2025.08.27 Wednesday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は彫刻の2大代表作が登場します。「ロヴァーノ枢機卿と呼ばれたフランスのサン・ドニの枢機卿に、かの有名な町(ローマ)に、この稀なる美術家の手による何か価値ある自分の記念を残しておきたいという気にさせたのである。そこで彼はミケランジェロに、大理石で丸彫りのピエタを制作させた。完成すると、それはサン・ピエートロのマルテ寺院のヴェルジーネ・マリーア・デㇽラ・フェッブレ礼拝堂に置かれた。すぐれた彫刻家、芸術家といえども、この作品に対して、その造形力や優美さで何かをつけ加えようという気にはならないし、また、苦労して繊細さや洗練度をもってつくり出す気にも、さらに、ミケランジェロがここで行なったような技量で大理石を仕上げる気にもならないだろう。ここには、彫刻術のあらゆる価値と力が見られるからである。そこにある美しいもののなかで、その神聖な布地を含めて、死せるキリストの姿自身が目につく。どんなに肢体の美しい、肉体の巧みなものも、この肉体の骨格の上にある筋肉や血管、腱などで巧みにつくられた裸体像ほどのものは見られないだろう。これほど死そのものといった死体が見られようとは思われない。頭部にはいとも甘美な雰囲気があり、腕、胴体、脚の結合結節には調和があり、手首や血管は巧みで、実際、茫然自失させられてしまう。」次の作品も名作です。「ミケランジェロは新たにそれを測り直し、この石材で適当な像が彫れるかどうかを調べ、シモーネ師によって不格好にさせられてしまった石材にその形を合わせるようにしてから、事業監督所とソデリーニにそれを願い出ることに決めた。彼らから、役に立ちそうもないというので、譲り渡されたのである。つくられるものだったら何であれ、そのままであるよりもよいだろうと考えたのである。なぜなら、砕けていたり、そんな風に台なしになっていたので、建築には何の役にも立たなかったからである。それでミケランジェロは、蝋製の模型をつくり、パラッツオの象徴として、手に投石器を持つ若きダヴィデの像を考え出した。ダヴィデが、民衆を守り、正義をもって彼らを統治したように、この都市を治める者は、勇敢に守り、正しく市を統治しなければならないためである。ミケランジェロはサンタ・マリーア・デル・フィオーレ寺の作業場で仕事を始め、大理石の周りの壁と台の間に仕切りを作り、誰も彼を見ることができないようにして持続的に仕事を続け、それをこの上ない完全性を備えた像につくりあげたのである。」今回はここまでにします。
2025.08.26 Tuesday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきますが、その前に私にとってミケランジェロはルネサンス美術の代名詞のような存在で、勿論私が20代の頃にフィレンツェやローマを訪ねて、本物に接してその存在感を胸に刻み込みました。本書の著者ヴァザーリもミケランジェロとの師弟関係があったらしく、とりわけ本章は細かいエピソードが散りばめられていて、読書が楽しくなります。まず若い時代のミケランジェロのエピソードを書き出します。「ミケランジェロの技量や個性は高まってゆき、ドメーニコは彼が少年とは思われぬ作品を作るのを見て驚嘆した。自分が抱えていた数多くの弟子たちを凌駕しているばかりか、往々、師匠である彼の制作した作品にも匹敵すると思えたのである。こんなことがあった。ドメーニコの下で学んでいる少年たちの一人が、彼の作品から、ペンで、着飾った数人の女性たちを写し取ったのだが、ミケランジェロはこの紙を取り上げると、より太いペンを用いて、新たな輪郭線で、まったくそうであらねばならないような様式に、完璧にこの女性たちの一人を描き直してしまった。二つの様式の相違や、自分の師匠の作品を修正するほどの気概を持つ、生気ある大胆な少年の資質や判断力は感嘆すべきことである。この素描は、今日、私のところにあり、記念品として保存している。ミケランジェロによる他の素描ともども、それを『素描集』に入れるため、グラナッチから手に入れたのである。ミケランジェロがローマにいた1550年に、私は、彼がそれを見たがっているので見せたところ、彼は謙遜して、年老いた今よりも少年だったときのほうが、こうした技術についてよく知っていたと語った。」またこんなこともあったようです。「彼は何カ月も、カルミネ寺でマザッチョの絵から素描を行なった。深い判断力をもってこれらの作品を模写したので、芸術家や他の連中はそれに驚き、名声ともども嫉妬をも増大させることになった。彼と仲がよく、冗談口をきいていたトㇽリジャーノは、ミケランジェロが彼よりも賞讃され、技量も上であるのを見て、嫉妬にかられ、無謀にも握りこぶしで彼の鼻を打ちすえた。鼻は不幸にも傷つけられ、つぶれてしまい、それ以後ずっと鼻にその跡をとどめることになったということである。」今回はここまでにします。
