Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 描写について
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)に書いていますが、今回は描写について自分が思うところを述べてみます。昨日から新作の平面作品を作り始めていて、板材に鉛筆で全体構成を書いています。平面の作業は久しぶりだったので、鉛筆で全体構成を捉えて描いていく勘を取り戻すのに時間がかかっていますが、学生時代は描写用具を常に携帯していて、折に触れてスケッチをしていました。大学受験に欠かせなかったデッサンの技法もその頃に鍛錬したものでした。現在読んでいる「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)に、こんな箇所がありました。「西欧の絵画は、二次元の画面に何とかして三次元の現実世界を表現しようという努力を重ねてきた。遠近法とか、明暗とか、肉付法という伝統的な技法は、その写実的表現のために西欧絵画が生み出した武器である。」ここで述べられているのは、私の受験時に会得したデッサンそのもので、その写実技法も結構な描写力を獲得すると、慢心して自分に酔うこともありました。でも、それは自分にとって創作活動でも何でもなく、単なる描写に過ぎないと思い返しました。そこに自分を投影するほどの表現が見いだせれば、具象作家としての道も開けますが、私の場合はあまりにも中途半端で、写実を生かした作品を世に問うことは出来ないと思っていました。日本の美術系の大学受験では描写力を求められるので、高校生の頃から石膏デッサンなり、静物デッサンなりを夢中でやってきたのでしたが、それなりの意義はあったと私は感じています。最近の入試では美術分野も多様化して描写力を必要としないコースもあると聞き及んでいますが、10代の終わりに、対象を見えた通りに描ける力の獲得は、私の場合は彫刻の世界において大変有効だったと考えています。それが例え抽象彫刻であっても、結果としてそういう形態になっただけで、そこまで到達する過程で、デッサンを駆使することは多かったと述懐しています。描写力はあるに越したことはなく、形態の多方向からの捉えを把握するには良い方法だと今でも思っています。
    週末 平面作品への第一歩
    週末になりました。いつものように今週を振り返ります。東京や横浜でも桜の開花時期を迎え、春が愈々やってきた感じですが、寒の戻りもあって、まだ冬物はクリーニングに出せません。工房でも寒い日があり、石油ストーブが必要不可欠になっています。それでも今日は晴天に恵まれ、満開の桜を見るには絶好の一日になりました。今週も陶彫制作を朝から夕方まで取り組んでいましたが、陶彫作品にある程度目途がついたので、平面作品に取り掛かることにしました。平面作品は現行する立体作品とイメージの源泉が同じです。立体作品は床に実家の大黒柱になっていた古木材を横たえて、その両側を陶彫作品で挟んで、陶による橋で古木材を跨ぐ構成になっています。その跨ぐ構造を陶ではなく板材でやろうと思っているのが平面作品です。まず平面作品は同じサイズのものを2点作ろうと考えています。まず縦横120cmの正方形のパネルを作ることにしました。パネルの枠を作る前に、120cmの正方形の大きさを把握することが先で、そこに全体構成を考えていきます。頭の中にはイメージが出来上がっているのですが、細かいところは鉛筆で下書きをしながら最終決定をしていきます。工房の壁に立てかけた板材に鉛筆を走らせていると、久しぶりに平面に挑んでいる自分がいて、慣れない下書きに時間がかかっています。立体作品のように決定打ができず、なかなか筆が進まないのがもどかしいところですが、平面へのアプローチはこんなものだったかと思い返しています。鉛筆による下書きは書いたり消したりできる便利な方法ですが、暫くやっていると次第に退屈な形態になっていくのが分かってきて、時間をおいて、もう一度やり直すことにしました。平面作品は2点同時に進めていきます。この作品には描写はありません。定着を考えて油絵の具を用いますが、平塗にするか、ドリッピングを施すか、絵の具の掠れの効果を使うか、ともかく偶然出来るものでイメージの具現化を狙います。今後折に触れて平面作品に取り組んでいきます。今日はその第一歩になりました。
    ルノワール&セザンヌについて
    「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はルノワールの「ピアノの前の少女たち」とセザンヌの「温室のなかのセザンヌ夫人」を取り上げています。まず、ルノワール。「印象派時代には、モネやシスラーにならって、人物のまったくいない風景画ももちろん描いているが、艶やかな肌の下に暖かい生命の流れの脈打っている女性美をこよなく愛したルノワールは、彼自身、後に告白しているように、本質的に人物画家であった。そしてそこに、遅かれ早かれ彼が印象主義と訣別しなければならない根本的な理由があったのである。~略~『アングル様式』によって印象派に別れを告げたルノワールは、それ以後、線描によってではなく、色彩によって対象を肉付けしていく彼独特の様式を獲得する。それによって、人物は『実際に愛撫することのできる』実質的な存在感を持つと同時に、同じ色彩表現による背景ともひとつに融けあって、調和のとれた諧調を響かせることになる。1892年に描かれた『ピアノの前の少女たち』は、その最初の成果のひとつと言ってよいものなのである。」次にセザンヌ。「『温室のなかのセザンヌ夫人』の姿に見ていたものは、モネが見たような、すべてが魅惑的な光の波に覆われる世界でもなければ、ルノワールが見ていたあの熟れた果実のように暖かくみずみずしい肌の魅力でもなかった。