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  • 新聞記事より「仏像解説」
    今日の朝日新聞は、誌面を大きく割いて仏像についての記載がありました。私は若い頃から運慶が好きなので、折に触れて仏像を見に行っていますが、新聞の解説を読むと、教職に就いていた頃が思い出されました。私は美術科の鑑賞の授業で仏像の4種類について生徒に話していました。とりわけ京都や奈良に修学旅行に行く前に、その授業を取り入れていた記憶があります。「仏像は、そのルーツや役割で4種類に分けられる。なかでも最初に挙げるべき仏像が、悟りを開いた聖者を表す『如来像』だ。仏教の開祖であるブッダを表した『釈迦如来』、人々を極楽浄土へ導く『阿弥陀如来』、病気で苦しむ人々を救う『薬師如来』など、シンプルな袈裟のみを身に着けた仏像がそれだ。」造形様式も時代によって異なるので自分好みの仏像を探すのも楽しみのひとつです。「悟りを開いた聖者が『如来像』なら、『菩薩像』は悟りを目指して修業中の身。人々の幸せや救済を願う姿を表す仏像だ。代表的なのは『観音菩薩』。~略~菩薩は、如来になる前に弥勒の姿を表す『弥勒菩薩』や仏の知恵をつかさどる『文殊菩薩』なども含め、天衣や装飾品を身に着けた出家前のブッダの姿をしているが、地蔵菩薩だけは違う。あらゆる場所で命あるものすべてを救済する菩薩として、剃髪に法衣を着た僧形で表されている。」菩薩像は多種多様で、造形美術として見れば大変面白いと感じます。「4種類ある仏像の3番目、4番目は、あえて怒りをもって、力ずくでも人々を仏教の世界に導く『明王像』と、如来や菩薩のもとで世界の平安を守るために、護法神となったインドの神々を起源とする『天部像』だ。」私が彫刻を学び始めた頃、最初に興味を持ったのが「明王像」と「天部像」でした。分かり易い感情表現に親しみがあり、忿怒の形相に鬼気迫る迫力があって、「明王像」は若かった私を惹きつけたのでした。「明王像」とは逆で、軽やかで清々しい雰囲気を与えてくれたのは、奈良秋篠寺にある「伎芸天」でした。これは「天部像」で、今でもこの仏像は大好きです。
    2025年版の印の制作
    陶彫作品の新作に貼る印について述べます。ほとんどの視覚表現の作品には作者のサインがつきます。それがオリジナル作品であるという証拠になり、複数作品が存在する版画にはナンバリングもついています。それを落款と呼ぶ場合もあり、調べてみると奥の深いものであることが分かります。ネットによると落款とは、落成款識の略語で、書画を作成した際に詩文などを書き付けたもので、その時捺す印章を落款印と言うそうです。署名用の印そのものを落款と称することもあるようです。印は主に篆書体を用い、それは中国を起源として、主に篆書を印文に彫ることから篆刻といいます。篆刻には字の周囲を彫る陽刻(朱文)と字そのものを彫る陰刻(白文)がありますが、両方を交えたものを朱白相関といいます。それはさておき、私の陶彫作品にどう落款を捺して完成品にしようか、随分前に思案したことがあり、和紙に捺印して、それを陶彫立体の見えない部分に貼り付けようとその時決めました。そこに番号も付けました。私の作品が集合彫刻であるため、番号同士を合わせることで、組み立てや分解が可能になるからです。しかも私は篆刻を自由化し、抽象絵画のように線で構成された図像に変えました。氏名にも漢字の他にアルファベットも多用して、迷路のような表現にすることを目ざしたのでした。いわば私は篆刻を小さな絵画作品として扱っていて、しかも新作の陶彫作品には新作の印を彫ることにしたのでした。そのため新作ごとに新しい印が出来上がって、今では相当な数の印が収納箱に眠っています。篆刻を小さな絵画作品としたことで、私は毎回印を彫るのが大好きになっています。今日は新作の印のデザインをして、印刀で彫りました。彫る前に石を印床に嵌め込むと私の気分は揚がりました。彫る時間は2時間程度だったでしょうか。新作は陽刻(朱文)にしました。漢字とアルファベットを混在させてまとめてみました。
    週末 体感する芸術について
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今晩再放送のNHK「日曜美術館」でドイツの芸術家アンゼルム・キーファーの世界を取り上げていました。嘗て私は箱根彫刻の森美術館の室内展示室で大掛かりな「キーファー展」を見て、藁や木材を炭化させた巨大な作品に衝撃を受けた記憶があります。2018年2月8日付のNOTE(ブログ)にこんな表記がありました。「(私が彼に興味を持ったのは)1998年に箱根の彫刻の森美術館で開催された『アンゼルム・キーファー展』を見たことに端を発します。ナチスの負の歴史を直視し、ナチス式敬礼の写真を展示して物議を醸した芸術家は、その後もナチズムを白日に晒す作品を作り続けました。彫刻の森美術館では藁や炭化された木材、またコールタールで塗りこめた巨大な作品が壁を覆っていて、その素材感に圧倒されたのを今も覚えています。