2017.02.20 Monday
「現な像」(杉本博司著 新潮社)を読み終えました。著者杉本博司氏は、私が以前から注目している現代美術作家ですが、文筆家としても優れていると思いました。本書は「新潮」に連載した随筆をまとめたもので、杉本氏は古美術商を営み、写真家としても現代の側面を切り取る鋭い表現力があって、展覧会があれば必ず見に行く作家の一人です。「現な像」は著者本人の生い立ちや歴史的な興味関心事にも筆が冴え、私が苦手とする第二次大戦後の日米両国に纏わることにも触れていました。現代を見極めるために、古代から近現代史に至るさまざまな事象に論点を与えることは、美術という表現を突き詰めていく上で必要なことだろうと思います。もはや現代社会は美術だけが至上主義的に突出しているものではなく、縦横断分野の関連の中で発言・発表しうるものだからです。その中で私は「射干玉の闇」の章にあった一文に目が留まりました。「折口信夫が語りかける死者の声。大津皇子が蘇る、はざかいの、絶え絶えの息。その息が発するいにしえ人の言霊。私は折口信夫が今という世に生きながらにして、その全身全霊が古代人に生まれ変わっていることを、この小説を読む度に戦きをもって実感する。~略~私は現代美術の作家として、自我の発露として作品を作りえるのではない。私の自我は、長い民族の歴史の果てにたどり着いたこの地で、見失ってしまった遠い祖先の地を垣間みるための、盲人の白い杖にすぎない。」この一文で思い出したことがありました。折口信夫著「死者の書」の文庫本が自宅のどこかにあったはずなのですが、見つかりません。学生時代に読もうと思って途中放棄した書籍でしたが、この機会に再読しようと思ったのでした。一冊の書籍から次の書籍へ、私の読書癖はこうして繋がってきたように思います。
2017.02.19 Sunday
「発掘~座景~」は4点のテーブルを繋げて上に陶彫部品を置く計画です。陶彫部品が置かれる場所以外は変形した格子状の穴をあける予定で、この下書きは既に終わっています。変形した格子の刳り貫き切断の作業は2週目に入り、今日は3点目が終了しました。来週末はそこに砂マチエールを硬化剤で貼り付けていく作業を予定しています。最後の4点目はウィークディの夜間に刳り貫くしかないかなぁと思っています。陶彫制作は暫し休んでいて、工房は木屑だらけになっています。このところ陶彫とはアプローチが異なる木材の加工に明け暮れているため、多素材を併用する大変さを実感しています。ただし、木材は陶彫のように乾燥や焼成によって変形したり、変容したりすることがないため、作ったまま放置できます。罅割れを心配することもありません。丸一日作業すれば作業したなりの結果です。テーブルになる木材が陶彫との関わりによってどんな効果を生み出すのか、そこは自分のイメージ通りになるのか否かが問われるところですが、長く制作をやっているキャリアから考えれば、ほとんど想像通りになるのではないかと思っています。木材との付き合いは今後「発掘~座景~」のテーブルに接合する柱になります。先端を細くするため木彫を行います。それから柱の四方から陶板を貼り付けて柱陶にしていくのです。まだまだ先が読めない状況ですが、頑張ってひとつずつハードルを越えていくしかありません。今が頑張り時だろうと思います。
2017.02.18 Saturday
