2025.02.04 Tuesday
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第三章 マンダラの理論と実践」の中の単元「マンダラとは何か」について気になった箇所をピックアップします。「マンダラ(曼荼羅・曼陀羅)は、瞑想(観想)のために発明された、いわば霊的な道具もしくは装置である。マンダラの基本形は4~5世紀にインドで開発され、その後、急速に発展して複雑きわまりない形態に発展したらしい。今日、日本に残るタイプは6~7世紀に、チベットに残るタイプは8~10世紀に、それぞれインドで成立したものの末裔と考えられている。~略~マンダラが表現しようとしているのは、この世の森羅万象がことごとくホトケのあらわれであり、意味のないものはなにひとつないという真理である。~略~つまり、マンダラとは、宇宙の中心軸たる須弥山のはるか上空に浮揚する球体の内部を、透明なバリアー越しに、上から見下ろした、もしくは下から仰ぎ見た結果、できた平面図なのである。~略~総合するなら、マンダラとは、完璧な規律と秩序に貫かれ、しかも閉じられたホトケたちの聖なる世界を、円輪と正方形を基盤に、対称形の多用をもって図画した平面図なのだ。そこに混沌や無秩序が介在する余地はまったくない。視覚上からいうなら、マンダラは上下左右を反転しても、構図としては変化しない。」ここで空海の解釈になります。「空海はマンダラを、表現の形式から、『大曼荼羅』・『三昧耶曼荼羅』・『法曼荼羅』・『羯摩曼荼羅』の四つの種類に分けている。大曼荼羅は、宇宙(もしくは世界)に展開されている普遍的な形相を、さまざまなホトケの図像をもちいて表現したマンダラである。~略~三昧耶曼荼羅は、宇宙に展開されている特殊な形相を『三昧耶』、つまりさまざまなホトケを象徴する持物(アトリビュート)、たとえば蓮華とか法輪とか武具などによって表現したマンダラである。法曼荼羅は『法』、つまり宇宙の真理を、言語をもちいて表現したマンダラである。~略~羯摩曼荼羅の場合は、活動をリアルにわかりやすく表現するためか、ホトケたちの立体的な彫像をもちいてマンダラを構成するところに特徴がある。京都の東寺の講堂にならぶ彫像群が、まさにこの羯摩曼荼羅の典型になる。」今回はここまでにします。
2025.02.03 Monday
先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「できるはずだと思い上がるから、行き詰まるんです。篠田桃紅」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「いくらやってもまだ表現になっていないと思うから、行き詰まるということがない。『永遠にやったって、できないに決まっていること』を自分はやっているからと、107歳の美術家は語る。仕事を長く続けられたいま一つの理由は、人と較べたり、人に合わせたりせずに、『あとはご想像におまかせします』という気持ちでやってきたことだったとも。『これでおしまい』から。」前衛的な書を発展させ、現代アートにしてきた篠田桃紅ワールドは、今でも鑑賞者を惹きつけてやみません。空白を空間に転換した作品には、確かに終わりは見えず、毎回新たな試行錯誤があったのだろうと推察します。美術作品が表現行為になる以前は、たとえば学校での習作期間に、同じ課題に対し複数の学生が挑んでいて、そこで巧拙を競い合い、指導者が優劣をつけていきます。この後は、人と較べることから始まる習作期間が終わり、それぞれが自己表現を探るようになり、自分に問いかけることで、自分を深化させていくプロセスが待っているのです。そのプロセスでは人と較べたり、人に合わせたりできずに、本当の意味で暗中模索が始まると言っても過言ではありません。できるはずだと思い上がるのは、習作期間で他人より優位に立ったことがある人が陥ることが多く、行き詰まりも同様です。自分がやっている世界の到達点は決して容易ではないと自覚したときから、過去の拘りを捨てて、遠くにある理想郷を目ざして一歩を踏み出すのです。それは習作期間のように簡単ではなく、較べることで優位に立った人にとっては大変な試練になるのです。そんな浮遊している状態で、どこに立ち位置を見つけるか、どこを起点にしてスタートを切るのか、まずそこを定めるまでが試練の第一歩と言えそうです。
2025.02.02 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、今日は新たにホームページのギャラリーページに「発掘~聚景~」をアップしたので、その告知をしたいと思います。「発掘~聚景~」は2020年に東京銀座のギャラリーせいほうで発表した陶彫による集合彫刻です。制作当時、私は教職に就いていて、学校組織について頭から離れず、作品くらいは教職のことは忘れて、廃墟に立ち上がっていく命の蘇生をテーマにしようと考えていました。ところが、校長として過ごしていた私は、小さな命が徐々に集まって活況を呈していく場面を思い浮かべながら、一番基本となる考え方として、人間には他の動物には見られない特有で独特の自然本性があって、それが社会を形成しているということに拘っていました。それは生物学的連携と言ったらよいのか、学校のように組織を意図しなくても、自然本性として学習や遊戯を通して、人は集まるのだろうと思っていたのでした。