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  • 「抽象絵画の主流 」について⑭
    「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。今回は宗教絵画に関するものです。「(アルベール)グレーズの探究は、1900年頃表明された宗教芸術の未来についての不安に解答を与えたものであった。いわゆる聖シュルピス教会の芸術が端的に示していたような妥協と平俗にたいするきわめて強力な反抗が独創的で新しい表現の探究をひき起したのである。しかし、そのうちのあるものはきわめて貴重なものだったが、大半は目的を失い、あるいは目的を逸脱したものだった。なぜなら、新奇さと独創性を求めるあまり、人は、キリスト教芸術の本質的な目標のうちでも特に大切な宗教的感動、神聖の感情を忘れていたからである。」次にマネシュ。「(アルフレッド)マネシュは自然のきわめて近くにいる。そして脳髄の力そのものには、徹底的に反抗している。このようなかれ独特の自然表現ー非具象的という意味での抽象的な表現ーによってこそ、かれは宗教的感動の表現に非凡な能力を得ることができたのである。これこそ、かれをわれわれの時代の偉大な宗教画家たらしめているものだ。なによりもまず、かれのおかげで、抽象芸術はもっとも純粋な伝達手段と思われるようになった。なぜなら、これこそ唯物主義的な要素や、宗教的な現象の再現なしにすませられる最上のものだからである。」最後にザック。「抽象的な宗教画の持つ感動と暗示の力に異義ある芸術家や美術史家に、私は(レオン)ザックの『十字架の道』を研究することをすすめたい。おそらく非具象的な形態というものが、じつに苦行的な節制の手段を用いながらも、どれほど驚くべき感動の力を持つものかに気づかれるだろう。また苦行的というこの言葉を聞くと、神秘主義者たちが、日常的な可視的な姿と形態の言語を用いて、かれらのヴィジョンを転写するのにいかに苦心したかが、われわれの記憶にまざまざとよみがえってくるだろう。」今回はここまでにします。
    新聞記事より 「生き延びるためには…」
    先日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「生き延びるためには、勇ましくあってはならない 森村泰昌」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「美しさを究めようとする者は、美しくないものを容赦なく消し去ろうとする。そしてその刃は、美しくないものの筆頭として、美を求める自分自身に向けられると、美術家は言う。勇ましさばかり求めるのも同じ。芸術にできるのは、生き損ねた人や出来事に、『わすれないでいるからね』と、孤独なまなざしを向けることだけだろうと。『生き延びるために芸術は必要か』から。」芸術とは何かを問いかける文章は、勇ましくない強かさを持って、私の胸に沁みわたってきました。軍事力を鼓舞する国際社会になると、芸術や文化は沈黙します。と言うか、芸術や文化の発する声が聞き取りにくくなると私は考えます。私たちがやっている創作活動は、直接国家に利益を齎すものではありません。それは生産性のないものなので、強いものが罷り通る世の中になれば、真っ先に芸術は棄てられます。芸術の主張は声高に叫ぶ要素がないため、社会の中の厄介なものの扱いを受け、時には嘲笑の的にもなります。そんな風潮になっても、全体統一国家の中で生きづらいと考える人がいて、そういう人に芸術の声が俄かに届くのです。芸術は価値の統一を求めず、寧ろ個人個人の価値観の相違に活力を見いだす分野です。時代によっては後ろ向きな生き方と映るかもしれませんが、そうしたお互いの相違を認め合う社会に芸術は根付きます。芸術が豊かに実る社会は、多様化が進んだ成熟した社会なのだろうと私は思っています。
    振替休日 多摩美大の芸祭に行く
    昨日の日曜日が文化の日だったので、今日は振替休日になりました。昨日、工房では作業終了時に窯入れを行ないました。電気の関係で今日は工房での作業は出来ず、それを言い訳にして今日は多摩美術大学の芸祭を見に出かけました。工房に同大でグラフィックデザインを学んでいる子が出入りしていて、彼女の案内で、女子美大染織専攻の子とともに八王子にある同大に出かけたのでした。三連休最終日は好天に恵まれ、美大の芸祭に行くには絶好の日となりました。多摩美術大学のグラフィックデザイン科はレベルが高く、入試も難関で知られるところですが、芸祭で発表している学生たちの作品も高水準であり、楽しさや多様性に溢れていました。グラフィックデザインは視覚全般にわたる表現として商業美術界には欠かせぬ存在になっています。最近はITを駆使したり、手による描画との共作もあり、また最近のアニメーションに登場するキャラクターを創作したりして、表現の幅はますます広がりを見せています。校舎の中に自分のブースを作って、自分の世界観を表している一角は、なかなか見応えもありました。若い世代の創り出す世界を見ていると、現代の世相も見えてきて、その中にはドギツイ表現も多々あり、不条理な世界が罷り通る雰囲気も伝わってきました。校舎外ではフリーマーケットが所狭しと並んでいて、学生たちが小物を売っていました。自分の学生時代と変わらぬ風景がありましたが、売られているグッズは現代風で、洒落た趣がありました。相原工房には現在2人の美大生が出入りしていますが、彼女たちが美大を卒業してしまうと、こうした芸祭に来ることはなくなるのだろうなぁと思いつつ、芸祭会場を後にしました。
