2017.02.05 Sunday
今日から「発掘~座景~」の全体構成を考えることにしました。と言っても通常の陶彫制作に時間が取られ、全体構成を考えるのは夕方になってしまい、今日のところは台座を床に並べて完成した陶彫部品を置いて全体を見渡すことしか出来ませんでした。全体を俯瞰した結果、まだ陶彫部品が足りないと思いました。イメージ通りではなかったので、追加して陶彫制作を行わなければならず、今後の制作工程を見ると厳しいものになると判断しました。台座上の陶彫部品のないところに格子状の穴を穿ち、その効果を考えながら陶彫制作を行うのです。部分に関わっていた制作が、ここにきて漸く全体を把握するに至り、「発掘~座景~」は次の段階に進みます。今月の終盤にはスタッフを数人呼んで台座に砂マチエールを施すので、それまでに台座の加工を完成させなければなりません。まず下書きと切断加工をいつにするか思案しました。電動工具の音が近所迷惑なので、ウィークディの夜に加工は出来ず、下書きは夜の時間帯にやっておいて、来週末に切断をやろうと決めました。それと併行して追加の陶彫部品を作らねばならず、これが終わるまで当分の間は「発掘~宙景~」の陶彫部品の制作を休むことにしました。いよいよ制作工程にある最初の難関がやってきた気がします。私の彫刻作品は何回かハードルを越えていかなければならず、今までもさまざまな場面に直面して、その都度クリアしてきました。毎回異なる難関なので、経験としての知識が応用できない嫌いがあります。幸いなことは制作に慣れが存在しないことです。イメージの具現化に向かって頭脳や感覚をフル稼働していくしか方法がありません。創作とはそんなものかもしれず、そこが楽しくてやっているようなものです。来週は会議が夜まで予定されている日は除いて、通常勤務の日は夜な夜な工房に行こうと思っています。
2017.02.04 Saturday
今日の午後は映画に行きたいと思っていました。週末の制作では制作工程上のノルマがあるため、いつもより早く工房に出かけました。朝8時前に工房に入り、「発掘~宙景A~」の2段目に吊り下げる陶彫部品の彫り込み加飾をやり、続いて柱陶の仕上げを行いました。さらに土錬機を回して土を練り、大きめのタタラを5枚用意しました。ここまでやったところで午後1時になり、自宅に戻りました。今日のノルマ達成でした。今日は土曜日のためウィークディの疲れがあったのですが、モチベーションを持ち上げたまま、家内とエンターティメント系の映画館に出かけました。観たかった映画はM・スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンスー」で、上映3時間にも及ぶ大作でした。原作になった遠藤周作著「沈黙」を、自分は高校生の頃読んでいたのですが、その時は物語の深層を理解できず、布教の困難さや踏み絵の意味すら分かりませんでした。西欧から宣教師がやってきて、江戸時代の人々にキリスト教の教えを伝える、でも士農工商という身分制度があった幕府による政治体制には合わなかったんだなぁと高校生の私は思っていました。概略は間違っていないと思うのですが、信仰とは何か、生きる道標をどこに見出すのか、という根源的な問いを考えることは出来ませんでした。私が宗教について初めて考えたのは20代後半の滞欧生活からで、とりわけルーマニアの村で体験した人々の素朴な祈りの姿が印象に残っていたからでした。キリスト教は哲学者の叔父や彫刻家の師匠が信じていたので、宗教としては身近ではありました。でもヨーロッパの古都で生活していると、カソリックの壮麗さに眼が奪われてしまい、キリスト教団の権力を見る思いがしました。ルターの宗教改革が起こったのも教科書で習った机上から離れたところで漸く理解できた次第です。キリスト教団は欧州に留まらず、世界的な布教を始めたため、極東の日本にも宣教師がやってきたのでしょう。他の宗教がそんな戦略を考えなかった時代に布教をしていたと言えます。映画では神父や隠れキリスタンが弾圧される側、幕府の役人が加害側として描かれていますが、世界の隅々にまでキリスト教に染めようとした教団の驚くべき世界戦略を考えた時に、果たして映画の描き方を一面で捉えていいものでしょうか。西欧でのカソリック権力が如何ほどだったのかを鑑みると、キリスト教を突っぱねた幕府は、保護主義的な不寛容ではあるけれど、一概に政策を嘆くのはどうなのか、それは私の考え過ぎでしょうか。これは収束のつかないことになってしまいそうなので、ここまでにしたいと思います。映画の詳しい感想は後日改めます。
