Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 地元のことを考えた日
    私の生まれた横浜市は、戦後の都市開発が著しく、とくに港に近い地域は観光産業として活況を呈しています。それでも私が住む周囲は今も雑木林が点在し、畑で農作業をしている人もおります。私の自宅も先祖が残してくれた土地に建てていて、工房も含めて、長く横浜の地域に根付いていると感じています。そんな地元に貢献していることは、私としてはほんの僅かなことですが、夏祭りの際には家内が金一封持参して自治会に渡しています。先祖代々やっている習慣で私たちもそれに倣っているわけですが、それ以外の大きなしらがみはありません。敢えて言うのならば、地元の市立中学校で開催されている学校運営協議会に私が出席していることくらいでしょうか。学校運営協議会は地域に開かれた学校を目ざして、設置に関して調べてみると、都道府県教育委員会が個別に指定する学校(指定学校)ごとに、当該学校の運営に関して協議するためにおかれる機関のことであると書かれていました。これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律第47条の5第1項にあり、法的にも謳われている協議会です。私は元校長という立場で委員に任命されていますが、内容は授業を見たり、学校の課題を話し合ったり、場合によっては市教育委員会に意見書を出すこともあります。私が関わっているのは私の母校です。先日は高校の同窓会に出席しましたが、今日は地元の公立中学校に出かけていました。同校には自分の教え子が2人、教諭として勤務しています。彼らの授業を見ると、一所懸命指導支援をしている姿があって、私は嬉しくなりました。教え子の活躍は私に元気を与えてくれます。教員冥利に尽きるのはそんな時かもしれません。
    新聞記事より「智慧の研究は…」
    今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「智慧の研究は、棺の蓋をするときに終るのだ。勝海舟」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『道』について『必ずこれのみと断定する』のを自分は好まぬと、徳川の旧幕臣は言う。どんな道も『大小厚薄濃淡の差』がある。それらをあれこれ吟味し、上には上があると考えるのは愉快なこと。大仕事は、焦っても、その実現に期して地道に努力するだけでも成就しないし、それをなしうる逸材も、誰かが『製造』しようとしてできるものではないと。『氷川清話』から。」江戸時代から明治時代にかけて生きた勝海舟とはどんな人物だったのでしょうか。一般的に勝海舟は、江戸幕府崩壊の時に、西郷隆盛と交渉を行い江戸城の無血開城を行った人物として、ドラマなどでは偉大な好人物として描かれていることが多いようです。またネットには「スクリュー式蒸気軍艦『咸臨丸』で渡米し、海軍の育成に努めるまど、非常に革新的な考えを持った幕臣」と書かれていて、渡米に同伴した福澤諭吉の記録では、その人物像には複雑な一面もあったようですが、ともあれ才気あふれる人物だったことには間違いはなく、生涯を全うするまで広い視野で物事を考えられる人物だったのだろうと思います。私が注目した記述は「智慧の研究は、棺の蓋をするときに終る」という箇所で、人は終焉を迎えた最後の一呼吸まで思索を止めるべきではないと解釈しました。それは創作活動にも似ていて、自分が目標とする造形思考が道半ばであっても、そこで生涯が尽きてしまえばそれまでだと、私自身は決めています。つまり隠居という概念は自分にはないのです。「智慧の研究」とは良い響きを持つコトバです。私もずっと「智慧の研究」に従事していきたいと願っています。
    週末 制作中心の毎日について
    日曜日になりました。いつもなら昨日の土曜日に1週間の振り返りを行なうのですが、昨日は久しぶりに高校の同窓会があり、その時の感想を書いてしまったので、今日は昨日に替わり1週間の振り返りを行ないます。毎週の事ですが、私の日常は大きく変わりません。毎朝9時に工房に行って、夕方は3時頃まで創作活動をやっているのです。まさに制作中心の毎日が私のルーティンとして出来上がっているわけですが、3年前まで勤めていた学校と同じように勤務時間を自分で決めているのです。必ずその時間に工房で陶土に触れていることが、私に精神的安定を齎していると感じています。ただし、創作活動はその日その日でやることが異なり、職人的仕事でありつつも、新鮮さを失わないのです。創作活動は濃縮された時間がそこにあるためか、時間が経つのが早く感じられます。日が経つのも早くて、自分の造形思考が思うようにならないうちに一生が過ぎてしまうのではないかという懸念もあります。