2025.02.25 Tuesday
昨日、工房で窯入れを行なったために今日は工房の窯以外の電気が使えず、陶彫制作を休みました。今日の午前中は、私の住む地域の公立中学校で学校運営協議会が開かれ、私は当会議に出席してきました。公立高校入試が終わり、3年生は特別時間割に突入しており、体育館を使って3年生の百人一首大会が開催されていました。そこを見学した私は懐かしさが込み上げてきました。午後は家内を誘って映画を観に行くことにしました。観に行った映画はドリームワークス製作の米映画「野生の島のロズ」。最初これはディズニー映画と私は思っていて、ディズニーキャラがあまり好きではない私は観に行くことを躊躇していましたが、どうも絵の印象が違うこともあり、まるで印象派絵画のような背景に驚き、今回観に行くことを決めたのでした。図録に「伝統的な手描きアニメーションと革新的なCG技術を融合させ、まるで印象派のモネがジブリの世界に生命を吹き込んだかのような夢の映像世界を作り上げた。」とありました。物語は最新型ロボットが、動物しか生息していない無人島に流れつき、動物たちとの交流を通して、支援プログラムに心が芽生えていく過程を描いていて、その中で子育てや共存といったテーマが描き出されていました。物語としては新しさはなく、既定路線かなぁと感じましたが、プログラミングされたロボットが心をどうして獲得できたのか、そこをファンタジーと捉えた方がいいのか、私には腑に落ちないところもありました。図録にロボット研究者の文章があったので、引用いたします。「知的ではあるがしょせんプログラムに従ってしか行動できなかったロボット、ロズが、自らその縛りを解き、他者を愛することを知って成長してゆく物語である。~略~この作品は、『心』とはいったい何者で、どこに存在しているのか?といった問題も含んでいる。優しく接すると笑顔で喜ぶ行動はプログラムで書くことができる。しかし、喜ぶ動きをしている機械にすぎないのではないか?喜んでいる『心』を存在させることはできるのか?と問われると、ロボット研究者たちは戸惑ってしまうのだ。人間の脳レベルの大規模なニューラルネットワークを組めば『心』みたいなものが生まれるかもしれないし、あるいは『心』の正体はあくまでも物質や電子の物理化学現象にすぎない、のかもしれない。」(鈴森康一著)謎だらけではあるけれども、映画として観ればヴィジュアルな面も含めて、楽しい映画だったと思いました。
2025.02.24 Monday
先日、東京丸の内にある三菱一号館美術館で開催されている「ビアズリー展」に行ってきました。19世紀末にイギリスで活躍したオーブリー・ビアズリーは1872年に生まれていますが、幼少期からの結核が進行して、1898年に25歳のいう若さでこの世を去りました。脚光を浴びてから僅か数年の活動時期で、ビアズリーは夥しい数の作品を制作しました。本展の展示作品で、私はビアズリーの「サロメ」の挿絵にただならぬ気配を感じ取りました。「サロメ」の解説を図録からピックアップいたします。「世紀末の唯美と退嬰の象徴となった『サロメ』。聖書では、淫乱な王妃ヘロデヤが自分の悪行を言い立て糾弾する預言者ヨハネの首を、客人のもてなしに王の要請で踊った娘サロメへの報酬として要求する。『マルコによる福音書』ではー王は少女に『欲しいものがあれば何でもいいなさい』といい少女は母親に『何を願いましょうか』というと、母親は『洗礼者ヨハネの首を』といった、とある。ヨハネを誘惑する妖艶な美女サロメのイメージは聖書にはまったくない。~略~ビアズリーのサロメは悪魔的でヨカナーンは少女のような細身の美少年だ。サロメはその美の虜になるー『お前のからだは野に咲くユリの花のよう…ユダヤの山に積もる雪のよう…アラビアの女王の庭の薔薇もお前のからだほど白くない…』。ワイルドが描いた聖ヨハネ(ヨカナーン)の美をビアズリーはさらに強調し、おそらくは自分の理想とする美青年像に引きつけて描いた。」(河村錠一郎著)オスカー・ワイルドは聖書の記述を脚色して大胆な「サロメ」をイメージしましたが、挿絵として描いたビアズリーの世界はさらに進んだものになり、大衆に話題性を提供したようです。スキャンダラスな世界観が独特な装飾を伴って表現されていて、これは現代でこそ認知された表現ですが、当時としては頽廃的で、人の心理に働きかけるには十分なブラックパワーを持っていたと推察されます。ワイルドによる名声を失うほどの騒動を起こした煽りを受けて、ビアズリーも仕事を失う羽目に陥りました。そんなエピソードを含めて本展に展示された作品の数々は、流麗な闇を抱えた世界を覗かせていて迫力があったなぁと私は感じました。
2025.02.23 Sunday