2025.08.25 Monday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回の作品はルーブル美術館所蔵の絵画ですが、レオナルドのデッサンを基にルーベンスが模写をした「アンギアーリの戦い」です。「その仕事を実現すべくレオナルドは、サンタ・マリーア・ノヴェㇽラ寺の法王の間で下絵を描きはじめた。そこではミラーノのフィリッポ公の隊長ニッコロ・ピッチニーノの物語が描かれ、一群の騎馬兵が軍旗を奪い合って戦っているところが素描されていた。この遁走する場面は驚くほど熟慮のほどが示されており、卓越さと熟達が見られた。そこには憤怒、憎悪、復讐心が、人物のなかばかりではなく馬のなかにもあらわれていた。そのうち二頭が前脚をからめ合い、歯牙によって闘うさまは、軍旗を奪い合う騎兵たちの戦いと優とも劣らないものであった。そこでは一人の騎兵が肩の力で軍旗を抑えて旗の竿をつかみ、一方遁走する騎兵は体をうしろにねじ曲げ、その手から力づくでもぎ取ろうとしている。二人は片手で旗竿を抑え、片手に剣を振り上げて、その旗竿を切断しようとしている。一方、一人の赤い帽子をかぶった老騎士は、片手で旗竿をにぎり、片手に彎曲した刀を振りかざし、怒りに満ちて、抑える二人の手を切ろうとしている。彼らもまた歯をむいて狂暴なる身がまえをしており、彼らの軍旗を守ろうとする。また地上では、馬の脚の間に短縮法で二人の人物が闘うところが描かれている。一人が地面に倒れており、他の兵士は馬に乗り、腕をできるだけ高くさし上げて、生命を断とうと力いっぱいに短刀を敵の咽喉に突き刺そうとする。相手もまた手足をもがき、死からまぬがれようと必死になっている。レオナルドがこれら兵士たちの服装を描くのに示した描写力については、言葉を弄する必要がないほどである。兜や他の装身具は実に変化をきわめている。また馬の形態や輪郭において彼が示した熟達ぶりは信じられないほどで、その筋肉の立派さ、洗練された美しさなど、レオナルドに優る画家はいない。」以上で、レオナルド・ダ・ヴィンチに関する記述を終えますが、彼はルネサンス美術の巨匠であるばかりではなく、科学や医学を初めとするあらゆる分野での革新的なアイデアを持った天才であったことは疑う余地もありません。
2025.08.24 Sunday
日曜日は創作活動に纏わることを書いています。工房での陶彫制作は今日も相変わらずやっていますが、今回はNOTE(ブログ)の内容の方向を変えてみたいと思います。嘗ての私の同僚で、同じ時期に横浜市立中学校の校長職にあった人が、横浜の中心地で開催している書展に参加しています。退職校長会の「如月展」に彼を誘った縁もあって、私は昼頃に彼の作品を見に行きました。書道に関して、私は作品の良しあしがよく分からず、美術的視点で見ていくしかないのですが、一振りの線に託した彼の思いを理解しようとしていました。その書展の帰り道に私は、同じ模様の祭り半纏に身を包んだ群衆が神輿を担いでいる姿を目にして、ふと心地よい興趣に誘われました。書道といい祭礼といい日本古来のものに今日は縁があるのかなぁと思いつつ、神輿を担ぐ姿を暫く見ていなかった私は、横浜の野毛という下町情緒が残る風景の中で、昔ながらの祭礼が行われていることに心が洗われました。日本の祭礼は五穀豊穣や慰霊、または招福祈願や厄除のために行われるもので、神輿や山車が各町内会から出てきます。神輿とは何か、ネットによると「通常、神道の祭の際に、普段は神社にいる神霊が氏子町内、御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿」というもので、それを台車に乗せたものを山車と呼んでいます。私は昔から神輿や山車を飾る造形に惹かれていました。木材による精緻な浮彫りを見て、仏師が精魂込めて作ったであろうものや、染織家が施した刺繍にも美しさが宿っているものがありました。私が思い出すのは信州小布施の北斎館で展示されている祭屋台の天井を飾っている「男浪図」と「女浪図」で、葛飾北斎によるその大胆な造形感覚はまさに神の領域ではないかと思います。そんなことが一瞬目にした祭礼から思い出された一日でした。
2025.08.23 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も猛暑で、連日のように熱中症情報がテレビから流れていました。お盆も過ぎたのに、いつになったら涼風が立つのだろうと思っています。私は猛暑の中でも毎日工房に通っていました。午前中は陶彫制作に励んでいましたが、午後になると工房に暑さが籠るので、作業が厳しくなります。今のところは午前中だけの作業にしようとしていますが、土練りなどは午前中だけでは時間が足りないこともあって、午後も水分補給など充分行って作業を続けていました。月曜日の午後はお礼状の宛名印刷と郵便局での別納投函をやってきました。水曜日は翌日から2階の出窓修繕工事が入るため、2階の部屋の片づけを行ないました。2階は壁一面に作り付けになっている書棚が向かい合っていて、その他に移動式の書棚が幾つかあります。その移動式書棚の2体を移動することになり、そこに収まっていた書籍を別の場所に持っていきました。加齢のせいか私は昔より腰が辛くなっていました。そして木曜日から出窓修繕工事が始まりました。まだ届かない部材があって、工事は来週にも持ち越されることになりました。自宅も築30年以上が経過し、補修が必要な箇所がいろいろ出てきています。これは仕方がないのかなぁと思いながら、私は外仕事の職人さんたちを気遣っていました。工房が暑い時は自宅でRECORDを描きためています。遅々として進まない媒体ですが、諦めることなくやっています。夜は専ら読書に時間を費やしています。このところ書籍は西洋美術一辺倒で、西洋美術の最盛期とも言えるルネサンスの全貌を知りたくてヴァザーリ著による「芸術家列伝」を読んでいます。これは文庫版でおいしいところだけを取った簡略された書籍ですが、それでも私にとっては面白い内容で、偉大だった画家の足跡を辿ってその影響力を知り得ました。その結果もう一度イタリアに行って、ルネサンス美術を堪能したいと願っています。本書で印象的な箇所は画家のエピソードが書かれているところで、画家である前に敬虔な信者だったり、女性にだらしなかったり、それぞれ個性的で人間臭い場面があるなぁと思っています。学生の夏休みの定番である読書感想文よろしく、私もNOTE(ブログ)にその引用等を掲載しています。