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  • 記憶の無意識操作
    記憶の曖昧さを認識することは誰にもあることだと思います。芸術に興味関心のある自分は、嘗て観た美術作品や既読した書籍の印象が、時間経過と共に甚だしく違ってしまったり、自分の中で誇張された部分があって、記憶を疑う場面もありました。記憶のメカニズムがどうなっているのか調べてみたい欲求にも駆られます。初めて接した事象に対して表面的な印象しかなかった場合には、二度目の接見でさらに深い洞察が出来て、記憶の印象を深化更新するならばそこは納得できます。まるで異なる印象を記憶している場合は、こんなはずではなかったと自分が俄に信じられない事態に陥ります。記憶は自分が願うように意図して操作する場合と、無意識な操作があって、私が憤りを感じるのは当然後者です。また芸術作品の記憶には複雑な心情も絡みます。若い頃に出会った現代美術の作品に放射するパワーを感じていたことが、年齢を重ねた現在では何も感じずに、寧ろ表現の限界を見取ってしまうことが多々あります。自分の創作活動上の成長なのか、芸術思考の価値観が変わったのか、そこは定かではありませんが、記憶が自分の歩みを確認づける材料になっていることは確かです。記憶を自己都合で加工してしまった場合は、事実関係を歪ませることになりかねません。これは嘘偽りではないが、こういう解釈でいこうと決めて、幾度も繰り返すうちに記憶更新が行われてしまうのです。自分一人で罪のない記憶更新をしているなら問題はありませんが、国家でやっているとなると大きな国際問題に発展していきます。現在世間を賑わしている隣国との問題もそこにあるように思えます。
    日常と創作のバランス
    現代美術はひと頃前と比べると社会生活に立脚している表現が増えてきました。震災以降、美術は何をすべきなのか、作家が自問自答している場面もありますが、美術作品が村おこしや単なるイベントに使われてしまう可能性も否めません。芸術的価値を再確認する必要もあると考えるのは私だけでしょうか。私は画室に籠もって芸術至上主義を貫くことを言っているのではなく、何でもありの表現活動を見ていると、芸術の判断基準が広域になりすぎて揺らいでしまうのではないかと内心恐れているのです。私は週末とウィークディの夜に陶彫制作をやっていますが、浮世離れした創作活動であることに間違いはなく、自作は社会貢献度が少ない方に入るだろうと思っています。昼間の仕事はその逆で、私のウィークディの勤務は社会との関わりで成り立っているようなものなのです。芸術に社会性を多く求めない私の作品は、二足の草鞋生活の精神的バランスをとるものとして個人的な趣向で生みだされてきたと認識しています。職場で直面する課題の数々を作品化し、発表することも出来ないわけではありませんが、自分自身を取り戻せる時間には、自由な発想で作品を作りたいと思っているのです。もちろん現代を生きる私は、職場でも少子高齢化の影響を受け、それでも緑地が切り崩され都市化する周囲を眺めていて、人口減少の危惧を抱かないことはありません。そうした危機感が作品作りの発想の根幹にあるのではないかと思うところですが、作品の説明要素として表面化していないとも感じています。現状は日常と創作のバランスを保ちながら、双方がお互いを補うカタチになっているというのが実感です。
    創作意欲について
    江戸時代の絵師葛飾北斎や長谷川等伯が晩年になっても創作意欲が衰えず、創作活動に励んでいたことを羨ましく思っています。私も60歳になっても創作活動の衰えはありません。寧ろ現在の方が充実しているように思えるのです。若い頃は幾度となく創作活動を諦めかけた時がありました。日本の学校で学んでいた人体塑造に意義を見出さなくなった時がそれでした。ただし、創作活動を止めようとは思いませんでした。自分が創作したい世界を探していた時期だったと思います。自分を異文化の中に押し込んで、情報がないところで自分の思いが熟成するまで待っていたんだなぁと今では振り返っていますが、当時は居心地の悪い外国で落ち込むこともありました。次に海外で創作のヒントを得て、意気揚々と帰国した時に、創作活動そのものが危ぶまれる事態になりました。30歳で公務員になり、両親を安心させたのも束の間、残業続きの仕事で創作活動に気が回らなくなったというのが本音です。