彼が求めたものは、眼の前の対象を形づくる本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界のなかから、セザンヌは、対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。そして、そのような確固とした形態を求めるということは、もはや単に視神経だけの問題ではない。それは後にブラックが、『眼は形態を歪め、精神は形態を作る』という簡潔な言葉で表現したように、自然のなかにひとつの秩序をうち立てようという精神の働きである。~略~セザンヌの描き出す世界は、風景や静物はもちろん、人物像ですら、一見まったく平凡な日常の主題なのだが、そのなかに、恐るべき色彩と形態のドラマがひそんでいる。彼が絵画の方向を大きく変えてしまったのも、実はそのドラマのないドラマの故にほかならないのである。」今回はここまでにします。
    マネ&モネについて
    「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の最後の単元はマネの「オランピア」と、継続して読み始めた「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の最初の単元はモネの「パラソルをさす女」です。まずマネから。「風紀的な観点から見れば『オランピア』は当時の社会に対する反逆であったが、絵画表現の上から言えば、それは西欧400年の歴史に対する反逆だったと言ってよい。~略~二次元的表現は、対象の奥行きや厚み、丸みをあらわそうとしたルネサンス以来の西欧の写実主義的表現と正反対のものである。マサッチオ以来、いやもっとさかのぼってジョットー以来、西欧の絵画は、二次元の画面に何とかして三次元の現実世界を表現しようという努力を重ねてきた。遠近法とか、明暗とか、肉付法という伝統的な技法は、その写実的表現のために西欧絵画が生み出した武器である。ところが、クールベですら疑うことのなかったその伝統的な技法が、ここではほとんど全面的に否定されている。何よりもマネは、最初から三次元の世界を画面に構築することなど、まるで考えていないかのようである。」次にモネ。「モネたちは、そのような習慣にとらわれない純粋な感覚の世界をもとめた。現実の対象が実際にはどんな色をしていようとも、彼らは、自分たちの眼に映じた通りの輝きを、そのままカンヴァスの上に翻訳するのである。彼らの作品のなかに描かれるのは、あるがままの自然の姿というよりも、彼らの眼にそう映ったような自然の姿である。とすれば、彼らに対して与えられた『印象派』という呼び名は、最初は悪口であったとしても、意外に正確にその本質を表わしていると言わねばならない。~略~画面に散乱する無数のタッチは、自然の幻影を与えてくれるものであっても、自然そのものではない。モネは『自分の作品は自然に向かって開かれた窓だ』と言ったが、その『窓』から見える世界は、それなりにひとつの虚構の自然でしかなかった。この『パラソルをさす女』が描かれたのは、1886年、ちょうど印象派の最後のグループ展が開かれた年のことであるが、この頃から、モネの世界は、こまかいタッチで表現される光の洪水のなかに溺れていくようになる。」今回はここまでにします。
    ターナー&クールベについて
    「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はターナーの「国会議事堂の火災」とクールベの「画家のアトリエ」を取り上げています。「ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、19世紀の美術の歴史の上で、いささか奇妙な位置を占めている。彼は、ある意味では印象派の先駆者であり、近代への扉を開いた重要な芸術家であるが、他面、ロマン派的心情を多分に備えた伝統主義者でもあった。~略~ターナーは、明るい自然の風景を前にしても、いったんそれを自己の内面のフィルターを通して一定の色調に統一しないではいられなかった。われわれがターナーの多彩な世界について語る時、問題となっているのは、実は、かぎられた色彩のなかにおける無限のヴァリエーションにほかならない。彼の画面の持つ華やかさは、たった一本の綱の上でさまざまな変化を見せる曲芸師の妙技に似ている。それは、どんなに変化しても、彼固有の色彩世界から離れることはないからである。そして、この『国会議事堂の火災』にその端的な例が見られるように、自己の色彩世界の顕現に適した主題を得た場合、その世界が奔放な生命力を得ることになる。」次にクールベです。「鼻っ柱の強さと、当時の市民社会を告発するような社会主義的作品のために、クールベは19世紀における最初の反逆者のひとりに数えられているが、しかし表現技法の上から言えば、彼の作品はまだまだ伝統的であって、決して反逆者でも革新者でもない。従来の絵画表現をすっかり変えてしまう近代絵画の革命は、マネによって幕を開けられることとなるので、クールベは思想的には急進派であったが、画家としては、ルネサンス以来の絵画の表現技法を集大成してそれを徹底的に応用した伝統派であった。しかし、おそらく、この矛盾した性格こそがクールベの本質であり、われわれが今なお彼の作品に惹きつけられる理由であろう。この『画家のアトリエ』にしても、そこに盛りこまれたプルードン的『寓意』などは、今では何ほどの興味も呼びさまさない。だが、どっしりした肉体の重みと豊かな生命力を感じさせる裸婦をはじめ、制作中の風景画や後ろ向きの少年、狩人のそばにいる猟犬などは、その力強い実在感と絵具の肌の輝きによって、われわれを魅了してやまない。『現実的な寓意』を描こうとしてこの大作に取り組んだクールベが生み出したものは、結局『寓意的な現実』にほかならなかった。だがクールベは、それによって救われたのである。」今回はここまでにします。