2025.05.26 Monday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第14章 ドイツ表現主義」について気になったところをピックアップしていきます。まず表現主義とは何か、これに触れます。「最も優れたかたちでは、グリューネヴァルトの強烈な神秘主義や、カスパール・ダヴィッド・フリードリヒの汎神論的ロマン主義となって登場してきた。ドイツ表現主義の画家たちが、多かれ少なかれロマン主義の落とし子であることも、またノルデやベックマンが意識的にグリューネヴァルトに霊感を求めたことも、決して偶然ではない。~略~彼らは、世紀末の画家たちからその『表現』様式のみならず、既成の権威の否定と新しい芸術の創造という『革命的精神』をも受け継いだ。彼らが、フランスのフォーヴの画家たちと同じように、オセアニアやアフリカの未開人たちの芸術に強い関心を示し、さらに『青騎士』の仲間たちの場合に見られるように、子供の絵のなかに『創造的』価値を見出して、積極的にそれを評価するようになるのは、彼らのこの『革命的精神』と無縁ではない。」次に「ブリュッケ」について。「『ブリュッケ』(橋)という名称自体が、過去と未来とをつなぐものという意味で選ばれたものであり、新しい時代の芸術家としての彼らの誇りと自覚とを十分に物語っている。同じ表現主義と言っても、たとえばバルラッハが明白に中世への傾斜を示し、ノルデがいわば時代を越えた永遠の魂の深淵を造形化したのに対し、『ブリュッケ』の画家たちは、その青春の情熱をすべて『現在』に注ぎ、そのことによってドイツにおける最初の20世紀旗手となることができたのである。~略~『ブリュッケ』の歴史的意味は、何よりも意識された前衛芸術運動としてのグループ活動そのものにあったと言える。造形的な面から見れば、同時代のフォーヴの画家たちの方が、はるかに大胆な革新を試みていた。そのことは、現代に対する鋭い社会的意識をつねに感じさせるキルヒナーの裸婦と、純粋に造形的な問題を追求したマティスの裸婦とを比べてみれば、明らかであろう。キルヒナーのその鋭敏すぎるほどの社会意識は、グループを支える活力となった一方、晩年にいたるまで彼に憑きまとって離れず、ナチスの登場以後ついに彼を自殺にまで追いやってしまうほどのものだったのである。」最後にカンディンスキーを取り上げます。「モスクワに生まれて最初法律と経済学を学んだワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、その残した業績から見れば、疑いもなく20世紀絵画における最も重要な革新者のひとりであるが、しかし、年齢から言えば、きわめて遅く登場した革命家であった。彼が法律の専門家としてのアカデミックな道を棄てて画家を志したのは、すでに30歳になってからであったし、完全に具象的形態を離れた抽象作品を描くのは、ほとんど50歳に近くなってからである。」今回はここまでにします。
2025.05.25 Sunday
日曜日になりました。昨日、個展の図録用写真撮影が終わりました。これによって今年の7月に開催予定の個展に出品する作品は、全て完成しました。作品が出揃ったところで、気分としては休息をとりたいところですが、私が今までやってきた習慣として、間髪を開けずに次作に取り組み始めることにしています。ひとつ終わって休息をとってしまうと、そこで制作が途切れてしまう恐れがあります。私がやっていることは社会的なニーズがなく、いつ制作をやめても誰も困ることはなく、さらに自分の制作姿勢を保つために、完成翌日から新作に取り組み始めることを信条にしているのです。そこが3年前まで就いていた教職と異なるところで、創作活動は自分が勝手にやっている自由な活動のため、休まないことが自分なりの工夫なのです。創作活動をどう継続していくか、けじめをつけたいところで、それをせずに即時次なる課題に立ち向かうのです。休息は、新作が調子に乗ってきたところでとります。幸い新作のイメージは既に湧いてきているので、まず、その第一歩を踏み出します。今日は朝から後輩の彫刻家が工房にやってきていて、木彫を始めていました。彼は昨日、図録用写真撮影に協力してくれていましたが、今日は自らの制作に精を出していました。私は彼に背中を押されながら、新作の土練りから始めました。暫く陶土に触っていなかったので、保存状態が気になり、やや硬くなった陶土を細かくして水を打ちました。先週は平面作品に取り組んでいたために、陶土はビニールで包んだまま放置していました。陶土を扱っていると、陶土は世話が必要な生きものだなぁと感じることがあります。乾燥具合を確かめながら成形や彫り込み加飾をやっていくので、自分の制作姿勢とは別に、陶土の乾燥具合でも休息がとれない事情があります。昨日の疲労があることも承知の上で、今日は無理のない時間で制作に励みました。
2025.05.24 Saturday
土曜日になりました。明日予定していた図録用写真撮影の日が、天候の関係で今日になりました。昨日漸く完成したのは、「発掘~跨橋~」4点、「陶紋」4点、平面作品「痕跡」2点で、今年7月にあるギャラリーせいほうで発表する新作です。今回の特徴は、立体作品に実家を支えてきた大黒柱と陶彫作品を組み合わせていること、小品を2年ぶりに制作したこと、立体作品と並列して平面作品を制作したことなど、新しい試みをも含めて全部で10点あります。今日は朝から曇り空で、午前10時半にはカメラマン2人、スタッフ3人、家内と私の計7人で撮影を始めることになりました。今年の個展は20回目、図録を作るのも20冊目、図録用撮影も20回目になりますが、毎回異なる作品で、その組み立て方も違うので、常に新鮮な思いが頭を過ります。私にしてみれば、集合彫刻を完全に組み立てるのは今日が初めてで、最初のイメージ通りになっているかを確認する瞬間が訪れます。