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  • 週末 風景彫刻という考え方
    週末の日曜日は毎回創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。先週NOTE(ブログ)にアップした「創作する空間の範囲」と同じ考え方ですが、切り口を替えて今回は「風景彫刻という考え方」で自作について述べさせていただきます。風景彫刻とは単体ではなく、集合体で風景を構成していく彫刻表現のことで、私の身近では師匠の池田宗弘先生が風景彫刻を作っています。池田先生は具象作家なので、複数の人物や猫などの動物が集う広場を、真鍮直付けによる技法で作っていて、私の中に池田先生の考え方が根付いているのです。それは私が大学で彫刻を学び始めた頃に遡り、大規模な展覧会に出品されていた池田先生の作品を初めて見て衝撃を受けたことに始まります。私は海外生活を経て作品が抽象化していき、さらに日本に引き上げる際に旅したギリシャ・トルコの遺跡から現在の「発掘シリーズ」に結集していきました。まさに風景として発掘現場を象徴化していくことは、振り返ってみれば当然の成り行きだったのかもしれません。そこには先週NOTE(ブログ)にアップした内容である亡父が生業にしていた造園業の影響もあります。ある範囲を決めて、そこに風景を創出していくことが私の彫刻の真骨頂で、陶彫部品を使って空間をイメージすることを、私は初期の頃から一貫してやってきました。この姿勢を崩すことはまずないと思っています。NOTE(ブログ)のアーカイブに次のような文章がありました。2021年10月3日付です。「私は大地に石材や木材で立ち上げたものをプラスの空間造形、洞窟や地下壕はマイナスの空間造形と位置づけていて、大地を座標軸にした空間の在り方を示すものです。それが芸術かというと、芸術の意識が芽生えたのは近代になってからのことなので、人類の長い歴史の中で、芸術品としての認識は最近のことと言わねばなりません。私は現代に生きる人間として、芸術行為としての空間を造形しています。私が思考するのは、古代遺跡の発掘現場にいるような架空の空間認識による彫刻で、出土され、空気に触れている部分がプラスの空間造形で、大地に埋蔵されている部分はマイナスの空間造形です。」これが「発掘シリーズ」の原点で、私なりの風景彫刻の考え方と言えます。
    週末 箱根にドライブした1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。9月の中旬だというのに、真夏と同じ体温に迫る気温が続いている毎日です。空調設備のない工房での作業は、相変わらず厳しいものがありました。とりわけ新作第1号の窯入れをした日は、窯周辺には熱を帯びた空気が充満していて、近づくことも出来ませんでした。窯を焚いている最中は、工房での作業を休んで、家内と箱根にドライブをしてきました。箱根も久しぶりだったのですが、東名高速の海老名サービスエリアも久しぶりで、定番のメロンパンを買いました。箱根の彫刻の森美術館では室内展示だけ見てきて、高温多湿の中を野外彫刻を見て回る勇気がありませんでした。ラリック美術館は混雑もなく、ゆったりと見て回れました。「ラリック×ダンス」という企画展をやっていましたが、ここは常設展示されているラリックの工芸品の数々が素晴らしく、見応えがありました。ずっと工房に籠っていると、ドライブのような気分転換が必要だなぁと思います。週末もなく制作三昧の毎日なので、来週も出来るならどこかで気分転換をしたいと思います。さて、今日は後輩の彫刻家が朝からやってきていて、先日まで展示していた二科展の木彫作品を工房に運び込んできました。私も昔から懇意にしているカメラマン2名が彼の作品を撮影するため、工房にやってきました。今日は昨日よりも涼しく風もあったので、野外撮影には絶好の日でした。私がそうしているためか、彼も撮影にはプロのカメラマンを使います。自分の視点ではなく、他者の視点を入れることで、作品世界が広がることを彼も理解しているようで、アナログとデジタル双方のアプローチによって、自らの世界観を形作っていると言えます。また、家内は朝から和装になり、胡弓をもって埼玉県川越市に行きました。私は最寄りの駅まで家内を車で送りましたが、夕方から「越中おわら夏の踊り」というのがあるようです。多少涼しくなったと言えども湿気が多く、この季節のイベントは大変だなぁと思いました。
    久しぶりに箱根ラリック美術館散策
    先日、家内を誘って箱根にドライブに行ってきました。彫刻の森美術館の次に向かったのは箱根ラリック美術館で、私は本当に久しぶりだったため、美術館の外見しか覚えていない有様でした。家内はアクセサリーを作っていることもあって、叔母とラリック美術館に来ていて、今回もフランスの近現代工芸を代表するルネ・ラリックの緻密な作品を堪能していました。私は20代の頃の滞欧中にラリックを知りました。当時、分厚い高価なラリック作品集を咄嗟に購入してしまい、経済的に困窮してしまったのを今も思い出します。私はラリックに2つの特徴を見ていて、ひとつは彫刻性、もうひとつは日本の伝統様式を取り込んだデザイン性でした。ギャラリーショップで当館のコレクションに関する書籍を手に入れて、その箇所を引用いたします。「ガラスの彫塑性にはやくから着目したラリックの卓見については、しばしば指摘されることだが、ロダンが発見した、空間の流動性、アール・ヌーヴォーを先駆するその新しい世界観を、ラリックもぴったりと伴走しながら追い求めている。」