Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 寒さが増した1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週は毎日工房に通っていましたが、寒さが増した工房は、通常通りの制作時間では身体がなかなか厳しくて、午後は早めに切り上げて自宅で休んでいました。工房には大型ストーブが1台ありますが、それでは工房全体を温めることは敵わず、作業の合間に手を温めることくらいしか出来ないのです。現在は壁に掛ける作品の要素になるコラージュを作っています。それは杉板材を刳り貫いて、それを炙って炭化させる効果に期待を持っています。今週は毎日杉板材の刳り貫き作業に時間を費やしました。毎日少しずつ出来上がっていく作品に多少満足を覚えながら、身体に無理がかからないように過ごしていましたが、火曜日と金曜日は近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきました。私は一人でやる運動が苦手で、スポーツ施設にやってくる人たちに混じって一緒に身体を動かすのがいいと思っています。今年も水泳が始まったので、出来るだけ通いたいと思っています。教職に就いていた頃は、夜の時間帯に水泳をしていました。教職の多忙さがあって結構不定期になっていましたが、それでも可能な限り継続していました。若い時代には近所に住む仲間とマスターズの大会に出ていたこともありましたが、今となっては体力の現状維持が目的です。毎回同じように泳げれば良しとしています。制作にも同じことが言えて、制作時間を短くしても毎日同じように作業が出来ることが幸せだろうと思います。新作は今年の5月あたりに完成させるつもりでやっています。毎年この時期に個展用の図録撮影があるからです。水泳は体力現状維持、創作活動はさらなる自己確立を目指してやっていると認識しています。今週は制作と運動以外に何もなく、生活の基本とするところを頑張っていたのでした。
    「画学校の活動」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「4画学校の活動」と「5『慈しみの聖母』のその他の遺品」の2単元を取り上げます。「日本の画学舎はインド以東にイエズス会が布教した地域のなかで、もっとも生産的であり、かつレベルの高いものであったことが推測できる。その理由は、第一に、日本美術がもともと保っていた技術的、美的水準の高さにまつべきであろう。安土桃山時代は豪華絢爛たる障壁画の全盛期であり、それらの障壁画は花鳥の装飾美を強調する面があると同時に、都市景観、人物往来の現実的な情景を描く写実性も兼ね備えているものであった。第二の理由は、ニコラオおよびヴァリニャーノが、西洋の彫刻的、立体的素描法を画学生におしつけることをせず、宗教的図像は厳にこれを教示したとしても、手法、様式そして技法材料は、主として日本人画学生が受け入れやすいものとしたからである。この結果として、筆者が布教画第二期の特徴とみる『西欧の図像+日本の手法』という完全な適合芸術が生れたのであった。~略~《雪のサンタ・マリア》は、二十六聖人記念館館長であった結城了悟師が長崎県西彼杵半島の外海の農家で発見したものである。『雪のサンタ・マリア』という呼称は、この絵を保存していたキリシタンの家でそのように呼ばれていたということであり、これは教会暦でも、外海の信者が使っていたセバスティアンの暦でも8月5日のマリアの祝祭のことである。結城師はこれを『無原罪の聖母』の図像であるとしている。~略~この『無原罪の聖母』は、眼を伏せ、両手を合わせて祈っている。しかし原画はひきちぎられて、破損の痕をかなり雑に文様のついた和紙で貼り付けてある。それでも、首と肩、胴体のつながりが完璧で、線描を主として描かれているにもかかわらず的確な陰影と人体素描によって形態は把握され、青いマント、そのひだ、赤い胴衣とオレンジ色のハイライトなど色彩も見事な手腕である。特に精妙なのは祈る手の指の素描であり、これは日本画の人物画における習熟した線描を想起させる。迷いのない一筆の線で描かれた唇、眉、眼も、絵巻の人物を描く線描のように巧みな線で描かれているが、しかし、唯一異なるところは、眉の下、鼻、頬と首に置かれた立体感を示す陰影である。しかし、それも版画を模写した油彩の絵のような強調された立体感ではなく、基本的には二次元的な受け取り方であり、空間は意識されていない。西欧の画法と日本の画法が調和よく融合し均衡を保っている。このような作品において、ローマ教会の図像は、日本の手法、様式と合体し、東西融合のキリスト教美術を完成することができたのである。」今回はここまでにします。
    「ニコラオの画業について」
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「2ヴァリニャーノ来日以後の美術政策」と「3ニコラオの画業について」の2単元を取り上げます。「ヴァリニャーノは日本が法治国であり、武力を備えた独立国であって、多くのスペイン人がインドおよびフィリピンで行なったような外国による支配を受け入れる国ではないことを見抜き、これを多くの書簡によって力説していたことを無視するわけにはいかない。文化的に重要なことは、ヴァリニャーノが日本人は賢明で名誉心が強く、固有の思考法、生活法を堅持しているので、他国人の支配下に甘んずる国民ではないこと、したがって日本にキリスト教教会を確立するためのただ一つの可能な方法は、ネイティヴを宗教者として教育すること、またかれら自身をしてそのやり方で教会を経営させることであると信じていたということである。そのような布教政策は南米でもインドでも行われなかったのである。~略~ローマのイエズス会本部はヴァリニャーノの要請に応えて1583年ナポリ王国のノーラ出身のイエズス会士であり画家であるジョヴァンニ・コーラ(ニコラオ)を、日本に派遣した。