Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 9月になっても猛暑が継続
    9月になりました。このところずっと猛暑が続いていて、果たして9月になってもこの暑さが続くとしたら、工房での陶彫制作はどうなってしまうのか、かなり心配です。陶彫制作は、全体像は予め決めているのですが、実際は手作業によって作品を修整するところがあり、その都度、その場で思考していきます。具体的な空間の中で、どのように作品化させた素材を存在させるか、それによって空間を変容させる装置が彫刻であると私は考えます。その思考部分は心地よい環境の中でやっていきたいと常々私は思っていて、それが蒸し暑い工房では無理があるように思います。頭がボウとして思考そのものがまとまりません。元来、芸術という論理が発祥したのはヨーロッパで、ギリシャあたりでは乾いた風土があり、エーゲ海からの風に晒されて、白亜の大理石に神の姿を彫り込んだのが造形芸術のはしりだろうと思っています。それ以前のエジプトにも彫刻はありましたが、芸術文化として論理を築いたのは西洋で、その後の量感としての立体把握は美術史に書かれている通りです。私の陶彫も彫刻である以上、そこを出発点としており、人体以外の表現を採用しているわけです。そこにも私なりの理論はあるのですが、乾いた風土が齎す構築性のある芸術思考が、日本の高温多湿な風土によって、構築性が徐々に平板なものになっていく危惧を感じます。日本の気候風土に合った陶芸は、どちらかと言えば平板な表現なので、私がやろうとしていることとは違いがあるのです。それでも次第に日本型の彫刻に染まっていくように感じているは確かです。早く涼風が立って、ヨーロッパの気候に似た季節になってほしいと私は願っています。今月は美術館や映画館に鑑賞に行きたいと思っています。私の座右の銘である「焦らず休まず」をもって、今月はゆっくり進んでいきたいと思っています。
    週末 猛暑の8月を振り返る
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、今日が8月の最終日になるので、猛暑だった今月を振り返ってみたいと思います。空調設備がない工房での制作は、暑さとの闘いです。陶彫制作を始めると、すぐに汗が滴ります。彫刻を学んでいた頃から、彫刻科の校舎にはエアコンがなく(40年以上前にはどこにもエアコンがなかったのですが)社会人になっても学校の美術室にはエアコンがありませんでした。ということは、私は冷房の効いた場所で彫刻を作っていたことは一度もないことが分かりました。空調設備のない工房を自然と受け入れているのはそんな理由かもしれませんが、さすがに今夏の暑さには辟易しました。今月をどう過ごしたのか、日々の記録している手帳を見ると、31日間あった今月ですが、工房へは31日間通っています。一日を割いて美術館に行くことも、旅行に出ることもなかった1カ月でした。当然、お盆には墓参りもしているし、自宅の2階出窓に修繕が必要になって、その工事日程の間も家内とやり繰りをしながら毎日工房に行っているのです。個展が毎年7月に組まれているので、8月は一番制作には余裕がある1カ月のはずですが、今年は珍しい1カ月になりました。猛暑の毎日でどこかへ行こうという意欲が起きなかったのかもしれません。何があっても創作活動を坦々とやり続けることは、私の得意とするところですが、振り返ってみると改めて、制作をしている時が私には絶好の精神安定剤になっている証だろうと思っています。その中で唯一映画に行きました。「『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」(TOHOシネマズららぽーと)で、日本のアニメーションの水準を知りました。それは日本独自のサブカルチャーの積み重ねがあって到達できた世界です。さて、来月はこの暑さはどうなっていくのでしょうか。地球温暖化の影響が続くなら、この異常気象はまだまだ続くのかもしれません。ともかく、来月も身体に十分留意して過ごしたいと思っています。
    週末 偉大な巨匠を再認識
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も猛暑が続き、工房での陶彫制作が厳しいと思いつつ、何とか毎日やっている状況です。日々の温度が高いため陶土の乾燥が早く、それにも対応せざるを得ないのです。今週は木曜日から自宅の2階出窓の修繕工事が再開しました。先週は部材が足りなくて、工事が中断したままになっていたのです。工事がある日は自宅に職人さんたちが入るため、家内か私のどちらかが自宅にいる必要があり、家内と融通をつけ合っています。私にとって今週の大きなニュースは現在読んでいる書籍のインパクトによるもので、毎晩偉大な巨匠を再認識しています。ヴァザーリ著「芸術家列伝3」ではレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロが登場し、とりわけミケランジェロは彫刻をやっている私には心に沁みる印象があります。私は20代の頃イタリア各地を回り、ミケランジェロの代表的な石彫をじっくり鑑賞してきました。「ピエタ」を見た時は横たわるキリストの肢体の表現が、まさに神がかっていて、人が作ったものとは思えない造形に畏怖を抱きました。「モーセ」も同じ感想を持ちましたが、本書によって驚きを隠せなかったのは「ダビデ」です。他の彫刻家が削って途中で放棄した石材を譲り受けて、あの「ダビデ」を彫り出したミケランジェロという人物は、一体どんな才能を持ち合わせていたのか、その実力に眼を疑うばかりです。彫刻だけではなく、システィーナ礼拝堂のフレスコ画に取り組み始めた様子が本書にありますが、フレスコを今まで扱ったことがないにも関わらず、その研鑽に独力で挑むミケランジェロには、創作意欲の激しさ、大きさに圧倒されます。彼には自分の実力に匹敵する者でなければ協働できない生癖があり、それが気難しく、人を寄せ付けない孤高の精神を表しているのではないかと察しました。偉大な天才に見られる偏屈さではあるけれど、我執の強さでは誰にも負けないものを持っていたのでしょう。もしもミケランジェロが近くにいたなら、その磁場の強さがいかほどのものか体感したいと私が思ったのも不思議ではないと思いました。
