て、港の方面に歩いていきました。高松城があった玉藻公園を目指して歩くこと数十分で、公園に隣接した香川県立ミュージアムに到着しました。企画展はやっていませんでしたが、常設展を見た後で2階ホールにあるイサムノグチの石彫を見ながら休憩を取りました。ここで前に「速水史朗展」を開催していたらしくその図録がありました。彫刻家速水史朗氏は香川県在住で石彫の他に陶彫でユーモラスな造形をやっています。私は学生時代に東京銀座のギャラリーせいほうでやっていた速水氏の陶彫展にお邪魔したことがありました。私が陶彫をやろうと思った直接のきっかけは、彫刻家辻晋堂の陶彫作品と速水氏にありました。速水氏は現在もギャラリーせいほうで個展をやっています。ミュージアムを出てから目の前にある玉藻公園に行きました。ここにあった高松城は瀬戸内の海水を外堀、中掘、内堀に引き込んだ水城で、高松は城下町として栄えたようです。現在も残る月見櫓に入ることが出来たので、急勾配な木造階段を登ってみました。玉藻公園は庭の手入れが行き届いていて、数多い松が見事でした。午後2時過ぎに高松駅からリムジンバスに乗り、高松空港にやってきました。4時10分に高松を発ち、1時間ほどで羽田空港に到着しました。自宅に帰ってから工房に行きました。明日の制作のためにタタラを用意しなければならず、旅行の疲れを残したまま作業をやりましたが、工房にいると不思議に活力が湧いてくるのです。工房には創作の魔物が棲んでいるとしか思えない夜の1時間でした。
    三連休 香川県高松へ
    三連休の初日です。今日から家内と1泊2日で香川県高松へアートに触れる旅行に出かけることになりました。羽田空港発9時25分、ほぼ1時間程度で高松空港に到着しました。リムジンバスに乗ること40分、高松市の繁華街である瓦町で下車しました。以前ここには来たことがあって、もう10年以上も前なのに不思議な懐かしさを覚えました。瓦町から琴平電鉄志度線に乗りました。コトコト揺られながら時折単線になる志度線は、何とも気分が癒されるのでした。車窓から見える風景で気になったのは山々の形状でした。庵治石の産地である八栗あたりでは石を切り出した痕跡が独特な山頂を形作っていました。私たちは、まず塩屋駅で降りて「ジョージナカシマ記念館」に向かいました。木工デザイナーのジョージナカシマは、アメリカ生まれで両親は日本人です。アメリカで教育を受けたため、デザインや空間に関する感覚は日本人ではありません。ただ、自然のままの木材を使い、そこにデザインポリシーを見出したナカシマの創作家具は、美しさと日用性を併せ持つユニークなものです。私は最近ジョージナカシマの世界観を知りました。家具に惚れるというのはこういうことかなぁと思いました。もう少し前に知っていれば、自宅の家具は全てナカシマデザインになっただろうにと思った次第です。記念館の感想は後日に回します。塩屋駅から八栗駅まで再び志度線に揺られました。八栗駅で降りて歩くこと20分程度で「イサムノグチ庭園美術館」に到着しました。前に40人くらいの団体客がいて大変混雑していました。彫刻家であり、舞台装置や照明デザインまで手掛けたイサムノグチは、日系アメリカ人アーティストです。今回の旅行は「イサムノグチ庭園美術館」へ行くことが目的でした。詳しい感想は後日にしますが、以前訪れた時と現在との間に、私は東京銀座のギャラリーせいほうで10回以上の個展を開催しています。そんな感慨も込み上げてきました。点在するイサムノグチの作品を眺めて、空間に対する思いを再認識できたことは、私にとって収穫でした。「イサムノグチ庭園美術館」から八栗駅までの途中に、うどん本舗山田屋があると記憶にあって、歩きながら店を探すことにしました。曖昧な記憶だったので若干遠回りをしてしまいましたが、何とか辿り着くことができて、美味しいうどんを味わうことができました。志度線に終点の高松築港駅まで乗り、予約してあったビジネスホテルに泊まりました。充実した一日でした。