教職を退職してからというものの、この3年間は光陰矢の如しで、自分が何をしてきたのか掴めないまま現在に至っている次第です。それでも10代の終わりに彫刻に出会えたことは私にとって幸せでした。あれから50年以上も彫刻をやっていて、まだ自分のやりたいものが出来ていないと思っているのですから、実に息の長い目標になっています。彫刻は新たなカタチを創出させる造形行為ですが、そこに思索が伴い、その考えを巡らせるために美術作品を鑑賞する機会も大事です。今週はそろそろ美術館に出かけて行こうと思っています。作業としては息抜きになりますが、思索は頭の中で目まぐるしく動いているのです。毎晩読んでいる抽象芸術に関する書籍も創作活動の一環かもしれません。また刺激を入れつつ充実した1週間を過ごしたいと思っています。
    週末 久しぶりの高校同窓会
    週末になりました。今日は今週の振り返りを行ないたいところですが、それは明日に回して、今日は久しぶりにあった高校の同窓会について触れていきます。五輪イヤーに行っていた同窓会ですが、今回が最後かもしれず、60人近い同窓生が桜木町のホテルに集まりました。私の母校は横浜市金沢区にある私学で、総裁選に出た小泉進次郎議員の出身校として報道に載りましたが、私たちの同期には俳優で映画監督の竹中直人君がおります。今日も竹中君が来ていました。母校は幼稚園から大学まである一貫校ですが、私は中学校まで地元の公立中学校にいっていたので、高校3年間しか在籍していませんでした。他の同窓生は幼稚園・小学校から進級している人もいて、仲が良くて絆が強いと感じています。外部から入学してきた私はまるで転校生のようでしたが、学校の雰囲気にはすぐ馴染むことができました。来ていただいた先生方は4人いました。皆さん80代でしたが、そのうち私は個人的に国語科の先生にある思いを持っていて、その先生のところに行って、話を聞いていただきました。50数年前の高校1年生の一コマの授業のことなど先生は覚えているはずもないのですが、そこで現代文の教科書にあった現代詩のいくつかを紹介していただいたことが私には忘れられない思い出なのです。言葉によりイメージを育んだことが、その後の彫刻への第一歩になったこと、それを契機に私自身も詩のようなコトバを綴るようになったこと、そんなことが走馬灯のように頭を巡りました。私も個展の図録を持ち込んで、50年ぶりの同窓生に配ってきました。会ってすぐに復活した友人関係でしたが、同窓会は自分の過去とも向き合うことになり、それだけに同窓会がお開きになった時は、些か疲れました。きっと明日になれば、頑張って生きていこうとする力が漲ってくるような気がしています。自分の進路、その出発点を確認した日になったと今日は認識しました。
    新聞記事より「死ぬ間ぎわの声音」
    今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「断念は、しかし一人の人間が死ぬ時は飲みこんで死にますけれど、それはなんとなく伝わっていくんです。石牟礼道子」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『受難の一生』だった母。ただただ耐えて、発狂もせず、首も括らず、人も殺さず、『どんなにか辛かったろう』と詩人・作家は言う。誰にも言えず、己が胸にしまうしかないことが、人には無数にある。それがかろうじて伝わるのは、歌というか『死ぬ間ぎわの声音』によってだと。鶴見和子との共著『言葉果つるところ』(新版)から。」今回はこれを読んで思わず心に刺さった記事で、私にしては珍しいことです。詩人・作家である石牟礼道子は水俣病に関する文筆活動でよく知られた存在ですが、母を思って書いた文章は、人を揺さぶるのに充分な迫力があります。そこから派生することで言えば、歪曲された真実や誤解が生んだ口惜しさを誰にも打ち明けられず、それでも死に際まで生きた受難の一生を振り返ってみた「死ぬ間ぎわの声音」について、私の心には痛く響きます。私にしてみれば、そんな状況は自らに置き換えることはできず、想像の範疇を超えませんが、大なり小なりそうした問題が誰にもまったくないと言えば噓になります。実態が伴う言葉の力は、とんでもない破壊力があると私は感じます。そこに内なる感受性を向けるかどうかで、紡ぐ言葉が変わります。あるいは無風なところに言葉は育たないのかもしれませんが、どんな些細なことでも言葉の表現力で、読者の心に刺さることもあるのだろうと思います。ドキュメンタリーは眼前で起こった事実をそのまま写し取る作業ですが、そこにも事実の持つ凄さはあると認めつつ、詩となれば、作者の感性が加わり、その伝わり方も多様化し、読者の心を打つ表現力が現れてくるのだろうと思います。壮絶な過去であっても、そこに豊かな詩の心を持って、事実に向き合うこともあると私は考えます。