Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 1月を振り返って…
    今月は早かったなぁと思います。制作は週末を使って陶彫部品作りに明け暮れました。「発掘~宙景A・B~」に吊り下げる大きめの陶彫部品をいくつ作れたのだろうと確認中ですが、精一杯やっていたにも関わらず、焦る気持ちに変化はありません。ウィークディの夜にも工房に足を運んで、柱陶の彫り込み加飾や仕上げを行いました。焼成も例年より多くやったように感じています。そのうち電気代の請求がきて判明するでしょう。頻繁に工房に出入りしている大学院生が修了制作の仕上げに気合いを入れていたため、私は彼女に背中を押されるように頑張っていたのではないかと思うところですが、毎年修了制作のようなつもりで制作している私には、これが通常なのかなぁとも感じる次第です。今月の鑑賞は美術関係で言えば、前述の藝大修了制作展と火焔土器の展覧会に出かけました。映画はヒットしたアニメばかり続けて2本も観ました。「君の名は。」と「この世界の片隅に」で、とりわけ「この世界の片隅に」で描かれた戦時中の生活が丁寧に表現されていたことに、戦争の愚かさを見る思いがしました。10年目に入ったRECORDは苦しい時間をやり繰りしながら何とかやっていました。とくに冬場は夜が辛いので、RECORD制作時間は眠気を我慢しながらサボリがちな自己と闘っていました。読書は杉本博司著「現な像」を読んでいます。電車に乗るとついウトウト寝てしまって読書が進みません。来月はもっと頑張りたいと毎月書いていますが、寒さ厳しき折なので風邪を引かないように今月並みに頑張ればいいかなぁと思っています。
    渋谷の「火焔型土器のデザインと機能」展
    先日、東京渋谷にある國學院大學博物館へ「火焔型土器のデザインと機能」展を見に行ってきました。火焔型土器は自分が作る陶彫にも通じた表現なので、昔から興味関心の対象なのです。國學院大學博物館には初めて行きました。皇室関係や国学に関する資料もあって、展示が分かり易くて広さも手頃な博物館でした。約5000年前の縄文時代の火焔土器が26点も集まっていると聞いて、これは必見だと思っていました。展覧会はなかなか壮観で、火焔型の他に王冠型がありました。ほとんど新潟県から出土されたモノで、以前訪ねた十日町市の遺跡の出土品も数多くありました。こうした土器は煮炊きをした跡があるため日用品として使用されていたわけですが、どうして装飾過多な造形が施されているのか、今も謎に包まれています。通常の生活雑器なら大げさな装飾は邪魔な部分だろうと思うところですが、容器として多少不便でも縄文人の美意識が勝っていたと考えるべきでしょうか。世界に例を見ないデザインは、現代人の眼から見ても独創性に溢れています。製造方法は解説のパネルにあって興味深く見ました。果たして火焔型土器はどういう人が作っていたのか、男性が狩猟に出ている間、女性が作っていたのではないかという仮説をどこかで読んだことがあります。地域や村によってはデザインを競い合うようなシステムがあったのでしょうか。縄文土器の持つダイナミックな生命力を芸術として位置づけたのは岡本太郎でした。私はその理論に影響された一人です。自分の陶彫制作の原点がここにあるという認識を新たにしました。
    週末 今月最後の制作日
    早いもので1月がもう終わろうとしています。今日は1月最後の週末で一日中制作が出来るのは今日しかありません。週末土日のうち私は日曜日の方が気持ちよく制作が出来ます。土曜日はウィークディの疲れがあって身体が重く感じるのです。昨日は朝工房に来て、大きなタタラを6枚用意しただけで、その後は東京へ展覧会を見に出かけてしまいましたが、電車やバスの中で疲労感を覚えていました。上野と渋谷を周っただけでクタクタになってしまいました。今日は心も身体もリセットして、朝から工房で陶彫制作に没頭しました。工房は不思議なところです。創作活動をすることを目的に作られた空間なので、一歩足を踏む入れただけで気分が変わります。陶土に触れると情緒が安定し、少しばかりの心の迷いは吹き飛んでしまいます。若いスタッフがいようがいまいが関係なく、自分ひとりの世界に絡み取られてしまうのです。長野県の山奥で池田宗弘先生が孤高の制作生活を送れるのも創作活動の成せる業ではないかと思えるのです。制作をしていると孤独に打ち拉がれることはありません。一体そこにどんな魔力があるのでしょうか。自分に活力を与え、眼前に幻想の世界を描かせてくれる創作の神々は、時に気難しく、時に優柔不断なこともありますが、魂の救済はしっかりやってくれるようです。努力を裏切ることもないのかもしれません。精神論はともかく、そろそろ現実的な制作工程の振り返りと先読みをしなければならないところにやってきました。来月は「発掘~座景~」の台座に砂マチエールを施さなければならないからです。来月の目標は明快です。そこに向かって頑張っていこうと思います。
