2025.02.19 Wednesday
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第四章 修業と秘儀から考える日本密教」の中の単元「後七日御修法」について気になった箇所をピックアップします。「日本密教にとって、最大の儀礼は、後七日御修法といっていい。この儀礼を、空海以来、1100年以上にわたってとりおこなってきた真言宗の表現を引けば、『一宗最高の厳儀』ということになる。~略~承和2年の正月八日に宮中真言院で、初めて後七日御修法がとりおこなわれる以前の状況はどうだったのかというと、奈良時代の中期にあたる天平神護2年(766)もしくは神護景雲2年(768)から、御斎会がひらかれていた。~略~空海はこう主張する。現在、御斎会において『金光明最勝王経』を講説しているのはありがたいことだが、残念ながら、顕教の立場からにすぎず、効果があがっていない。医学にたとえれば、苦しむ患者を前に、医学書をひもといて、あなたの病気の原因は何であるとか、この薬が良いとか、ただ単に論じているにすぎない。病気の患者を治すためには、処方箋によって薬を調合し、服薬させなければならない。その役割は、顕教では無理で、密教にしか実現できない。」ここで後七日御修法の真の本尊に関するものを拾います。「後七日御修法の真の本尊は室生如来になる。室生如来は金剛界五仏の一つで、その名のとおり、誰にでも分け隔てせず、宝の雨を降らせるように、その願いをかなえてくれる機能をもつ。~略~室生如来の儀礼は、ようするに五仏の力によるものだ。したがって、室生如来の儀礼を調伏に転換させると、五仏は教令輪身として五大明王に変容する。この五大明王を駆使すれば、国家や人民に苦しみをあたえる邪悪なる者どもを鎮圧できる…。」密教に関する講話はここまでで終わろうと思います。文面は細かい内容を伝える箇所もあり、NOTE(ブログ)には雑駁なことしか載せられませんでしたが、そもそも私自身が普段使い慣れていない語彙を咀嚼するだけで、結構な労力を使いました。これでも本書は分かり易く説明されていることは分かりました。それによって密教そのものの輪郭を辿るだけで相当複雑なことが理解できました。次章は「日本密教を知るための手引き」が掲載されていて、全国にある密教関連の寺院を紹介しています。次回は主だった寺院を挙げてみたいと思います。
2025.02.18 Tuesday
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第四章 修業と秘儀から考える日本密教」の中の単元「四度加行」について気になった箇所をピックアップします。「『四度加行』は、現行の日本密教にとって、基本中の基本となる修行法に位置づけられている。いいかえると、日本の密教界では、この四度加行を体験しないことには、密教僧にはなれない。~略~(四度加行は)四つの段階から構成されている。十八道念誦次第・金剛界念誦次第・胎蔵界念誦次第・護摩である。~略~四つの段階が順次、それぞれ加行と正行に位置づけられているとはいっても、第一段階の十八道が占める役割は、他を圧して大きい。十八道につづく三つの段階は、最初の十八道の変形ないし応用にすぎないともいえる。」十八道は九つの段階から構成されています。「➀荘厳行者法 この場合の『荘厳』は、修行者(行者)の心身を修業に入るにふさわしい状態に整えることを意味する。➁普賢行願法 この段階は、本尊をこの場にお迎えすることを表明するためにあり、『華厳経』の普賢菩薩の誓願にちなんで、『普賢行願法』と呼ばれる。➂結界法 ここからいよいよ本番になる。結界というのは、邪悪なる者どもが入ってこないように、霊的なバリヤーを築いて、清浄な区域を限ることをいう。④荘厳道場法 本尊をお迎えする道場として、荘厳な仏国土そっくりの場所が修行者の目の前にあらわれたかのように、ありありと瞑想する。⑤勧請法 道場が竣工したので、本尊をお迎えする準備にかかる。まず、本尊やそのほかのホトケたちに乗っていただく豪華な車を、本尊がいる仏国土へ派遣すると瞑想する。⑥結護法 ようやく道場に到着された本尊やそのほかのホトケたちに、万が一にも危害が加えられたり失礼がないように、警備をする。⑦供養法 本尊やそのほかのホトケたちに、最高のおもてなしをする。⑧念誦法 念誦法は、十八道の中心をなす段階である。この念誦法は、入我我入観から始まる。ようするに、ホトケと修行者が融合し一体化する修行だ。⑨後供方便法 この段階は、重要な儀礼をすべて終了したので、本尊そのほかのホトケたちに、もとの仏国土へお帰りいただくための所作をおこなう。」最後に護摩に関する文章です。「四度加行の最後は、不動護摩である。つまり、不動明王を本尊とする儀礼と、護摩がセットになっている。~略~四度加行の護摩の場合は、十八道念誦次第・金剛界念誦次第・胎蔵界念誦次第を終えたのち、それらの意義をさらに堅固にする目的で、実践される。~略~護摩には六つの目的があるとみなされてきた。息災・増益・降伏・敬愛・鉤召・延命がその六つでもちいる護摩炉もそれぞれ異なる。」今回はここまでにします。
2025.02.17 Monday
