2026.01.16 Friday
NOTE(ブログ)は日記としての役割を担っています。このところ聖母像に関する書籍を熱心に読んでいましたが、今日はスケジュールが大変で、読書の時間では書籍の頁を捲ったら眠くなってしまったので、急遽今日は一日の多忙さを振り返る記事に変えました。今日の午前中は工房に行って新作の制作をやっていました。電動糸鋸盤の歯を締め付ける金具が壊れてしまったので、それを業者に頼んで修理してもらうことになり、杉板材の刳り貫き作業は暫く休むことになりました。ちょうど彫刻の一部になる厚板材に砂マチエールを貼り、油絵の具を染み込ませた部分の乾燥が進み、次の段階にいけると判断したので、ドリッピングを施しました。これは全体としては彫刻なのですが、やっていることは絵画です。描写ではないものの、色彩を重ねて深みを持たせるところは絵画的効果に他なりません。昼頃は近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきました。真冬の寒さの中ですが、施設内は水泳をやるのにはちょうど良い気温になっていて快適です。週に2回は水泳で身体のストレッチをやってくるのは体力維持に欠かせないものです。夕方にはかかりつけの歯科医院に行ってきました。治療済みの奥歯の被せた部分が取れてしまったのでその治療をやってきたのでした。ブリッジをわたした歯なので、その土台となる歯の治療から始めたため、なかなか時間がかかりそうです。私が昔から利用している歯科医院は横浜駅近くにあるので予約が必要で、昨年末に予約を取って今日になりました。場所の良さがあるためか、会社帰りの人など大勢の人が利用しています。現在、私は車で出かけて契約駐車場に入れていますが、教職に就いていた頃は横浜駅から歩いて通院していました。歯科医院は心地よいものではありませんが、水泳と同じく身体のメンテナンスと思って、健康維持のために必ず出かけます。創作活動を長く継続するためという明確な目標があってのことで、今日一日は多忙でしたが、これも仕方がないなぁと思っています。
2026.01.15 Thursday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第6章 日本における聖母のタベルナクル」は4つの単元から成っていて、今回は「3十五場面の図像の源泉」を取り上げます。本単元は15の場面についてひとつずつ引用することが難しいため、私が気を留めた箇所だけ取り上げさせていただきます。「画家はただ一つの原本を模写するのではなく、主題に応じて、個々に自らの判断で別個のテキストを選択して参照しているということであり、一個のテキストが見つかればすべてが判明するものではない。これら15の画面の図像はその小ささにもかかわらず、ロザリオの黙想の内容そのものであり、信仰にとって重要な意味をもっていたから、細部にいたるまで熟考されて描かれたことがはっきりとわかる。」キリストの降誕についての引用です。「イエズス会の理想とする図像は、ナダールの、『洞穴と木の粗末な屋根、乾草桶の上の光る嬰児、ひざまずいて礼拝する聖母、祈るヨセフ、嬰児の上及び傍らに天使、ロバと牛』となる。原田本では、ヨセフもマリアと同様に祈り、幼子はまぐさおけの中で光り輝いている。原田本図像がトレント以後の新図像プログラムにしたがっていることは明白である。」次は磔刑です。「受難の最後の場面は『磔刑』である。悪しき盗賊、イエスの衣服を賭ける刑吏、ローマの指揮官や馬、遠景で見守る信者群など、副次的人物が多数描いてあり、そのためにロザリオ祈禱には不向きであったらしく、ナダール版はここでは採用されていない。」最後に復活に関する引用です。「十字架が贖罪を表象するのに対して、復活は人類の救済を強調するものであるから、このほうが対抗宗教改革の精神を強く表現しているとされたのであろう。この図像は、左右相称、平明、聖母中心、父の役割(天地の創造)、子の役割(人類の救済)を明確化し、三位一体教義と純潔・善美なる聖母による化肉の教義を結びつけている点で、非常に完成した対抗宗教改革期の図像となっている。」今回はここまでにします。
2026.01.14 Wednesday
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「私は…発想する側のはしくれですが、それゆえか、目の前にある常識は見えず、逆に遠くの世界が見えます。 山岸凉子」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「1970年代に本格的に漫画を描きだすも、世間とずれる世界を描いたからか、編集部に駄目出しをくらい続けたと漫画家は言う。でも大人の感覚で読んでくれるファンも育っていて、『人間の深奥』に切り込めたと。時代を跨いで残るのは尖った発想なのだろう。岩波書店編集部編『私の戦後80年、そしてこれからのために』への寄稿から。」私は少女漫画をあまり読んでこなかったので、詳細なことはわかりませんが、それでも 山岸凉子氏のビアズリーを彷彿とさせる人物描写は独特な雰囲気を纏っているような気がしていました。おそらく同世代の漫画家萩尾望都氏の世界にも私は不思議な魅力を感じていたので、当時の少女漫画の世界では、この世代の不思議な漫画家たちには他を寄せつけないものがあったように記憶しています。