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  • 首都高速の冠水をすり抜ける
    今日は久しぶりに家内と千葉県にある美術館に行くことを決めていました。8月は31日間、自宅と工房の行き来に終始し、ほとんど休みをとっていなかったので、今日は朝から美術館での展覧会鑑賞で一日を楽しもうと思っていたのでした。行こうとした展覧会は千葉県立美術館で開催中の「髙島野十郎展」で、先日のNHK日曜美術館で取り上げられていて、画面に映し出された骨っぽく隅々まで緻密に描かれた写実絵画を見たくなったのでした。私は美術館に行くのも久しぶりなら、写実絵画を見るのも久しぶりでした。朝は晴天で首都高速から東関東自動車道を快適に車で走りました。千葉県立美術館へは初めて行きましたが、分かり易いアクセスだったので昼頃に到着しました。テレビ放映の影響か平日にも関わらず、美術館には多くの人が訪れていました。展覧会の内容は後日改めて述べたいと思いますが、美術館からの帰途で、所謂ゲリラ豪雨に遭ってしまい、よく報道番組で出てくる冠水した道路を走り抜ける危機に陥りました。千葉の浦安あたりで曇り空になり、雨がぽつぽつ降り始めました。私たちが向かっている横浜方面は黒い雨雲に覆われて、雷も響いていました。そのうち雷鳴が轟き、大粒の雨が降ってきましたが、高速道路は地上より高い位置にあるので、まさか冠水することはないと高を括っていました。ところが首都高速の大井南あたりで何カ所か冠水箇所があり、道路規制が行われていました。まさかと思いましたが、滝のような豪雨の中で立ち往生したらどうしようと頭を過りました。家内はスマートフォンの天候情報を見ていて、もう少しで豪雨が過ぎ去ると言っていて、その情報を頼りに車を走らせていました。道路規制で幾度か渋滞をしましたが、何とか横浜まで帰ってきました。ゲリラ豪雨の恐ろしさを改めて体験しました。横浜はすでに雨も止んでいて、雲の間から薄日が差していました。快適にドライブするはずが、危機に遭遇する状況があり、無事に帰れた時には安堵しました。
    「ミケランジェロ」について・10
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。ミケランジェロの最晩年に関する記述が多く、著者ヴァザーリとの関わりが濃厚だったことがよく分かります。「サン・ピエートロ寺建造に、ミケランジェロは17年間費やした。そして、なんども監督たちは彼から支配権を奪おうとした。それが成功しなかったので、彼らは今度はこの手、今度はあの手と、あらゆることで彼をおさえつけ、彼がすでに年老いてなにもできず、困惑して引退するよう計った。そこには監督官としてチューザレ・ダ・カステル・ドゥランテがいたが、このころ彼が死んで建造工事が進んでいなかったので、ミケランジェロは適切な人物を見出すまで、若手だがたいそう有能な人物であるルイージ・ガエータを派遣した。監督たちの一部はなんども、ナンニ・ディ・バッチョ・ビージョを置こうと画策した。ナンニが彼らをせきたて、さまざまなことを約束したからであった。そして建造仕事で自分勝手に采配を振るうことができるよう、彼らはルイージ・ガエータを解雇してしまった。ミケランジェロはそれを聞きつけていささか腹を立て、もはや建物のほうには出向くまいと思った。それで彼らは、彼がもはや能力がなく、代わりが必要である、もうサン・ピエートロ寺には関わりたくないと言っていた、と吹聴し始めた。すべてがミケランジェロの耳に入った。~略~彼の死の1年ほど前、ヴァザーリはひそかに、コージモ・デ・メディチ公がその大使のアヴェラルド・セㇽリストーリ氏を介して、法王に働きかけるよう奔走した。ミケランジェロがたいそう衰弱しているとわかったので、周りにいる者や彼の家に働いている者の、より熱心な世話と気づかいを必要としたからである。また、老人にありがちな、なにか急な事故でも起こったら、衣類、素描、カルトン、模型、金、その他、彼の持ち物一切は、死の際には財産目録に記され、サン・ピエートロ寺建造に供するよう保管される用意が必要とされたからである。もしサン・ロレンツォ寺聖具室や図書館、正面のために、なにかそれに関わるようなものがあっても、よくある持ち去りがないようにするためであった。この配慮はやはり有益であった。すべて最後には実行されたからである。」今回はここまでにします。
    「ミケランジェロ」について・9
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。ミケランジェロの最晩年は本書の著者ヴァザーリと密接であったらしく、本書では詳細な記述があり、私は興味津々になってなかなか先へ読み進むことができません。「毎日鑿をふるって時を過ごせるように、何か大理石材を見つける必要があった。それで前のものとは違うもう一つの、ピエタがすでに荒削りされている、非常に小さい別の大理石片を置いた。さて、建築家ピㇽロ・リゴーリオはパウルス四世に仕え、サン・ピエートロ寺建造に関わるようになっていた。そしてミケランジェロを苦しめ、彼は耄碌したと言いふらすようになった。こうしたことに腹を立てて、彼は進んでフィレンツェに帰ろうとした。だが帰りをぐずぐずしていたので、ヴァザーリは、ミケランジェロが非常に年老いていることは知っていたが、新たに手紙でせきたてた。彼はすでに81歳になっていたのである。この頃彼は習慣のようにヴァザーリに手紙を書いて、さまざまの霊的なソネットを寄せ、自分は人生の終わりにあり、自分のさまざまな考えをどこで保ちつづけたらよいか吟味していると言ってきた。