(新見隆著)ラリックの工芸品に彫塑的なボリュームを感じるのは、彫刻家ロダンの影響があったのかと、私は納得しました。もうひとつの日本の伝統様式に関する文章を引用いたします。「水の意匠化に卓越した尾形光琳は、水の多様な表現をとらえ、生涯、その造形を追及した人物である。柔らかい線で描かれた水には、不思議な生命感すら漂う。平面上で水紋が波動してみえる、鮮烈な印象だ。~略~ラリックも、水のデザインに取り組んだ。水のしぶきを観察することで生まれたネックレス《飛沫》は宝石細工に属するが、水の抽象化に優れた、現代にも通じるモダンなデザインでもある。水は波紋を広げ曲線を描くが、静寂さも失わない。ラリック作品に、横たわっている空気感がそれである。しんと冷えきった冬の空気。蜂は霞の中に、バッタは朝靄の中にいる。」(神成幸子著)当時のアール・ヌーヴォーの作家たちはラリックに限らず、日本の美術に影響を受けていたようで、日本人が創作した意匠を私は誇らしく思っています。
    箱根の「舟越桂 森へ行く日」展
    昨日、箱根にある彫刻の森美術館で開催中の「舟越桂 森へ行く日」展を見てきました。木彫家・素描家である舟越桂氏は今年3月29日に72歳で逝去されました。本展はその前から企画されたものなので遺作展としての意味合いはないように思いました。会場に入るとアトリエが再現された場所がありました。楠を手彫りしていた作家の周囲には、道具の他にメモ書きや走り書きしたデッサンがあり、生々しさと言うより、何か懐かしさが漂う雰囲気に満たされていました。展示されている彫刻作品や素描作品は、舟越ワールドの最たるもので、展覧会がある度に出かけている私にとっては旧知のスタイルでした。私は初期の頃の瀟洒な具象的作品が好きで、そのモデルとなった男性が、私が受験の時に通っていた予備校に勤めていた人だったので、ひょっとすると桂氏も同じ予備校に通っていた可能性もあるなぁと思っていました。本展にはその作品は展示されていませんでしたが、具象作品が次第に心象的になっていく過程をじっくり見つめることが出来ました。図録よりその箇所を書いた文章を拾います。「過剰な男性原理の優位が戦争という災厄を引き起こしている。むしろ、優しく包み込むような女性原理こそが、怒りを鎮め、戦争を終結に向かわせる。そうした救済の可能性を両性具有のスフィンクスに仮託したのではないか。」(塩田純一著)現代に生きる私たちは、一般社会との繋がりも意識せざるを得なくなるので、キナ臭い世界情勢を見ると、作家も作品を通して何か発信したいと願うのは当然の成り行きかもしれません。「舟越保武さんの人間像は写実的であり、思いや祈りのような感覚が通底していたが、舟越桂さんのそれは心象的であり、人間の本質を露わにしようと様々な実験が試みられたと言える。本展では、『人間とは何か』という普遍的な主題を舟越さんがどのように表現してきたかということを示そうと、作品を選定し、構成した。舟越さんの作品は遠いまなざしが特徴的であるが、それは翻って、見る人に自己を顧みるよう促すメッセージのようにも感じられる。」(黒河内卓郎著)舟越ワールドに対する私の好き嫌いはともかく、晩年の超現実的な両性具有の人物像は、人間の本質を捉えようと試みた作品であるのは間違いなさそうで、その先の展開が見たくても本人がいなくなってしまった今となっては、謎に包まれた世界になったとも言えます。
    新作窯入れ&箱根の美術館散策
    昨日、新作を窯入れしたために、今日は工房の窯以外のブレーカーを落としていて、工房での作業は出来ませんでした。その代わり、今日は家内と箱根にある彫刻の森美術館とラリック美術館に出かけました。箱根には久しぶりに行きました。最近ドライブをほとんどしなくなった私は、コロナ禍が落ち着いた今になって、漸く遠出をしようと決心したのでした。彫刻の森美術館は、私が大学生の頃に教壇に立たれていた彫刻家の故井上武吉先生が設計された美術館でした。同時期に設計された静岡県伊東の池田20世紀美術館と合わせて、当時は井上武吉先生を囲んで学生20名くらいが集まり、バスを仕立てて、2つの美術館を巡る遠足に出かけました。先生が説明された内容はほとんど忘れてしまいましたが、彫刻家がそのセンスを生かして建築設計に参加されたのが何とも魅力的で、私には驚きしかありませんでした。ただし、私はAカリ(具象表現)コースにいたため、井上先生の指導を仰ぐことはありませんでした。井上先生はBカリ(多様表現)コースにいたのでした。彫刻の森美術館では最近亡くなった木彫家舟越桂氏の展覧会が開催されていて、私より5歳年上であっても、ほとんど同世代の彫刻家の早すぎた逝去を惜しみながら、展覧会を見て回りました。桂氏は巨匠舟越保武のご子息で、木材を素材に独創的な人物像を彫り、若い頃からその個性が認められていました。私は彼に羨望の眼差しを向けてきましたが、桂氏が晩年取り組んだ異形の人物像をなかなか好きになれず、現代風の瀟洒な人物像が、いつ頃から超現実的で異形な肢体をもつ像に移行していったのか、本展でその過程を見てみたいと思っていたのでした。詳しい感想は後日改めます。その後、強羅から仙石原まで車で移動し、ラリック美術館に足を運びました。この美術館も久しぶりで、建物の外観は記憶にありましたが、内容はすっかり忘れていました。本館はラリックの作品を味わうために、空間をたっぷりとって、またすっきりとした上品な室内がラリックの世界観を際立たせていました。本館の詳しい感想も後日改めます。今日はドライブ気分になって充実した一日を過ごしました。