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  • 週末 色彩の魔術について
    日曜日になりました。週末は創作活動について書いていこうと思います。先日開催した私の個展で、壁に掛けられたRECORD作品に鑑賞者が注目していたことを思い出しました。彫刻専門のギャラリーで壁に掛けられた平面作品に目がいってしまったのは、色彩が印象的だったことが挙げられます。RECORDはポストカード大の厚手ケント紙に一日1点ずつ制作した、いわゆる文字通りのRECORD(記録)で、アクリルガッシュによる彩色を施しています。それが1年間365点集まれば、月毎に華やかなパネルになることは間違いなく、錆鉄色して色彩的には単調な陶彫作品より人目を引いてしまったわけです。今回の個展ほど色彩の魔術について考えさせられた機会はありませんでした。私は高校生の頃に工業デザイナーを目指して受験勉強をしていましたが、受験科目にあった色彩構成に苦手意識を持っていました。他の学生と比べても色彩感覚がないのではないかと自分に懐疑的になり、悩んだ挙句に彫刻に専攻を替えたわけですが、だからと言って立体感覚もある方ではなかったので、美術分野の中で多少はマシな方へ流れたと言った方が正確だったと言えます。その苦手な色彩に手を出したのは2007年から始めたRECORDからで、その時はデザインの受験用基礎学習から解放されて、好き勝手に色彩を扱ったというのが正直なところです。色彩は楽しいと思えたのは遅ればせながら10数年前からで、あの時諦めた色彩構成を今になってRECORDというカタチにして遂行しているように思えます。現在の私にとって色彩は新鮮です。日本の伝統工芸の中に独特な色彩が使われていて、文様とともに私を魅了しているのです。まさにそれは魔術的と言っても過言ではありません。自分が魅せられている世界を自分の創作に取り入れたいと願うのは自然な流れで、私は立体とともに平面による色彩も今後考えていこうと思っています。
    週末 新作を考えた1週間
    週末になり、個展明けの1週間でしたが、陶彫制作中心というより、新作のために思考を繰り返した1週間になりました。私の個展を見に来てくださった人の中に、「毎日書道展」の出品者や、嘗ての教員仲間で絵画によるグループ展を開催している人たちがいて、今週は「毎日書道展」(国立新美術館)、「7月の光」展(うしお画廊)、「DAN展」(みつい画廊)をそれぞれ回ってきました。炎天下の東京や横浜の街中を歩いていると、体温と変わらない熱風の中で、電車を降りたところから目的の場所までの間で、瞬時に汗が噴き出してきました。これでは工房に長く留まることさえ身体に負担を強いるので、今週は工房に長く留まらない方法で創作活動をやっていこうと思いました。今週で一番インパクトがあったのが映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」(横浜シネマリン)を観たことでした。こういう映画は、娯楽性のある映画館では扱わないし、上映期間も短いので、私は思い立ったらすぐ観に行くようにしています。ドイツの芸術家アンゼルム・キーファーは、崩壊された世界を再現し、その中に人間の生きる根源を示していると私は解釈しています。私も「発掘シリーズ」を通して、遺物の掘り起こしから未来へ向けてのメッセージを伝えたいと考えてきました。新作はそこに拘ってイメージを捻りだしたいのですが、暫し時間をかけていくつもりです。素材への扱いはキーファーから得られた感覚に頼ろうと思います。ただし、キーファーが扱う素材は同じ形態を保って長い間保存するのが難しく、展覧会はインスタレーションとしての性格を帯びています。キーファーの師匠であるヨーゼフ・ボイスの理念をキーファーなりに発展した表現ですが、私の作品は陶という技法もあり、形態を保存する彫刻としての概念をまだ有しているのです。そんな表現の相違を感じつつ、キーファーが未来に託した訴えに、私も自分なりに近づこうと考えているところです。
    ドイツの芸術家アンゼルム・キーファー再考
    昨日は工房での作業を早めに打ち切って、映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」を横浜の中心地にあるミニシアターに観に行きました。私一人で行くはずが家内が同行してくれました。ドイツの芸術家アンゼルム・キーファーは、私の中で圧倒的に存在感を増している芸術家であり、彼が創り出す荒涼たる廃墟のような心象風景は、第二次世界大戦後のナチス・ドイツ政権の終焉と無関係ではありません。戦後、ドイツの人々が罪悪感から立ち直り、未来に向けて歩み出した頃に、キーファーはナチス式敬礼の画像を複数の場所で撮影し、批判を浴びていますが、過去を忘れず足元を見つめ続ける芸術家の造形行為の在り方が示されているのではないでしょうか。「芸術家キーファーが現代ドイツ史に対峙する際に敢えてスキャンダラスな形式を選んだことは映画に示される通りだが、一方で神話や歴史をモティーフとしたモニュメンタルな作品の耽美と深遠な時間への思考は、皮相な諧謔家とは全く異なる真摯なアートへの信頼を感じさせる。