2024.12.26 Thursday
今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「油絵は油絵を描くことによってしか進歩しない 瑛九」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「写真や版画のほか美術評論にも取り組んだ画家は晩年、点描の油彩画の制作に没頭した。絵を2,3枚描いては議論をしても、絵の周囲をぐるぐる回るだけ。絵の中に『突入』できない。『議論は議論のカイケツをするだけ』。この平凡なことがわかりかけてきたと、友人に宛てて書いた。《 瑛九 前衛画家の大きな冒険》展(2004年、東京・渋谷区立松濤美術館)の図録から。」私は自分がやろうとしている彫刻を空間芸術と捉えた時から、造形哲学のようなものが作品制作と同じ比重で必要なんじゃないかと考えてきました。最近の現代アートを見ると、アートとは何ぞやという議論が占める割合が多く、眼前の作品が何を表しているのか分からない場合もあります。「議論は議論のカイケツをするだけ」と言われてみれば、成程と頷くこともあり、作品は見たまま感じたまま、素直に受け取ればそれで良いのだと思うようになりました。私は自分の考え方や感覚を手に託して、素材に直接アプローチする方法を採っています。それは旧態依然とした表現方法であり、そこに造形哲学があっても、それが独り歩きをすることはありません。手仕事の信頼がそこにはあって、作品の質を高めるには作品を作ることでしか発展はないと思っています。「描くことによってしか進歩しない」と言うコトバは私にとって当たり前なことですが、前衛を追及してきた画家がきっぱりと言い切ってくれたことは、私に勇気を与えてくれます。旧態依然とした表現方法とは言え、美術史の積み重ねが齎す美的概念の変遷がある以上、私も自分にとって現代の表現の在り方を探っているのです。アイディアひとつで勝負が出来るほど、芸術は単純ではないかなぁと思うこの頃です。
2024.12.25 Wednesday
今日は12月25日でクリスマスです。クリスマスはキリスト降誕祭とも聖誕祭とも呼ばれていて、イエス・キリストの誕生を祝う日です。ただイエスの正確な誕生日が分かっていないため、誕生を祝福する儀式を行うというのが各国の風習のようです。そんなクリスマスですが、キリスト教信者が少ない日本では、クリスマスに託けたイベントになっていて、有名な観光地ではイルミネーションやその他の装飾が華やかに街を彩っています。プレゼントの交換もイベントの一つですが、食事もクリスマスならではのものがあるなぁと思っています。昨晩、家内がクリスマスはローストチキンとケーキが食べたいと言ってきました。夕方、専門店に行って普段買わない食材を購入して夕食にしました。これはバレンタインと同じ、食のビジネスであるのだろうと思いつつ、クリスマスの特別感を味わいました。日本流のクリスマスは宗教とは関係のないところで、盛り上がりを見せていて、私たちがそれで幸福を感じるなら良い機会ではないかと思っています。クリスマスが終わると、一晩で年末年始の飾りつけに変わるのが日本独自の風習で、嘗てディスプレイをやっていた友人がこの日は大変だと嘆いていました。20代の頃、ヨーロッパに暮らしていた私は、クリスマスの飾りつけが25日以降もあるのが不思議でした。クリスマスツリーはドイツが発祥とその頃聞いたことがあって、キリストの降誕地であるベツレヘムと樅の木とがあまり結びつかないイメージでしたが、ゲルマン民族の風習とキリスト教が一緒になってクリスマスに樅の木を飾る習慣になったことで私も納得しました。きっとサンタクロースもキリストの降誕とは異なる由縁があるのだろうと思っています。キリスト教は宣教師によって世界各地で布教活動が行われ、世界最大の宗教になりました。クリスマスもそれに応じてビジネスと連携し、現在のような姿になったと考えます。日本流のクリスマスを考えていたら、話が膨らんでしまったので、このへんで終わりにします。
2024.12.24 Tuesday
「世紀末芸術」(高階秀爾著 筑摩書房)の「よく見る夢」について、気に留めた箇所をピックアップしていきます。「芸術のあらゆる領域にわたって、西欧のほとんどあらゆる国ぐにで、数多くの画家、彫刻家、詩人、小説家がそれぞれ自己の夢を追いながら、この時代には不思議に同じような主題が、絶えず繰り返された。蚕室にうごめく無数のかいこたちが、お互いに相談するわけでもないのにいつの間にか皆同じような繭を紡ぎ出すように、この時代の芸術家たちは、期せずして同じ夢の繭を紡ぎ出していた。そのような繭のひとつから生まれた華麗な幻の蝶が、ヴェルレーヌの『夢の女』であり、またビアズリー、トーロップ、クリムト、ドニ、その他多くの画家たちの『永遠の女性』であったのである。」代表としてサロメが登場してきます。「事実、中世においてしばしば題材にとり上げられたサロメは、ほとんどつねに踊り子であった。