創作活動が出来る出来ないというのは私だけの問題で、他者にとってはどうでもいいことでした。社会的ニーズがないのを敢えてやっていくのは自分との闘いで、そこから内なる世界がスタートしています。人はどう生きるべきか、実家は宗教が希薄だったため、私は哲学に頼りました。可能なことから始めようと思い立ち、作品制作の場所を探しました。陶彫の環境が整わないため、まず絵画制作から一歩を踏み出しました。哲学的思索と造形制作との両輪で自分を保ち、公務員と芸術家の二足の草鞋生活を軌道に乗せました。あれから30年以上経ち、自分の工房を持ち、毎年企画展を銀座のギャラリーでやらせていただいています。あと何年私は創作活動が出来るでしょうか。意欲は続くのでしょうか。これは私自身の問題です。私の創作開始は同期の仲間からすれば遅かったと思っています。その分長く長くやっていきたいと思っています。自分は諦めが悪く、拘りが強いので、そこだけは江戸時代の先人たちに負けないのではないかと思っているところです。
    週末 「座景」テーブル刳り貫き開始
    新作「発掘~座景~」は背の低いテーブル彫刻で、大きさは畳大の厚板を4点繋げて広げています。一枚の厚板を4本の柱陶で支えるとして計16本を使います。テーブルの上に陶彫部品が複数置かれ、部品と部品の間は陶彫による橋を渡す予定です。陶彫部品のないところは厚板に格子のような穴をあけます。ギャラリーの上からの照明で、穴を通して床に斑な影が出来るような効果を狙っています。今日は厚板にドリルで穴をあけ、ジグゾーの歯を突っ込んで刳り貫いていく作業をしました。4点のうち1点の刳り貫きが終わりました。1点の作業はほとんど一日がかりになりましたが、残り3点をいつやればいいのか思案しました。電動工具の音は周囲にどのくらい影響を与えているのか、夜の早い時間であればクレームがないのではないか、許されるのであれば、ウィークディの夜に出来ないものか、毎晩2時間やれば来週末には2点目の刳り貫きが完成します。そうすれば砂マチエールの作業をする2週間後には何とか間に合うのではないかと考えています。木材加工は陶彫とは違い、焼成時に割れるのではないかという心配はありません。その分面白みに欠けますが、気分としては楽なのです。ともかく2週間は木材と徹底的に付き合います。今日は頻繁に工房に来る若いスタッフがいました。職場の人も絵を描きに来ていました。久しぶりに複数の人が工房でいて、昼休みは楽しいお喋りが出来ました。
    週末 砂マチエール搬入
    今日は朝から工房で制作三昧でした。陶彫制作を中断して「発掘~座景~」の台座作りに精を出しました。台座には砂マチエールを施す予定です。砂マチエールは東京神田にある文房堂本店より取り寄せています。文房堂が自社で製造している砂マチエールが一番使い勝手が良いのです。以前は画材店で少しずつ購入していましたが、大量に必要なので本店からまとめて送ってもらうことにしたのでした。私は砂マチエールとの付き合いは30年位前から始まっています。現在の「発掘」シリーズに繋がるイメージを海外滞在でヒントを得て日本に帰った私は、試行したい陶彫のノウハウも制作環境もなく、その代理として油絵を描き始めました。油絵の具に砂を混ぜて陶壁のようなマチエールを作り出していました。当時は現在のような砂を硬化剤で画面に定着させた後で油絵の具を滲み込ませる方法ではなく、油絵の具に混ぜて使っていましたが、それは絵の具が大量に必要で、もっと経済的な方法はないものか試行を繰り返すうちに現在の方法に辿り着いたのでした。陶彫の実験を経た後、漸く完成に漕ぎつけたのが「発掘~鳥瞰~」でした。「発掘~鳥瞰~」では陶彫部品と併用して砂マチエールを施しました。継続していた油絵の表現に陶彫が加わったカタチになります。今までの作品では陶彫だけで完成しているものもありますが、陶彫と木彫を併せた作品も多く、そのうち砂マチエールを施した作品もあります。私にとって砂マチエールは陶土より古くから使っている素材で、陶彫と相性が良いのがわかって、自分のイメージを広げることができたのです。今日の午後、砂マチエールと硬化剤が30本ずつ本店から届きました。再来週の週末に砂マチエールの作業を行う予定でスタッフに話してあります。それまでに「発掘~座景~」の台座の加工を終わっていなければなりません。頑張りたいと思っています。