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第四章 修業と秘儀から考える日本密教」の中の単元「五字厳身観と五相成身観」について気になった箇所をピックアップします。「五字厳身観は、『大日経』にもとづく胎蔵系の瞑想法(観法)である。~略~日本密教の伝統では、~略~五大を、それぞれ地=肝臓・水=肺臓・火=心臓・風=腎臓・空=脾臓に当てはめる考え方もあらわれた。~略~修行者は、自分が、地輪・水輪・火輪・風輪・空輪を下から上に積み上げたかたちの、巨大なストゥーパに変容し、広大な宇宙空間にそびえ立っていると瞑想する。このストゥーパは、その内部に宇宙の根源的な起動因をすべて含んでいるから、宇宙そのものともいえる。理屈ではなく、そう実感したとき、修行者は、自分こそが大日如来なのだという密教究極の真理を悟るのである。」次に五相成身観です。「五相成身観は、『真実摂経(金剛頂経)』を典拠とする瞑想法である。」この実践を記してみます。「五相成身観のときに両手にむすぶ印は、法界定印をもちいる。瞑想状態にあることを象徴する印である。第一段階の『通達菩提心』では、修行者は、自分の心を観察しつつ、瞑想に入る。次に『オーム チッタプ ラティヴェドゥハム カロミ(オーム 私は悟りを求める心を究める)』という真言を唱える。~略~第二段階の『修菩提心』では、修行者は『オーム ボーディチッタム ウトパーダヤーミ(オーム 私は悟りを求める心を発する)』という真言を唱える。この真言の力によって、真実を知るための智恵を増大させる。~略~第三段階の『成金剛心』では、修行者は『オーム ティシュタ ヴァシュラ(オーム 汝《本尊》よ 立ち上がれ』という真言を唱える。~略~第四段階の『証金剛心』では、修行者は、『オーム ヴァジュラートゥマコ ハム(オーム 私は金剛《ダイアモンド》の身体をもつ』という真言を唱える。この真言の力によって、月輪のなかの五鈷金剛杵をさらにさらに堅固なものにする。~略~第五段階の『仏身円満』では、修行者は、『オーム ヤター サルヴァタターガタースタターハム(オーム ありとあらゆる如来たちと同一の状態に、私は入っている)』という真言を唱え、この真言の力によって、この修業を完成させる。」今回はここまでにします。
2025.02.16 Sunday
日曜日になりました。月曜日から始まったグループ展如月会の最終日です。私は午前中展覧会の受付をやっていました。懐かしい知人がやってきて、久しぶりに会話ができて楽しいひと時を過ごせました。如月会は作品の売買をしない展覧会なので、こうした友人知人たちと交流することが最大の目的です。わざわざ時間を作って、関内まで足を運んでくださった方々に感謝申し上げます。搬出は2時半ごろから始めました。個展に比べると作品数が少ないのと小品ばかりなので、あっという間に梱包が終わり、車に作品を積み込みました。その後グループ内で打ち合わせを行いました。来月は懇親会も予定されました。昨年から参加した私は、懇親会も楽しかった思い出が甦ります。このあたりの旧市街をよく知っている方がいて、お店の予約等で便宜を図らっていただきました。これで来年に向けてまた一歩を踏み出す機会となるわけです。如月会はご高齢の方が多いので、是非意欲を持ち続けて、来年もこのメンバーで展覧会が出来ることを願っています。私にしてみれば、この時期は7月個展に向けて制作が佳境に入っていく時期でもあるので、こうした人との関わりが一服のお茶のようにホッとできる機会でもあるのです。ましてやそれぞれが激務を経験してきた元校長の仲間なので、話題に共通するものがあり、何となく皆さんの人柄も理解できます。私には心を打ち解け合える同士とも言えます。工房に戻れば、私はまた自らの世界に没入します。それはそれでなかなか厳しいものがありますが、造形思考を煮詰めていくのは、今の私にとっては生涯を賭けた仕事と言っても差し支えありません。明日からまた陶彫制作や古木材加工に立ち向かいます。
2025.02.15 Saturday
週末になりました。今週の振り返りを行ないますが、月曜日に第46回如月会の搬入作業と半日分の受付を行いました。如月会の期間中は日替わりで受付をする人がいるので、私は月曜日と最終日である明日の受付をすることになっています。予め知人に配った案内状に私の在廊日を記したので、都合が合えば私がいる時に画廊を訪ねてきてください。月曜日には懐かしい人たちにお会いすることができて、嬉しかったなぁと思いました。明日が最終日なので、楽しみにして画廊にいるつもりです。今週の残りの日は全て工房での制作に当てていました。如月会開催中でも制作三昧です。7月の個展に向けた新作の制作工程が厳しくなっているため、毎日夢中で手を動かしていました。陶彫制作と古木材加工を午前午後で分けてやっていたり、全体図を幾度となく構想してみたり、三寒四温の中でも制作を続行しなければならない状況です。陶彫作品は作品同士を繋ぐ橋の制作に追われています。橋も古木材の上を通す橋を基本にしていますが、繋がっていない橋、というか橋を跳ね上げた構築物があったり、古木材ではなく外側に別の陶彫作品を作って、そこに繋がる橋を考案したりしていますので、バリエーションはいろいろあります。素材が木材と陶だけなので、造形をいろいろ試しても巧くまとまってしまうのではないかと思っています。古木材の彫り込みはほとんど終わりましたが、陶彫作品を配置すると、多少の彫り込み調整が必要になるかなぁと思っています。全体図を構想していると前述しましたが、今後は全体を見ながら細かなところに拘っていきたいと考えています。教職を退職して創作活動一本になって非常に良かったことは、造形思考の連続性が確保されることです。あれこれ考えすぎる嫌いもありますが、原初のイメージを大切にしながら、木材と陶で作る造形的必然を考えつつ、ゴールに向かっていきたいと思います。