Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 5月初日は美術館巡り
    5月になりました。5月の制作目標は別の機会に回すとして、今日は昨日に引き続いて美術館巡りを行ないました。まず最初に訪れたのは東京の六本木にある国立新美術館で、ここで開催されている「国展」を見に行きました。週末は工房に出入りして染織をやっていた美大生が、卒業制作の染めを「国展」に応募して入選を果たし、その招待状を工房に持参してきたので、彼女の力作をもう一度見てこようと思ったのでした。作品は女子美大卒業制作展で既に見ていましたが、公募団体の中で見る作品がどう映えるのか確かめたかったのが来館の理由です。彼女は就職もするので、翌年は時間が制限される中での応募になり、以前の私と同じ二束の草鞋生活になります。時間が自由に使えた大学生生活とは異なり、厳しい中でも作品の水準を保てるのかが今後の大きな課題です。ただし、彼女には具体的な指標が見えているし、相原工房も使えるので、後は本人の頑張り次第というところでしょう。「国展」(国画会)は100年の歴史がある大きな公募団体で、絵画や彫刻も数多く展示されていました。見て回るだけで疲れましたが、せっかく六本木まで来たので、もうひとふんばりしてサントリー美術館にも立ち寄ることにしました。ここで開催している「河鍋暁斎の世界」展はイスラエル・ゴールドマン氏収集による本邦初公開の作品があり、疲れが吹き飛ぶほどの楽しい展示内容でした。河鍋暁斎の描く魑魅魍魎や蛙や猫に私は何度魅了されたことか。今回も例外ではなく、その描写の巧みさに心が揺さぶられました。詳しい感想は後日に改めます。描写の巧みさという点で言えば、次に向かった横浜美術館で開催されている「今村紫紅」展も、日本画に自由闊達な表現を模索した画家の足跡を辿った展示内容で、享年35歳で亡くなったのが信じられないほどの力量を感じさせてくれました。これも詳しい感想は後日に改めます。今日は東京から横浜まで3つの美術館で開催されていた3つの展覧会を回り、気持ちは充実していました。今月は制作だけでなく、観賞にも頻繁に出かけていこうと思っています。
    制作と鑑賞が充実していた1カ月
    4月の最終日になりましたが、今日は東京の新橋にあるパナソニック汐留美術館に出かけていき、「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」展を見てきました。先日新聞に掲載された舟越保武による塑造「ゴルゴダ」が、宗教に導かれた造形の凄さを表していたので、宗教と創作活動を多少なりとも理解しようと思って、稀代の宗教画家であるジョルジュ・ルオーの展覧会に足を運んだのでした。詳しい感想は後日に回します。さて、今月は30日間あって、28日間工房に通いました。工房を休んだ2日間は美術館や映画館に行った日でした。新作の制作状況は、陶彫による集合彫刻が既に完成し、今月は専ら壁に掛ける平面性の強い作品4点に取り組んでいました。その作品にはそれぞれに炭化した杉板を貼り、下地は油絵の具で塗装(描写)するつもりですが、文様を刳り貫いた杉板の炙り作業が終わり、愈々全体構成を考え始めています。今後は絵画的な制作が待っています。今月は制作も頑張ったのではないかと自負しています。鑑賞も制作に劣らず、かなり充実していたのではないかと振り返っています。まず美術展では元同僚が出品している「モダンアート展」を皮切りに「スウェーデン絵画展」(2つとも東京都美術館)、「チュルリョーニス展」(国立西洋美術展)、今日見て来た「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」展(パナソニック汐留美術館)の4つの展覧会に出かけました。とりわけヨーロッパの画家による企画展は、西洋絵画の奥深さを感じさせる内容で、自分がこれから絵画的な創作活動を展開していくこともあり、大変刺激になる機会を持ちました。映画鑑賞では「ゴールデンカムイ網走監獄襲撃編」(TOHOシネマズ鴨居)は娯楽映画、「ホールディング・リアット」(横浜シネマリン)はイスラエル・パレスチナ問題を扱った社会派ドキュメンタリーで、映像表現の幅の広さを実感しました。制作と鑑賞は車で言う両輪と私は考えているので、今月はバランスよく嚙み合った1カ月だったと思っています。
    「聖堂をいかにデザインするか」について
    「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第6章 聖堂をいかにデザインするか」の気に留まった箇所を取り上げます。「旧サン・ピエトロ聖堂の佇まいは、その建築プランから細部の装飾にいたるまで、後代の聖堂建築に多大な影響をおよぼした。ローマの旧サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂やサン・クレメンテ聖堂などは、規模は小さいものの、サン・ピエトロとそっくりな作りである。もちろん影響はローマ市内に限らず、10世紀にはドイツのフルダ修道院、11世紀初頭に改築されたスペインのリボイ修道院、イタリア中部のモンテ・カッシーノ修道院などのロマネスク建築が旧サン・ピエトロ聖堂のプランを踏襲している。サン・ピエトロの身廊は旧約・新訳聖書の物語場面で覆われていたが、その壁面の図像もヨーロッパ中に流布していった。