まさにワクワクしたりドキドキする一日になるのです。今回はほぼ計算通りの結果で、期待を裏切られなかったものの、それ以上の偶然に醸し出される成果はなかったなぁと思っています。まず最初に野外工房での「発掘~跨橋~」の撮影になり、例年通り作品を組み立てている私やスタッフの作業風景がカメラに収まりました。「陶紋」4点は自宅から持ってきた民芸調の椅子に乗せて撮影をしました。平面作品も三脚でカメラを固定して撮影しました。昼食は例年通り近所のピザ屋さんから宅配してもらいました。午後は工房の屋内を使って、光の加減を調節しながらの撮影になりました。光陰の美しさが際立っていた過去の図録写真があり、それを私は思い浮かべていました。今日は何とか撮影中は雨に降られることもなく、無事に終わることが出来ました。図録用写真撮影日や個展の搬入日、搬出日は年中行事のようなイベントになっていて、来てくれたスタッフたちの動きには無駄がなく、20回も続けてこられたのは、カメラマンも含めてこういう人たちの援助があってのことだなぁと私は改めて思いました。
2025.05.23 Friday
当初の予定では25日(日曜日)を図録の撮影日に設定していました。梅雨入り前の不安定な天候があって、どうやら日曜日の午前中は雨が降るようで、それなら一日前倒しして、明日を撮影日に変更しようと考えました。カメラマンに相談したところ、変更可能という返事をもらえたので、手伝いをしていただくスタッフにも連絡をしました。皆こころよく引き受けてくれたので、明日が撮影日になりました。ただ、問題は新作がすっかり出来上がるのかどうかで、これは私の頑張りにかかっていました。立体作品である「発掘~跨橋~」は既に出来上がっていて、それぞれの陶彫部品の確認も済んでいました。私の彫刻は集合体で構成するので、陶彫部品が揃っているのかどうかは大事なポイントです。まだ出来上がっていなかったのは平面作品「痕跡」で、作品の額装にあたる枠も作品の延長として手作りするため、その枠の塗装が未完成でした。しかも塗料が足りず、昼頃に横浜駅にある画材店に大急ぎで出かけた始末です。撮影日が日曜日なら余裕を持って完成したはずが、一日前倒しではなかなか厳しいものがありましたが、毎回撮影日前には右往左往しているので、今回も例外ではなかったと思っています。夜には図録の雛型を鉛筆で描き、消しゴムでいじりながら雑多なイメージをあれこれ出してみました。ページによっては画像が思い浮かばないことも多々あり、それは撮影しながらカメラマンと一緒に私も考えていこうと思いました。ともかく漸く新作の完成に辿り着いたので、今年も個展が開催できるなぁと安堵しました。こうした中で来年の新作のイメージがちらちら頭に浮かんでいました。これは前向きな精神状態ではなく、明らかに現実逃避です。私の場合は毎回そんな具合で、人に自慢できるものではありません。来年こそ余裕を持って撮影日の数日前には完成してみたいと願っていますが、これは20代で創作活動を始めて以来、一度も余裕があった試しがありません。そんなものかと達観するのがせいぜいで、創作は順序良くいかないものなのです。
2025.05.22 Thursday
本日から「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)に移ります。その最初は「第13章 世紀末絵画」です。世紀末絵画について気になったところをピックアップしていきます。「もともと、80年代の中ごろに印象派のグループが解体した時、印象派の持っていた『外の世界への眼』に代わって、人間の内面の世界へ向けられた視点が登場してきたわけだが、ナビ派をはじめとする世紀末の画家たちは、その『内部の世界への眼』の持つ可能性を、さまざまなかたちで探求し続けたと言ってもよい。その意味で、フロイトの深層心理学を主要な武器として第一次大戦後に登場してくるシュルレアリスムも、その世紀末の幻想世界の系譜につながるものとも言える。そう言えば、フロイトの『夢の解釈』が世に問われるのは、ドニの《セザンヌ礼賛》が描かれたのとちょうど同じ1900年のことなのである。」ここで3人の画家を取り上げています。まず、ルドン。「ボルドーに生まれ、荒涼としたペイルルバードで少年時代を過ごしたルドンは、同時代のモネやルノワールと正反対に、いつの間にか自分の心のなかの暗闇の世界を自己にとってかけがえのないものと思うようになっていた。ポーやボードレールを愛好し、マラルメやヴェルアーランなどの象徴派の詩人たちと親しかったルドンは、生涯の前半においては主として木炭デッサンや石版画のような白黒の手段によって、晩年にはまるで夢のなかの虹のように華やかな輝きを見せる神秘的な色彩によって、造形的な夢の詩を歌い上げることができた。」次にムンク。「早くから相次いで肉親の不幸に見舞われ、病いや、死や、裏切りや、嫉妬など、人間の情念の暗い部分を見つめながら自己の魂を形成していったムンクは、とくに90年代には、《思春期》や《叫び》のような不気味な名作において、どこから来るともわからない人間の心の不安を、きわめて説得力に富んだイメージを用いて画面に定着するのに成功している。」最後にベックリン。「ギュスターヴ・モローとほぼ同じ世代の幻想画家アルノルト・ベックリン(1827-1901)がいる。哲学者ゲオルク・ジンメルによって『ミケランジェロ以来最大の画家』と絶賛されたベックリンは、いくつものヴァリエーションがある有名な《死の島》や《骸骨のいる自画像》に見られるように、細部の描写においてはきわめて入念な写実主義者でありながらーあるいはそれゆえにー画面全体としてはまったく非現実的な幻想性を漂わせる画面を多く残し、後のデ・キリコやシュルレアリスムの画家たちに大きな影響を与えた。」今回はここまでにします。