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  • 町田市の「イコンにであう」展
    今日の午前中、私は工房で新作の古木材加工をやっていました。同じ時間帯に家内が歯科医院に予約をとっていたので、家内の治療が終わって、午後になってから家内を誘って、東京町田市にある玉川大学教育博物館に「イコンにであう」展に出かけました。同展は新聞のアート情報欄で知りました。20代の頃、私はヨーロッパにいたので、教会は暫し歩けば見つけられたし、イコン(宗教画)を売っているギャラリーもあったりして大変身近でしたが、日本ではイコンを見る機会がほとんどなくなっていました。今日は久しぶりにキリスト教絵画の収集品を見てきました。イコンとは何か、図録から文章を引用いたします。「イコンとは、『像』を意味するギリシャ語のエイコーンに由来する呼称です。広義にはキリスト教の聖像全般を含みますが、狭義には東方正教会において崇敬される板絵の聖像画をさします。このイコンには、イエス・キリスト、聖母マリア、聖人、天使の肖像や聖書に記される重要なできごと、たとえ話の説話物語などをあらわしたものがあり、大きさや形態もさまざまです。~略~それらは識字率の低い時代に、『目で見る聖書』としての役割を果たし、キリスト教の布教に大いに貢献しました。~略~『神の原像を映し出す鏡』『目に見えない聖なる原像に向けて開かれた窓』と規定されるイコンでは、人間を超越した神聖な存在であり、永遠に不変の存在である神の姿をあらわすために、既存の図像を原型として忠実に模倣することがおこなわれます。」(荻原哉著)イコンの制作は創造的行為ではなく、忠実な模倣が全てだそうで、ルネサンスあたりに盛んに描かれていた宗教画とは根本が違うというわけです。日本の宗教画家山下りんの伝記「白光」(朝井まかて著 文芸春秋)の中で、ロシアにイコンを学ぶため渡航した山下りんが、エルミタージュ美術館で見たイタリア・ルネサンスの絵画に心が躍った場面がありました。イコンは芸術作品ではなく、あくまでも信仰の対象として具現化された絵画なのだという認識が改めて問われた重要な場面だったと私は思い出しました。同展にはその山下りんのイコンもありました。
    「中国密教」について
    「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第一章 密教とは何か」の中の「中国密教」について気になった箇所をピックアップします。この「中国密教」が本章の最終章になります。「その中国的に変容した密教を、もしくは中国化した密教を、中国密教と呼びたいと思う。この時期に活躍した人物は、文字どおり、多士済々というしかない。インドから渡来して『大日経』をもたらした善無畏(637~735)。同じく『金剛頂経』をもたらした金剛智(671~741)。善無畏の弟子であり、偉大な天文学者でもあった中国人の一行(683~724)。そして、なんといっても中国密教の立て役者となった不空(705~774)。ちなみに、不空はインドもしくはソグドあたりの西方民族の血を引いていたと伝えられる。そして、不空の後継者にして空海の師となる中国人の恵果(746~805)らである。」インドと違う点は、中国には既に一大国家があり、その重圧もあって密教の経典を変えざるを得ないことでした。「不空は経典の改変さえ辞さなかった。翻訳という行為は外国語の原典を忠実に母国語にうつすものと信じて疑わない現代人には、まさに信じがたいことだが、仏典の翻訳には往々にして翻訳者の恣意が入っている。~略~不空のしたことは、長い仏典翻訳史のなかでも突出している。~略~もともとのサンスクリット原典にはまったく見当たらない国王守護と護国の文言を書き加えた。~略~空海が留学先の唐において密教の師とした恵果は、この不空の直弟子にあたる。つまり、空海は不空から見れば孫弟子になり、当然の結果として、空海の国家観も、基本的には、恵果をとおして継承した不空のそれに従っていた。さらに、般若もまた、空海の師の一人だった。」中国密教は空海を介して日本に伝わり、現在も日本密教として定着しています。「中国においてインド密教から大きく変容を遂げたタイプの密教は、やがて古代の日本列島や朝鮮半島に輸入され、それぞれの地域の事情に応じてさらに変容しつつ、東アジア一帯に多大の影響をあたえることになる。その意味からすると、中国密教はもとより、日本密教や朝鮮密教をも一括して、東アジア型密教と呼ぶこともできる。」今回はここまでにします。
    三連休最終日も創作活動
