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  • 新聞記事より〈きつぱりと冬が来た〉
    朝、工房で作業していると久しぶりに手が悴みました。寒くて長く作業が出来ず、午後は筆洗浄液やら油絵の具を買いに横浜駅にある画材店に行きました。今日の朝日新聞の「天声人語」に大寒に関する記事があったので、今日はそれを取り上げます。「『冬が来た』と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった〉。ご存知の方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている。寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ。名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って『人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない』と論じた。~略~そういえば『冷たい』の語源は『爪痛し』との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則ち反ると唱えながら、春を待つ。高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。」私は時事問題がない「天声人語」に反応する癖があり、まさに時季を謳った内容に惹きつけられてしまいます。ましてや詩人高村光太郎は彫刻家であり、その造形的で彫塑的な言葉の選び方に迷いのない空間を感じるのです。孤高の清々しさもあります。もう一人の和辻哲郎は、私が学生の頃「風土」を読んで、その書籍が赤茶けて埃を被ったまま自宅の書棚にありました。最近それを再読して、NOTE(ブログ)に掲載した記憶があります。哲学者和辻哲郎の筋の通った理論にも私は少なからず影響を受けているので、今日の新聞記事が心に刺さったのでした。
    「布教書挿絵・扉絵」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第7章 キリスト教銅版画の成立」は5つの単元から成っていて、今回は「1キリスト教布教書(きりしたん版)の成立」と「2布教書挿絵・扉絵版画研究」の2単元を取り上げます。「ヴァリニャーノの現地人育成主義のもっとも基礎的な仕事は、知識の伝達の基本的なメディアとしての西洋の書物の翻訳出版、外国人宣教師のための日本の言語の辞書の編纂、日本文学の翻訳などによる文化の相互交換のシステムを作り上げることであった。このための活版印刷機、活字、印刷工の招来がヴァリニャーノの行なった大きな事業である。」次に布教書の内容に触れます。「ルイス・デ・グラナダの著作は神学、哲学を包含し、宇宙の構造とキリスト教の基本的な教義について漏れなく具体例をあげて説明している点で適切な教科書に選ばれたものと思われる。ここにはキリスト教の教義に加えて信仰の究極のあかしとしての殉教についての教えが述べられていることが大きな特色である。すでに、最初の弾圧が1587年秀吉による伴天連追放令によって行われており、ヴァリニャーノも、1592年の『日本第一回管区総会議事録』の第13章において、迫害、戦乱、(日本)国家の変動期においていかに修道院を組織するかについて述べている。天草1591年の『サントスの御作業』にもマルチリヨ(殉教)の理が説かれていた。実際に1597年長崎西坂において26聖人殉教が行われたことはあまりにも名高い。」次に「フィデスの導師」扉絵の「トマスの不信」に関する文章です。「復活したイエスは弟子たちの前に姿を現したが、そのときトマスだけは不在だった。彼はイエスが復活したということを他の弟子たちから聞いたときに、それを信じなかった。イエスはトマスとそのほかの弟子のいるところにふたたび現れて、自分の傷に手でふれ、手をさしいれよとトマスに言う。トマスはそのようにして手を傷にさしいれ、『わが主よ、わが神よ』と言った。イエスはトマスに向かって、『あなたはわたしを見て信じたのだが、見ないで信じる者はさいわいである』と言った。」今回はここまでにします。
    「ザビエル像」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第6章 日本における聖母のタベルナクル」は4つの単元から成っていて、今回は「4《聖母十五玄義図》のザビエル像について」を取り上げます。「熱烈な魂というザビエル図像の基本をなす概念は、そのアトリビュート(象徴的付属物)として十字架、心臓、太陽などをもつこと、視線を天に向けること、胴衣の胸を開くことという三つの図像類型を生んだ。またこれらはしばしば統合して描かれることもあった。これらの図像の発生は、ザビエルの生涯が異郷における布教に捧げられたことと深い関係がある。~略~十字架を胸に抱き、両手を胸にあて法悦のなかに天を仰ぐザビエルの『神戸型』図像は16世紀のカトリック諸国で定型化された聖人図像であったことがあらためて確認できる。しかも、16世紀のある時点で、聖フランチェスコと聖フランシスコ・ザビエルの図像は融合していったということになろう。」