2025.03.07 Friday
このところ美術館に美術鑑賞に出かけたり、今日は映画鑑賞に出かけて充実した日々を送っています。今日、私は工房で夕方まで陶彫制作をしていました。午後4時に家内と一緒に横浜市鴨居にあるエンターテイメント系の映画館に出かけ、ボブ・ディランの若き日を扱った映画「名もなき者」を観てきました。私の高校時代は和製フォークソング全盛期で、その原点がボブ・ディランにあり、私もアルバムを持っています。おそらく私より上の世代はかなりディランびいきの人たちがいるのではないかと思います。今日映画館に来ていた人たちは70代の人たちも多くいました。図録から引用します。「(名もなき者は)ディランの一生を描く作品ではない。1961年から1965年までの5年間だけに限っている。クライマックスは一つのジャンルにとどまることを嫌うボブが、1965年ニューポートの神聖なステージでロックバンドをバックに歌い、賛否が渦巻くなか、純粋フォークの世界に別れを告げ、過去を振り向くことなく新たな世界の第一歩を記すシーンだ。~略~ボブ・ディランは過去の伝説的アーティストではない。83歳となる現在も、トップアーティストとして活躍し続けている。」(菅野ヘッケル著)ディランを演じたティモシー・シャラメのインタビューにも注目しました。「正直なところ、何度も何度も何度もやり直し、1万時間を費やす時間を持つという作業なだけなんです。3か月や4か月の期間ではとても無理だけど、5年半の期間であれば、数か月集中して取り込むこともできるし、またそれを中断することもできる。」そんなことを言っていました。これは俳優たちが事前録音ではなくライヴで歌っていて、そこにも魅了されました。ディランの歌詞は社会性と結びついていて、映画の中でもキューバ危機やケネディ大統領暗殺もあり、そうした社会の混乱が歌詞に反映されたり、時に風刺が効いた言葉になっていました。私は自らの主張を言葉(歌詞)に乗せて訴えるシンガーが大好きです。それは洋の東西を問いません。ボブ・ディランやピート・シーガーに影響されて、日本にも自らの言葉で語るシンガーがいると思っています。ディランが2016年シンガーの中で唯一ノーベル文学賞に輝いた理由が分かった気がしました。
2025.03.06 Thursday
昨日、工房で夕方に窯入れをして、今日は工房での作業を休まざるを得ない状況を作っていました。そんなこともあって今日は家内と東京の美術館を回って美術鑑賞をしてきました。まず上野の東京都美術館で開催されている「ミロ展」。スペインの巨匠ジュアン・ミロは幾度となく日本で作品が紹介されていて、その都度私は見に行っていました。というのも20代の後半に私はオーストリアに住居を移し、そこを拠点にドイツ、イタリア、フランスなどの国へ西洋美術を見に、鉄道乗り放題のユーレイル・パスを使って旅をしていました。キリスト教美術をたっぷり味わおうと有名美術館をハシゴしていましたが、さすがにその表現に辟易していた頃に、バルセロナのミロ美術館に辿り着き、ミロの斬新で心地よい表現に我を忘れました。その時からミロは私の西洋美術の渦の中の救世主になったのでした。その印象が本展で甦りました。色彩や線描の感覚的美しさに改めて気づき、ミロの溢れる創作意欲に私も創造する楽しさを再発見しました。詳しい感想は後日改めます。次に私たちが向かったのは東京駅八重洲にあるアーティゾン美術館の、そこで開催されている「アルプ展」で、正確には「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展。つまりアルプ夫妻によるテキスタイルを初めとするデザイン(ゾフィー・トイバー)と彫刻やレリーフ(ジャン)による展覧会でした。ミロと同じく有機的な抽象による造形ですが、アルプ夫妻はスイスやドイツで活躍した作家なので、スペイン気質とドイツ気質の違いが奇しくも表れた展覧会になっていました。情熱のミロと整然としたアルプ。「アルプ展」も詳しい感想は後日改めます。今日は2人(というか1人と1組)の巨匠展を巡ったことになりますが、私が現在作っている新作が立体と平面の双方から空間を創ろうとしているので、その参考になればと思って、今日はやって来たのでした。私の中でも双方の表現方法を熟慮する契機になりました。今日は自分なりに充実していたと家内に言ったところ、家内は展覧会巡りはよく歩くよねとボソッと言っていました。その通りで今日は足が疲れました。
2025.03.05 Wednesday
今日の朝日新聞の「天声人語」に掲載された記事より、啓蟄について記します。まず新聞より引用をいたします。「カエルの詩人と言われた草野心平に『冬眠』という作品がある。故郷の福島県いわき市にある記念文学館で、自筆原稿を見た。400字詰めの用紙の真ん中に、ぽつんと『●』があるだけ。土の中での孤独、静寂、暗闇。そんなものを凝縮させたのだろうか。きょうは二十四節気のひとつ、啓蟄である。長い冬の眠りから覚めた虫や小動物たちがもぞもぞとうごめき出す。先週末の思わぬ暖かさで、一足早く穴ぐらを出ていたのも、いたかもしれない。それが一転。都心ではきのう、夕刻から冷たい雨が降り始めた。大雪になる恐れから、高速道路が通行止めになった。地表から這い出ようとしていたカエルたちも、こりゃいかんと慌てて引き返したに違いない。~略~でもビルの街では、春を迎えた彼らの喜びを耳にすることはかなわない。