2017.02.25 Saturday
今日は「発掘~座景~」のテーブル4点に砂マチエールを施す作業をしました。テーブルにはそれぞれ変形した格子状の穴が刳り貫いてあって、それらに砂を貼っていくのは大変な作業なのです。工房によく出入りしている女性スタッフを3人呼んでいて、彼女たちの粘り強い仕事に期待していました。結果は期待通りの出来栄えで、3人のスタッフに心から感謝を申し上げました。砂も硬化剤も東京文房堂から取り寄せたもので、これを薄く厚板に貼っていくのです。ただし左官業者と異なるのは、砂を均一に貼るものではなく、微妙にニュアンスをつけていきます。3人のスタッフは全員アーティストで、日頃から工房で自らの作品を作っています。絵画的感覚が問われる表面処理ですが、彼女たちは難なくやってくれました。今日を砂マチエール施行日と決めて、今まで私はその準備に追われました。穴の刳り貫き作業は思ったより厳しく、今日までに4点出来るかどうか、内心ヒヤヒヤでした。制作工程には越えなければならない幾つかの壁があります。今日の作業はそのひとつでした。多少無理をして準備を進め、スタッフを集めているその日までに何とか間に合わせていくというのが、制作工程を効率よく進める秘訣です。明日を予備日にしてありましたが、今日全てが終わったので、明日スタッフにとっては自らの課題を行う制作日になります。工房を彼女たちが自由に使えるのは、私とのこうした関係があるためです。明日は私も久しぶりに陶彫制作をします。砂マチエールが完全に乾いて定着するまで約1週間かかります。テーブル4点はこのまま放置です。朝9時から夕方4時まで頑張ってくれたスタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした。
2017.02.24 Friday
「芸術の摂理」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)を読み始めました。副題に「不可視の『形』に迫る作家たち」とあります。この副題については読み進めていくうちにその意図するところがわかるのではないかと思います。書籍としては随分前に購入したもので、自宅の書棚で折口信夫著「死者の書」を探している時に発見したのでした。先日ネットから印刷した「死者の書」は紙を束ねた状態なので、持ち歩くことはせず、職場だけで読もうと決めました。携帯するのは本書にして、通勤の友にしたいと思っています。本書を購入した契機は、既に亡くなっていられる石彫家中島修さんの評論が収めてあったからです。中島さんには私が20代の頃滞在したオーストリアでお世話になりました。彼は私の師匠である池田宗弘先生の同期生で、既にヨーロッパでは有名な彫刻家になっていて、池田先生から紹介もしていただいていました。オーバーエスタライヒ州の片田舎の農家を改築した中島邸や工房が懐かしく思い出されます。大雪に見舞われた日に中島さんを訪ねていって、寒々とした工房で見た結晶のような幾何抽象の石彫。その手が切れるような鋭利な形態に、人間業とは思えない神がかった世界を見たのは私だけでしょうか。コンピューター万能の時代にアナログな手彫りで、複雑な面を捉えた超多面体を追い求めていく中島さんは、日本でもっと評価されてもいい彫刻家だと私は思っています。中島さんは気さくな人柄で、帰国中に私の個展のオープニングにふらりとギャラリーせいほうに現れました。同じギャラリーで中島さんも個展をされました。池田宗弘、中島修という双頭の先輩の大きすぎる背中を見て、私は必死に喘いでいるのです。そんな中島ワールドの貴重な評論をじっくり味わいたいと思います。
2017.02.23 Thursday