ザビエルの図像に見られる両手で衣服の襞をもつ姿勢は何を表しているのでしょうか。「筆者が問題とするのは、この『衣服を摑む図像』が何に由来し、またザビエル像にどのような意味を与えているのかということである。衣服を摑むという『リラックスした』身振りには、ザビエルの熱烈な信仰に満ちた人間像や、生存当時からザビエル像に賦与されていた神秘性が認められない。そればかりではなく、西欧美術史上のいかなる聖人図像にも、歴史画中の人物の図像にも、この奇妙な動作が発見できないのである。筆者は、ザビエル像の原型として考えられる身振りは、『衣服を摑む』のではなく、実は『衣服の胸を開く』身振りであると推定している。」次に画像にある「充分です」という銘文についての考察です。「ザビエルが日本からゴアに帰って中国に渡る準備をしていた1551年に、ゴアのサン・パウロ学院にいたイエズス会士が、深夜に学院の庭の小聖堂でザビエルが祈りをしていたとき、心に神への愛が燃え上がるのを覚え、その熱さのあまりに、胸を開き、『主よ、もう充分です』と言ったということを伝えたことから出ている。」今回はここまでにします。
    週末 声楽家の三回忌
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は一般的な創作活動ではなく、自らの創作活動を振り返った時に忘れない人について書こうと思います。声楽家であり叔父でもあった下野昇が87歳で亡くなって、今日は三回忌を迎えました。叔父は家内の親類で、私とは血縁関係はありません。私が家内と付き合っていた20代前半の頃に、私には初めてとなるオペラ「カルメン」を観ました。二期会主催の和製歌劇で、その時準主役をやっていたのが将来叔父となる下野昇で、指揮者は小澤征爾氏でした。家内に付き添って楽屋を訪れた時に、下野昇の隣りに小澤さんの楽屋があって、ひょっこり顔を出した小澤さんに私を紹介してくれました。外国に行くなら首からパスポートをぶら下げて行けと小澤さんに言われたのが、小澤さんと会話できた最初で最後の機会でした。その後、下野昇は正式な叔父となって私の個展にも来て、助言をしてくれたばかりでなく、作品の購入もしてくれました。私はクラシック音楽をよく聴くようになり、叔父のリサイタルには必ず出かけました。自己表現者が自分の親戚にいることに私は勇気づけられて、こういう環境はなかなかないだろうなぁと思っていました。私がウィーンの美術アカデミーに在籍していた時も、歌劇場の立見席にせっせと通い、音楽と舞台美術を堪能したのも、そうした環境あればこその出来事でした。当時、音楽は元々抽象であり、人の心に刺さるものだなぁと私は感じていたことがあり、自分が模索している造形美術にも少なからず影響があったかもしれません。毎晩歌劇場の立見席にいると、無調音楽を聴く機会があり、シェーンブルクやベルクの居心地悪いオペラが、時として刺激的になり、立ち現れる音響空間が私の心を震わせる瞬間がありました。造形美術もそうした立ち現れる空間を創出することが出来るのではないか、都市空間や遺跡を利用して空間演出をしてみる方策が私の中に生まれました。今日の叔父の三回忌で、そんなことに思いを巡らせ、故人を偲ぶ時間を持ちました。
    週末 工具修理&歯科治療の1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通っていました。日曜日と月曜日、火曜日までの制作として壁に掛ける作品の一部になる杉板の刳り貫き作業をやっていました。板材の刳り貫き作業は電動糸鋸盤を使ってやりますが、糸鋸の歯を締め付ける金具の具合が悪くなって、作業の途中で外れてしまうことがあり、私はその場で分解をしてみて掃除をしてみましたが、金具そのものが古くなっていて修理ができないと判断しました。電動糸鋸盤を買い直そうと、工具店を回りましたが、最近の工具店は大きな電動工具は置いていないため、ネットで購入するしかないのかと思いました。懇意にしている業者に問い合わせたら、部品交換で何とかなると言ってくれたので、水曜日に業者宅へ持ち込みました。家電は修理するより新しいものを買った方がよいと販売店で言われるので、新品購入を覚悟していましたが、部品交換だけで済むのは大助かりでした。さて、刳り貫き作業が出来なくなってどうしたもんだと思っていたら、先日砂マチエールを貼り、油絵の具を染み込ませた厚板6枚がかなり乾いているため、次の作業としてこの板にドリッピングを施すことにしました。作業は次から次へとあるもので、休みを与えてくれない新作の制作工程に、内心嬉しいような辛いような複雑な心境になりました。昨日のNOTE(ブログ)に書きましたが、今週の印象的な出来事は歯科治療でした。以前直したところの被せものが取れることは、よくあることかもしれず、金曜日に予約を取っていました。私は1年に2回はクリーニングに歯科医院を訪れるので、歯科医院に対する免疫はあるのですが、それでも気が重くなっていました。歯は大切にするように両親からよく言われていたので、定期的にクリーニングを兼ねて検診に行っていましたが、治療は久しぶりでした。現在ある歯を長く保たせるために、私は放っておかないようにしているのです。電動工具といい私の歯といい修理&治療の必要が発覚した1週間でした。