Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 5月の振り返り
    週末になりました。いつもなら今週の振り返りを行なうところですが、今日が5月の最終日なので、今回は今月を振り返ってみたいと思います。今月は個展の図録用写真撮影が24日(土)にありました。この日まで私はフル稼働で制作に励んでいました。おかげで個展に出品する作品全てが完成し、ホッと胸を撫で下ろしました。これで今年の7月に東京銀座のギャラリーせいほうで20回目の個展が出来るという安堵感もありました。その後は疲労が徐々に出てきましたが、何とか撮影翌日から私は新作に取り組み始めています。美術館にも28日(水)に鑑賞に出かけられました。今月は31日間あるうち30日間は工房に籠っていました。工房を休んだ一日は前述した通り、東京の美術館2ヶ所を回ってきました。「酒呑童子ビギンズ」展(サントリー美術館)、「藤田嗣治展」(SOMPO美術館)の2つの展覧会は、なかなか魅力的な展示が多数あって、私の心を捉えました。今月は映画や観劇がなかったので、来月は実技と鑑賞をバランスよくやっていきたいと思っています。日々の疲労を解消することで言えば、今月は新しいマッサージ機が届いたことです。新型のマッサージ機を、私と家内は交代しながら毎晩使用していて、とても重宝しています。一日のうちで心地よい時間帯があるのは幸いだなぁと思っています。読書は西洋絵画史に関する書籍を読んでいて、旧知のことでありながら、再度自らの知識を確認しています。若い頃に仕入れた知識でも、この年齢になってもう一度学び直すのは、そこに新たな視点が加わって興味関心がさらに増すことを知りました。また現時点での自分の創作を見直す機会も訪れて、自分が培ったものを広い視野で考えると、私のやっている現代彫刻は果たしてどうなのか、自分の造形哲学を再構築することも必要だなと感じることもありました。学ぶことは終わりがないと改めて感じ入った次第です。
    新宿の「藤田嗣治展」
    先日、東京新宿にあるSOMPO美術館で開催されている「藤田嗣治展」に行ってきました。昔から藤田嗣治ワールドを私は度々味わっていて、機会があれば仏ランスにあるシャペル・ド・ノートル=ダム・ド・ラ・ぺ(平和の聖母礼拝堂)に行って、画家本人による建築設計、ステンドグラス、装飾、フレスコ画を見てきたいとさえ思っています。本展は副題に「7つの情熱」とあり、それは自己表現・風景・前衛・東方と西方・女性・こども・天国と天使の7つの主題に分けて、藤田ワールドを読み解くものです。作品は比較的小品が多かった印象でしたが、質の高いものもあって、私の眼は時折釘付けになりました。画家本人が暮らした当時のパリの芸術界の潮流にも敏感に反応している作品もありましたが、私はやはり淡い乳白色の上に緻密な線描で表現された人物像が大変気に入っていて、その女性像を見た時に、あぁこれがフジタだと納得した次第です。図録の中にこんな文章がありました。「藤田の生涯のいかなる時も、繰り返し表現と変化を重ねるほどにその人生につきまとい、彼を最も魅了し、主題以上に最低限求められるものとして彼が一番大切にしていたのは、線の美しさを明確にすることであった。この流麗で、しなやかで、表現力に富む美しい線は、彼を成功に導いた。その美はいたるところに、油彩画はもちろん小さなデッサンにも存在する。これらの線は彼の情熱の美のベクトルであり、藤田の大望とはすなわち、他の芸術家たちよりも巧みに線を描くことであった。」(シルヴィー・ビュイッソン著)その中で私は1927年に描かれた「友達、ユキとマド」や「枕の上の裸婦」に見られる白っぽい画面に注目しました。白は混じりけのない白ではなく、桃色や緑色、青色、黄土色がほんのわずか混ぜ合わされ、微妙な陰影となって画面を覆っています。線描は極細の筆が使われたのでしょうか。日本画のようでもあり、乾いた雰囲気もあり、その独創的な味わいはまさに藤田ワールドそのものだなぁと感じました。
    六本木の「酒吞童子ビギンズ」展
    昨日、東京六本木にあるサントリー美術館で開催中の「酒吞童子ビギンズ」展を見てきました。サントリー美術館が所蔵する重要文化財で、1522年に北条氏綱の依頼によって狩野元信が描いた「酒伝(呑)童子絵巻」は、最近解体修理が終わったらしく、かなり鮮明な絵巻になっていました。物語としては、鬼に誘拐された娘たちを救うため、源頼光とその家来による鬼退治を描いたもので、今まで物語に接することのなかった私にも分かり易さが伝わってきました。さらに酒吞童子の出生に纏わる絵巻が発見されて、それは神話の世界にも通じるものでした。すなわち、スサノウノミコトによって退治されたヤマタノオロチの亡魂が、伊吹山に飛んで伊吹明神となり、その息子として生まれたのが酒吞童子だと言うのです。「酒吞童子絵巻」にはサントリー本の他に、独ライプツィヒ・グラッシー民族博物館が所蔵する住吉廣行の描いたものがあって、サントリー本はこのライプツィヒ本とともに展示されていて、それらを比較して見ることができたのも幸いでした。