    「ミケランジェロ」について・4
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は「システィーナ礼拝堂天井画」の制作工程について取り上げます。「ミケランジェロはこの仕事の膨大さに助手を必要とせざるを得ないと考えたので、フィレンツェに人を求めにやった。そしてこの作品で、以前そこに絵を描いたことのあった画家たちが彼の労作の犠牲にならざるを得ないことを示そうと決心し、さらに同時代の芸術家たちに、いかに素描し、描けばよいか模範を示そうと考えた。それで、その仕事に取り組んだことは、彼の名声やその技術の内容を非常な高みへと導いた。こうしてカルトンが始められ、そして完成した。それからフレスコで賦彩しようとしたが、それまであまりやってこなかったので、フィレンツェから何人かの友人である画家たちが、ミケランジェロの手助けにローマにやってきた。彼らからフレスコで仕事をする仕方を学ぶためでもあった。~略~しかし彼らの努力の結晶も、彼の希望するところからははるかに隔たっているのを見て、満足させられるところではなかった。それである朝、彼らが作ったあらゆるものをぶち毀そうと決心した。そして礼拝堂にとじこもり、彼らを決して入れようとせず、家でも決して会おうとはしなかった。彼らとしても、冗談にしては行き過ぎに思えたので、提案を受け入れ、面目を失って、フィレンツェに帰ってしまった。それでミケランジェロは、この作品すべてを独力でしとげる決心をすると、労苦と研鑽に傾注してもっとも完璧な姿にしようとしたのであった。彼は決して人に会わないようにしていた。仕事を人目にさらさなければならない理由を与えないためであった。~略~半分ほど仕上がると、法王はミケランジェロのもうけた梯子に助けられて、なんどかそこを見に行き、それが公開されることを望んだ。生来、性急で辛抱できないたちの人であり、作品が完成すること、いってみれば最後の手が入るのを待つことができなかったのである。公開されると、すぐさまローマ中の人々が見に来た。法王が最初だった。法王には、足場を解体する際の塵芥をかたづけるまでの辛抱さえなかった。さらに、模倣することにかけてはいとも卓越しているラファエㇽロ・ダ・ウルビーノは、それを見てすぐさま自分の様式を変えた。自己の力量を示すために、すぐさまサンタ・マリーア・デㇽラ・バーチェ寺の作品の預言者と巫女を作った。」今回はここまでにします。
    「ミケランジェロ」について・3

    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は「モーセ」と「システィーナ礼拝堂天井画」を描く契機について取り上げます。「ミケランジェロは大理石で五尋のモーセを仕上げた。この像には、その美に匹敵できるどのような現代作品もないだろうし、古代のものでも同じようなものはないだろう。モーセはいとも荘重な態度で坐り、片手に持つ石版の上に腕を置き、他方の手では髭をつかんでいる。その髭は大理石でつやつやと長く作られている。彫刻としては非常な困難さを孕む髭の毛の表現も、繊細に柔らかく、ふっくらと作られ、鑿が絵筆になるはずもないのに、そうしたやり方で彫られているのである。さらに顔の美しさという点では、真の聖人や人を畏怖させる王侯の雰囲気を持っている。またミケランジェロは、神がモーセにいとも聖なる表情に付与したその神性を見事に表現したので、たいへんすばらしく輝かしく見え、一見して顔をおおうためにヴェールを求めたい気になるほどだ。さらにたいへん流麗なひだの動きをともなって彫り上げられた布地があり、筋肉質の腕や、骨や神経まで見える手など、見事な美しさと完璧さをそなえている。」次に「システィーナ礼拝堂天井画」についてです。「ミケランジェロのいないローマに、ラファエㇽロ・ダ・ウルビーノの友人であり親戚であったブラマンテがいた。ミケランジェロとはほとんど友愛の情を持っていなかったブラマンテは、法王がミケランジェロの彫刻作品を愛惜し讃えているのを知り、ラファエㇽロと二人して、ミケランジェロが戻ったら、法王が自分の墓廟の完成を望まないよう、その野心から彼を引き離そうと考えた。生存中に墓を作るのは死に急ぐようなもので、悪い兆しだと言ったのある。そして二人は、ミケランジェロが帰ってきたら、法王の叔父のシクストゥス法王追悼のために、シクストゥスがヴァティカン宮殿に建てたその礼拝堂の天井穹窿をミケランジェロに描かせねばならないと勧めたのである。こうしてそれは、ブラマンテや他のミケランジェロの競争者たちには、完璧であると思える彫刻からミケランジェロを引き離し、彼を破滅に追いやることにもなると思えたのだ。ミケランジェロはフレスコでの賦彩の経験がないので、彼に描かせれば、あまり感心しない作品を作らざるを得ず、ラファエㇽロほどうまくはできないと考えたからであった。そして万一彼がそれを描くのに成功したとしても、ことごとく法王と反目するだろうし、そうすれば、ある何らかの仕方で彼を法王の御前から追い出してしまうという彼らの目論見が、成就されるというわけであった。こうして、ミケランジェロがローマに帰ってみると、法王は一時的にせよ自分の墓廟を完成する気がなくなっており、代わりに礼拝堂の天井穹窿を描くよう、彼に命じたのである。」今回はここまでにします。