2025.09.06 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週の前半は猛暑が続いていましたが、週半ばに台風が発生し、横浜でもどしゃ降りになりました。やや涼しくなったのですが、今日は台風一過で猛暑が戻ってきました。一体いつになれば涼風が立つのか、蒸し暑い工房での制作は慣れることはありません。今日の土練りで汗びっしょりになりました。台風の合間を縫って先週から続いている出窓修繕工事がほぼ完了しました。2階にあったお洒落な出窓はなくなりましたが、築30年以上の自宅なので、それでも良しとしています。修繕工事の外側の塗装と最終点検が来週に残っていますが、業者さんたちにはしっかりやっていただけたと思っています。陶彫制作では土台となる6点の陶彫部品と、その2段目に積み上げる陶彫部品4点の成形と彫り込み加飾が終わりました。2段目は残り2点を残すのみになっています。3段目に積み上げる陶彫部品も2点やっていますが、中途半端に制作を続けているのは、陶土の手元に残った分量によるもので、分配を判断してやっているのです。というのは私が使う陶土は混合陶土なので、その都度、割合を決めて土練機にかけていて、混合陶土を作るにも時間がかかります。しかも工房内の温度や湿度によって陶土の硬化状態が変わるので、気候による困難さは、陶土を素材にしている以上、条件としてついてまわるものなのです。とくに時間のかかる彫り込み加飾は、全て終わらないうちに陶土の表面が硬くなってしまうので、濡れ雑巾で表面を覆って対応しています。これだけ暑いと急激な乾燥によって罅割れることもあり、仕上がった箇所も水を吹き付けて、場合によってはビニールで保護しています。陶彫は陶芸と違い、無理な形態をしているので、徐々に全体が乾燥していくように配慮しています。それでも罅割れは生じてしまいます。まだ窯入れをしていないので、どの程度の作品が完成に漕ぎつけられるのか分かりませんが、鎧を纏ったような陶彫の完成形を思い描きながら、今週も頑張っていました。
2025.09.05 Friday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は建築に関する箇所です。「法王パウルスはボルゴの城塞構築に着手し、この会議に、アントーニオ・ダ・サンガㇽロともども、多くの貴顕たちを招集した。法王はミケランジェロも参加するように望んだ。フィレンツェのサン・ミニアートの丘周辺につくられた城塞が、ミケランジェロによる考案であることを知っていたからである。多くの議論ののち、ミケランジェロは自分の意見を尋ねられた。彼はサンガㇽロや他の多くの人たちと意見を異にすることを素直に述べた。それでサンガㇽロはミケランジェロに、彼の専門は彫刻や絵画であって築城術ではないと言った。ミケランジェロはこれにこう答えた。自分は彫刻や絵画のことはあまり知らない。だが築城術のことは長いこと考えたこともあったし、作った経験もあるのだから、知りもしないサンガㇽロや彼の一族のだれよりもよく知っていると思える、と。そして多くの人を前にして、サンガㇽロがその点で多くの誤りをやったことがあるのを指摘した。」次に本書の著者ヴァザーリが登場します。「法王ユリウス三世はこの年、サン・ピエートロ寺建造に関する法王パウルス三世の教書を認証した。サン・ピエートロ寺建造について、ミケランジェロはまたサンガㇽロ派の連中にひどい悪口を言われたが、法王はそんなことを何も聞こうとしなかった。実際の話、彼はこの建物に生命を吹き込んだのだと、ヴァザーリが法王に教示したのである。さらにミケランジェロの判断を仰がずには計画について何も進めることがないよう、法王に働きかけた。法王はそれを常に守った。彼の忠告を求めずにはジューリア別荘に何も作らなかったし、ベルヴェデーレでもそれに守った。そこには、ベルヴェデーレ中央の主壁龕にかつてブラマンテが制作した、それぞれに八段あって一方が進み登り、他方が内に曲り下る半円形のものに代わって、現在の階段が作られたのである。ミケランジェロがその計画を行ない、胡椒石の欄干を持つ四角形階段を作らせた。今日もそこにあり、非常に美しいものである。ヴァザーリはこの年、フィレンツェで『画家・彫刻家・建築家列伝』の書物を印刷しおえた。彼は生きている者たちの誰の伝記をも書かなかった。年老いた人でも例外ではなかった。ただし、ミケランジェロは例外であった。彼に一冊を献じたところ、彼はたいそう喜んで受け取った。」今回はここまでにします。
2025.09.04 Thursday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。まず「メディチ公の墓廟」についてです。「だれもがさらに感嘆させられたのは、ジュリアーノ公およびロレンツォ・デ・メディチ公の墓廟である。その制作を構想するに際して、彼は、大地だけでは彼らの偉大さに対して誉ある墓廟を与えるのに十分ではないと考え、世界のあらゆる部分、四つの彫像ーその一方に彼は『夜』と『昼』を、他方には『曙』と『夕』を置いたーがそれを取り巻き、彼の墓所をおおうようにしたのである。これらの彫像は、仕草のいとも美しい形態や念入りな筋肉の扱い方によって、たとえ彫刻術の伝統が失われようとも、それを元の光明に戻すに十分なほどである。他の彫刻にまじって、二体の武装した統治者がある。一方は思慮深い容貌をした思索家ロレンツォ公で~略~もう一方はジュリアーノ公で~略~いとも神々しい。」次にシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」です。「ミケランジェロは、パウルス法王が見にきたときにはすでに作品の四分の三以上を仕上げていた。