2024.10.27 Sunday
日曜日になりました。今日は衆議院選挙の日で、家内と投票に出かけました。私は20代の頃に5年間ヨーロッパにいたので、その時だけは投票をしていませんが、それ以外は必ず選挙に出かけています。若い頃は両親の言うままに選挙に行きましたが、学校管理職になってからは政党や個人の政策をよく読んで投票先を決めていました。選出された議員が公約通りに実行できるのかどうか、私も校長職にあった時に自ら掲げたマニフェストに苦しんだ時もありました。学校は公費の扱いには厳正であったので、今回選挙で話題に上がっている裏金については、私は驚きを隠せません。政治とは何か、何度も原点に返る必要がありそうです。話は変わり、今日は工房に出入りしている私の教え子が美大で染織を学んでいて、その子の案内で大学の学園祭に行ってきました。美大は学園祭のことを芸祭と呼んでいて、各専攻による展示作品があって充分楽しめます。教え子は型染めの大きな作品を展示していました。彼女は生真面目な性格で、地道な作業が向いています。時間に追われながら課題をやり遂げなくてはならず、日々大変だったと言っていましたが、なかなかどうして頑張っている姿勢が伺えました。就職のことを考えると憂鬱になるらしく、いい意味でも悪い意味でも彼女は美大生になっていました。社会人になれば自分のための仕事はまずないのが普通で、会社の利益を優先するのが世の常です。美大在学中は自分の事ばかり考えている学生にとっては、近い将来には厳しい試練が待っているのです。それでも自分自身を見つけられる美大の生活を充分堪能して欲しいものです。最近の美大はアニメーションを作ったり、コスプレを楽しむ学生もいます。外国人留学生も多く、多様性に富んだキャンパスライフで、羨ましい限りですが、このストレスのない緩い雰囲気に飲まれないように、将来に向けての準備もしてほしいと老婆心ながら思っているところです。
2024.10.26 Saturday
週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週も朝から夕方まで工房に籠って、陶彫制作に明け暮れていました。火曜日に窯入れの準備を行ない、水曜日は焼成を行なったために工房の電気が使えず、その日は東京の美術館や博物館に出かけました。上野は外国人観光客が多く、私が昼食をとったレストランは、ほとんど外国人ばかりでした。遠足に来ていた小学生の集団がいて、上野動物園に入っていきました。秋になると大きな展覧会が企画され、私が立ち寄った美術館や博物館は平日にも関わらず混雑していました。東京都美術館で開催されていた「田中一村展」は、奄美大島で制作された絵画作品を私は過去に幾度となく見ていましたが、その以前の作品も充実していて、見応えはありました。彼の画力の凄さに今更ながら驚きました。一村が学んでいた東京美術学校(現東京藝術大学)時代に、その隣りに東京府美術館(現東京都美術館)が開館し、一村が逝去されたずっと後になって、現在の当館で展覧会が企画されるなど、生前の一村は想像していたでしょうか。次に足を運んだのが東京国立博物館で、同館で開催されていた「特別展 はにわ」は絶対に見に行こうと決めていた企画展でした。私は縄文土器の展覧会はよく見に行った記憶がありますが、古墳時代の埴輪に特化した展覧会は初めてかなぁと思いながら、興味深く展示品を見て回りました。日本独自の美意識を感じながら、素朴な生命感を味わいましたが、埴輪に可愛さがあると思ったのは私だけでしょうか。現代の日本人が作る可愛いキャラクターの祖型があるように思えます。とりわけ家形埴輪や動物をかたどった埴輪には遊戯性があり、その単純化にもユニークな感覚があると思いました。今週は制作と鑑賞の両輪をしっかり実践した1週間でした。帰りに横浜駅にあるスーパー成城石井に行って、私のお気に入りである岩泉ヨーグルトを買いました。ドジャーズ大谷翔平選手が何かのインタビューでこのヨーグルトを愛用していると言っていたので、私も試してみたら、本当に美味しいヨーグルトだったので、その時から継続して購入しているのです。
2024.10.25 Friday
先日、東京上野の東京国立博物館平成館で開催している「特別展 はにわ」を見てきました。私が現在作っている陶彫の原点は埴輪とも言えるので、本展は必ず見てこようと思ったのでした。「3世紀後半、奈良県桜井市の箸墓古墳が築造される。卑弥呼の墓ではないかと推察される古墳であるが、ここからは日本列島最古の埴輪が出土している。もともと埴輪は、弥生時代の墳丘墓の上で葬送儀礼用の土器として使用された特殊器台や特殊壺を祖型として、古墳時代に入ってから作られた土製品であり、円筒埴輪や壺形埴輪から始まった。以降、徐々に埴輪はその種類を増やしていくが、仏教文化が浸透し、前方後円墳が築造されなくなる7世紀の飛鳥時代には姿を消してしまう。」私は「挂甲の武人」と称された埴輪が、埴輪の代表作と思っていて、それが本展では5体集まって展示されるのは珍しいことではないでしょうか。「あわせて5体の『埴輪 挂甲の武人』は、群馬県太田市ある駒形窯もしくはその周辺の窯で焼かれ、同一工房(同一埴輪製作工人集団)の作品と評価される。現在、群馬県に残るのは相川考古館所蔵品(群馬県太田市成塚町出土)のみである。~略~この『埴輪 挂甲の武人』は埴輪群像のなかで、どのような役割を担っていたのであろうか。貴重な挂甲(礼甲)を着用しているので、身分の高い人物がモデルであったことは間違いない。問題は亡くなった被葬者をかたどったのか、もしくは被葬者とは別の人物かであるが、研究者によって意見が分かれている。」(引用は全て河野正訓著)図録を読むと今後の研究が待たれる事案も多く、古代の謎を紐解く面白さが満載です。本展には「挂甲の武人」の他に形象埴輪と称される家や船をかたどった埴輪があったり、動物をかたどった埴輪、とりわけ馬の埴輪は美しい形態を作り出しているのが印象的でした。自分の陶彫作品に近い造形と思ったのが棺の埴輪で、施された彫り込み加飾がよく似ていました。古墳時代に私が生を受けていたら、埴輪製作工人集団にいて、一所懸命埴輪作りに明け暮れていたのではないかと空想しながら、本展を後にしました。