昼ごろ、管理職研修から帰ってきました。東京の築地市場を散策し、家内に頼まれていたおでんだねを仕入れて来ました。久しぶりに訪れた築地市場は相変わらず混雑していて、場内にある食堂はどこも人が並んでいて入ることが出来ず、結局場外の開店したばかりの食堂に入りました。朝から「特上生うに定食」を食べてしまって、一日を通して胃に応えました。昼から工房に行って「発掘~座景~」のテーブル台座の刳り貫き切断をやっていました。4点のうち2点が終わりました。残り半分です。電動工具を使っているうちは夢中で作業をしていますが、朝早くから築地市場を歩き回っていたせいか、今日はとても疲れました。そうでなくても土曜日は疲労が溜まっているのです。来週末は若いスタッフを数人呼んで砂マチエールの作業をやる予定なので、それまでに4点全ての刳り貫き切断を終わらせていなければならず、今が一番苦しい時期なのです。足腰が痛んで屈むことが苦しいと感じました。夕方になって自宅に顔馴染みの税理士が来ました。母が所有している不動産の税金申告を作るため、私が母からその仕事を任されているのです。家内が書類一式を保管してくれているおかげで、毎年速やかに作業が終わります。私たちもこうしたことに慣れてきたなぁと思います。私の彫刻が売れて税理士にお願いできるようになればいいなぁと毎年思います。テーブル台座の刳り貫き切断は明日も続行です。
2017.02.17 Friday
勤務時間終了後に東京の築地に向かいました。今日から明日まで横浜市ではなく区単位による管理職の宿泊研修を計画していました。同じ職種の管理職が集まって打ち解けあう機会は、とても大切と私は考えています。私たちはそれぞれの職場では孤独です。最終判断をしたり、その責任を感じたりするのは、この立場になってみないとわからないと思っています。時には同じ管理職同士が夜を徹して話し合うこともいいのではないか、日頃の悩みを共有することで元気がもらえるのです。築地を選んだのは、美味しい海鮮料理が食べたかったからです。築地市場は夜が早いので、市場散策は明朝にしようと決めていました。ところで築地市場は今後どうなるのでしょうか。豊洲に移転できるのでしょうか。横浜からなかなか築地市場まで来ることができないので、今日が見納めかもしれないと思っていたのでしたが、東京都の判断はまだ先行き不透明といったところでしょうか。宿泊したホテルはアパホテルでした。部屋に置いてある書籍が問題となって近隣の国から拒否反応があったホテルです。きっと宿泊研修を決めた一週間前でも空室が見つかったのはこんな理由があったのかもしれません。深夜、ホテルの部屋でその書籍を捲ってみました。成程、ここがその箇所かと思いつつ、歴史の捉えと事実はどうだったのかを思い描いてみました。日本に住む日本人として、私は内容に納得していますが、国が違うと見方はまるで異なるのは、若い頃西欧に数年滞在した経験から十分理解しています。まして戦争犯罪に関わることなら尚更でしょう。それも研修の一環と思いながら、築地の夜を楽しみました。
2017.02.16 Thursday
アール・ブリュット(生の芸術)は、障害を持つ人が取り組んだ造形美術のことを言います。英訳では「アウトサイダー・アート」と称し、美術の専門教育を受けていない独習者だったり、民族芸術も網羅しています。今日職場に届いた読売新聞の文化欄にスイス人芸術家アドルフ・ヴェルフリについての記事が掲載されていたので注目しました。記事によるとヴェルフリは精神科病院の狭い部屋で制作することで命を繋いでいたという一文があり、障害を持ったが故に精神性が研ぎ澄まされていたとも思えます。障害を持つ人は全体を把握したり、視野を広くもつことが難しい傾向があります。その分、自己を掘り下げるパワーは常軌を逸していて、その力を芸術活動に注いだならば、凄い世界を創出して見せます。私は常々精神バランスを欠いた時に生みだされる緊張した世界に、高い芸術性を見ることができると思っています。私自身もデビュー作である「発掘~鳥瞰~」を作っている時は、食欲を失い、体重も落ち、何かに突き動かされる感覚を持ちました。幸いその時は管理職ではなく、公務員として末端の仕事に携わっていました。昼間の仕事も何とかやれていたのではないかと振り返っています。場面によっては自閉傾向も自分にはあるのではないかと疑いつつ、芸術家と障害者は紙一重ではないかと思うことも暫しあります。アール・ブリュット(生の芸術)は不思議なほど私の心に染み込んでくるのです。