その際、法王のお供で礼拝堂にいた儀典長の謹厳居士たるピアージョ・ダ・チュゼーナ氏は、どう思うかと聞かれたので、いとも荘厳な場所にたくさんの裸体像を描いたのはなんとも不敬なことだ、裸体像はふまじめにもその恥ずかしいところまで見せている、法王礼拝堂用の作品ではなく、風呂屋か宿屋むきの作品だ、と言った。おかげでミケランジェロは不愉快になった。それで報復してやろうと思い、彼が出ていくや、以前には別に彼を見たことなどなかったのに、地獄のミノスの姿にして、実物大に描きこんだのである。~略~さてこの頃のミケランジェロは、この仕事用の高い足場から落ちたことがあった。それで脚を痛めたのだが、苦痛と怒りから、だれにも治療してもらおうとしなかった。そこで、当時彼の友人で、機転のきく医者であり、また彼の才能にも大いに敬服している人物であったバッチョ・ロンティー二先生なるフィレンツェ人が、彼を案じ、ある日家を訪ねていった。~略~ミケランジェロはやけくそになっていたので、バッチョ先生は、全快するまで決して彼を見捨てようとはせず、そばを離れなかったのである。彼はこの傷が回復するや、仕事に戻った。そして引き続きこれに専心し、2,3カ月で最終完成にまでもっていった。彼は制作した絵にたいへんな力を注いだので、ダンテの言葉『死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとくなりき』を立証したほどである。」今回はここまでにします。
2025.09.03 Wednesday
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「想像を知覚から取り去ることはできない。大森荘蔵」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『現実は虚構を藉りて表現される以外にない』。そう考える哲学者が最初にあげるのは、物の知覚の中でともに働きだしている虚構の視線だ。例えば机は、眼に映る見え姿だけでなく、ここからは見えない側面や背面、ときには内部への想像をも含めてはじめて机として了承される。『虚に照されて実がはじめて実となる』のだと。論文『三つの比喩』(『物と心』所収)から。」私は物の存在を、その存在だけでなく、そこに纏わる要素(虚構)とともに存在として認識する考え方が大変面白いと感じました。確かに机を見れば、日常使っている常識としてこれは机だと認識できます。机には想像力を膨らませるものがあり、それらを全てひっくるめて、これは自分が求める(あるいは不要とする)机だと感じることができるからです。ありとあらゆるものはそうした要素(虚構)がついてきて、私たちはその用途によって日常的な安心を得るのだろうと思いますが、私が問いかけたいのは付随する要素(虚構)がはっきりしない場合です。というのは、私が作っている抽象傾向の彫刻は、その虚構が薄いのではないかと思うからです。人の常識の範疇を超える造形は、人からどのように見られているのだろうかと考えざるを得ません。これは彫刻だとギャラリーに来られる方々は、これはそういうものだと認識するものの、普段からこうしたものを見慣れていないので、想像力を膨らませても日常的な安心を得られず、存在としての物質は虚構なき存在そのものなのです。ギャラリーに私がいても、これはいったい何ですか、と鑑賞に来られた方に聞かれる場合があります。アートであっても日常の安心が得られない世界、逆に言えば存在論としても、こんなに面白いものはないのではないかと思っているところです。
2025.09.02 Tuesday
「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回も前回に続いて「システィーナ礼拝堂」に関する記録です。「法王は、往々ミケランジェロを見ると、礼拝堂は貧弱だからより多くの色彩と金色で豪華にならぬかと聞いた。ミケランジェロは親しみをこめてこう答えた。『法王様、当時の人々は金色で飾りたてたりなどいたしませんでした。描かれている者たちは富をさげすんだのですから。決して金持ではなく、聖人だったのです』。この作品のために、ミケランジェロには法王から数度にわたって計3000スクード支払われたが、そのうち彼は顔料代に25スクード費やさなければならなかった。この作品は、上に頭を向けて制作せざるを得ないというたいへん不自由な状態で完成された。それで彼は視力を弱めてしまい、また上を向かなければ文字を読むことも素描を見ることもできないほどになった。それは、以後何カ月も続いた。私はそれを確言できる。というのも、コージモ公の宮殿の大部屋のために私が天井で5つの部屋を描いたときなど、もし私が頭をもたせかけ、制作しながら休んだりできる椅子を作らなかったら、私は決してそれを完成できなかっただろうからだ。それでも私の視力を弱めたし、いまでも感じているごとく、頭部をそこねたのである。だから私がミケランジェロが、この不自由に大いに耐え忍んだことには驚嘆する。日々ますます制作意欲に燃えたたせられ、彼自身が得たものや進展のさまによって、疲労も感じなければ不自由も気にならなかったのである。」制作に纏わる不自由さで、作者自らが身体を傷つけてしまうことに、私の心が刺さりました。結果として名誉を手に入れたとしても、です。「さてこれを見ようと、各界の人々が駆けつけるのを耳にしたが、人々を仰天させ、口もきけないようにしてしまうのに十分なものだった。そのため、法王はこのことに気を大きくされ、自らさらにすばらしい事業を行なおうとする活気が得られ、金や高価な贈物で大いにミケランジェロに報いた。彼は、往々、法王がさかんに授けてくれる好意について語ったものである。法王が彼の力量を十全に認めていることを示すものだったのである。」今回はここまでにします。