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  • 週末 新聞記事より「壁画の修復」
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日の朝日新聞「天声人語」に興味のある記事があったので、これを取り上げます。「1日30万人という通行人の頭上で、絵画修復家・吉村絵美留さん(76)がパレットに絵の具を広げている。足場の下から聞こえるのは絶え間ない雑踏の音。東京・渋谷のJRと私鉄を結ぶ通路で、岡本太郎の壁画『明日の神話』の修復作業が最終盤を迎えている。幅30㍍、高さ50㍍。『太陽の塔』とともに岡本の代表作である。メキシコで制作されたのち所在不明になっていたが、発見され、2008年、この場所に設置された。描かれているのは、原爆が炸裂する瞬間と、それを乗り越える人間の力強さだ。足場を上がると、絵が目の前に迫った。吉村さんら3人の修復家が筆を動かしている。はけでほこりを浮かせ掃除機で吸い取る。はがれ落ちた破片は場所ごとに保管して戻す。岡本の絵を120点以上修復し、色を知り尽くす吉村さんが巨大壁画の数㍉のひび割れにちょんと色をのせた。『神は細部に宿る』とはまさにこのこと。付着するほこりは、ほとんど通行人の服の繊維だという。年一度のすす払いでは、その年の流行色がわかるとか。ここ数年、明るい色に変ってきたそうだ。これまで多くの修復を手がけてきた。太平洋戦争を描いた絵の修復中には、戦場を思い、毎晩のようにうなされたが『この作品には希望を感じます』。現実の世界では核の脅威が再び迫る。だが、そうした不安の時代を生き抜く人間の力を信じて、岡本はこの作品を創った。慌ただしく通り過ぎる人々を、壁画はきょうも見下ろしている。」渋谷駅での乗り換えで私も「明日の神話」を見ていました。岡本ワールドは遠くてもすぐ分かる個性があります。メキシコではシケイロスたちの壁画運動に触発されて彼は本作を描いたのでしょうか。修復して作品の真意を次世代に伝えることも大切なことと考え、今回は新聞記事を取り上げました。
    週末 連日映画館に行った1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通っていました。今週は壁掛けになる「炭景」4点の画面全体を構成する下地部分の色塗りを行なっていました。油絵の具で平塗をやっていましたが、油絵の具の筆には面相筆に変るものがないためデザイン用面相筆を使いました。筆の先がダメになるのを覚悟で使いましたが、ブラシクリーナーでよく洗えば毎日使えることを発見しました。今週の水曜日、木曜日、金曜日の3日間は工房での作業を午後に設定しました。水曜日と木曜日の午前中は横浜の中心部にあるミニシアターに映画を観に出かけました。連日で映画に行くのは初めてのことで、自分としては刺激的な2日間になりました。水曜日は「今日からぼくが村の映画館」(横浜シネマリン)で、アンデスの農村にやってきた移動映画館の虜になった少年の物語。木曜日は「モディリアーニ!」(シネマ ジャック&ベティ)で、20世紀初頭パリで困窮していた革新的作風をもつ画家たちの生きざま、とりわけモディリアーニ晩年の3日間を描いた物語は、私も現在画家のような仕事をしている最中なので、油絵の具の匂いさえ映画から漂ってくる錯覚に陥りました。金曜日は地元の市立中学校の学校運営協議会に参加してきて、自分が二束の草鞋としてキャリアを積んできたもう一つの職種についても数人の方たちと意見を述べ合う機会を持ちました。何とも密度の濃い1週間だったと振り返っています。映画にしろ美術館にしろ鑑賞に出かけると、創作へ向かう活気をもらえると実感しています。それは自分にとっての栄養剤なのだろうと思います。鑑賞は私にとって視覚的感性を磨く手段です。思いを巡らせたり、造形のことを考えることも創作行為として私は認知していて、目の前にある素材や絵の具を駆使する実技と、その両面がバランスよく組み合わされると幸せを感じるのです。来週は「炭景」4点が仕上げに入ってゆくので、制作が佳境を迎えます。もう一息頑張っていこうと思います。
    教職に就いていた頃の記憶
    このところ工房での作業を後回しにする日が続いています。一昨日と昨日は映画の上映時間によって午前中から横浜の中心部へ出かけなくてはならなかったのですが、今日は地元の市立中学校で開催される学校運営協議会に参加するために、工房での制作は午後にしました。私は5年前に教職を退職しました。地元の市立中学校から声がかかったのは、ちょうど退職の機会でもあったので引き受けました。今も年間数回は中学校にお邪魔していますが、教職に就いていた頃の記憶が甦ります。普段は創作活動の事ばかり考えているので、教職のことは頭から抜け落ちています。学校運営協議会にいると、さまざまなことが思い出されて、私も教員として右往左往しているうちにいろいろなことを経験してきたんだなぁと改めて思います。今日は不登校生徒のことが話題に上がって、私にもあの子はどうしているんだろう、この子はどうしたんだろうと、その子の顔を浮かべながらあれこれ思い出すこともあります。校長をやっていると授業単位が足りていない不登校生徒と必ず面接を行ないます。本人が希望しなければ、留年はありません。