2024.07.23 Tuesday
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅰ 抽象芸術の本質と性格」の前回の続きとして、気になった箇所をピックアップいたします。「古代芸術の作品においても、またいわゆる異国芸術の作品においても、純粋な抽象(自然の原型から切り離された)を二次的な抽象(自然主義的形態の様式化を通じての)から識別することは非常に困難である。実際にこれら文明の種々の形態は、様式の一大語彙集の観があり、われわれはその語彙を不完全に用いているにすぎず、またこれらの語彙の内容はわれわれをとまどわせるに十分なのである。だからわれわれとしては、抽象精神がひとつの普遍的な恒常数であり、この上もなく隔った諸文化のうちにも等しくみられるということ、そしてそれは、おそらく、ヴォリンガーが暗示し、われわれもすでに定義したところの根源的な観念から発しているにちがいないということをここで確認するにとどめよう。」模様についての論述がありました。「組飾り模様ーギリシャ雷文、ジグザグ、中国の雷文ーや、その無数の派生形態の象徴的意味とはなんであろうか。大よそのところつぎのように言えるだろう。すなわちそれらは、永遠回帰の欲求、調和的で規則的なリズムをもち、動的なもののなかに秩序と静的なものをもたらす、途絶えることない運動の欲求、動くもののなかの持続の欲求を意味しているのだ。このようにして、この欲求は空間恐怖を克服し、われわれの視線と精神を、不変な持続のイメージの上に規則的な間隔を置いて安定させ、かくして苦悩と絶望の生まれる源である不確実さ、疑惑、混乱の入りこむ余地をなくするのである。螺旋は、これまた抽象芸術の不変なもののなかで優位を占めるモティーフだが、これもまた明らかに同じ欲求から生じたものであり、芸術のあらゆる始源形態、つまり記念物や墳墓や巨石時代の《アレ・クーヴェルト》などの装飾のうちに螺旋がみられるというのも、この理由からである。」組飾りや螺旋は、抽象形態として定義するとこんなふうになるのかと改めて知りました。今回はここまでにします。
2024.07.22 Monday
私の個展にやってきた人たちの中で、私と同じ横浜市立中学校の校長職にあって、書道を続けている人がいます。来年、彼を退職校長会のグループ展「如月会」に誘った私としては、彼の出展作品を確認したいと思い、東京六本木にある国立新美術館で開催されている「第75回 毎日書道展」に行ってきました。書道展は出品者数が多く、受付で展示場所を教えていただかないと、彼の作品まで辿り着けないのです。彼は漢字の部で、会員になっています。彼の作品はオーソドックスで、書道らしい書道ですが、作品の中には抽象絵画と見紛うような斬新なものがあって、書道表現の幅の広さが伝わってきました。私は落款にも興味があるので、彫られた印にも注目していました。美術作品とはまた異なる雰囲気があって、彼から送られてくる招待状で、毎回書道の世界に遊んでいるのです。その次に向かったのは東京銀座で、先週まで私が個展をやっていたギャラリーせいほうの近くにある「うしお画廊」に行きました。横浜市の教員仲間が独立美術展に出品されていて、彼女はここで「七月の光」と称したグループ展をやっているのです。例年大作を出されていて、このところ私は毎年作品を見させていただいています。最近は人物の風貌を画面いっぱいに点描で表現されていますが、旧作はシュルレアリスム系の作風を持っていたようで、写真で旧作を拝見させていただきました。時が経つに従って、主張するものが整理されてきた感じがしました。まだまだ作風が展開していくようで、将来が楽しみな女流画家だなぁと思いました。もう一人、モダンアート展に出品をしている教員仲間がいて、私の個展に来ていただいたので、彼の横浜でのグループ展にも顔を出そうと思っていますが、今日はそこまで回れませんでした。日を改めたいと思います。
2024.07.21 Sunday
日曜日になりました。個展が昨日終わったばかりで、私は疲労が残っていますが、2年前に97歳で他界した叔母の三回忌がありました。神奈川県川崎市にある津田山墓地は炎天下でしたが、近くの料亭で親戚が集まって、涼しい場所で会食をしました。叔母に関するNOTE(ブログ)をアーカイブから見つけました。2022年8月1日のNOTE(ブログ)から記事を引用いたします。「家内の叔母が数日前に亡くなり、今日が告別式だったのです。叔母はキリスト教信者で、教会では寺院のようなお通夜はなく、告別式と火葬だけは行ないましたが、プロテスタントなので牧師が取り仕切っていました。叔母の享年は97歳なので大往生だろうと思います。生前叔母は中学校の音楽科教諭として活躍をしていました。