    今日は成人の日です。横浜市でも「二十歳の市民を祝うつどい」が横浜アリーナで開催されました。成人の日で思い出すのは、もう随分前になりますが、横浜で大雪が降って、振り袖姿の人たちが大変な目に遭っていた光景です。家内はこの日に神奈川公会堂で和楽器演奏があって、私が最寄りの駅まで歩いて迎えに行きました。やはり大雪の印象が強かったせいで、今も思い出すのです。今年の横浜は幸い穏やかな天候に恵まれましたが、青森県を初めとする東北地方では災害級の積雪になり、雪掻きをしている人たちがテレビに映し出されています。どうして夏は災害級の猛暑、冬は災害級の降雪になってしまうのか、気候変動が明らかにおかしくなっているとしか言いようがありません。さて、今日は三連休の最終日になります。教職に就いていた頃は、連休は創作活動に取り組めるので嬉しい限りでしたが、退職した今となっては毎日が創作活動なので、あの頃のような嬉しさも焦りもありません。毎日、陶彫制作が継続していて、ただ只管陶土に向かい合っている自分がいるのです。今日も朝から工房に籠っていました。昨日のNOTE(ブログ)に書いた制作サイクルがあるので、作業を休むことは出来ません。作業台の近くに置いたストーブで手を温めながら、彫り込み加飾に精を出していました。彫り込み加飾はあまり身体を動かすことはなく、大小の掻き出しベラと陶土の表面を滑らかにするための木ベラを使って、レリーフ状にした形を仕上げていくのです。どちらかというと工芸的な作業ですが、立体としての効果が結構あるので、重要な制作工程なのです。私の陶彫作品は比較的簡素な形態に装飾を施すことで、そこでも動勢を創出することが出来ると思っています。私は工芸的要素も絵画的要素も勿論立体的要素も自らの世界観に取り入れています。描写性がないだけで、何でもありの世界だなぁと思っています。
    週末 素材ありきで考える造形イメージ
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていきます。私が創作として作品を作り始める前に、立体の構造を学ぶ習作時期がありました。それはモデル台に裸像を立たせて、人体塑造を写実的に作るもので、昔からやっている彫刻の入門となる訓練です。今は美術系の学校でそんなことをやっているのかどうか分かりませんが、立体としての形態把握にはかなり効果的だったと私は思っています。私は最初は立体把握がままならず、4年間かけて漸くまともな人体塑造が出来るようになりました。立体把握と同時に、塑造に使う粘土や石膏、彫造に使う木材や石材に対して何かしら自己表現に関する影響もあり、それが素材ありきで考える創作活動に結びついていったように感じています。そのあたりから創作に対して自分はどうしていくのかという意識が芽生え、自分は何が得意なのか、どんなものに興味があるのか、自問自答する日々がありました。私の創作活動へのアプローチは、絵画的な方法ではなく、素材を介した彫刻としてのアプローチであったのが、現在も造形イメージとして続いているわけです。しかも創作を意識し始めた頃に、私はウィーンに住んでいて、目の前に広がる煉瓦や石で作られた旧市街を散策していました。ヨーロッパの街並みの構築性は、その原点であるギリシャ・ローマの遺跡を訪ねてゆく動機にもなり、それが陶彫による遺構の発掘現場を想定した作品世界へと収束していったと考えています。自分はどう展開しても素材ありきで考える造形イメージを覆すことは出来ません。亡父が営んでいた造園も私に少なからず影響を齎せていると思っていて、場を想起して、そこに陶彫作品を複数配置する発想は、造園施工からくるものではないかとも思っています。今日はそんなことを考えながら、陶彫の作業をやっていました。
    週末 25’通常制作の1週間
    2025年が始まって、通常通りの制作中心の生活が戻ってきました。寒波の影響で朝は寒く、工房のある畑には霜柱が立っています。ただし、関東は雪が少なく、他の地域に比べると厳しさをあまり感じません。それだけでも横浜に工房を構えていて幸運だったと言えます。実際の陶彫制作は水を扱うことが多いので、手は悴み、足元にあるストーブだけが暖を取る手段になっています。今週も朝9時から夕方3時頃まで工房にいました。陶彫制作していると、あっという間に時間が過ぎていくので、暇を持て余すことはまったくありません。陶彫の制作工程は土練りから始まり、大きめのタタラを作り、一日置いてタタラと紐作りで成形を行ない、さらに一日置いて、彫り込み加飾を施します。その後乾燥させて、仕上げと化粧掛けを行ない、最終的に窯に入れて焼成します。作品は複数個を同時に作りますが、意図的に作品によって制作工程をずらしていきます。以前にNOTE(ブログ)に書いたことのある制作サイクルと私が呼んでいるもので、これによって私には休憩がなくなります。常に追い立てられるように制作を進めていくものなので、効率的ですが、途中で休めないデメリットもあります。美術館や映画館に鑑賞に出かける時は、どこで作品を打ち切るか考えながら制作を進めます。今週は一日も休まず工房に通ったので、制作サイクルは順調に回りました。陶彫制作は陶土の具合で制作を進めていくので、作者の気分は考慮されません。作者の調子が良かろうが悪かろうが関係なく、ともかく朝から工房に行って、制作サイクルの中に身を置くことが一日のルーティンになっています。私にはこれが向いていると思っていて、気分が乗れば一気呵成に作り上げていく芸術家気質とは異なっています。退職前の仕事のように勤務時間が決まっていて、必ず時間になったら仕事を始めていく体質に慣れてしまっているのも事実です。しかも週末も休まず、制作サイクルに乗っていくのが、私の制作スタイルなのです。