    週末 修了制作展&博物館散策
    週末になり、今日は前から予定していた展覧会に家内と出かけました。東京上野にある東京藝術大学美術学部の卒業・修了制作展に、工房のスタッフが出品していたので見に行ったのでした。彼女は校舎の一室を使って床置きの大きな凸面の作品と壁掛けの小さな作品を展示していました。部屋全体を真っ暗にして、照明によって2点の作品を浮かび上がらせていました。細密な描写を施した表面を、斑に染めた半透明な布で覆い、重層的な深みのある世界を表現していました。命が蠢く様子を捉えていて圧巻でした。彼女に会った後、藝大の中を見て周りました。一昨年行った都内の美術大学でも感じたことですが、藝大でも予想通りインスタレーションが数多くあって、昨今の学生作品の傾向が現れていました。藝大生にしろ美大生にしろ、私は空間把握の経験値の少ない者がインスタレーションをやることに疑問を呈する一人です。空間としての捉えに一過性を感じてしまうからです。継続深化していく造形哲学がないうちは、内なる世界を見つめ、形態内に精神の瀬戸際まで自分を追い込んでいった方が、結果的には広がりのある世界を獲得できるのではないかと思うのです。その中でも才能を感じさせる表現もありました。手前味噌ですが、工房に出入りしている彼女もその一人です。そんな学生たちも、いざ卒業してしまうと創作環境がままならず、自分の意思に反することが増えてきて、アートの世界から離れていく者もいます。社会的なニーズのないモノを作っている者の宿命ですが、その逆境に挫けずに創作を極めた者だけがアーティストとして、いずれ芽が出ることになるのかもしれません。そんな訳で藝大や美大の卒業制作展に足を運ぶと、自分は複雑な心境に苛まれます。自分も経験した苦いキャリアがあるからで、どんなカタチであれ生涯に悔いを残さないように祈るばかりです。上野を後にして、私たちは渋谷に向かいました。國學院大學博物館で開催中の「火焔型土器のデザインと機能」展を見たいと思っていて、果たして期待は裏切られずに見応えがありました。嘗て新潟の十日町市の博物館で見た記憶が甦り、気持ちが充満して心地良いひと時でした。詳しい感想は後日改めたいと思います。今日は早朝工房に出かけて明日の陶彫成形のためにタタラを準備しましたが、それも含めて大変充実した一日を過ごしました。
    表現の蓄積と保管
    工房の片隅に棚代わりにしたパネルがあり、RECORDを並べています。RECORDは一日1点ずつ作っていく小さな平面作品で、今年が作り続けて10年目に当たります。RECORDは完成すると、右下に印を押して日付けを入れています。その印が乾くまで工房のパネルに置いておくのです。ほぼ2ヶ月分をパネルに並べていて、印が乾いたものから重ねてケースに収納しています。1ヶ月分30枚を重ねると、ちょうど故若林奮氏の彫刻「100粒の雨滴」のような様相になります。表現の蓄積がぎっしり詰まったブロックは、それなりの雰囲気を放射していて、そのまま若林氏を模倣して彫刻として提示するのも悪くないかなぁと思ったりしています。1年間で12ブロックが出来ていて、しかもそれが10年間分あるのです。作品の大きさを常に一定にしているので、同じ大きさのケースに保管しています。ケースには2ヶ月分ずつ入れてありますが、最近そのケースが店で品切れになり、昨年からやや大きめのケースに変えています。そのケースでは3ヶ月分を入れています。それぞれのケースに乾燥剤を入れていて、1年に一度乾燥剤の入れ替えを行います。写真撮影は9月から10月頃にまとめて1年間分を行っているので、現在作っているRECORDは秋にならないとホームページにアップされません。表現の蓄積と保管は滞らずにやっていこうと思っています。