家内とは時に仲睦まじく、時に反目しあっていたようでしたが、家内にとっては思い出がいっぱいあり、寂しさを感じていたように見えました。」私は故人を偲んで法事を行なうことに異論はありませんが、こうしたことは残された人たち、つまり生きている人たちのために法事があるのではないかと思っています。家内の親戚は割と頻繁に会っていて、従姉妹たちは私の個展にも来てくれます。それでも会って楽しいひと時を過ごすのは、叔母を供養する上でとても良いことだと思っています。私自身は個展開催でも感じましたが、人と人との繋がりを大切にしたいと考えるようになりました。自分の生きがいとして、私は創作活動を実践し、作品を生みだしていますが、それは見てくれる人がいるためにやっているとも言えます。その繋がりが自分の存在証明であり、今日のように故人を偲ぶにしても、縁ある人たちの繋がりがお互い生きていく実感を感じ取ることだと思っています。
2024.07.20 Saturday
今年の個展の最終日になりました。11時のオープンの時から多くの人が来ていただいて、今年は盛況のうちに幕を閉じることができました。関東地方は梅雨明けが発表されて、今年も大変な猛暑になる気配ですが、そんな暑さの中でも横浜から多くの知り合いが銀座へやってきました。ギャラリーせいほうでの個展も19回目となり、毎年私の作品を見て、私の一貫した姿勢を感じ取っていただけている方や、久しぶりにお会いして懐かしい昔話に花を咲かせる方がいらっしゃって、今年も個展を開催した意義は充分にあると思いました。お一人で来廊した最高齢の人は95歳で、私の教職での大先輩であり、彼も長年校長職にいたので、私の目指す目標にさせていただいていました。彼は文筆家で、作家中島敦に関わる書籍を執筆しております。彫刻家や学者だけではなく、そうした先輩たちに支えられて、私はここまでやって来られたと実感しました。私の造形世界はまだまだ継続していきます。ギャラリーから来年も個展を企画していただけることを約束されたので、私は引き続き自分の課題に向き合うつもりです。搬出は運搬業者3人、スタッフ6人、加えて家内と私の総勢11人で、陶彫作品の木箱への収納作業、RECORDパネルの梱包作業を行いました。今年は例年より人数が多く集まってくれて大変助かりました。18時に閉幕し、そこから2時間は梱包にかかると考えていた私は、その半分の時間で済んだことに驚き、皆に感謝しました。19時過ぎに銀座をトラックと乗用車2台で出発し、首都高速も渋滞がなく、横浜の工房に着いたのは20時過ぎ、荷物を工房に積み上げて搬出作業は終了しました。スタッフたちにお礼を兼ねて夕食をご馳走し、それぞれの自宅の近くまで車で送りました。今年も個展が終わって、ある意味私はホッとしました。また今後も頑張っていこうと思っています。
2024.07.19 Friday
東京銀座のギャラリーせいほうの個展に来訪される方々には、昨日のような考古学者の叔父がいたかと思えば、今日は彫刻家の師匠がやってきました。師匠からは予め連絡が入っていたので、私は多少緊張して待っていました。彫刻家池田宗弘先生は真鍮直付けという技法を駆使して、人物や猫などを作り続けている人です。その技法の効果で立体作品に量感がなく、まさに空間造形と呼ぶに相応しい構造体が丸見えになっている彫刻です。ジャコメッティのようで、それも風景を金属で線描していて、軽やかで風に吹かれるような立ち姿をしていますが、その存在感はそんな軽薄ではなく、インパクトはかなりあると私は思っています。私が大学に入学した頃、東京都美術館で開催されていた毎日現代美術展に出品されていた池田先生の「ああ‼なんという生き方」という作品は、痩せてボロボロになった猫たちが、餌の魚の骨を狙って四方八方から近づいてくる情景を真鍮直付けにしたもので、私は衝撃を受けました。具象彫刻は写実でなければならないと思っていた私は、腹に穴の空いた猫たちを見て、リアルとは何だろうと考え込んでしまったのでした。まさに空間芸術たる表現、それが心に刺さった私の彫刻観になったのでした。池田先生は今も創作に妥協をしない姿勢を貫いています。当時、ギャラリーせいほうでの池田先生の個展の手伝いをしたことが契機になって、現在の私が在るのです。池田先生の主張は昔と変わりません。久しぶりに師匠に会って話を伺うと、自分の原点が見えてきます。余計なものを剝ぎ取って、自分が主張するものを提示する、それは今もライフワークにしている池田先生の隠れキリシタンの調査にも通じているように思いました。現在の池田先生はキリスト教信者で、自ら獲得した空間芸術たる表現も宗教的なテーマに向けられています。私は物語性を排除した空間芸術たる表現を推し進めていますが、師匠とは異なるテーマも認めてくれる、師匠の度量の大きさに嬉しさを感じているのです。