~略~筆者はここで、ニコラオの手になるものと考えられるもう一枚の《謙遜の聖母》をあげたい。これは、1591年に日本で出版(正確には出版ではない。これは写本で一冊しかないものである)されたイエズス会士マノエル・バレトが日本で編集したローマ字による手書きの教書、通称《バレト写本》の挿絵にある『謙遜の聖母』である。この貴重な写本は現在ヴァティカン図書館にある。シュッテ師はこれを日本人の作に帰している。結城了悟師もこれを継承して、この『謙遜の聖母』は、ニコラオ画派の弟子が描いたのであろうと推測しているが、筆者はこの作者こそニコラオ自身であると考える。その理由は、第一に、この《バレト写本》にはこのほかにも4枚の挿図があり、それらはすべて到底1590年(版画に付せられた年記による)当時の日本人画家が描くことができない『練達』を示していると考えるからである。第二の理由は、図像と様式と技術が1580年代のイエズス会の周囲のローマの版画家と同様だからである。第三に、図像は手本をみて描けば同一にできるが、様式はにわかには学ぶことができない。その目印となるのは何よりも解剖学、つまり身体の把握と立体感、つまり空間表現である。特にこの中の『聖ヤコブ』では、正中線を軸とした堂々たる人体が描かれており、聖人を偉大に見せるために背景の水平線を低くした遠近法も熟達したものである。」今回はここまでにします。
    「聖母の教義」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第5章 布教第二期ー日本人による聖母像の制作」は5つの単元から成っていて、今回は「1日本における聖母の教義」について取り上げます。「日本ではどのようなマリア教義が教えられたか。聖画像は、その基本となる教義なしには制作され得ない。聖母擁護論は当時の宗教的状況にとって特に重要な問題であった。マリアは対抗宗教改革期にはとりわけ傷つきやすいドグマであったので、とくに日本で作成された『神学綱要』においては、マリアについての教義の正統性が留意されたのである。~略~日本人に教えられた『神学綱要』の内容は、第一部が『カトリック信仰に関すること』で、信仰、聖書、伝承、教会、公会議、創造主、御子、聖霊などについて説明しており、第二部は秘蹟、第三部は十戒、第四部は祈り、最終部は徳と罪である。主として参照された文献は、聖書、公会議決定、ギリシャ教父(オリゲネス、ヨハネス・クリュソフトモス)、ラテン教父(アウグスティヌス)、中世神学(トマス・アクィナス)であり、トレントのカテキズモ、カニシウス、サラマンカ学派などトレント神学の影響が強い。」私には馴染みのない宗教用語があって難解ですが、たとえばカテキズモとはキリスト教の教理をわかりやすく説明した要約のことだそうです。「ヴァリニャーノは1586年に自ら日本の文化、宗教を考慮して、日本人学生向けの『日本のカテキズモ』を著わした。この著作はゴメスの『神学綱要』よりもはるかに簡潔で、わかりやすく、異教徒の知識人にとって納得のいく理論的な説明に意を砕いているものである。この本の最後の章八講の終わりで、ヴァリニャーノは、聖母マリアについて以下のように述べている。マリアはダヴィデの一族であり、デウスは、全人類に対して罪の汚れから世界を浄めるために救済する男がダヴィデ一族の乙女から生まれるだろうと予言していた。デウスは彼女に神的恩寵の恵みを積み重ね、またあらゆる種類の賜物で飾り立てたので、『かの女は世界創造の最初から存在し、すべての女のなかで最も聖でありかつ最も完全であった。行ないと生活のかくも大いなる神性と、諸徳のこれほどの完全さは、デウスの御子の母になる乙女にふさわしかった』。これは聖母の無原罪の講義であり、異説をすべて否定する権威あるいいかたである。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「現代は”引用の美術”」
    今日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事に目が留まりました。現在93歳になる日本美術史家辻惟雄氏のインタビュー記事です。「奇想の系譜」を著わした辻惟雄氏より私は日本美術の面白さや奥深さを学ばせていただきました。江戸時代の画家伊藤若冲がこんなにも人気が出たのは辻氏の功績です。因みに西洋美術史は一昨年逝去された高階秀爾氏で、私はこの2人の美術史家によって東西美術史を心に刻みました。私の学生時代は、西欧の美術に比べると日本美術は退屈なものという先入観があり、若い頃は欧米の動向に夢中になっていた時期がありましたが、「奇想の系譜」を読んでから日本美術の面白さに度肝を抜かれ、その時から日本画家が私の中に居座り始めました。記事から引用いたします。「『軽いけど自由で、エンターテインメントとして見る人を楽しませる』ことが、日本美術の特徴だと(辻氏は)語る。西洋のアカデミズムに値するものとして狩野派を挙げるが、『西洋ほどの権威はなかった』。だからこそ、庶民も絵を楽しむようになった江戸時代、若冲のように人々の好みに合わせて描く画家が登場したのではないかという。日本もかつては日展などが権威的な存在だったが、『現代ではそのような権威はないのでは』。現代の作家が美術一本で生計を立てることの困難さに思いを寄せる。一方で現代美術について『伝統芸能・美術からの”引用の美術”という部分があって、その引用の仕方を競うことになっているんじゃないか』と、行き詰まりも指摘する。」(弓長理佳著)現代ではオリジナリティを創り出すことが難しく、寧ろかつてあったモノをパロディにしたり、焼き直して今風に変えていくアートが多いように私も感じています。引用とは先人の芸術作品やその要素を副次的に自己の作品に取り入れることとネットにもありました。それはある種の行き詰まりとも言えるのかもしれません。それでも引用でもそうでなくても創作行為はなくならないと私は信じています。たとえAIが発達して芸術作品の(ようなモノ)を作れるようになったとしても、人間が作り出す世界を信じていたいと私は願っているのです。