それらを読んでヴァザーリは、彼はすでに人生の24時にあり、死に刻まれた思いしか生まれなくなっていることを知ったのである。~略~こういった苦心を知って、コージモ公はミケランジェロがフィレンツェに戻る約束を免じた。公は自分がミケランジェロの幸福を願っており、この世で他の何よりも重要なサン・ピエートロ寺建造を続けるようにと言い、心を平安にと言ってやった。それでミケランジェロは前述の書簡で、ヴァザーリに、できるかぎりの真心で公に感謝しているむねを伝え、こう書き添えた。『神がこの哀れな身で、お仕えできますようお助けください』。なぜなら、記憶力も頭脳も、彼を他で待つところにすでにあったからである。この書簡の日付は1558年8月であった。このことからミケランジェロは、公を敬愛している自分以上に公が彼の生命や名誉を大事に思ってくれていることを理解した。」今回はここまでにします。
    「ミケランジェロ」について・8
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。この章の後半は本書の著者ヴァザーリとミケランジェロの交流について書かれています。「すでにパウルス三世時代にコージモ公は、ミケランジェロがサン・ロレンツォ寺聖具室を完成すべくフィレンツェに戻るよう説得できるかどうか知るため、トリーボロをローマに派遣していた。しかしミケランジェロは、年をとってもはやきつい仕事はできないと語り、多くの理由をあげて断わり、ローマを離れられないと固辞した。それで、トリーボロは最後にサン・ロレンツォ寺図書館の階段制作を要請した。ミケランジェロはそのための多くの石材を用意させていた。だが模型もなかったし、形に合った確実さといったものもなかった。床面に煉瓦でいくつかのしるしや、その他土製の略図はあったが、適切な最終的な解決案は見出されていなかった。それでトリーボロは公の名前など語りながらいろいろと頼んだのだが、ミケランジェロは覚えていないというほかは何も答えなかった。コージモ公はヴァザーリに、この階段をどんなふうに完成したらいいのか言ってよこすよう、ミケランジェロに手紙を書くむね命じた。おそらくは、ミケランジェロがヴァザーリに抱いていた友情や愛情から、階段を解決に導き、完成させる方策を何か言ってくるにちがいないと思ったからであった。~略~またこの頃、ミケランジェロはヴァザーリにこう書いてきた。ユリウス三世が死に、マルケルスが即位したが、ミケランジェロに敵対する派の連中は、この法王が新たに即位したことから、再び彼を悩ませ始めたというのである。コージモ公はこれを聞きつけ、いたく立腹し、ジョルジョ(ヴァザーリ)に手紙をしたためて、こう伝えさせた。ミケランジェロはローマを離れ、フィレンツェに住むよう戻ってきたほうがよい、公のほうは、彼の計画に基づく建造について、ときおり忠告してもらうほかは何も頼まないし、ミケランジェロのほうは、自ら何もやらないとしても、公から欲しいものを手に入れればよい、というのである。また新たに、コージモ公の個人秘書リオナルド・マリノッツィ氏を通して、公やヴァザーリの書簡が届けられた。だがマルケルスが死に、パウルス四世が即位すると、再び元のようになったので、ミケランジェロは法王の足に口づけをしに行き、多くの申し出を受けた。サン・ピエートロ寺建造の完成が望まれ、またその遂行の義務があるとも思われたので、彼はローマに留まることにした。」今回はここまでにします。
    週末 陶彫3段目の制作
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。昨日のNOTE(ブログ)で少し触れましたが、現在作っている陶彫作品は、6点の土台となる陶彫部品が向かい合う構成にしようとしています。6点にはそれぞれ2段目の陶彫部品を積み重ねていく予定です。2段目はまだ全部出来ているわけではありませんが、先週からさらに上に積む3段目の陶彫部品を作ることにしました。この3段目をもって完成形になりますが、私にしてみれば、この3段積みの作品は比較的大きなスケールになります。「発掘シリーズ」の源泉が遺跡となった建造物群からきているので、印象としては建築のような、また橋桁のようなものになります。土台の陶彫部品も2段目も3段目も文様を彫り込んであり、そこに窓のような穴を開けています。これは焼成をするために空気を通り易くした配慮ですが、それが建造物の窓のように見える効果もあるのです。作品の重量も彫刻には大切な要素で、上の段にいくほど軽量にしています。複数の作品で構成する空間造形は、重力との闘いになります。とりわけ私の作品は陶彫によるものなので、軽量にすることには限度があり、また自らの表現にはある程度の厚みが必要になるため、重量のある作品を作ることは初めから決めているのです。ただし、ここまで作っても現時点ではまだ1点も焼成をしていません。つまり、陶彫部品が1点も完成していないわけです。陶彫作品は窯入れをして、高温で焼成することにより、最終的な完成形になります。土練りにしろ、成形にしろ、彫り込み加飾も最終工程である窯入れのためにやってきていて、窯から出されて漸く完成した陶彫作品を眺められることになるのです。この焼成と最終工程は、私の手の及ばないところで窯内にいる炎神によってその完成度が左右されます。そこが作者としては難しいところであり、また面白いところでもあります。これを本当に自分が作ったのかという変容した姿に魅力を感じられるのが陶彫作品の醍醐味でもあるのです。