2024.10.24 Thursday
昨日、東京上野の東京都美術館で開催している「田中一村展」に行ってきました。副題を「奄美の光 魂の絵画」とあって、奄美大島の自然を日本画の常識を覆す構図で描いた代表作品は勿論のこと、奄美大島に辿り着くまでの画業の変遷がよく理解できる展示内容で、私としては大変満足を覚えました。若い頃は千葉県で苦行していた時代もあり、図録にはこんな文章がありました。「昭和13年(1938)5月、29歳の時、母方の親戚である川村幾三氏を頼って千葉市千葉寺町に家を建て、姉と妹、祖母とともに移った。以後戦時をはさんで約20年間、畑で野菜を育て、鳥を多数飼い、内職もこなしながらも、周囲との繋がりや支えを得て、南画家と自認し絵で生きる暮らしが貫かれた。~略~一村のスケッチは、日本画家たちのシンプルで美しく巧みな、人に見せられる写生画、といったものの対極にある。多くが断片となって伝わり、スケッチブック12冊以外に160枚近いそれらを、再度整理して紹介する方法を考えることは、今回も課題として残された。」この時代の作品は骨太の画風が目立っているように私には感じられました。そして奄美大島に移ってから画風が変化してきます。「当時の”新しい日本画”で特に風景画といえば横位置で考えられ、『額面』で4:3の比率の長方形の画面が大勢を占めていた。しかし自らの絵に集中しようとしたとき、それをおいて選択したのは、やはり伝統的な縦長構図だった。奄美前期のことに細長い画面は、若き日の画に立ち返ったようだし、一連の大作は、スケッチブック2枚分。生涯描いた正方形の色紙ならば3枚分、といった比率で考えていける。ちょうど前景・中景・後景を組み合わせるように。~略~重層するモチーフは画面上では一切重ねず塗り分けられ、手前からの微光でモチーフが浮かび上がると同時に、後光がさしているように見せる。金色を輪郭に意識的に用いるなどして光の方向や効果を齎す。モチーフに肉薄し、描いた各部分を取り出しては整え合成し、さらに作品の画面全体を構成していく。こうして一株あるいは一群の植物に各態を描き一図に複数の季節や時間、場所を混在させる。」(引用は全て松尾和子著)田中一村の絵は見てすぐに判る独創性があり、そのデザイン性も優れていると私は感じています。とりわけ奄美大島で制作された作品は、人に迎合したものではなく、作家が真に追求したかった世界がそこにあると思いました。
2024.10.23 Wednesday
昨日、地元の公立中学校の地域会議から帰った後、工房に出かけていき、窯入れの準備をしていました。窯入れをすると電気の関係で照明等が使えなくなり、今日はそれを言い訳に東京の美術館や博物館に鑑賞に出かけました。家内は邦楽器演奏があったために、今日は私一人で出かけました。秋になると大きな展覧会が企画されているので、この機会を逃さず、上野あたりをウロウロしたのでした。まず立ち寄ったのは東京都美術館で開催している「田中一村展」で、奄美の自然を描いた日本画家田中一村の個展を、私は1995年に横浜高島屋の特設会場で見ています。その後、家内と奄美大島に旅行し、新しく建てられた美しい田中一村記念美術館でも作品を鑑賞しています。その際、一村がアトリエにしていた一軒家も見に行っており、その廃屋のような小さな家の周囲を歩き回った記憶があります。奄美大島は家内の母親の故郷で、私たちはその時まだ生存していた遠縁にあたる人を訪ねているのです。一村の奄美での生活やそこで培った斬新な画風は、本展で見る以前によく知っていましたが、奄美に渡る前の作品の数々は初めて見るものもあり、一村の絵の変遷をひと通り見渡せたことで、今回は大変有意義な時間を過ごしました。詳しい感想は後日に改めたいと思います。次に向かったのは東京国立博物館平成館で開催している「はにわ展」です。私は陶彫制作をしているために、日本古来の陶による出土品には興味津々で、今までは縄文土器を訪ねて新潟県や群馬県に行っていました。そこで埴輪も見ていますが、本展のように埴輪に特化した展覧会は初めてでした。埴輪と言えば私は武人の像や家型埴輪しか知らなかったために、こんなバリエーションがあったとは驚きでした。また最新の発掘調査で判明したこともあり、考古学的興味も刺激されました。「はにわ展」も詳しい感想は後日改めます。今日は平日にも関わらず、東京都美術館も東京国立博物館も多くの人が来場していて混雑していました。展示作品を凝視していると、私は人の動きは気にならなくなりますが、最近の展覧会は撮影が許可されているところが多く、シャッター音があちらこちらから聞こえてきます。私は音声ガイドもスマートフォンも持たずに鑑賞をすると決めています。私は直感を信じていて、カメラではなく直接脳裡に刻むことに喜びを感じているのです。今の時代になっても昔ながらの鑑賞方法だなぁと思っています。