この愚直な真摯さこそキーファーとヴェンダースという二人のアーティストをつなぐ鍵となるのではないか。」(渋谷哲也著)また、キーファーが使用する素材に関してはこんな論考もありました。「キーファーの作品には、いくつものキーワードが潜んでいる。よく言われるのは歴史、物質、時間、神話、神秘思想などだ。大きな枠組みとしてはそのとおりだろう。”物質”は鉛の本のようなものから(キーファーにとって鉛は第一質量=プリマ・マテリアである)、カンバス上に貼り付けられた藁や金属、ガラス片、灰や衣服に至るまでさまざまだ。絵の具に拘泥しない、でも確固たるマチエールが存在する。それをキーファーはペインティングのなかにさまざまな物質を放り込むことによって顕現させている。」(長澤均著)映画では工場のようなキーファーのアトリエが登場してきて、作品の間をキーファーが自転車で移動していきます。勿論素材もあちらこちらに置いてあり、金属を溶かしたり、藁を焼くシーンがあって、私は制作のスケールに驚きました。最後に翼のある巨大なモニュメントが出現するのは、キーファーが未来に対して希望を灯しているように感じたのは私だけでしょうか。
    映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」雑感
    過日、ドイツの芸術家アンゼルム・キーファーの雛型作品による展覧会を見に行きました。キーファーは1945年生まれで、本作の監督ヴィム・ヴェンダースも同年の生まれ。つまり第二次大戦が終結し、ドイツ・ナチスの支配が終わった年でした。彼らは廃墟の中で育ったわけで、造形作品が廃物を集めてスケールの大きい世界を構築するのは、そんな環境とは無縁ではないはずです。ともかく工場のような広大な空間に置かれた作品は、灰と鉛で描かれた歴史の負の産物のように見えました。映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」を観て感じたことが、図録に掲載されたヴェンダース監督の言葉によく現れています。「私たちはまた、アンゼルムの幼少期の場面を再現し、彼の歴史を掘り下げていった。その過程の中で私たちは、過去と現在の境目を曖昧にした。芸術と向き合う時は、自分で自由を確立しなければならないため、私たちはその自由を利用した。そうしなければ、目の前で起こっている卓越の一部になることはできない。」日本でアンゼルム・キーファーを知る人は少ないと私は思っています。私も嘗て箱根にある彫刻の美術館のギャラリーで大規模なキーファーの展覧会をやっていたので、記憶に留めていたのに過ぎませんが、先日の東京での小規模な展覧会といい、今日の夕方に出かけた映画といい、それなりに鑑賞者がいたのには驚きました。キーファーの作品には思わず惹き込まれる要素があります。それは廃墟には未来が見える、何かが始まる場所なのだと言うキーファーの言葉があるからなのかもしれません。私も今は実家の大黒柱を自分の創作に使おうと喘いでいるところですが、キーファーの素材に対する解釈に何かヒントがもらえればいいと考えていました。私はキーファーと違って、戦後になって世相が落ち着いてから生まれたので、戦後間もない惨事は経験していませんが、それでも自身の振り返りをして、自分が今までどう感じて、この日本で生きてきたのかを問うてみたいと思います。創作活動は小手先ではないということを改めて感じさせてくれた映画でした。
    古木よりイメージを膨らます
    来年の個展発表を見据えて、新作を考えています。例年なら現行作品の制作中に、その発展形としての新作が湧いてくるか、降ってくるのですが、今回は実家の大黒柱を中心にした新作を思い描いているので、なかなかイメージがまとまらないというのが現状です。工房の隅にあった何本かの大黒柱の1本を作業場に引きずってきました。じっくり眺めて、用途を失った太い柱をどのように再生しようかが思案のしどころになっています。私の作品には過去にも木材と陶彫作品を併用したものがありますが、それは陶彫の世界をよりよく見せるための演出として、副次的に使用していました。作品の中には木材だけの作品もありますが、そこに陶彫が絡むことは稀でした。新作は古木と陶彫を組み合わせて一体化を図ろうと考えています。古木は釘の穴があちらこちらにあって、ほとんど廃材です。それでも祖父母やそれ以前の祖先が暮らした母屋を支えてきたので、妙な迫力があって、そこに敬意を払いながら、陶彫形態とのコラボレーションを考えていくつもりです。まず、自分がイメージした発掘風景を捉えて、その上で古木と陶彫をそれぞれ組み合わせて説得力のある表現を生み出していかなくてはならないのです。異質な素材は同化はしないけれども、双方を活かす方法がきっとあるはずです。まず、作業場の眼の触れる場所に古木を置いて、常に見て、常に考えていこうと思っています。イメージを膨らませる手段として、まず対象を見つめることから始めます。私は紙上でのエスキースはやりません。印象を刻み込んで、頭の中で幾度もイメージを更新していくのです。手を動かす前に、じっくり眺めて、思索を練ることが第一歩になるかなぁと思っています。