    週末 HPに「発掘~座景~」アップ
    日曜日になりました。今日は文化の日です。文化の日という意味に合わせて今日は創作活動について書いていきます。今日の話題はホームページに関することです。先日、ホームページにあるギャラリー・ページに「発掘~座景~」をアップしました。これまで私はさまざまなテーブル彫刻を作ってきましたが、座面が大きく、また低い脚を持っているのが「発掘~座景~」です。座面には刳り貫いた部分が多く、またテーブル上に置いた陶彫部品が主に矩形をしているのが、本作の特徴です。刳り貫き部分が多いことで、上方からの光によって、床に影を落とし、それが造形の一部として効果が現れるように意図しています。脚によって宙に浮いた座面から床に落ちる影は、作品が立体であるからこそ可能な効果で、私は積極的に利用することにしました。鑑賞者は作品を覗き込むことになり、視野を広く見ることができる定番な彫刻作品とは、やや異なった鑑賞方法となることを、画像の最後に付けているコトバで表しています。それは近視眼的になることで、床を意識することでもあるのです。実は今年作っている新作が同じ視点を鑑賞者に求めています。ただし、テーブルではないので「発掘~座景~」とはやや異なりますが、陶彫部品と陶彫部品を橋で繋ぐことは「発掘~座景~」と同じです。橋で繋ぐことに拘れば、「発掘~座景~」はやや消極的だった橋を、新作では積極的に造形に取り入れています。また逆に、新作は床に落ちる影のことはまるで考えておらず、床に密着した古木から陶彫部品が立ち上がり、橋が交叉し、架空都市が形成されていく状況を表そうとしています。ひとつのイメージから新たなイメージが派生し、そこに前作とは異なる造形哲学が生まれることは、今までにもありました。そのきっかけを作った作品のひとつが「発掘~座景~」だと言えます。今回ホームページの「発掘~座景~」を見るなら、まずホームページのギャラリー・ページをクリックしてください。それぞれの作品の部分画像が出てきますので、座面の大きい作品にカーソルを当てていただければ、画像が一点ずつ現われます。ご覧になっていただけると幸いです。
    週末 10月から11月へ
    週末になりました。明日が文化の日で、月曜日は振替休日になるため今日から三連休になります。土曜日の今日は今週の振り返りを行ないます。今週は10月から11月へ月が移り変わり、これから秋が深まってゆく気配がします。気候が凌ぎ易くなったおかげで、創作活動がやり易くなったのは事実です。今週は朝9時から夕方は午後3時、もしくは4時まで作業をやっていました。日曜日は女子美術大学へ芸祭を見に出かけました。工房に出入りしている子が同大で染織を専攻しているため、彼女の型染めの作品を見に行ったのでした。染めは時間のかかる制作工程があるので、彼女は日々遅くまで大学に残って作業を続けていたようで、廊下で出会った大学助手から聞きました。それでも楽しく生活が充実しているようで、彼女は溌溂としていました。美術系の学校を選んで良かったなぁと私も嬉しくなりました。その日は衆議院選挙もありました。昨日は家内が私の代理で、相原の先祖が眠る浄性院に出かけ、十夜法要に参加してきました。私は相変わらず毎日工房に通い、新作の陶彫制作に精を出していました。新作の陶彫部品は少しずつ出来上がってきて、全体の雰囲気が掴めるようになりました。もう少し陶彫部品を増やしてから全体構成を考えようと思います。創作活動をやっていると1週間はあっという間に過ぎていきます。工房で一日の大半を過ごしているのに、工房での時間が駆け足のように去っていくのはなぜでしょうか。時間が早く経つのは創作活動のせいばかりではなく、加齢のせいかもしれないとも思っています。あれもやらなくてはいけない、これもやらなくてはいけないと眼前の課題に慌てているうちに、思い通りにならず気力が尽きてしまうのが情けなく感じていて、退職して彫刻家一本になったら、じっくり落ち着いて制作も思索も深められると思っていた自分が、とんでもない思い違いをしていたことに気づきました。じっくり取り組むのは気持ちの持ちようなのです。今になっても焦らなくていいと自分に言い聞かせている私がいます。