草野心平の『春のうた』で、その日を想像してみる。〈ほっ まぶしいな。/ほっ うれしいな。/みずは つるつる。/かぜは そよそよ。/ケルルン クック。/ああいいにおいだ〉。もう、あとわずかだ。」私は啓蟄という春の季語を初めて知りました。春はすぐそこまでやってきていて、虫たちが冬の眠りから目覚める季語なんですね。詩人草野心平は、私が高校1年生の現代文の授業で扱った現代詩の中で、独特な感性で言葉を紡ぐ人として記憶に留めていました。私は高校生の時に美術の専門的な道に進みましたが、その頃は訓練としての写実描写や塑造ばかりで創作的行為はなく、寧ろ創作は現代詩を通じて学んだように思っています。今日新聞に掲載された草野心平や昨年亡くなった谷川俊太郎を初めとする現代詩人たちによって、感性に訴える世界を自分も創り出してみたいと思ったのでした。今日の「天声人語」に草野心平の詩があったので、思わず心に刺さって、NOTE(ブログ)にしてみました。
2025.03.04 Tuesday
「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の最初の単元はファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」とボッティチェルリの「春」です。中高美術科の教科書にも取り上げられている名画を改めて学び直すことで、西洋絵画への理解を深めたいと思います。まずファン・アイク。「油絵の技法の登場が絵画の表現能力を飛躍的に高めたことは否定し得ない。そして、その油絵の技法が、ファン・アイクを中心とするフランドル地方でまず発達したということは、この地方が早くから活発な商業活動を示していたことと無関係ではないであろう。商人たちの現実主義的なものの見方というものが、油絵による写実的表現の大きな支えになっているからである。その意味で、多くの中世以来のシンボル表現の伝統を受け継ぎながら、それらのシンボルを日常的に現実表現のなかにさりげなく覆い隠し、新しい市民的室内肖像画を創り出したこの『アルノルフィニ夫妻の肖像』は、やはり新しい時代の到来を告げる輝かしい序曲であったと言ってもよいであろう。」この作品の四角い部屋の正確な遠近法と緻密な装飾の数々に、私は思わず引き込まれていく感覚を持ちました。しかも部屋に掛けられた凸面鏡や窓から差し込む光の演出が、写実の持つリアルさを際立たせているように私には思われました。次にボッティチェルリ。「ボッティチェルリの作品の持つあの夢のような澄んだ色彩効果や、日本の琳派の作品を思わせる装飾性などは、このテンペラの技法によるところが大きい。『春』が背景を林で覆ってしまって、人物をなるべくおたがいに重なりあわないよう、平面的な構成をとっていることは、テンペラ画の持つ装飾的効果を強調するためには、きわめて適切な構図法であると言える。ボッティチェルリは、ファン・アイクのように鋭く現実のものに肉薄するというよりも、哀しいまでに美しい理想の美の世界に憧れる抒情詩人だったのである。」テンペラ画は油絵以前の技法として、イタリア・ルネサンスで多用された表現で、私が若い頃、イタリアに出かけた時に、各地にあったフレスコ画やテンペラ画の表現の豊かさに圧倒されていました。私の西洋絵画遍歴はそこから始まったと言えるでしょう。
2025.03.03 Monday
「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)を読み始めましたが、確か本書は私が学生の頃、一度読んだ記憶があります。もう50年も前のことなので、記憶が朧気です。確か「芸術の意味」(ハーバード・リード著 瀧口修造訳)と前後してか、または交互に読んでいたのか、そこも記憶に留めていませんが、その頃の私は西洋芸術一辺倒だったことだけは鮮明に覚えています。ちょうど私が彫刻を学び始めた時期で、学校では人体塑造に明け暮れていたので、まさに自分にとってはヨーロッパが全てで、足元の日本の美術を考える余裕などなかったのでした。自宅の書棚には埃に塗れた「芸術の意味」を発見しましたが、「名画を見る眼」を発見できず、どうしたものか一向に分からないままです。きっと何かの書籍と一緒に整理してしまったのかもしれません。もう一度「名画を見る眼」が読みたいなぁと思って、私は本書を新たに購入してきました。著者の高階秀爾氏は昨年92歳で亡くなっています。その彼が残した名著をもう一度手元に置いて、改めて我が青春の?西洋美術の知識を、50年を経て、学び直してみようと思った次第です。「本書は、西洋絵画の本質を一歩進んで理解したいと欲する人びとの願いに応えて執筆された西洋美術鑑賞の手引きである。隠された意図や意味を探りながら、15点の代表的名画を読み解いていく。第Ⅰ巻は、ルネサンスから19世紀まで。絵画を楽しむ基本をわかりやすく示すだけでなく、読むたびに新しい発見をもたらす一冊。」という文章が表紙の裏にありました。今でこそ美術分野を洋の東西を問わず、とりわけ日本美術の素晴らしさに気づいてからは、バランスよく理解することを心掛けていますが、若い頃の私は西洋文化しか眼中になく、まるで明治維新のような頭の状態であったことを認めざるを得ません。余談ですが、日本美術の素晴らしさは高階氏と同世代の美術評論家辻惟雄氏によって学びました。若い頃の私は辻氏の存在など知る由もなく、西洋美術の波に揺蕩っていました。