現代の漫画は描く世界が多様化し、それが幅広いアニメーションの世界観に繋がっているように思いますが、当時の抜きん出た表現は古さを感じさせないばかりか、今読んでも「人間の深奥」を求めた力量は不動のものがあるだろうと私は考えます。「時代を跨いで残るのは尖った発想」とコメントにありますが、これは漫画やアニメに限ったことではなく、現代美術全体に言えるのではないでしょうか。私たちは人間であることの本質を知るために「人間の深奥」を求めます。一番身近な自分自身の謎に挑む姿勢は、時として世間とずれる世界を描くことで、逆に遠くの世界を見透かすこともあるでしょう。その遠くの世界は人間内部の深さを推し量ることにも繋がります。人間を知るために革新的な表現が生まれ、それが前衛と呼ばれ、やがて感覚に定着するまでに時間を費やし、また次の革新的な前衛がやってくる、その繰り返しで私たちは常に新しい美と向かい合っているのです。
2026.01.13 Tuesday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第6章 日本における聖母のタベルナクル」は4つの単元から成っていて、今回は「2民衆の信心形式としての『ロザリオの祈禱』」を取り上げます。「ロザリオの祈禱とは何かについて検討しておきたい。これはラテン語の読み書きができない民衆が、ミサなどの教会の儀式に参加することができるように、11世紀頃から、神父がその祈禱の後に民衆が唱和することができるような、簡単なラテン語の章句を教えたことにはじまる。~略~1521年にドミニコ会のアルベルト・ダ・カステッロが主題を15に絞り、『マリアの喜び』『マリアの悲しみ』『マリアの栄光』を瞑想しながら、全部で150回のアヴェマリアを唱和する現在のような形式にまとめた。この簡潔でわかりやすい形式がヨーロッパ各地に普及し、それによって聖母信仰が民衆に一層容易に浸透した。普及の理由は、15種×10回という簡潔さと、単純な祈禱が無学の民衆に対して効果的だったからで、マリアの喜びや悲しみに共感しながら、『キリスト教の主要なドグマを精神に浸透させる容易な方法』となったからである。~略~いっぽう、ルターはこのロザリオの祈禱形式を強く批判している。それはロザリオのような外的な道具を用いて、いわば機械的に習慣的に定型化した祈りを繰り返すことは真の祈りではなく、『心にかかる事柄をとりあげてそれを真剣に求めるべきだ』とする。個人の信仰や祈りに関する両者の相違が明確にみてとれる。」本書は次にロザリオ教書「スピリツアル修行」の日本語訳を詳しく取り上げていましたが、ここは割愛させていただきます。「トレント公会議前後における聖母像擁護論は、民衆祈禱の力を借りて極東の島においても現地同様の鮮明さをもって普及させられていた。むしろ迫害を身近に感じる日本キリシタンにとって、これらの修辞学、すなわち、幼子イエスをもつ喜びから、迫害の苦痛と悲惨へ、そしてその後の歓喜の復活、昇天へのドラマは深く心にひびくものであったにちがいない。」今回はここまでにします。
2026.01.12 Monday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第6章 日本における聖母のタベルナクル」は4つの単元から成っていて、今回は「1《聖母十五玄義図》の発見」を取り上げます。因みにタベルナクルをネットで調べると聖書に登場する移動式の神殿の意味があります。「『聖母十五玄義図(ロザリオの聖母)』の画像は、ロザリオを用いての民衆の信心形式が、日本の信者の間に普及していたため、数多く制作されていたと考えられ、現代まで生き延びた遺品も三種類ある。一枚は高槻の東藤次郎方から発見された『東本』とされるもの、もう一枚は浦上天主堂旧蔵で原爆投下によって失われたもの、最後の作品が高槻の原田辰次郎方から発見された『原田本』(京都大学蔵)である。」描かれた年代はどうだったのでしょうか。「まず、1614年以前に、ロザリオの聖母の祈禱と、そのための掛け軸状の絵画は需要に応えて多数制作されていたものとみられること、第二に、ニコラオが去り、著名なキリシタン画家がマカオに去ったとしても、すべての画家が日本を去ったのではないこと。したがって、潜伏下で『ロザリオ祈禱』掛け軸を描くことのできる画家は存在した。そして潜伏し、信者とともに生きる(または死ぬ)ことを選んだ宣教師も相当数いたのである。」次に聖母像の構成についてです。「聖母子と四聖人の周りには正方形に近い15の区画がぐるりと取り囲み、この部分は曼荼羅に似ていなくもない。しかし、それはキリスト教にとって重要な教義を説明する15の場面であり、同時に、マリアとキリストの生涯の重要場面でもある。左下から時計周りで、『受胎告知』『聖母の訪問』『イエスの降誕』『イエスの神殿奉献』『博士と議論する少年イエス』の5枚、すなわちイエスの受胎から少年時代の事績の5場面が描いてある。これは聖ドミニクスが始めたといわれる『ロザリオの祈禱』のなかの『聖母の御喜び』にあたる5場面である。さらに画面上の左から『ゲッセマネの園の祈り』『キリストの鞭打ち』『荊冠のキリスト』『十字架担ぎ』『磔刑』の受難の5場面が描かれているが、これは『聖母の御悲しみ』の場面である。画面右側では『キリストの復活』『キリストの昇天』『聖霊降臨』『聖母の被昇天』『聖母の戴冠』がならび、これは『聖母の栄光』の5場面である。」今回はここまでにします。