その時は題名に気を留めていなかったのですが、キーファーは主題や意味を尊重する芸術家であることを後になって知り、その意図を汲むべきだったと後悔しています。キーファーの作品には聖書や神話、さらにユダヤ教の神秘思想とも言うべきカバラ哲学も創作動機に入ってきていて、それを知るには芸術家個人の経験としての背景があるのだろうと察します。」今日の放映でキーファーの世界が京都の二条城で展示されていて、古い木造建築の中で見るキーファーの主張が、日本の伝統と対峙して、それが絶妙なバランスを持っていることに、私は刺激をもらいました。ただ、こういう素材が全面に出た作品は、作品そのものも巨大なこともあって、心身で体感してこそ、漸く表現の何たるものかが味わえるのです。実際に京都の二条城に足を運ぶのが最適ですが、現在オーバーツーリズムで京都は混雑をしているため、それを体感しに行こうという気が起きません。テレビで満足できるものではありませんが、想像を逞しくして心を満たしました。
    週末 GWといえども…
    週末になりました。今週の振り返りを行ないます。今週は4月から5月に移りました。新作が佳境に入ると時間が経つのが早くて、今週はあっという間に過ぎていった感じを持ちます。ましてや今日からゴールデンウィーク後半の4連休が始まり、高速道路が渋滞をしているようです。教職に就いていた3年前までは、ゴールデンウィークは連続して創作活動が出来るので大変貴重な時間でした。その時はゴールデンウィークに何をやるべきか目標を立てていました。退職した今となっては昔のような有難味はありません。ゴールデンウィークといえども通常の生活があるだけです。今週は平面作品のパネルを2点作成しました。縦横120cmの正方形のパネルなので既存のものはなく、板材や垂木を使って自分で作ったのです。そこに下塗り剤を施し、乾燥を待って創作の作業に移ります。平面作品に限ったことではないのですが、創作が制作工程に入ってくると、忽ち面白くなります。当初のイメージと折り合いをつけながら、さらにクオリティの高いものが出来ないかと思案していくからです。何かいいものが掴めた時は天に登るほど気持ちが高揚し、当初のイメージ通りにいかない時は心が塞がれます。一喜一憂が創作の合間に頻繁に訪れてくるのです。それは魔力に満ちたもので、それがあるからこそ創作活動がやめられないのです。それに長く時間をかけたからといって、いいものが出てくるものではありません。一日時間をおいて仕切り直しをした方がいい場合もあります。途中までいい具合に進んだものの、やり過ぎて作品を台無しにしてしまうこともあります。そうして苦しんでいる最中に、次の作品が上から降りてくることが嘗てありました。面と向かって作品に対峙できない現実逃避かもしれませんが、何であれ次の作品のイメージを私は有難く受け取っていきます。私の作品展開はこうして生まれてきたと言えます。苦しい時間帯は来週も継続でしょう。
    「新古典主義とロマン主義」について
    「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第3章 新古典主義とロマン主義」について気になったところをピックアップしていきます。時代を代表する画家が3人登場します。まず、ダヴィッド。「新古典主義の中心的存在は、何と言ってもジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)であった。ゴヤとほとんど同じ時期を生き抜いた彼は、強い意志の力と、確実な職人的技術に支えられた厳格な画風とによって、新古典主義の美学を完成し、それを革命時代と帝政期の代表的様式にまで育て上げた。ダヴィッドの登場によって、18世紀の優雅艶麗なロココ趣味は、男性的な英雄主義にとって代われることとなったのである。」さらに劇的で短い生涯を閉じたジェリコーも登場しますが、次に取り上げる画家はアングルとドラクロアです。「アングルは、いわば新古典派にとっては、最後の切り札だったのである。そのため、《ルイ13世の誓い》は、サロンの主催者によって特別華やかな扱いを受け、アングル自身もびっくりするほど大きな成功を収めた。一方、ドラクロアは、2年前のサロンにはじめて登場した時から、一部の人々から注目されていたが、この年、《キオス島の虐殺》によって、一躍革新的な若者たちのあいだの中心的存在となっていた。1824年のサロンにおけるこのふたりの出会いは、その後40年にわたって美術界を二分することになる宿命的な対立の、いわば、出発点だったのである。~略~1855年、パリではじめて万国博覧会が開催された時、アングルとドラクロアにそれぞれ特別に一室が提供され、その画業の全貌を示す回顧展が催されたが、そのことはとりもなおさず、19世紀中葉におけるこのふたりの巨匠の重要な位置を物語るものと言ってよい。アングルがその比類ないデッサン力によって、官能性にも欠けていない純粋な美の世界を創り出したとすれば、ドラクロアは、色彩豊かな想像力によって、絵画表現の可能性を大きく拡げたのである。」今回はここまでにします。