昨年3月末をもって横浜市公務員を退職した私は、再任用として退職前と変わらぬ立場や職場で仕事に精を出しています。ほとんど退職した実感がない私ですが、永年勤続退職者旅行引換券があって、引換期間が迫っていると家内が言ってきました。これを使って退職祝いをしようと言うのです。どこか温泉でも行って美味しいものを食べて…と家内は新聞に入ってくる折込チラシを見ていました。私は職場では解決しなければならない課題を抱え、創作活動では今年の夏に企画していただいている個展に向けて身を削る思いをしているので、自分の退職祝いなどまるで頭になく、温泉に行くなら工房で制作に没頭していたいと考えていました。でも、創作活動に活を入れるためなら一泊くらいの旅行をしてもいいんじゃないかと思いなおし、再訪するならどこの美術館がいいか考えました。結果は自分でも分かっていて、それは香川県高松市牟礼にある「イサム・ノグチ庭園美術館」なのです。自分の美術館ランキングでは断然1位です。もちろん世界にはルーヴル美術館やバチカン美術館等、所蔵作品の凄さでは比類のない美術館が数多くあります。当然それら綺羅星の如く輝く美術館群と比較出来ませんが、自分の創造世界を広げ、精神性を植えつけてくれた巡礼の地が「イサム・ノグチ庭園美術館」でした。温泉ではなくビジネスホテルで結構、ともかく牟礼に行きたいと家内に言ったら、仕方ないという顔をして来月後半の週末の飛行機を予約してきました。俄かにざわめきだす自分の心に、随分前に「イサム・ノグチ庭園美術館」を訪ねた記憶を頼りに、今では多少キャリアが出来た自分の彫刻家人生をそこで振り返ってみようと思っています。
2017.02.22 Wednesday
今日の朝日新聞の天声人語に猫に関する話題が掲載されていました。猫をテーマにした記事をつい読んでしまうのは、我が家で数年前から猫を飼っているせいです。猫のトラ吉はオスですが、小さかった頃に去勢手術をしています。春になると交尾を求めて奇声を発することは、よくわかっていたので早めの措置をしたのでした。それでもトラ吉は暖かくなるとアクティヴになります。1階から2階の出窓まで一気に突進して駆け上がってきます。自由気儘な姿はこういうことをいうのだと私たちに示しているようで、生産性のない刹那な生活を蔑むと同時に羨ましくもあります。天声人語の一文に「発情のスイッチが入るとネコは本能の命じるまま。人間なら理性で抑える一線を越えて行ってしまう」とあります。猫は恋も自由気儘です。「ネコの恋には古来、ヒトの詩情を湧きたたせる何か特別な魅力があるようだ」と続き、最後に掲載されていた句が気になりました。「恋猫や世界を敵にまはしても」(大木あまり作)これはどういう句でしょうか。解説がないので、敢えて自分の思うままに書けば、猫の奔放さと無責任さが目立つ愉快な一句だろうと思いました。猫を飼っていると、自分が置かれている管理社会が嫌になることがあります。猫のように生きたいと思っても虚しくなることがわかっています。恋はそれら常識の枠を取っ払い、理性を狂わせる魔性があります。今日は猫の日だそうで、猫に託けて魔性的な恋慕を思うこともいいかなぁと思いました。
2017.02.21 Tuesday
国文学者とも民俗学者とも言える立場で存在を示した折口信夫は、私が大学生だった頃に、何かの契機で名を知り、文庫本「死者の書」を購入したのでした。古代文の暗号のような文体に解釈が覚束ず、殺された皇子が山の頂きにある墓所から蘇る物語かなぁと荒筋を辿りつつ、面白そうだけど読めないジレンマに陥った書籍でした。ただし、本書は全体に亘って品位があり、また深遠なる思いが交差しているのだけは当時から直感していました。先日まで読んでいた「現な像」(杉本博司著 新潮社)に「死者の書」が登場したので、再読したい思いに駆られました。自宅を探しても見つからないので、再購入を考えていた矢先、ネットに全文が掲載されているのを知りました。早速印刷をして読み始めましたが、何十年経とうが難易度は変わらず、物語の冒頭部分で皇子が死者となって、生前の思いを次第に取り戻し、姉の面影を追う場面がありました。さて、これからどんな展開になっていくのか、印刷した61頁に及ぶ紙はクリップ留めして、仕事の合間に読んでいこうと思います。ついでに解説も印刷しました。私がよく利用させていただくのは「松岡正剛の千夜千冊」です。そこにあった一文に「この『死者の書』の叙述の仕方だが、古代の魂を知る唯一の縁(よすが)ではないか」という箇所がありました。著者が古代人と同化して紡いだ物語というわけです。今度こそ途中で放り出さないで、頑張って読んでみたいと思っています。