サントリー本もライプツィヒ本も共通点があって、いずれも婚礼調度として絵巻は使われていたようで、両方とも姫君の所持品であったことが、私は何とも不思議な感じを持ちました。若い娘たちが誘拐され、血なまぐさい顛末がある絵巻が、どうして嫁入り道具になったのか、私には解せないところでしたが、図録の解説には、徳川家との縁を繋ぐ由緒の品として、絵巻が嫁入り道具に使われたことが記されていました。つまり、物語の内容を楽しむためではなく、「酒吞童子絵巻」という存在そのものが重要であったと考えられると解説は結んでいました。それはともかく、私はやはり「酒吞童子絵巻」の物語性に面白みを感じ、鬼が群衆になった個性的な表現に、何とも現代風な奇想を認め、そのキャラクターに親しみを持ちました。私は幼い頃から怪奇趣味があるので、その心が満たされた展覧会でした。
    新作開始&東京の美術館散策
    美術館に行く日は、通常なら工房で窯入れを行ない、窯以外のブレーカーを落としているために作業が出来ない日を選んでいました。今日は来年に向けての新作を開始していて、まだ陶彫第一号が出来ていません。窯入れもないのに、今日は工房の作業を休んで、東京の美術館を2ヶ所回ってきました。私は今年7月に発表する作品が全て出来上がったところで休息を取らず、間髪を入れずに次作の制作に入りましたが、気分転換を兼ねて今日は展覧会に作品鑑賞に出かけたのでした。最初は東京六本木にあるサントリー美術館で開催している「酒吞童子ビギンズ」展に立ち寄りました。酒吞童子とは鬼のことです。平安時代に都で美しい娘たちを次々に誘拐していた酒吞童子が源頼光とその家来たちによって退治される物語は、現代のアニメにも通じていて、その展覧会の広報を見た時には「鬼滅の刃」の原型ではないかと、私は勝手に思い描いていました。展示されていた絵巻物は修復が終わったらしく、絵が鮮明になり、それだけに物語に惹き込まれる要素が充分あり、私は時間をかけて楽しんでいました。詳しい感想は後日に回します。次に向かったのは新宿で、巨大な駅のターミナルに困惑しながら、行きつ戻りつしながらSOMPO美術館に辿り着きました。ここで開催されている「藤田嗣治 7つの情熱」展で、私は久しぶりに藤田ワールドに触れました。藤田嗣治の独特な人物描写と、淡い色彩、それに私が好きなところはモデルの吊り上がった眼とキリリと引き締まった唇の表情が何とも魅惑的なのです。本展は小品が多かったのですが、子供のシリーズが充実していて、私は堪能できました。これも詳しい感想は後日に回します。東京の展覧会を巡ったのは久しぶりな気がします。今月は個展の図録用写真撮影があったために、とにかく作品を完成させなければならず、撮影が終わるまでは美術館に行く暇がなかったのでした。今日は本当に気晴らしになって、また明日から陶彫制作に励むことができるなぁと思っています。
    「マティスとフォーヴィズム」について
    「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第15章 マティスとフォーヴィズム」について気になったところをピックアップしていきます。「フォーヴの画家たち、ことにその中心的存在であるマティスにとって、セザンヌと新印象主義とが決定的な役割を演じたという事実は、はなはだ暗示的である。実際、マティスによる色彩の表現力の発見は、たとえば1904年に南フランスで描かれた《豪奢・静寂・逸楽》の画面にはっきりとうかがわれるように、新印象主義の色彩分割の技法に直接由来するものであるし、《サント・ヴィクトワール山》の画家について言えば、マティスはすでに1890年代から、他の印象派の画家たちとは違うセザンヌの歴史的意味を、はっきりと見抜いていた。」ここで、フォーヴィズムと称された時期を探ります。「『印象派』の場合と同じように、『フォーヴィズム』という名前も、批評家の悪口がもとになって登場してきた。しかし、その仲間は、印象派やナビ派のように、はっきりときまったグループを形成していたわけではない。1905年のサロン・ドートンヌは、カタログによれば参加した画家の数は397人、出品作品1625点という大がかりなものであったが、たまたま主催者側が、それらの作品のうち、似たような傾向の若い画家たちを会場のグラン=パレの二つの部屋に集めたために、彼らが『野獣』の仲間としてクローズアップされるようになったのである。」マティスについて。「これらきわめて多様な個性の持主であるフォーヴの画家たちのうち、グループのなかで代表的な存在であり、歴史的にも最も重要な役割を果たしたのは、アンリ・マティス(1869ー1954)であった。彼は、仲間のうちで最年長であったばかりでなく、造形表現上のその大胆な試みによって他のフォーヴたちに大きな影響を与えた。しかし、それでいながら、彼は、『野獣』という呼び名から連想されるような奔放な激情の画家ではなく、むしろ明晰な知性の画家であった。たしかに彼は革命家であったが、醒めた革命家であった。そして、革命家としての彼の情熱は、古い秩序を破壊することよりも、新しい秩序を創り出すことの方に向けられた。その点で、マティスは、同時代のカンディンスキーに似ていると言えるかもしれない。」今回はここまでにします。