不登校生徒の中には特定能力に特化した子もいて、その能力に私自身が関心をすることも屡々あり、その能力を伸ばすためには、何も集団の中にいなくてもいいのではないかと思っていました。自分が足りないと感じたら、そこを勉強して補えればよいと私は考えるに至り、それが本当の学習の在り方だろうと思います。私は専門性の強い大学までいって、漸く初めて本当の意味での学習の在り方に気づいたのでした。そこに着目せず、集団教育体制を培ってきた従来の日本の教育施策は見直す時期がきていると感じます。ただし、集団でなければ学べないことがあるのも事実です。常に他人のことを思いやる心を育てたのは集団教育で、それが国際的に見ると日本人の美徳になっているからです。教育のことを考えると止めどもなくなってしまうので、ここまでにしますが、今の私には学校運営協議会だけで充分だなぁと思います。
    映画「モディリアーニ!」雑感
    映画を連日観に行った記憶が私にはありません。映画マニアの人なら通常な事でも私には初めての体験です。理由としてはミニシアターの上映期間が短いため、こんな事態になったと言うより他にないのです。今日も工房での制作は午後に回して、昨日とは違う横浜のミニシアターに出かけました。画家モディリアーニを描いた映画を、私は20年前に観ています。それは2004年「モディリアーニ真実の愛」で、NOTE(ブログ)に感想を載せています。今回観た新作はジョニー・デップによる監督作品で、モンマルトルの乱雑さや汚さをあえてデザインした背景の中で、リアルな演技により芸術家(スーティンやユトリロ)の困窮した生活が描かれていました。図録によると「1916年、戦火のパリ。才能に溢れながらも批評家に認められず作品も売れなかった、酒と混乱の日々を送る芸術家モディリアーニ。キャリアを捨て、この街を去ろうとしたその時、仲間とミューズの存在が彼を引き止める。人生を変える運命とも言うべき”狂気と情熱の3日間”が始まる。その先に待つのは、破滅か、それとも再生かー。画家や彫刻家としてフランス・パリで活動していたが、不摂生な生活に貧困、肺結核、薬物依存などにより弱冠35歳で亡くなったイタリア人芸術家アメデオ・モディリアーニの濃厚な人生の日々を描いた本作」とありました。著名なコレクター(アル・パチーノ出演)とのやり取りで、自分の力作である数点の絵画を値踏みされ、絶望的な憂き目に遭いながら、鞄にしまってあった小さな未完の石彫を破格な値段で買い取ろうとするコレクターと、モディリアーニは嫌味を含んだ口論になってしまいました。こうした彼の生き方が本作の主題なのだろうと思いつつ、ここで、私は映画の本筋とは違う場面に心が動きました。モディリアーニは今でこそ画家として独創的な作風で美術史に名を残すほど知られた人ですが、私自身この絵画を理解するまでには時間がかかりました。私は映画に登場するコレクターと同じように、まず石彫に価値を見いだしたのでした。古代ギリシャのアルカイック美術に見られる顔の感情表現を極力抑えた彫刻に魅せられました。私にとってモディリアーニは永遠の石彫家であるのです。本作のちょっとしたエピソードに思わず自分の心が揺れた一幕でした。
    映画「今日からぼくが村の映画館」雑感
    今日の午前中は家内を誘って、横浜中心部にあるミニシアターにペルー映画「今日からぼくが村の映画館」を観に出かけました。本作の上映時間が午前中だったため、工房での制作は午後に回しました。映画という媒体の原初体験を描いた初期衝動が、昔観たイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるものがあって、質の高い内容に仕上がっていました。ただ、本作はイタリアよりさらに素朴な南米の村の出来事で、アンデス山脈の高地にある村が舞台でした。そこで暮らす少年がふとしたことで移動映画館のことを知り、父と町に物売りに出かけた際に映画を観る体験をしたことでドラマが始まります。その体験を学校の仲間に興奮気味に話すうちに、子どもたちで映画に行くことになり、そこで観た彼らの恐怖体験によって各家庭が混乱し、大人たちが村で集会を開くことになったのでした。村人も一度映画を観てみようと映画館に出かけてみたのですが、映画は村人が使っているケチュア語ではなかったので内容が伝わらなく、紆余曲折あって、映画はスペイン語が出来る少年一人で観て、その内容を村の集会で伝えることになりました。映画内容をジェスチャーを交えて愛嬌たっぷりに伝える少年の仕草が可愛らしく、これが本作の見せ場になっていると私は感じました。村での伝統的な暮らしや祈りを捧げる場面、少年の唯一の味方として視野の広さに理解を示してくれた老婆の葬儀の様子など、アンデス山脈の高地に残る風習も本作では丁寧に描いていました。図録によると「本作では伝統的なアンデスの村の様子や文化と、アンデス世界と都市部のスペイン語世界を仲立ちする子どもたち、そしてアンデスの農村から都市に出ていって帰ってこなかった(これなかった)者たちとその家族が描かれる。アンデスの伝統文化を肯定的に評価しようという近年のペルー社会の変化と、それとうらはらに変わりつつある農村を背景に、失われつつある『理想的な』アンデスに対する郷愁が表されている、そのようなものとして本作を解釈することもできるだろう。」(蝦名大助著)一緒に行った家内が劇伴音楽として使われていたペルーの民俗音楽に心地よさを感じたと言っていました。