2017.02.03 Friday
先日、朝日新聞の天声人語に猫に関する記事が掲載されていました。我が家にも猫がいるので共感をもって読みました。作家内田百閒も猫好きだったようで、野良猫を飼っていたようです。天声人語から引用いたします。「『恩のやり取り、取り引きは人間社会で間に合つてゐるからノラには御放念を乞ふ』(『ノラや』)。しかし老作家の情は深く、猫が行方知れずになると仕事も手につかなくなる。」猫は人に媚びない、恩を感じるそぶりがないところがいいと内田百閒先生は仰っています。作家、画家、彫刻家等芸術家に猫が人気なのは、人の言いなりにならないマイペースなところが、自分の生き方と通じるモノがあると思う人が多いためではないかと考えるところです。私は二足の草鞋生活なので、一方の仕事では管理社会の中で雁字搦めになって、部下を管理する立場でいます。まさに猫の生き方の真逆です。また一方の仕事は自由気儘が基本の芸術家ですが、作品を個展の期日までに作り上げるため、徹底した自己管理をしています。それはウィークディの仕事より厳しい条件を課していて、週末は病気になる余裕すらありません。だからこそ勤務が終わって自宅に帰ると、ソファに横たわっている飼い猫トラ吉を見るにつけ、こんな自堕落な生活もいいなぁと思ってしまうのです。天声人語に「猫のマイペースな姿には『自立を失わず人に頼るべし』の教訓があるという。猫好きでなくてもときに彼らの気持ちになってみるのは悪くない。意外と深いかもしれない。」とありました。猫を見習うことも人間らしさを取り戻すために必要かなぁと思うこの頃です。
2017.02.02 Thursday
今年のRECORDはひらがな3文字のテーマを考えて作るようにしています。今月は「うめる」にしました。「うめる」を漢字で示せば「埋める」で、埋葬や埋没がイメージされてきます。小動物が森の中で夏の間に食糧を見つけて穴に埋める場面をテレビで見たことがあります。埋める行為は隠す行為でもあります。自分の所有している大切なモノを隠すという行為は、微かな記憶の幼児体験で私にもあったように思えます。芸術家はそうした己の心の中を作品として表現して示すわけですが、逆に作品を埋めてしまう彫刻家もいて、当時学生だった私は影響を受けました。埋めてしまうことでモノは大地と同化して無に戻ることになります。亡骸の埋葬はそんな意味もあると思います。自分の彫刻は埋没した遺跡が大地の表面に現れた状況を造形化しています。「うめる」は自分の彫刻とも通じるテーマです。埋められたモノがどんなモノなのか、考古学上の興味はそこにあると言えます。人は隠されたり埋められたモノを解明したいという欲望をもつからです。今月も制作時間をやり繰りしながら、一日1点のRECORDを頑張って作っていこうと思います。
2017.02.01 Wednesday
2月になりました。タイトルのように熱血漢を演じたい筆者ですが、ヤル気が空回りしても何も出来ないので、ここはひとつ確実に制作を進めていくようにしたいと思っています。陶彫作品は「発掘~宙景~」の陶彫成形と併行して「発掘~座景~」の台座制作に励みます。今月の25日と26日の週末に砂マチエールを台座に施そうと計画していて、そのため若手スタッフたちにも声をかけています。「発掘~座景~」の台座完成が今月の制作目標です。とても分かり易い目標ですが、かなり焦らないとそこまで到達できないのではないかと思います。頑張りに拍車をかけるのは自分の得意とするところですが、身体を顧みない制作姿勢は時に危険を伴います。それでも長い制作工程のうち何回かは常軌を逸した方法を取らないと完成に向かいません。タイトルの熱い制作目標とは、そんな気持の現れです。RECORDは当然継続です。RECORDを10年やっていても苦しいのは、多忙な生活に無理して組み込んでいるせいです。イメージが枯渇しないことだけが救いです。鑑賞では美術展や映画等に積極的に行きたいと思います。読書は杉本博司著「現な像」の継続です。現代美術作家杉本氏の考え方に共感を覚えることが多々あります。多忙で殺伐としてしまう自分の心に豊かな感性を与えてくれる書籍だなぁと思っています。今月も頑張っていこうと思います。