しなやかな身のこなしと、明るく健康な肢体に恵まれた生身の人間であった。しかし、19世紀の末にふたたび登場してきたサロメは、モローの作品においても、ビアズリーとワイルドにおいても踊り子であるよりもまず女であり、それも官能と罪の香りにむせかえる女であり、奢りと逸楽に飽きた永遠の夢の女なのである。」私は20代の頃、ウィーン国立歌劇場でR・シュトラウスの歌劇「サロメ」を観て、この雰囲気がよく分かりました。次に私が関心を持つ仮面を主題にした文章が出てきます。「もともと仮面彫刻というものは、写実的なものであっても幻想的なものであっても、つねに不気味な魔力を漂わせている。あきらかに人間の顔を写し出したものでありながら、あきらかに人間そのものではない仮面は、いわば人間と物質との中間にあってそのどちらでもない不思議な存在となる。仮面の持つ魔力をいうのも、ここから生まれてくるのであって、事実部族社会の人たちは、(時には文明の世に住むわれわれ現代人でさえ)仮面をかぶることによって、神にでも悪魔にでもなれると信じこんでいるのである。」今回はここまでにします。
2024.12.23 Monday
先週月曜日から続いていた工房ロフトの最終拡張工事が今日終わりました。ちょうど1週間で完成し、鉄工業者たちの雇い主が点検に来ました。これ以上工房ロフトの拡張は出来ず、今回新しく出来た空間で何とか工夫して作品の保管をしていこうと思います。電動昇降機(リフト)の上下動する場所には穴を開けていて、そこから分解した彫刻部品をロフトに上げるのです。今年東京銀座のギャラリーせいほうで発表した陶彫作品が木箱に入って、まだ作業場所に置いてあります。それを近々ロフトに上げる予定です。私にとって工房での制作とギャラリーでの個展が生活の全てです。それ以外は美術館などに鑑賞に行くことくらいしか余暇を楽しむことがないため、今となっては工房にいる時間が私の生きる糧になり、創作の原動力になっているのです。今年施工を決めたロフトの最終拡張工事は、私にとってとても大きな工事でした。費用もかかりますが、私には他に浪費することがなく、結構シンプルな生活なのかなぁと思ったりしています。拡張工事は5年前にお願いした知り合いの業者がやってきました。ロフトに荷物を上げる時には後輩の彫刻家をはじめ、ボランティアで手伝ってくれる教え子たちがいて、それだけでも自分は恵まれた環境にいると自覚しています。工房の効率的な活用はまだまだ出来ていないところもあります。野外工房も完備しているのに、現在そこを使っているのは後輩の彫刻家くらいで、まだ活用の仕方があるかもしれないと思っています。室内工房の半分は作業場ですが、半分は収納倉庫にもなっていて、倉庫も工夫すれば、もう少し上手な保管方法もあるだろうと思います。そして今回新しく出来たロフトですが、ここは考えながら保管をしています。いろいろ考えていくと、まだ手を入れなければならない箇所も少なからずあって、いずれ時間を取ってやるべきことをやろうと思っています。
2024.12.22 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動に纏わることを書いていきます。来年発表を予定している新作は、陶彫部品と古木材を組み合わせた集合彫刻になるだろうと思っています。陶彫は毎年私が使用している素材で、その質感には馴染んでいて、私の造形の中核を成すものです。今回新しく取り組むのは古木材とのコラボレーションで、この古木材は私が生まれ育った実家を支えてきた大黒柱です。両親が他界したことで実家としてきた旧家を解体し、その際に大黒柱を工房に運んできたのです。こうした古木材に私は昔から愛着がありました。高校時代に建築家を目ざしていた時期があって、その頃に朧気ながら古木材について関心があったのでした。古い民家で柱の構造体が丸見えになったものをいくつか見ていて、私はそうした民家の復元がしたいなぁとぼんやり考えていたのでした。彫刻を始めた時に、陶による立体が作れないか、模作する日々に栃木県益子や茨城県笠間に住む陶芸家の友人を訪ねるようになり、そこで見た民家の天井を横切る太い柱の構造体に、昔の記憶が重なりました。天井にあった柱は捻じれていたり、囲炉裏の煤で黒くなっていて、この状態を見るにつけ、私の興味関心がはっきりと現れてきました。現在作っている陶彫とこうした古木材を組み合わせてみたらどうだろうと思いを馳せることになりました。古木材は木彫を施すものではなく、出来るだけそのまま使うことを考えていますが、陶彫部品と組み合わせるため、彫り込みだけは入れることにしました。古木材の両側に陶彫部品を置き、そこに陶彫による橋を渡します。幾星霜という時間を封じ込めた古木材の上を陶彫の橋が跨ぐ構造体を作ろうとしているのです。今までも木材を作品に使ったことはありますが、自分が生まれた頃から見てきた大黒柱を使うのは初めての試みです。今回はその大黒柱を際立たせるための演出を陶彫部品を使って行うというものです。