日曜日になりました。今日は天皇誕生日なので、明日が振替休日になり三連休になっています。教職に就いていた頃は、こうした三連休があることで創作活動に邁進でき、嬉しく思っていましたが、今となっては休日も平日も変わらず創作活動一本なので、どうでもよくなりました。でも今日は日曜日なので、創作活動に纏わる話題を書いていこうと思います。陶彫作品と古木材を組み合わせる新作は、かなり進んできましたが、例年ギャラリーせいほうの個展に展示している小品がまだ出来ていません。過去2年間は365点で構成する陶彫立方体「発掘~記録~」を作っていて、そのうちの4点を小品用の台座に乗せていました。その前は「陶紋シリーズ」として通し番号をつけてきましたので、今年はその継続をやろうと考えています。今年の小品は、陶彫作品と古木材を組み合わせる新作の流れを汲んでいきます。新作は陶彫部品同士を橋で繋ぐ造形になりますが、小品も陶彫部品を2点作って組み合わせる造形を考えています。今まで集合彫刻は大作、単体で見せるのは小品と考えてきましたが、今回は大作、小品とも複数の陶彫部品で構成します。その小品をそろそろ作っていこうかと思っています。小品と言えども造形思考や技巧は大作と変わりません。寧ろサイズが小さくても大きな空間獲得を念頭に制作しているので、どのような形態が効果を齎すのか、思案のしどころです。小品は小品なりの面白味があると感じています。またギャラリーせいほうのウィンドゥを飾るのが小品なので、ある意味では看板作品になりうるわけです。また小品で試したことが大作に繋がっていくこともあります。今回は土台となる形体に上部の形体を嵌め込んでいくので、展開としては有意義かもしれません。ともかく作ってみて、立ち止まって考えていくことを繰り返して、完成に近づけようと思います。
2025.02.22 Saturday
週末になりました。今週の振り返りを行ないます。今週もいつも通り、毎日工房に通って創作活動に精を出していましたが、今週の日曜日と木曜日は工房での作業は出来ませんでした。まず、日曜日は第46回如月会の搬出日で、グループ展に参加した元校長たちが集まって、午後から搬出作業をやっていました。また如月会は来年この時期の発表になります。今回も3月に懇親会を予定していますので、昨年のように会話が弾むのではないかと思います。水曜日は乾燥した陶彫作品にヤスリをかけ、化粧掛けを施しました。今回窯に入れる陶彫作品は大1点、小2点の合計3点になります。夕方に窯のスイッチを入れました。翌日の木曜日は焼成中のため、工房内の他の電気が使えないので、東京の博物館と美術館に行ってきました。「大覚寺展」では、五大明王像の5像それぞれの面構えが気迫に満ちていて、入館早々一気に気持ちが入りました。ここから先は面白いぞと思わせるのに充分な演出効果でした。展覧会の後半は数多くの障壁画が並んでいて、暫し我を忘れました。昼食は上野公園内のカフェで済ませましたが、周囲は外国人観光客でいっぱいでした。丸の内に移動し、「ビアズリー展」を見てきました。詳しい感想はまだNOTE(ブログ)に書けていませんが、ここにも多くの人が訪れていました。春季休業で大学生が多いのかなぁとも思いました。ビアズリーは享年25歳で、それなのにこの作品数は俄かに信じられず、いきなり若くして完成された表現に到達してしまった感覚があるようです。ビアズリーが長く生きていたならどうなっていたのか、この僅かの制作時期に才能の全てを出し切ってしまったのかもしれません。「大覚寺展」にしても「ビアズリー展」にしても大変印象に残る展覧会だったと、今もその印象が後を引いています。帰路の途中に大手の画材店に立ち寄り、陶芸用品を購入しました。こんな機会がないと陶芸用品が手に入らないのです。それでも都心は用事が事足りるので便利だなぁと思っています。
2025.02.21 Friday
東京上野の東京国立博物館で開催されている「大覚寺展」に昨日行ってきました。京都の嵯峨野にある大覚寺は空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の大本山ですが、私は教職に就いていた時は、修学旅行の引率でこのあたりを生徒たちと散策していたにも関わらず、参拝した記憶がありません。本展を見て、当寺には天皇家と法流の寺宝が数々あることに驚きました。テレビ番組で紹介された障壁画がどうしても見たくなって、昨日家内を誘って本展に行って来たのでした。障壁画は安土桃山時代から江戸時代に活躍した狩野山楽を初めとする絵師たちが描いた123面もの作品が展示され、気分は高揚しました。当初、私は狩野山楽だけの作品と思っていたのですが、渡辺始興や大岡春卜の作品も含まれているそうで、確かに多少の画風の違いがあるにせよ、その障壁画の質量に圧倒されました。図録によると「宸殿と正寝殿の障壁画は複雑な改変と移動を伴い、現段階で制作年や本来の場所を特定することは難しい。しかし今回実施した調査により、漆工、金工、建築、有職故実といった視点から女御御所以外の御殿や、二条城、名古屋城などの関係が再確認できたことは重要である。障壁画については近年、二条城二の丸御殿黒書院の慶長期と寛永期と思しき二つの『牡丹図』が紹介されており、今後はこれからと比較検討で得られる知見もあるだろう。いずれにせよ、大覚寺障壁画群が豊臣から徳川に大きく世の中が変わる変換期におけるきわめて重要な作品群であることは間違いない。」(金井裕子著)障壁画については学術的な調査が今後進むでしょうが、私を含めた本展を見ていた鑑賞者にとっては、この数多い障壁画に描かれたテーマや描写力をいろいろな視点から堪能して、心から楽しんでいたように思います。これだけ多くの依頼が公的機関からやってきたら、私ならどうするだろうと想像していました。幸福の絶頂期になってしまうのは間違いありません。狩野山楽は生涯を賭けて、この作品を完遂した達成感があっただろうと思い、羨ましく感じました。障壁画の中でも「牡丹図」は、その牡丹の表情からしてもバリエーションに富んでいて、見ていて飽きず、会場内に設置された椅子に腰かけて、じっくり味わいました。これを見られただけでも展覧会場に来た甲斐があったと思います。