~略~古代ローマの世俗的な集会所であるバシリカに倣い、コンスタンティヌス大帝の建てた二つの聖堂に範を仰ぎ、堂内の聖性を高める工夫を積み重ねながら、キリスト教徒たちはヨーロッパ各地に聖堂を作りだしていった。そして、あの11世紀の建築ブームによってその数は急増し、都市部だけでなく田舎の村々にも次々と聖堂が建てられていった。この新たな聖堂、すなわちロマネスク期の聖堂が古代ローマ建築の遺産を受け継ぎ、これまで確認してきたような起源と定式を踏まえていることはいうまでもない。」ここで北方民族の装飾に論文が移っていきます。「『結び目』は邪を祓い、俗の侵入を許さない『結界』の印なのだ。だからこそ、蛇やドラゴンは、聖なる領域と俗なる領域を截然と分かつ扉口に絡み合って棲みついた。南方ラテン的なものとは異なる、北方ゲルマン的な『聖域の作り方』である。絡み合う動物たちのなかでは、何といっても蛇とドラゴンが、ドラゴンではとくにその頭部が重要である。船の舳先につけた竜頭は護符の働きをなしており、9世紀から10世紀にかけてのアイスランド入植の記録を記した『植民の書』には、『口を開いた頭や広く開いた鼻をつけたまま陸地に向かって船を進め、これによって地霊が怯えるようにしてはならない』とあって、その竜頭の取り扱いに注意を喚起している。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「残る手の跡」
    今日の朝日新聞夕刊に美術に関わる記事が掲載されていました。「残る手の跡  ぶつけたものは」というタイトルで、彫刻を作っている私自身の気持ちが惹かれる内容になっていました。日本の近現代彫刻史に名を残す舟越保武による「ゴルゴダ」は、特異な作風で知られた具象彫刻です。「表現とは、作者の思いが技量によって造形へと昇華したものなのか。荒々しい手の跡が残ったキリスト像は、そのことを深く考えさせる。~略~舟越は87年1月に脳梗塞で倒れ、右半身がまひ、右手が使えず、視野も右半分が失われたという。入院中から左手でデッサンを始め、5月の退院後は、左手で彫刻の制作を始めた。左手による頭像としては発表2作目にあたるこの作品は、右ほおがえぐれ左右非対称だが、眼窩には怒りや悲しみ、苦悩とともに、慈愛も宿る印象がある。何より荒々しい手の跡が生の格闘のようなものを感じさせる。本人は『病気で苦しめられて、精神的にある意味で浄化されてきれいになった気がする。(中略)気持ちをぶつけて粘土が形になった』と語ったという。~略~表現と作者の思いをつなぐものは、何なのか。創造の本質を考えざるを得ない。キリストの姿がここにある。」(大西若人編集)彫刻作品の根底に流れる精神性を伝える文章で、敬虔なキリスト教信者であった作者の情熱が、私の心までも熱くしてくれたと思っています。半身不随になった作者の目には何が見えていたのでしょうか。神の存在でしょうか。それを制作に体力も手間もかかる彫刻を選んだのは何故でしょうか。「浄化されてきれいになった」という作者でなければ辿り着けない心境になって、愈々キリストに近づけると感じたのでしょうか。私は作者の強靭な精神性を導いた宗教にも興味を持ちました。近々私は東京の美術館にルオーの絵画を見に行こうと思っていて、その折にも宗教と創作活動について考えてみたいのです。私には今一つ理解が及ばない世界がそこにあると思っています。
    「海獣たちの変貌」について
    「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第5章 海獣たちの変貌」の気に留まった箇所を取り上げます。まずケートスという海獣を取り上げます。「ケートスの図像化の歴史はきわめて古い。紀元前650年頃からギリシャ美術に登場する。海神ネレウスの娘ネレイスらの乗り物として、あるいは姫を襲う怪物として。人身御供として怪物に喰われる運命だったトロイの姫へシオネやエチオピアの姫アンドロメダの物語で、英雄ヘラクレスやペルセウスに退治される怪物こそケートスに他ならない。アンドロメダを襲うのはドラゴンではなかったかと思われるかもしれないけれど、それはずっと後、ルネサンス期絵画で描かれたアンドロメダ物語の印象がつよいからである。当初の怪物はケートスだった。~略~中世でもカロリング期までは、竜の形態はきちんと定まっていない。それはときに蛇として、ときにケートスとして描かれていた。しかし、ロマネスク期に状況は一変する。竜は定型化されていき、現代の私たちにもおなじみのかたちをもつようになったのだ。~略~中世のドラゴンの起源を中国の龍に、あるいはメソポタミアや中東から伝播した怪物の形象に求める説は根強い。とくに19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、東方からの影響が力説されたのだけれど、その背景にはオリエンタリズムの隆盛があったことを念頭におかなければならない。~略~そもそもケートスと竜は、古代においても近しい関係にあった。先に挙げたオグデンの研究でも、ケートスは竜の仲間に数えられている。その幾つかある理由のうち、もっとも説得的な理由は、ヘシオドスの『神統記』がケートスをギリシャ神話のドラコーン類の始祖としていることである。また、英雄に倒される竜蛇の類とケートスの伝承には重なる部分が多く、物語の構造と主題においてケートス伝承との混淆が明らかな例もある。」今回はここまでにします。