この行動はアリストテレスに原典がありますが、校長室から生徒たちが遊んでいる様子を見ていると、友達や仲間に支えられて生きている彼らの姿を自然に受けとめている自分がいました。勿論そこにはいじめに繋がる歪んだ意識やストレスはあるのですが、それらも含めて人間としての独特の自然本性を感じないわけにはいかないのでした。聚景というタイトルには命の蘇生ばかりではなく、人が集まり群がる自然本性をもイメージした結果、この2文字を捻りだしたものです。ギャラリーページの最後に拙いコトバを添えていますが、そうしたイメージを思い出しながら綴ってみました。造形に比べるとコトバの力量不足を私は承知していますが、それでもアップすることにしました。ホームページの「発掘~聚景~」を見ていただけるなら、まずホームページのギャラリー・ページをクリックしてください。それぞれの作品の部分画像が出てきますので、廃墟の壁のある作品にカーソルを当てていただければ、画像が一点ずつ現われます。ご覧になっていただけると幸いです。
2025.02.01 Saturday
週末になりました。今日は2月1日で、今週は1月から2月へ月を跨いだ1週間になりました。2月全体の制作については機会を改めますが、今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通いました。朝9時から午後3時までを基本として、内容としては古木材の彫り込み加工をやっていました。工房だけでなく、作業着も木屑塗れになり、木屑を入れたゴミ袋が何袋も出来ました。木材にチェンソーで幾つも切り込みを入れ、幅の広い丸鑿で余分な木片を落としていきました。木彫などの造形的な制作とは違い、これは単純な作業ですが、今週はそれに徹していました。水曜日は乾燥した陶彫作品にヤスリで仕上げをして、化粧掛けを施しました。木曜日は家内と映画に行く約束をしていたので、水曜日の夕方に窯入れを行ないました。木曜日は朝工房に立ち寄って、窯の温度確認をしました。その後、映画「アプレンティス」を観に行きました。映画「アプレンティス」は副題を「ドナルド・トランプの創り方」としていて、現米国大統領の鬱積した下積み時代と辣腕弁護士によって次第に常軌を逸した考え方に変わっていく様子を描いていて、興味の尽きない内容でした。私の観る映画は純粋に芸術性の強いものもあれば、世相を反映した社会性の強いものもあります。ドキュメンタリーも多く観ますが、問題を孕んだ野心作は私にとって面白く、また刺激的なのです。今週は夕食後に密教に関する書籍を読んでいます。密教を知っておきたい衝動に駆られて読み始めましたが、書籍がいくら分かり易く書いてあっても、密教そのものには複雑な哲学があり、語彙ひとつを取っても普段使いなれていない言葉なので、なかなか先へ進めません。空海が生涯を賭けて打ち立てた宗教解釈とそれを礎にした創作行為は、簡単に理解できるものではないことはよく分かりました。何故、私が密教に興味を持ったかと言われれば、教職に就いていた頃、修学旅行引率等で京都に行った折、東寺の曼荼羅を見て、その図示された宗教的構想を齧ってみたくなったことが契機になっています。言わば視覚的興味から曼荼羅に惹きつけられたわけで、私の仏教感は甚だ浅いものでしかありません。そんな表象的な興味でしかないもので、密教に立ち向かうのは大変なことと知っていながら、ともかく書籍を読んでいこうと思っています。
2025.01.31 Friday
2025年の幕開けになったと思ったら、あっという間に1ヵ月が過ぎ去ろうとしています。時の経つのが早く感じられるのは、私自身が歳をとった証拠なのかもしれません。1月は日本海側に大雪警報が度々出ていて、テレビで厳しい状況が報道されていましたが、幸い首都圏は気候変動をあまり受けずに、晴れの日が続いていました。うららかな日もあり、工房での作業も辛い思いをせずにここまでやってきました。1月は31日あって、そのうち31日間全日程を工房に通いました。元旦やら叔父の一周忌がありましたが、前日に窯入れを行ない、その日は窯の温度確認に工房に行っていました。1ヶ月のうち焼成は3回行いました。今月の制作は前半と後半の2つに分けることが出来ます。前半は陶彫制作に精を出していました。陶土で手がガサガサになりましたが、こればかりは土を扱う作家の宿命なのです。新作の陶彫作品はほぼ出来上がり、後は繋ぎの橋を作るだけになっています。後半は実家で廃材になった大黒柱に凹形の彫り込みを入れる作業をしていました。久しぶりに握った幅広の鑿と木槌。陶の作業とは使う筋肉が異なるため、結構辛い作業がありました。ただし、木を彫るという行為は面白く、自分が彫刻家であることを改めて実感しました。まだ柱の彫りは全部出来上がっていませんが、次にこの4本の柱を炙って炭化させる工程が残っています。そうすることで陶彫作品との調和が図れるのです。今月の制作状況はまずまず順調にいっているように感じています。美術館の鑑賞は、「イコンにであう」展(玉川大学教育博物館)、「モネ 睡蓮のとき」展(国立西洋美術館)に行きました。私は折に触れて見てきた印象派モネの油絵でしたが、今回は空間を感じさせるというか、その空気感を感じ取って、私にとって新しい発見がありました。映画鑑賞は「ロボット・ドリームス」(シネマ ジャック&ベティ)、「アプレンティス」(TOHOシネマズ海老名)に行ったので、鑑賞の機会は合計4回ありました。読書では密教に関する書籍を読んでいるところです。慣れない宗教用語やら考え方に度々立ち止まり、インド発祥で空海が日本に持ち込んだ祈りの哲学を学んでいます。